第79話 再来する悪夢
「荷物を捨てて離脱! 森の外まで走って!!」
それはとてもアリリアナさんのものとは思えない切羽詰まった声だった。おかげで一瞬の忘我から立ち直れたけど……逃げる? アマギさんをおいて? ううん。分かってる。それが正解。現状を把握するには情報が足りないけれど、それでも酷く拙い状況であることだけは分かる。だってそうでしょう? 魔法使いとしての実力も、冒険者としての経験も私達とは比較にならないアマギさんがピンチなんだよ。逃げるべきだ。それ以外の行動は全て赤点。どんな先生に採点されたってきっとそれは変わらない。でも、でもーー
見捨てられない! 見捨てたくない!!
背負っていた荷物がするりと外れて地面に落ちる。それと同時に駆け出す。前へ。アマギさんの方へと。同時に素早くワンドを取り出す。魔法使いの杖には二種類ある。詠唱の代わりを果たすものと、魔力を増幅するもの。前者は小型ワンドに多くて後者は大型ワンドになりがち。私が今持ってるのは森でも扱いに困らない小型ワンド。そこに付加された詠唱代わりは当然私の得意魔法であるーー
『サンダーショット!』
『ファイヤーショット!』
『ウインドカッター!』
えっ!? と思ったのは私だけじゃないはず。隣を見れば同じように荷物を放り捨てたレオ君とアリリアナさんが杖を片手に魔法を放っていた。皆が皆一様に、貴方一体何をやっているの? みたいな顔をしてる。でも二人の行動に驚き以上の感情を持つ暇なんて今はない。
魔法が着弾する。アマギさんの背後から迫っていた『何か』に。それと同時に驚くべきことが起こった。アマギさんが残った腕を振るったのだ。その手には黒い手袋がされていて、指の先からは糸が伸びていた。
宙を舞い地面に落ちる寸前だった腕が銀色に煌めく五本の糸に掴まれる。そしてまるで時を巻き戻すかのように切断された部位へと戻っていった。
「んなっ!? 何それ? そんなこと出来んの? 撤退! 今度こそ本当に撤退!!」
アリリアナさんの二度めの指示に、今度は私もレオ君も迷わず従った。
というか失敗、それも大失敗だ。まさかあんなことができるなんて。前提条件を間違えちゃった。アマギさんにはもう戦う力がないと思ったから前に出たのに。やっぱり答案用紙に独自解釈なんて記入するべきじゃないんだ。セオリー通りの解答をしておけばとっくにここから離脱出来ていたのに。無駄に消費した時間は五秒? それとも十秒? それだけあったら1キロ……は無理でも五百メートルくらいは移動できた。五百メートル。生死を分けるには十分すぎる距離だと思う。
もしもの時はレオ君とアリリアナさんだけでも逃してみせる。そう思う反面、私達がここにいることでアマギさん一人なら逃げられるのに、そうできない状況を作ってしまうんじゃないかって不安になる。だから早くここから逃げなくちゃいけない。いけないのに……私達の進路方向にある地面から不吉な、酷く不吉な『何か』が姿を現した。
「ひっ!?」
自然と声が漏れた。ストーンマンバの時とは違って、不意をつかれたから驚いたんじゃない。腹の底から迫り上がってくるような感覚に促された。きっと捕食者を前にした被捕食者ってこんな気持ちなんだろうなって思う。
現れたのは実体を持った影のような魔物だった。身長は多分三メートルくらいで人に近い姿をしているけど、頭部に二本の角のようなものがあって両手は鎌のようになっている。
怖い。あの魔物、すごく怖い。それにこの恐怖には覚えがある。そう、この感じ、これはまるでーー
「二人とも下がれ!!」
炎が走る。これ以上近づくことを許さないとばかりに、影の魔物を檻のように包み込んで離さない。それを成すのは真紅の刀身。封印のように剣に巻きついていた包帯は熱量へと変換されて、解き放たれた紅き刃は太陽の如く爛々と輝いている。
「……凄い」
熱量で地面が融解していく。特別な剣だってことは分かっていたけど、ここまでだったなんて。ドロテア家のガーディアンを倒せたのも納得だ。でも、それなのにーー
「……なんだ、こいつ?」
レオ君の頰を汗が伝う。
「ねぇ、気のせいならいいんだけどさ、全然効いてない感じじゃない?」
アリリアナさんの言う通り、影の魔物は生物ならまず生きてはいられない熱量の中、平然としているように見える。防御結界? ううん。魔力が展開しているようには見えない。なら素の肉体性能だけで耐えてる? いや、その前に実体はあるの? 幻? でも影の魔物が放つ存在感はそうは言っていない。
影の魔物が鎌のような腕をゆっくりと持ち上げた。たったそれだけの動作に全身の肌がかつてない程に泡立つ。
あっ、これって私達。しーー
「させるかよぉおおおおお!!」
炎の魔剣が一際強い輝きを放つ。直後に影の魔物を襲ったのは小さな太陽の顕現。目も眩むような輝きが世界を照らし、それが去った後、影の魔物は何処にもおらず、ただ変わり果てた大地だけがあった。
「ハァハァ……ぐっ……ハァハァ」
「レオ君!?」
地面に剣を突き刺して片膝をつくレオ君。咄嗟に近づこうとした私をレオ君は片手を上げて制した。
「大丈夫だ。そ、それよりも……ハァハァ……や、奴は?」
「どこにもいない感じ。多分倒した……ぽい?」
風を放って周囲を探索するアリリアナさん。倒したと言うけれど、その顔は緊張感に強張ったままだ。
「まだです。予想外の攻撃に一度引いただけでしょう。警戒を怠らないように」
「アマギさん。……その、すみませんでした。逃げなくて」
アマギさんに私達という枷を作ってしまったことを咄嗟に謝る。
「いえ、助かりました。貴方達があそこで攻撃してくれなければ止血できなかったでしょう」
「止血?」
アマギさんの腕を見てみる。切断されていた腕は確かにくっついているんだけど、垂れ下がったままで動く気配がない。体の動きに合わせて腕が揺れる度に、白い肌をグルリと囲む線から赤い雫が漏れて地面を叩いた。
あの一瞬で切断された腕をくっつけるなんて凄いと思ったけど、治せたわけじゃないんだ。
「まさか冒険者にもなっていない受験生がアレを撃退できるとは。貴方、その剣は一体なんですか?」
「その前に教えろよ。あの魔物は何なんだ?」
三人の視線がアマギさんをジッと見つめる。ほんの少しの静寂。やがてアマギさんはーー
「アレは恐らく……いえ、間違いなくシャドーデビル。危険度Sに分類される危険な魔物です」
病院での惨劇を思い出す、悪夢のような事実を教えてくれた。
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