このメンバーでの三者面談、遠慮したい


 怒濤の一日だった、と思いながら、優は家で夕食の支度をしていた。


 ポトフの味見をし、


 ん~、まあまあかなあ、と思ったところで、一息ついて、食卓テーブルの方を振り向いた。


『お前は俺に白紙委任状を譲り渡した。

 つまり、お前の将来の決定権は、俺にある。


 瀬ノ宮優。

 高校を卒業したら、俺のところに嫁に来い――』


 そんな伊吹の脅迫じみた言葉を思い出しながら、優は想像してみた。


 この食卓テーブルに座る伊吹の姿を。


 ……うーむ。

 なにやら、しっくりと来ない。


 伊吹の素性を聞いたことはないのだが。

 見るからに、いいところのお坊ちゃんぽい。


 この家には不似合いな人だ、と優は思っていた。


 この家は、そんなに新しくもないし、大きくもない。


 狭いながらも楽しい我が家で、優としては気に入っているのだが、伊吹には似合わないような気がしていた。


 結婚か。

 まだ遠い先のことのような気がして、考えたこともなかったけど。


 私がお嫁に行ったら、おじさんはどうなるんだろうな、とふと思う。


 優はこの家で、『おじさん』と二人で暮らしている。


 ……私が結婚して、此処を出て行ったら……。


 まあ、別に困らない人だよな、と優は苦笑した。


 まだ若いし、私より料理上手いし。

 ちょっと男臭過ぎるが、格好いいし。


 きっと、私が居なくなった方が、幾らでも女の人を連れ込め……


 いや、お嫁さんがもらえるな、とちょっといい言葉に置き換えてみた。


 しかし、げんおじさんのお嫁さんか。

 どんな人がなるんだろうな、と笑いながら、優はエプロンを外した。




 七時過ぎ、假屋崎舷かりやざき げんが帰ってきた。


 なんの仕事をしているのやら、普通のTシャツにジーパンだ。


 筋肉質なので、肉体労働だろうと長年、勝手に思っていたのだが、どうも違うようだった。


「うん、まあまあだな」

と舷は褒めているのかなんなのかわからない口調で、優の料理を評している。


 駄目なときは駄目というので、まあ、ぼちぼち、美味しいのだろう。


 実際、舷の料理はその辺の有名店のものより美味しいので、なにを言われても、文句も言えない。


「このポトフ、じゃがいもがいいんだな」

と味付けではなく、素材を褒め始めた舷に、はいはい、と思っていると、


「今日はなにも変わったことはなかったか?」

と舷が言ってきた。


「うん。

 なかったよ」

と優は答える。


 伊吹が、こらーっ、と叫ぶ幻聴が聞こえたが、とりあえず、黙殺する。


 これは我が家の儀式だからだ。


 舷が、毎日、今日、なにも変わったことはなかったか? と訊く。

 それに、優が、ないよ、と答えることで、成立する儀式。


 ふと気づくと、じゃがいもののったスプーンの上から窺うように舷がこちらを見ていた。


 鋭いからな~、おじさん、と優は笑いを押し上げかけてやめた。


 どんなに表情を取りつくろってみても、この人にはお見通しなのだろうから。


「……優」

と呼びかけてくる舷に、なにがあったのか、追求されるかと身構えたが、舷は、


「お前、この間のテスト、今日辺り結果出るんじゃなかったか?」

と言ってきた。


 しかし、それはそれでビクつく話題だ。


「……満点以外はないよな、優」

と舷は笑顔で脅すように言ってくる。


 そうですね~。


 どうでしたでしょうね~と結局、作り笑顔でごまかしながら、優は、そそくさと立ち上がる。


「学生の本分は勉強だ。

 ちゃんとやれよ、優。


 そうじゃないと、お前のご両親に申し訳が立たなくなるからな」

と言う声を聞きながら、茶碗をさげている間に、舷が勝手に、優の鞄を持ってきて、開けていた。


「あーっ。

 女子の鞄を勝手に見るとかっ」

と叫ぶと、


「勝手に見るなとかいう恥じらいのある女子なら、玄関先に鞄を放置するなっ。

 っていうか、なにも面白いもの入ってねえじゃねえか。


 ラブレターとかないのか、ラブレターとかっ」

と逆に文句を言われてしまう。


「おじさん、いまどき、手紙で告白してくるとかないから」

と反論しかけとき、


「ん?

 なんだ、これ」

と言う舷の手が一枚のプリントをつかんでいた。


 やばい。

 三者面談の紙だ、と思いながら、優は慌てて言う。


「あっ、それ。

 来なくていいからっ。


 おじさん、忙しいんでしょう?」


 だが、この話題を早く終わらせようと、早口になってしまったのが怪しかったのか、チラとこちらを見た舷は、


「いや、今回は行ってみよう」

と言い出した。


 やーめーてーっ。

 今、先生と舷さんが対面するとかやめて欲しいんですけどーっ、と優は頭を抱える。


 伊吹がなにを言いだすかわからないからだ。


「いや、おじさんっ。

 ほんっといいからっ」


「行く」


「いや、ほんとに、ほんとにいいからっ」


「行く」

と言いながら、舷は古いガラケーのスケジュール帳に三者面談の予定を打ち込んでいる。


 プリントに第一希望、第二希望と都合のいい日に丸をし、優に渡してきた。


「お前、絶対、これ、担任に渡せよ」

と言って。


 えーっ、と言いながらも、仕方なく、それを鞄にしまったあとで、優は思う。


 ところで、舷さん、先生になんて挨拶するつもりなんですか、と。


 仮屋崎舷は、優のおじでもなんでもない。


 気がついたら、そこに居て、気がついたら、一緒に暮らしていただけの人だから――。








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