第4話 柊アリサ3
目を覚ますと、背中が痛かった。
ゆっくりと瞼を開く。天井が見えた。埃のついた蛍光灯が見える。掃除をしなければならない……という思いが先に出て、ここは探偵事務所だということに気がついた。
なぜ背中が痛いのだろう。ゆっくりと体を起こすと、カーペットの上に寝ていたことに気がついた。隣にはソファがある。どうやらソファの上から落っこちて、しかしそれに気がつかず眠りこけていたようだ。よっぽど疲れていたのか。
アリサは自分の体を見下ろし、セーラー服を着たままなことに気がついた。しまった、ママに怒られる……。制服はすっかりシワになってしまっている。
それでも探偵用のコートと帽子はきちんとハンガーにかかっていた。アリサにとって、あれは正装だ。制服はシワになっても気にならないが、探偵としての正装がだらしないのはとても嫌だった。
立ち上がり、今日は休日だったのを思い出す。学校のことで焦る必要はない。時計を見ると、九時だった。平日だったら完全に遅刻していた。
どうして制服のまま事務所で寝たりしたのだろう。探偵事務所に入り浸ってはいるが、いつもは寝る時きちんと家に帰っている。まだ寝ぼけているのか、よく思い出せなかった。
とりあえず珈琲でも飲もうと思い、給湯室へ向かった。その途中で、むぎゅっとなにかを踏みつける。
「あら……?」
見下ろすと床の上に黒いものが転がっていた。大きなゴキブリかと思ったが、違う。黒い服を着た女の子だ。黒い三角帽子が近くに転がっている。うつ伏せのまま寝息を立てていた。
「……えっと、マリア」
そうだ、マリアだ。昨日の魔法使いの女の子。あれは夢ではなかったのか。
ひっくり返して揺さぶってみるが、マリアはぐっすりと眠りこけていた。何度か声をかけても起きる気配はない。無理に起こす必要もないかと思い、彼女を跨いで給湯室へ向かう。
マリアのことも大事だったが、まずは頭をはっきりさせて、昨日のことをしっかり思い出すのが先だと考えた。
薬缶に水を入れお湯を沸かす。待っている間に顔を洗う。そしてインスタントコーヒーを作った。
熱いうちに一口飲む。あまりの苦さに思わず顔をしかめた。砂糖を入れれば甘くなるのは分かっているが、アリサはいつもブラックで飲む。父は珈琲をブラックで飲んでいた。探偵とは、珈琲をブラックで飲むものなのだ……たぶん。そのほうが格好良い気もする。
無理に苦い珈琲を飲んでいくと、頭もしっかりしてきた。昨日の記憶が徐々に浮かび上がってくる。
昨日、アリサはマリアと共に不良達から逃げ出した。箒で空を飛ぶという超常現象はあったが、とにかく無事逃げおおせた。
逃げたアリサがまずやったことは、猫を依頼主のもとへ返すということだった。いつまでも黒猫を抱きかかえたままでいるのは邪魔だったし、それに依頼人のためにも一刻も早く猫を届けてやりたかった。
マリアに頼むと、箒で依頼人の家まで運んでくれた。猫を届け、無事依頼は完了した。
依頼を終えると、今度は彼女に聞きたいことが山ほどあった。マリアは自分を魔法使いと言ったが、それは本当なのか。箒で空を飛ぶなんていう芸当を見せられた後だったから、まったく信じられないという気持ちではなかったけれど、でも頭から信じることができるわけもなかった。
しかしそのときにはだいぶ夜遅く、しかもマリアは泊まるところがないと言う。それで、とりあえず事務所にまで連れて行った。今夜はここに泊まってもらえば良い。コンビニで食料を買い込み、マリアとともに夕飯にした。マリアは貪るように食べた。食事を終えたら話を聞こうと思い、しかしその前に今夜は帰らないと母に電話をした。事務所に泊まり込むのは度々あることだったから、母も心配しなかった。電話を終えて戻ってくると、マリアはソファの上で寝ていた。呆れたが、アリサも疲れていて話を聞くのは明日にしようと思った。シャワーを浴びて寝ようと思ったけれど、その前に疲れて意識を失っていたらしい……。
だいたいの事情は思い出した。少し気になるのはソファの上で寝ていたはずのマリアが遠くの床まで転がっていることだ。どれだけ寝相が悪いのだろう。
パンやお菓子の袋が机の上に散乱していた。それらを片付け、窓を開ける。それから洗面所へ行き顔を洗い、歯を磨いて戻ってくると、マリアが床に座り込んでいた。寝ぼけ眼をこすりながら周りを見回している。髪の毛もぼさぼさでいかにも寝起きの顔だった。
「あれ……ここ……どこ」
「おはよう」
「え?」
マリアはきょとんとアリサを見た。しばらくぼうっと見つめて呟く。
「あ……探偵さん?」
「そう。よく覚えていたわね。アリサよ」
「はあ」
しばらくぼんやりとした表情のままじっとしていたが、それから急に「あ!」と大きな声を上げて立ち上がった。
「す、すすすすみませんわたしこんなところで! 勝手に眠りこけて! ほ、ほんとごめんなさい!」
「別にいいのよ。泊まる所、なかったんでしょう?」
「は、はい……。お金、なくなっちゃって……」
「そうなの? 何かあったの。まさか、昨日の不良みたいなのに盗まれたとか?」
「い、いえ……。あの、財布落としちゃって……」
「あら……。大変ね」
「うう……。そうなんです」
マリアは泣きそうな顔をしていた。
よく分からないが、苦労してきたようだ。気にはなるが今はそれより、
「とりあえず、顔を洗ってきたら。話は、それから聞くから」
そう言うと、マリアは機械的な足取りで洗面所へと向かった。
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