第11話 柊アリサ6

 よく考えてみると、怪盗を追うための具体的な方策がアリサの中にあるわけではなかった。


 勇ましく宣言した後にすぐに硬直したアリサを、マリアは事務所のビルの屋上へと連れて行った。隅は苔むし、長い老朽化によってあちこちが黒ずんでいる。薄汚いが、それよりも先に、劣化し打ち捨てられ、消え去るだけの建物特有の寂寥感がある。


 眼下には、これまた寂しげな光景が広がっていた。このビルがあるのは、寂れる一方の商店街の通りだ。潰れてシャッターの閉まった店舗が並んでいるのが屋上からは見下ろせた。


 しかしそんな光景などはどうでも良く、フェンスに寄りかかりアリサはマリアに話しかけた。


「それで、どうしようっていうの? 怪盗を探すための案があるの?」

「あ、はい。そうですそうです」


 よく考えてみれば、マリアだってこれまで何の手がかりもなしに怪盗を追っていたわけではないのだろう。でなければ見知らぬ土地でたった一人、顔も正確な名前もわからない相手を見つけるなど雲を掴むような話だ。


 マリアはポケットから何かを取り出した。それは、古風な羅針盤のようなものだった。ガラスの内側に、緑色の針が光っている。


「これは魔力に反応する装置なんです。特定の魔力を覚えさせることができて、その魔力のある方を示すんです」

「魔力って言うのは?」

「魔法を使うために必要なものです。わたし達の体内にあります」

「怪盗も、魔力があるの? 魔法使いが使うものなんでしょう?」

「すべての生き物……いえ、万物はみな魔力を持つとされています。人間や動物、植物にも。生命力や、精神力と言い換えても良いかもしれません。鉱物にも、魔力があります。石とか岩とかそのあたりにあるものには大した量はありませんが、宝石や化石などにはとても大きな魔力が込められている場合があります。魔法とは、すべての存在が持っているエネルギーを自由に扱おうとする試みなんです」


 すらすらとまるで教科書を読むようにマリアは答える。


「それって、私も魔法が使えるってこと?」

「どうでしょう……。わたし達魔法の国の人間は、子どもの頃から魔法を扱うんです。それはつまり、子どもの頃から魔力の引き出し方や操作を理解しているということです。魔法の国に住んでいる人は、魔法使いと呼ばれる専門家でなくても、皆子どもの頃から魔法の修行をしているってことでもありますから……」

「要はかなり頑張らないと無理ってことね?」

「まあそんな感じです……」


 アリサは肩をすくめる。世の中、やはり楽な話はないらしい。


「それで、怪盗を追う方法の話だったわね。つまり、その羅針盤もどきには、怪盗の魔力が分かるの?」

「はい。怪盗が魔法の国に盗みにやってきた時に、捕まえられはしませんでしたけど、怪盗の魔力を覚えさせることはしたそうです。そしてそれがこの魔力探知機です。この針の方角に、怪盗はいます。ただ……」

「ただ?」

「この針、わりと大雑把にしか分からないんです。大体の方角が分かるくらいで。距離とか、もしかすると魔力の残滓みたいなのを拾ってしまって、立ち去った後の場所に辿り着くこともあります。とにかく精度が悪いんです」

「分かったわ。つまり、それらしい場所に目星をつけたら、後は足で探すしかないってことね?」

「そうです」


 なるほど。だからマリアは初めて会った時も、聞き込みなんて面倒な真似をしていたのだろう。


「大丈夫。任せて。人探しなら得意分野よ。聞き込みとか張り込みとか、そういうのは探偵の仕事ね」

「はい。頼りにさせていただきます」


 話は決まった。そうすると、マリアが屋上に誘った理由も分かった。


 マリアは前と同じように箒に跨り、後ろを指した。乗れということだろう。


 細い柄に跨ると、不安が押し寄せてくる。こんなものが空を飛ぶというのを信じていた自分が不思議に思えてくる。だがしかし実際にこの箒は空を飛ぶのだ。その様はまさに魔法としか言えない。


「いきますよ」


 マリアが軽く屋上の床を蹴る。二人の人間を乗せた箒は物理法則を無視して浮かび上がる。瞬く間に屋上が小さくなっていく。眼下に町の景色が広がる。


「わお! やっぱりすごいわね」


 思わず声を上げていた。片手はマリアのお腹に回し、もう片方の手を突き上げる。


「あんまり暴れないでくださいよ。箒から手を離したら普通に落ちますからね」


 上機嫌なアリサに釣られてか、マリアも少し笑いながら答えた。そしてぐっと状態を前に倒す姿勢になると、目にかかった帽子を被り直し、言った。


「飛ばしますよ!」


 快晴だ。抜けるような青空の下を探偵見習いと魔法使いの女の子が駆け抜ける。


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