そいつがお前の保護者だと言うのなら、俺はそいつに結婚を申し込むだけだ

 

 次の日、まさるは学校の廊下で、あのプリントを手に溜息をついていた。


 出すべきか。

 出さざるべきか。


 それが問題だ、と思っている間に、ひょい、と後ろからそれを取り上げられる。


「やっと持ってきたのか。

 提出期限過ぎてるぞ」


 伊吹だった。

 出席になっているのを見た伊吹は、ほほう、と笑う。


「ついにお前の保護者が来るのか」


 今まで来させなかったからな、と優は思っていた。


「三者面談か。

 ある意味、結婚を申し込むのに最適な場所だな」


 ……いや、そういう場ではないと思いますが、先生。


「ところで、誰が来るんだ?

 お前は両親とは住んでないだろう?」


 改めて、そう問われたので、観念して、優は答える。


「はい。

 假屋崎舷かりやざき げんという人が来ます」


 そして、伊吹が口を開く前に、今、思っていることをぼんやり口に出してしまった。


「假屋崎舷とは――


 一体、何者なんでしょうね?」


 伊吹が沈黙した。

  



 美人だが、変わっている、というのが瀬ノ宮優の校内での評価だった。


 まあ、そうだな、変わっている。

 今、俺でさえ思ったぞ。


 なに言ってんだ、こいつはと、と伊吹は目の前にぼんやり立っている優を眺めた。


「待て。

 お前はずっと暮らしてたんじゃないのか? その假屋崎舷とかいう人物と」


「そうなんですけどね」


 騒がしい休み時間。

 生徒たちの声に自分たちの話し声など、かき消されてしまいそうだ。


 いや、かき消して欲しい感じの話だ。


 かき消してくれ……。


 そう伊吹は思っていた。


「実は、誰なんだかよくわからないんですよ、舷おじさんって。


 ある日いきなり、

『今日からおじさんと暮らそう』って言われただけなんで」


「……そういう誘いは断れ」

と思わず、今更しても無駄な忠告をしてしまう。


「でも、両親の知り合いであることには間違いないんです。

 何度か親と一緒に会ったことがありますから。


 なにかあったら、舷おじさんを頼れ、とも言われていました。

 でも、何処の誰だかわからないんです。


 両親もなにも言わなかったし。


 表向きは、父の弟ということになっていますが、父とは年が離れている上に、欠片も似ていません」


「似てないのか」


「はい。

 父は小柄で可愛らしい感じなんですが、舷おじさんは男臭いというか。


 ちょっと渋い感じで、格好いいんです」


 そんな優の言葉に、……なんかムカついてきたぞ、と伊吹は思う。


「長年、疑問に思ってはいたんですが。

 なんだか聞いては悪いような気がして。


 それに、今更訊くのもなんだか変だし」


 そりゃそうだろう。

 何年も一緒に暮らしてきた、自分を育ててくれた男に、この歳になって、


『貴方、誰なんですか?』

 って、訊くとか。


 だが、実際のところ、変だから訊かない、ではなく、怖いから訊かない、が正解なのではないかと伊吹は思っていた。


 その一言によって、優の平穏な生活が打ち砕かれてしまうかもしれないから。


 触れない方が平和な謎は、実は、そこ此処に、たくさんある。


「でも、先生なら。

 なにか私のことをご存知っぽいので、舷さんの素性ももしかしたら、知ってるのかな、と思ったんですが」


 昨日、お前を使って復讐したいと言ったので、優の過去や周囲のことにも詳しいと思われたようだ。


 だが、自分もそう詳しいわけではない。


 伊吹は溜息をついて言った。


「いや、俺もお前の今のことについては知らないぞ。

 そして、假屋崎舷という男も知らない。


 だが、戸籍なんて、その辺に幾つも落ちてるもんだし。

 会ってみれば、誰か俺の知ってる人間なのかもしれないが」


「そうですか……」


「まあ、その男が誰でもいい。

 とりあえず、そいつがお前の保護者だと言うのなら。


 俺はそいつに結婚を申し込むだけだ」

と言って、


「えっ?

 先生、舷おじさんに結婚を申し込むんですか?」

と言われてしまう。


「……なんでだ。

 お前との結婚をっ、そのおじさんにっ、だ!」


 常識で考えろっ、とあまり常識の通じなさそうな優に言う。


「お前、美人だが、変わってる、と校内で評判になるだけのことはあるな……」

と呆れ気味に言うと、美人だが、と前につけたせいか、優はちょっと嬉しそうだった。


 ほう。

 これだけ綺麗な顔をしていても、改めて褒められると嬉しいものなのか、と意外に思う。


 もう言われ慣れているのかと思っていた。


「いや、変わってるって言われるのは、ちょっと訳があって」

と優は照れながら言ってくる。


「小学校のとき、宇宙人に連れ去られたことがあるって、一回言っただけなんですけどね」


「……いや、一回言えば充分だろ」


 やはり、こいつに結婚を申し込んだのは早計だったろうか、とちょっと思ってしまった。


 優と別れたあと、職員室に向かっていると、途中で白河高見しらかわ たかみとすれ違った。


 向こうもチラとこちらを見たが、それだけだった。








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