間話 中間テスト前週〜木曜日〜


 昨日、奏から水原と喜久田の賭けについて聞かされ、無事に用事を終えた僕は今日も放課後の教室で勉強をしていた。

 もちろん向いには奏が座ってテスト勉強をしている。


 時折奏の質問に答える以外、僕も奏も無駄な話はせず集中して勉強に取り組んでいた。


 正確には見ていなかったけれど、だいたい1時間と少し勉強をしたタイミングで、奏のお腹が鳴る音がした。

 最近、良く聞く音になりつつあるそれを耳にし、奏へと視線を移す。


 「……ち、違いますよ」


 「まだ何も言ってないよ?」


 ……正確な腹時計だなって言おうとしたのは黙っておこう。


 「うぅ……ち、違うんですっ! ……ち、ちょっと腹の虫がおさまらなかっただけなんだよお」


 「いや、そっちの方が心配なんだけど……何にキレてるんだよ」


 完全に誤用だった。

 

 本当に心配になる、主に成績が。


 奏はどんどんと赤くなる顔で、僕をじっと見てきた。(睨み付けているのかも知れない)


 「……聞かなかった、ことに……します」


 「え? これ僕のせいになってるのか」


 「うぅ……も、もう良いじゃあないですかあっ」


 「わ、悪かった。ほら、休憩にしよう? な?」


 「……ハイ。そ、そこまで言うなら」


 「……うん」


 ……押し切られた感が凄いな。

 

 ちょっとした理不尽さを感じながらも、買っておいたコーヒーを飲んでいると、奏が鞄からお菓子を取り出した。


 もう3つ目である。


 お裾分けをもらっている身としては、ありがたいから何も言わないけれど。


 「あ、あの……お疲れ、だね?」


 お菓子を食べる事で機嫌が戻った奏は、改まってそんな事を言い出した。


 そんなふうに見えているのだろうか。


 「……え、うん。まあ、そこまで疲れたって感じでもないけど」


 「そ、それは……それはいけないね」


 「はい?」


 「えっと、そのう……お疲れ、ですね?」


 「うん、だからそこまででは無いかな」


 「あ、あー、良くない……ね。悠くん、えっと……お、お疲れだね?」


 ……何かのゲームだろうか。


 目がぐるぐるとし始めた奏に対し警戒心を募らせる。


 この少女は極度におどおどしている様に見えるけれど、なんだかんだと意思を通す我の強さみたいなものを持っているのだ。

 もちろん、それが奏の長所であるとは思っている。


 仕方ない、乗ってやるか。


 「あー、ああっ。うん。疲れたなあ……」


 大袈裟に言ってちらっと伺い見る。


 めちゃめちゃ喜んでいた。


 「そ、そうですかっ! えっと、その……じゃあ、これ」


 そう言って奏が隠していた(完全にポケットから見えていたがスルーしていた)ポッキーを取り出した。


 「ん、ポッキーか。久しぶりに食べる気がする」


 封を開ける奏を見ながら久しく食べていないそれを見て、図らずも勉強やその他の事が少しだけ頭から外れていく感覚がした。

 やっぱり適度な休憩は重要だな。


 「あ、ハイ。えっと、そのう……一緒だね」


 嬉しそうな顔で言う奏。


 そこで喜ぶのは本当に僕でも理解が出来ないぞ。


 「えっと、そう……なのか。僕はもう1年近くは食べていないかな」


 「っ! そ、それは……水原さんと、食べたのが最後って……こと?」


 珍しく思った。

 奏には僕と水原が中学時代に付き合っていた事を話してはいるが、彼女からこうして僕らが交際していた時の話を振ってくるのは殆ど無かったからだ。


 「うん。そうなるのかな」


 嘘は付きたく無かったのでそう答えると、奏の顔がまた赤くなっていった。


 「……ふぇ、へえ〜っ。そ、そうなん、ですかっ」


 「え?どうした急に」


 「あ、ハイ。いえ、そのう……こう、なんと言いますか」


 やたらともじもじするな。心配になってくる。


 「……奏?」


 「は、ハイ……えっと、お、お友達のそういう……話って、なんだか照れるな、って」


 「……君から言い出したんじゃないか。それにポッキーを食べたくらいで恥ずかしいも何もないだろう」


 「ぽっ!」


 「ちょ、怖いぞ。……奏、どうしたんだよ」


 先日の一件でも血を見ることになってしまったこともあり、心配になり近付こうとした。


 「こ、来ないでくださいぃっ!」


 「え!? えーと、わかった。わかったから落ち着こう。な?」


 「……す、すいません。悠くんは、えっと……悪く、ないんです」


 赤くなっていた顔は青くなっている。いよいよ本気で心配になる。


 「……奏、大丈夫だから。落ち着くんだ、頼む」


 90%くらい本気でお願いした。


 「は、ハイ……す、すいません。ポッキー、食べたいなって、思ったんですけど……勇気が、出なくて」


 「……ん?」


 目の前の少女が変な奴だということは知っていたけれど、どうやら僕の理解はまだまだ足りてないらしい。


 全くもって彼女が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。


 「よ、世の中の男女は……凄いですねっ。あはは……わたしも、できると思ったんです、よ?」


 「……うん?」


 「ああ、いえ……悠くんが、悪いんじゃないです。……わたしが、こう−−びびってしまった、と言いますか」


 ピンとくるものがあった。


 まさかとは思うけれど、というか出来れば外れていて欲しいけれど、確認しないといけない。


 「奏」


 「は、ハイっ!」


 「君はポッキーが食べたいんだよな?」


 「そ、そう……そのつもり、だったんだけど」


 「あえて聞くけど……どうやって食べるつもりだったんだ?」


 「そっ! そ、そんなことっ……言わせたいんですかあっ!」


 青からまた赤へと変わった顔を見て確信した。


 「なあ、奏」


 「で、でも……悠くんが、どうしても言わせたいって、いうなら……その」


 「奏」


 「は、ハイっ! わかってますっ−−言いますからあ、ちょっとだけ待ってくださいい」


 「奏、ポッキーは1人で食べるものだよ」


 「…………ハイ?」


 脳に叩き込む様に言った。


 「ポッキーは、1人で、食べる、ものだ」


 「……うぇへへっ。何を言うかと思ったら、悠くんも、冗談……言うんだね」


 なんでそんないい笑顔なんだよっ!


 「違う奏、本当にポッキーは1人で食べるものなんだよ」


 「え? えと、冗談です……よね?」


 「割とこっちのセリフなんだけど……冗談ではないよ」


 「え? だ、だって……学生の男女は、ポッキーを……えっと」


 ……言うのすら恥ずかしいのにやろうとしてたのか。


 「……ちなみに、それさ。なんの情報かな?」


 「あ、ハイ。えっと、聞く相手もいないので、ネットです。……うぇへへ」


 頭を抱えたくなった。


 「奏。そのサイトは二度と見るんじゃない」


 「ええっ! な、なんでですかあ……おもしろいんですよ? 世の中の男女の、こう……イロイロな事が、書かれてるんです」


 あまりの自信に少し興味が湧いてしまった。


 「……例えば?」


 「あ、ハイ。えっと……とんがりコーンは指に刺してあーんってするのが、決まりです」


 「どんな決まりだ! ないよそんなのっ。子供くらいだろうその食べ方するの」


 「むむっ。……じゃあじゃあ、きのこの山は、チョコ部分だけ食べて……ええっと、そのう−−ぼ、棒の部分を、えっと、えと」


 「……恥ずかしくなるなら読むんじゃない」


 「うぅ……悠くんが読ませたんじゃあ、ないですかっ」


 「待て、完全に濡れ衣だろ。僕でもそれくらいはわかるぞ。なんでも押し通せると思うなよ」


 「……あとは、えっと〜」


 無視された。まだ続けるのか。


 どうやら意地になってしまったらしい。


 「プリングルス……は、ちょっとパンチが弱い、ですね」


 「おいっ聞こえたぞ! パンチが弱いって言っちゃってるじゃないか」


 「ま、まだですっ! ……えと、あ! えっと……ふぇ、ふぇっ−−ふぇら」


 「やめなさい」


 嫌な予感がして止めた。それは『ふぇ』じゃない。『フエ』だろ。


 しかし悪意しかない記事だな。そんなのを鵜呑みにされて、また鼻血を出されても困る。


 ……というか、お菓子ばっかりじゃないか。

 

 「じゃ、じゃあっ。悠くんは、この神サイトを否定してますけど……ぽ、ポッキーは、どうやって水原さんと食べたんですかっ?」


 「……ふつうに食べたよ」


 「うそです」


 「ふつ」


 「うそです」


 「いやほんとにふつ」


 「うそだよね」


 間髪いれずの体現だった。


 ……くそっ!なんでこんな所でダメージを受けなきゃいけないんだ。


 「……だからって、そのサイトが正しい訳ではないだろう」


 「しかし悠くんはポッキーを食べました」


 英語の直訳みたいになってやがる。


 「……はあ。だとしても、だ。さっきから聞いてるとそのサイトはちょっとおかしいぞ。そんなもの鵜呑みにするんじゃない」


 「……だって」


 落ち込んでしまった。


 少し言い過ぎたのかもしれない。


 「いや……ごめん、強く言うつもりじゃ無かったんだよ。ただ、奏に変な知識が付いたら困ると思ったんだ」


 実際にもう困っているしな。かなり。


 「……神サイトは、違法なのでしょうか?」


 「いや、違法って訳じゃないだろうけどさ……普通の高校生はそんな食べ方しないってだけで」


 ……さっきは我慢してスルーしたけど、神サイトって呼んでるのかよ。


 「……わ、わかりました。すいません……」


 そう言って項垂れる奏は、本気で落ち込んでいる様に見える。


 その様子を見て、彼女の奇行の理由に思い当たるものがあった。


 もしかしたら、僕に「1位を取ってくれ」と頼んだことに、何か罪悪感みたいなものを感じているのかもしれない。


 そこまで考えて、流石に僕も彼女に対して配慮が足りなかったと思い直した。


 「奏。さすがに君がしようとしていたポッキーゲームは無理だけどさ、僕に何かしたかったんだろう?」


 「…………えっと、ハイっ」


 「僕に、気を使ってくれてたのか?」


 「は、ハイ! そ、そうですっ。そうなんですっ」


 食いつきが凄かった。


 そこはかとない嘘臭さを感じたものの、奏を信じる。


 それに、ここまで言わせておいて彼女の気持ちを無下にするのも躊躇われた。


 「……えっと、じゃあ何かやってもらおうかなあ」


 棒読みになってしまった。

 

 「い、良いんですかっ?」


 「うん。それで奏が元気になるならね」


 「ハイっ、なります。うぇへへ……えっと、じゃあ」


 そう言ってポッキーを1本取り出す。


 え?ポッキー?


 「……あ、あーん……です」


 思考が止まる。


 何がどうしてこうなったのか、さっぱりわからなかった。


 しかしこうして止まってしまっている間も、彼女の目にはどんどんと涙が溜まっていくのが見える。


 恥ずかしいのを我慢してまで、僕にそれを食べさせたいのか……。


 断ろうと思ったものの、彼女の気持ちを無下にしたくないと思ってしまった手前、引くに引けなくなった。


 ……仕方ない。


 「……ん。うん、美味い」


 「ふわぁぁっ……うぇへへっ」


 高校生にもなってあーんをしてもらうなんていう気恥ずかしさから、文句の一つでも言ってしまいそうになったが、奏の表情を見てなんだか気が抜けた。


 「……ありがとう、本当に美味しかったよ。僕のためにやってくれようとしていたんだろ?」


 素直に感謝を述べる。


 僕を労わろうとしてくれたことは、きっと事実なんだから。


 「うぇへへへ……」


 聞いちゃいなかった。


 勉強をするよりはるかに疲れた気がしたけれど、それは言わないでおこう。



 嬉しそうに笑う奏をもう一度だけ見て、僕は勉強へと戻った。

 





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る