第5話 柊アリサ4-1

 マリアが顔を洗っている間に朝食の準備をした。と言っても、簡単なものだ。彼女の分の珈琲も作って、それから昨日買い込んだコンビニの袋の中に、サンドイッチがまだ残っていたから、二人で分けた。ソファに向かい合って座り、食事にする。マリアはリスのように口を膨らませて必死に齧り付いていた。財布を落としたことと言い、もしかしたらかなり飢えていたのかもしれない。


 サンドイッチを食べ終えると、少しお腹も膨れたのかマリアは落ち着いた様子だった。珈琲を口に含み、途端にしかめっ面をした。


「に、苦い……」

「あ、ごめんなさい。砂糖あるわよ」


 アリサは砂糖は使わないが、客用に常備はしてある。持ってくると、マリアは角砂糖を五つも入れてかき混ぜた。それでは甘すぎると思うのだけど、本人は満足そうだ。


「それで……色々と聞きたいことがあるのだけど」


 そろそろ頃合いかと思い、話を切り出す。マリアは若干緊張した面持ちで答える。


「は、はい。なんでしょう」

「まず、そうね。あなたのことを聞きたいわ。名前はマリア……で、いいのよね?」

「はい」

「その、あなたは……えっと……」


 言いかけて、口ごもる。今思い返してみても、昨日のことは何か夢のようだった。こうして今、目の前に彼女がいるのだから、そんなことはないと分かってはいても、口に出すのは躊躇われた。あまりにも荒唐無稽でバカバカしいように感じられるからだ。けれど昨日、アリサがマリアに連れられ箒で空を飛んだのは、事実なのだ。だから意を決して、アリサは言った。


「あなたは、魔法使いなの?」

「そうですよ」


 こともなげにマリアは頷く。嘘をついている様子はない。それどころか、自分の言うことが信じてもらえないとは微塵も思っていないようだった。


「そう……。そうなのね……」


 アリサは珈琲を飲んだ。うんうん頷いているアリサを、マリアは不思議そうに首を傾げて見ていた。


 昨日のことがあったとしても、それにマリアが自分を魔法使いだと言ったとしても、やはり簡単には信じられない。けれど順当に考えるなら、疑う理由はもうないのだ。だって実際に彼女は飛んでみせたのだから。


 箒で空を飛ぶ芸当がトリックか何かだとして、いやそんなトリックがあるものか。子どもとはいえ二人の人間を乗せて飛ぶ箒があるなんて聞いたことがない。


 それにマリアは人を騙すようなタイプには見えない。もちろんそれはアリサの勝手な見方で、ただ観察力が足りていないだけの可能性もある。しかし、マリアには自分を騙す理由もない、ように思えた。自分を魔法使いと思わせて、向こうに何の得があるのだろうか。


 色々悩んだ末に、アリサは決めた。とりあえず、信じてみることにしよう。


 そもそも別にアリサは、オカルトを絶対に認めたくない、というような人間ではない。魔法とか、そういうものに対してのスタンスは、考えたことさえなかった。興味がなかったからだ。


 だから無理にマリアが魔法使いであることを否定しようとする必要はないのだ。あっさり信じる気にもなれなかったが、だからと言って、実際に空を飛んでみせた後にまで、必死になって否定しようとするのも、おかしな話だろう。


 それよりも大事なのは、アリサにとってマリアがどういう存在なのかだ。突然現れた魔法使いの女の子。とても刺激的な感じだ。アリサは、刺激は嫌いではない。むしろ求めている。アリサは探偵で、けれど見習いであり、成長するためには、大きな事件を解決しなければならないと常々考えていた。魔法使いの女の子は、自分にそのチャンスをもたらしてくれるかもしれない。


「あの、どうかしました?」


 黙り込むアリサに、マリアが問いかける。


「いえ、なんでもないの。それよりも、そうね。あなたは、昨日はあんなところで何をしていたの?」

「あんなところ、ですか?」

「昨日私と出会った、路地裏よ。ああいうところは、危ないから女の子が一人で近づいたりしちゃいけないのよ」

「あの、でもそれは探偵さんも……」

「私はいいのよ。探偵だから」

「は、はあ……。ええっと、昨日は、人を探していたんです。それで、聞き込みをしているうちに、あの辺りに……」

「人探し……。そういえば、そんなことも言っていたわね。誰を探してるの?」

「仕事でして。泥棒です。えっと、ミラージュって名乗っているそうです」

「ミラージュ?」

「はい。怪盗ミラージュ。その筋の人にはそこそこ有名な人みたいです」

「か、かいとう……」


 魔法使いの口から放たれた言葉に、アリサはどう反応して良いのか分からなかった。怪盗と言うのも、魔法使いと同じくらい現実感のない言葉だ。


「なに、その、怪盗って」

「えっと、だから、泥棒のことです。勝手にものを盗んでいく悪い人です」


 それは知っている。本当にそんな者がいるのか、アリサは信じられない気持ちでいたから思わず尋ねたのだ。しかし向こうからすれば怪盗の実在は疑うことではないのだろう。もはや、いちいち追求していてはキリがない。アリサは数多くの疑問をぐっと堪え、一つだけ尋ねた。


「……どうしてその怪盗を、あなたが探してるわけ?」

「盗みがあったんです。魔法の国で」

「魔法の国って、なに?」

「わたしの故郷です」

「へえ……」


 アリサはもう聞き返さないことに決めた。とりあえず、そういうものがあるのだと思って話を聞いておく。恐らく、マリアのような魔法使いがたくさんいるのだろう。夢のある話だ。


「魔法の国の博物館から、管理していた物が盗まれたんです。とても価値のあるもので、それに危険なものです」

「具体的には?」

「竜の鱗です。厄災の竜という、はるか昔、魔法の国を滅ぼしかけたこともある伝説の竜です」

「……」


 魔法使い、怪盗と来て、次は竜。まったくもってファンタジーだ。


 アリサは内心頭を抱えかけた。彼女の言うことは果たして真実なのか。疑問は覚えたが、同時に昨夜の記憶も蘇った。箒で空を飛んだのは事実なのだ。それについ先程、マリアの言うことを信じてみることにしようと考えたばかりだ。だったら怪盗も魔法の国も竜も信じて良いはずだ。すぐにそうできないのは、自分も混乱しているからか。


「盗まれる直前には、予告状が届いたそうです。怪盗ミラージュから。警備はしていたそうですが、盗まれてしまって。追いかけたんですが、結局魔法の国から逃してしまいました。それで、わたしがこっちの世界にまで派遣されたんです」

「どうしてあなたが? あなたって、まだ子どもなんじゃないの?」

「わたしも、一応魔法使いですから。新米ですけど」

「魔法使いって、泥棒を捕まえるなんてこともやるの?」


 疑問を感じて尋ねる。


「えっと、何と言うか、魔法使いというのは、職業のことで、国に仕えているんです。この国で言うなら、役人のようなものです」

「警察みたいな仕事も兼ねてるってことかしら」

「たぶん、そんな感じです。あの、とにかくそれで、わたしはお仕事として、怪盗を追っているんです」

「なるほどね……。それで怪盗って言うのは、どの辺りにいるのか分かっているの? 闇雲に探してるってわけでもないんでしょう?」

「ああ、はい。恐らくですけど、怪盗は今、この市内にいます」

「……そうなのね」


 頷きながら、アリサは考えた。彼女の話が本当なら、それはとても刺激的なことだった。魔法使いも勿論刺激的な存在だが、怪盗というのはもっと刺激的だった。怪盗というのは、探偵の敵だろう。怪盗と探偵は生まれながらにして、相反する存在だと言える。だが怪盗などと名乗る人間が本当にこの世に存在するとは知らなかった。自分も探偵を名乗る者ならば、怪盗の一人や二人、捕まえなくてはならないだろう。


 しかもその怪盗は、今この市内のどこかに潜んでいるという。本当かどうかは分からない。だが、怪盗、それに魔法使い、という言葉は聞いているだけでも胸が踊るものだった。


 探偵は、事件を解決するのが仕事だ。ペット探しやひったくりを捕まえるのも良いが、いい加減もっと大きな仕事をこなしてみたいと常々思っていたのだ。そう、昔、父の膝の上で聞かされたような胸踊る冒険譚。自分も同じような経験をしてみたい、いや父が経験してきたものを超えるような大事件を解決してみたい。そうアリサは常に考えていた。

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