間話 中間テスト前週〜金曜日〜


 金曜日。土日を挟んだ月曜からは、いよいよ高校入学後初の中間テストが始まる。

 そんなテスト3日前を迎えている僕らは、今日も放課後の教室で勉強を行なっている。


 僕の向かいに座っている奏も、追い込みに掛かっているのかはわからないけれど、普段よりも勉強内容について質問してくる回数は少なかった。


 教科書やノートのページを繰る音と、ペンで書き込む音だけがしばらく続いた頃、ここ最近恒例となっている音が聞こえて顔をあげた。

 奏のお腹の音である。


 「……ち、違いますよ」


 「あえて乗っかるけど、まだ何も言ってないよ」


 お腹の音とセット扱いになりつつあるやりとりを行う。


 「ゆ、悠くんの幻聴じゃ、ないですかね……?」


 「だとしたら、その幻聴は奏にも聞こえてるな」


 そもそも先に発言したのは君だろうに。


 「……この辺で、か、勘弁……します」


 「え? これも僕が悪いのか」


 「も、もうっ……いじわる、しないで下さぃっ」


 じと目でそう告げてくる奏。


 色々と腑に落ちないけれど、こんなくだらない事で機嫌を損ねる事こそ無駄かと思い、飲み込んだ。


 「……悪かった、ごめんよ。そろそろ休憩にしようか」


 「……はい、すいません」


 「まあ、あんまりしょげるなよ。僕は別になんとも思ってないから」


 あまりにも凹んで見えるため、そう励ました。


 「ゆ、悠くんが、そうでもっ……わ、わたしが気にするのっ」


 そう言ってとうとう突っ伏してしまう奏。


 完全に大失敗だな。


 その後平謝りをする事でなんとか回復して貰ったものの、今度は逆に平謝りをされる行程を経て、やっと休憩に入る。


 僕の対応力の低さが顕著だった……。



 「ところで、今日はまた随分懐かしいお菓子だね」


 目の前でお菓子(2つ目)を頬張る奏が新たに取り出したお菓子を見て言う。


 「あ、ハイっ。えっと、コンビニでも、買えるお菓子なんですけど……駄菓子もたまには良いかな……って」


 「キャベツさん太郎か。奏がスナック系持ってくるのは珍しい」


 独特の記憶に残らないキャラクターが描かれたパッケージを見て、子供の頃に食べたことを思い出した。


 「ハイ……この間、しょっぱいの好きって……言ってた、から」


 そう言われて、そんな話もしたなと思い出した。


 「ああ−−覚えててくれたのか、ありがとう」


 「ハイっ! うぇへへ……あ、でも。わたしが食べたかったからっていうのも、あるんです」


 「へえ、奏は甘いのしか食べないのかと思ってたよ」


 「なっ……ど、どんなイメージなんですかっ」


 憤慨です!とでも言いたげに見てくる。


 「どんなって言われてもな……」


 ……お菓子もスイーツも大量に食べるイメージだよ。


 「な、なんで目を逸らすんで、しょうか?」


 言ったら凹むのが目に見えてるからだよ。


 それくらいは僕でも分かる。


 「いや……特に理由はないよ」


 「うそです」


 始まってしまった……。


 つい昨日のことを思い出し、咄嗟に身構える。


 「うそじゃないよ」


 「なるほど、言ってください」


 「奏? 会話になってないぞ」


 「悠くん……こんな言葉があります」


 「え?」


 「優しさは、総じて罪。です」


 「いや、流石に極論すぎないかそれ……」


 どうにも目の前の少女は変なスイッチが入ると、色々とパワー寄りになってしまう気がする。


 「言ってください。怒りませんから……」


 「なあ、気が付いたら僕が悪い流れになってるのはなんでだ?」


 「だ、大丈夫ですっ。怖く、ないですよ?」


 会話にならない……。


 若干黒目が大きくなった奏は口元だけ笑みを浮かべている。


 「もう既に怖いんだけど……」


 「ほら、言ってください……顔面にご飯をぶちまけるやばい奴で、鼻血を出してハンカチを盗むような奴だって−−さあ」


 「ん? 僕のハンカチって盗まれたのか?」


 「ち、違いますっ!」


 「うわっ、びっくりした……本当に怖いぞ」


 ホラーじゃないか……。


 そもそも思ってないし、そんな事まだ気にしてたのか。


 「あ、あれはっ! 汚しちゃったから、返せないだけで……その、えっと……」


 黒目が元に戻った奏は、だんだんと目を回し始めた。


 「奏、大丈夫だ。僕はそんなこと思っちゃいない」


 気分は完全に猛獣を手懐けるそれだった。


 「……ほんとう?」


 「本当だよ。それに奏が言ったことも僕は全然気にしてない」


 信用してもらえる様に、目を合わせた。


 「で、でも……この間は忘れられないって、言ってた……」


 逸らしてしまった……。


 「……もう、やめよう奏。多分僕も君もどっちも得しないぞこれ」


 しばらく間が空く。


 「そ、そうですね……すいませんでした」


 そう言ってキャベツさん太郎を開け始める奏。


 相変わらずというか、切り替えの速さが凄かった。


 ……まあ、それだけ僕に慣れてきてくれたと思うか。


 「僕も食べようかな。貰っていいか?」


 「ハイっ。どうぞ」


 一つ口に放り込んだ。懐かしい味が直前の苦難を取り払ってくれる気がした。


 お菓子が残っていなかったらと思うと、背筋が寒くなる。


 「おー、やっぱり懐かしいな。美味しい」


 「ですよねえ……この安っぽさが良いよ、ね」


 ……駄菓子だし、安いのは当たり前だけど、言いたいことは凄くわかる。


 「そうだね。しかし、やっぱり歯に挟まるなこれ」


 「ハイ! それがまた、良いんですよね」


 「ごめん。そこはあんまり共感できないな……」


 なんで歯に挟まって嬉しそうなんだ。


 そうしてしばらく駄菓子を摘みながら話していると、急にもじもじとし始めた。


 「どうしたんだ?」


 「え、えっと……お疲れ、だね?」


 「……ポッキーじゃないだろうな」


 前日を彷彿とさせる問いかけに身震いする。


 「今日は、違います。……えっと、お疲れですね?」


 「続けるのか……そうだね、今日は疲れたよ」


 心からの言葉だった。


 「っ! そ、それは……いけないね」


 「奏の会話の展開がヘタクソだっていうのは、良くわかった」


 「……えっと、肩−−揉みましょうか?」


 無視された。


 「え、どうした急に」


 「悠くんが、疲れてるので……肩でも揉もうかと」


 「いや、肩はそんなに……」


 疲れたのはどちらかと言えば精神だ。


 「……え、えっと。肩、揉みます?」


 「頼む、会話をしよう奏。今日は何が狙いなんだ?」


 「あ、ハイ……疲れてる男性は、肩を揉まれると、喜ぶって」


 「例のサイトじゃないだろうな?」


 昨日の惨劇を思い出す。


 「……違います」


 ……目が泳ぎまくってるじゃないか。


 止めるしかないだろうこれ。


 「嘘だな」


 「違います……」


 「嘘だろう」


 「ち、違いますっ」


 「なあ奏、う」


 「疑うんですか?」


 「え?」


 「疑ってるんですよね?」


 「いや、疑ってるとかじゃな」


 「うそです」


 「……うそじゃないよ」


 「うそです」


 「ちが」

 

 「うそだよね」



 え……何が起きた!?



 「うぇへへ……じゃあ、肩を揉みますね」


 どういう流れでこうなったのかもわからないまま、後ろに回り込まれていた。


 何故か大作RPGで敵から逃げられなかった時の映像が浮かぶ。


 「あ、ああ……ありが、とう?」


 「いえいえ〜。じゃあ、えっと……いきますっ」


 小さな手に肩を掴まれ、そのまま力を込められる。


 「えっと……んっ。ど、どうですっかあっ」


 「……」


 「っしょ……んんっ、んっ……」


 「……奏、君握力いくつだった?」


 「んっ。え、えっと……はあっ−−15?とか……んっ、でし、たあっ」


 めちゃめちゃ弱かった。


 一応揉まれてはいるが、マッサージのそれではなく、完全にセクハラの力加減だ。古いタイプの上司がいるOLになった気分を味わうことになるとは。


 「奏、もう大丈夫だよ。ありがとう」


 「ほ、ほんとう……ですか」


 1分もしていないであろうに、ほんの少し上気している。


 運動なんて全くしてきませんでした。とは聞いたことがあったが、まさかここまでとは思いもしなかった。


 何故だかこれ以上彼女に肩を揉ませるのが申し訳なくなり、辞めさせる。


 「本当だよ。ありがとう」


 「あ、ハイっ。それならよかった、です。……結構、凝ってたね?」


 「……そうだね」


 すまん奏、君の力が圧倒的に弱かっただけだ。


 しかしその「やり遂げました」と言わんばかりの声を聞いて、何も言えなかった。


 「あ、あの……悠、くん」


 後ろに立ったままの奏から声を掛けられる。


 「ん? どうした?」


 「えっと、そのう……お願いがあるんです、けど」

 

 「うん、何?」


 「か、髪の毛……触っても良い、ですか?」


 「髪? え、なんかついてる?」


 「ああ、いえっ……そうじゃないんです、けど……さ、触ってみたいな、って」


 男の髪の毛を触ってみたいと言う奏の感覚はあまりわからなかったけれど、肩揉みもして貰ったことだし、まあ良いか。


 「良いよ。僕のを触っても特に面白くはないと思うけど」

 

 「あ、ありがとうっ! ……じゃ、じゃあっ、触るね」


 少しの間があってから、頭に手が置かれる。


 最初は撫でるような手つきだったそれは、段々と犬をわしゃわしゃとするかの様に変化していき−−やがて手が止まった。


 急な出来事を不審に思い、声を掛ける。


 「奏?」


 「……あと、3日なんですね」


 さっきまでとは違う静かな声音。


 もうすぐテストが始まることを言っているのだろう。


 「そうだね」


 「……わたし、応援してます」


 頭の上から、ゆっくりと言葉が落ちてくる。


 奏の顔を見て、表情を確かめたかったけれど、それは叶わなかった。


 頭の上に乗っていた手は、いつの間にかおでこに添えられており、ゆるりとホールドされている。抵抗してまで外そうとは思わなかった。


 「……うん、ありがとう。僕も奏を応援してるよ」


 奏の手の力が少しだけ増す。


 「ハイっ。頑張る、ね」


 添えられた手から、ほんの少し震えが伝わってきた。


 突飛なことをしたり、ふざけてすら見えることもある奏だが、やはりそれなりにテストに対して不安を覚えているのだろう。

 もちろん僕に対して「1位をとってくれ」と頼んだ罪悪感みたいなものも未だ残っているとは思うし……。


 奏の抱える不安を思うと、僕の後頭部がどこに当たっているかなんて、些細な問題か。


 「奏、何かやってほしいことはあるか? 僕ばっかりって言うのは申し訳ないから」


 少しでも抱えているであろうものを払拭できればと思い、そう声を掛けた。


 「え、やってほしいこと、ですか……」


 「うん、流石になんでもとは行かないけどね」


 「えっと……き、今日はもう時間がない……ので、別の日でも、良い?」


 「うん、わかった。それで良いよ」


 「わ、わかりました……うぇへへ」


 先ほどまでの不安げな声が嘘みたいに晴れた奏に、僕は安堵してしまった。


 そう、してしまったのだ。


 週が明けたらテストが来る。


 その後に待ち受けている受難を、まだ僕は知らなかった。

 

 


 

 

 

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