第1章 事件発生
「お姉ちゃんはあんなにアゴ出てへんわよ!」
場所は天下茶屋駅前の居酒屋である。一つのテーブルに、歌手の
「そんなこと言われても、モノマネは僕の飯のタネなんですよ」芋はうつむき加減にボソボソと話した。
「せやけど、あんな誇張したモノマネせんでもええやんか! なあ、姉ちゃん」
「好美……私のこと、ちょっとアゴ出てると思てるん?」弘美が好美をにらんだ。
「ちゃうちゃう!」好美は焦って弁明した。
「犬の話ですか?」突然、そう言ったのは西山夏美だった。
「はあ? ちゃうちゃう!」岩橋姉妹は声をそろえて首を振った。
岩橋姉妹と言えば、関西では有名な美人姉妹である。二人とも歌手をしており、姉の弘美が歌う『白雪姫の一人旅』は全国的にヒットした。その歌い方の特徴を見事につかみ、デフォルメしてものまねし、モノマネ芸人として一躍、有名になったのが、芋揚太である。この夜、岩橋姉妹はこの居酒屋に芋を呼び出し、モノマネを止めるよう訴えていたのだった。しかし、話し合いは姉妹の思惑通りには進まなかった。
「ごめんなさい、姉さんがた。僕にはモノマネしかないんです。すいませんが、お先に失礼します。ここのお勘定は……ごめんなさい!」芋揚太はそれだけ言うと、急ぎ足で出口のほうへ向かい、下駄箱から自分の靴を取り出して、さっさと店を出て行ってしまった。
「ちょっと! 待ってくださいよ! 芋さん!」マネージャーの西山夏美も、芋を追いかけるように出て行った。
「ちょっとあんたら! 待ちいや!」好美が追いかけようとしたが、弘美が止めた。
「好美、もうほっとき」
「せやかて姉ちゃん。飲み食い代も払わんやなんて、非常識にもほどがあるわ」
「そのうち、おらんようになるわ」弘美がぽつりとそう言った。
少し経って、マネージャーの西山夏美だけが戻ってきた。夏美は岩橋姉妹の席まで駆け寄り、深々と頭を下げた。
「先ほどは芋が大変、失礼いたしました。芋はちょっと酔ってたみたいで」
「何であんただけ戻ってきたんよ」好美が訝しげに聞いた。
「ご挨拶もなしに帰ってしまうのは失礼かと思いまして。あの、ここのお支払いは、僭越ながら私が、」
伝票をつかもうとする夏美の手を、弘美の手が払いのけた。
「あんたは礼儀ただしいわ。それに比べてあの芋揚太とかいうふざけた名前の芸人は。もう帰ったんか?」弘美が夏美に聞いた。
「今、隣のコンビニで夜食を買ってます」
「まだ食うんか、あのガキ」弘美はあきれ顔になった。
「うち、やっぱり腹立ってきた、許されへん!」好美は席を立った。
「好美、どこ行くんや」弘美が聞いた。
「あいつ、しばいてくる」
「もう、やめとき……好美!」
弘美の言葉も聞かず、好美は外へ出て行った。
ものの5分もしないうちに、好美は戻ってきた。
「コンビニにはおらんかった。もうどこ行ったかわからへん」
「ケータイに電話してみましょうか」夏美が言った。
「そこまでせんでもええ」電話しようとする夏美を、弘美が止めた。
そうこうしているうちに、外でパトカーのサイレンの音がした。サイレンの音はどんどん大きくなっていく。
「なんか事件でもあったんかな」弘美は不安そうに言った。
警察官が二人、店内に入ってきた。そして、弘美たちの姿を確認すると、まっすぐ近づいてきた。
「岩橋弘美さん、好美さんですね」警官の一人が言った。
「ええ、そうですけど。何か?」弘美が尋ねた。
「今晩、この居酒屋で、モノマネ芸人の芋揚太さんと飲食をされていたという情報が警察のほうに入ってるんですが」
「ええ。してましたけど。それがどないかしたんですか」
「実は、この近くの空き地で、芋揚太さんが倒れているのが発見されましてね。発見された時には、芋さんはすでにお亡くなりになっていました」
姉妹は絶句して言葉がでなかった。
「芋さんが倒れていた現場には、二人分の靴跡が残されてまして。一つの靴跡は芋さんのものであることが確認されたのですが、もう一人分の靴跡が誰のものなのか、まだ特定できていないのです」
警察の立ち会いのもと、靴跡を照合したところ、事件現場に残されたもう一つの靴跡は、岩橋好美のものであることが判明したのだった。
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