48、それが彼女らの日常

 大音楽館の屋上。

 そこで一人の女性は黄昏ていた。


「文月、やっほー」


 背後からした声、その正体をたどるように振り向くと、そこには音浜奏が曖昧な笑みを浮かべて立っていた。

 彼女を見るや、文月は無理矢理頬を上げ、振り返る。


「奏、随分と久しぶりだな」


「うん。十年ぶりくらいだっけ」


「ああ。そんくらいかな」


 しばらく会話が止まった。

 音浜奏は文月の隣へと歩み寄り、一緒に肘をつけて並んだ。


「ちなみに、謎は解けたの?」


「ああ。私は音楽探偵だからな、あの謎ならすぐに解けたさ」


「聞かせて。その答えを」


 文月は何か覚悟したように、音浜奏と向き合った。

 音浜奏はうつ向きがちになりつつも、唇を噛み、文月と向き合った。


「じゃあ……これから私が導き出したこの謎の問いを説明するよ」


 文月の声は少し霞んでいて、それでいてどことなく悲しさを纏っていた。


「この事件はあの暗号通りに進んでいた。

 あの暗号の読み方はABCDEABCDF。

 このアルファベットが表しているのは人の名前の頭文字から取っている。Bは馬場佐夫浪、Cは国塚洋平、Dは伊達俊太、Eは榎本小花、そしてFは文月蛍佳」


 音浜奏は迷っていた。

 この謎の答えを言えば最後になるから。


「だがこのアルファベットは二回続いている。最初にはFはなく、二回目の繰り返しにはEがない。これが何を表しているか」


 もう口を閉じたかった。

 糸で口を縫いつけて、このまま喋れなくなったら楽だった。

 けれど、現実はそうはいかないから。


「今回行われた音楽祭の前にも、一度音楽祭は行われていた。そこに参加していたのは馬場、国塚、伊達、榎本、そして蛍佳、君の母親の文月あやつきいのりの五人。

 だがしかし、そこで文月祷は死んだ。その原因はピアノに仕込まれていた爆弾、鍵盤の部分に塗られていた毒、そして逃げられないように椅子には電流を流して」


「私の母親はあいつらに殺されたんだ。馬場、国塚、伊達の三人に。最初は榎本も共犯者かと思ったけれど、彼女は犯人ではなかった。だから彼女を殺そうとは思わなかった」


 文月ふづき蛍佳はーー文月あやつき蛍佳はゆっくりと話し始めた。


「私はね、お母さんが事故で死んだって知らされて、しばらく時間が止まったみたいに思考が停止してさ……。でも私はお母さんが死ぬ前日に見ちゃったんだ。三人組の男の集団が家の周りをうろうろしてるのを。それで彼らのことを調べてみたらあの音楽家の三人だった。まあでも、伊達だけは殺せなかったけどね」


 文月はそう言い、悔しい表情を浮かべた。


「正直この殺人を計画した時は駄目だって思ったんだけどさ、それでもやるしかなかったんだよ。一度思い付いたメロディーを演奏するように、一度思い付いてしまったんだから、私はやるしかなかった」


「そう……なんだ。やっぱり犯人は、蛍佳……だったんだね」


「うん。私がやったんだ。あの二人を殺したのは、私だよ……奏」


 その瞬間、音浜奏は勢いよく文月の頬に平手で叩いた。

 文月は驚いたように頬を押さえ、音浜奏の顔を見て更に驚いた。


「どうして……泣いてるの」


 音浜奏の目からは涙が溢れ落ち、地へ落ちた。


「ねえ蛍佳、私と蛍佳はさ、親友でしょ。だったら少しぐらい相談してよ。少しくらい私を頼ってよ。少しだけで良いから……私に話してよ」


「奏……」


「本当にお前は昔から大馬鹿野郎だよ。いつだってお前は一人で物事を抱え込んでしまう大馬鹿野郎だ。だけど私は、それでもあんたを親友だと思っているから。だからさ、戻ってきたら、その時は私を一番に頼ってね」


「……ありがとう。奏」


 奏と蛍佳は体を寄せ合った。

 そして小指を交わらせ、誓った。


「奏、私は罪を償ってくるよ」


「うん。いってらっしゃい、蛍佳」


 彼女にとってたった一人の大親友。

 そして彼女にとってもたった一人の大親友。


 喧嘩し、仲直りし、喧嘩する彼女らの物語は、まだ始まったばかりであった。

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