間話 4月23日(A面)
放課後の教室。
バイトまでまだ時間があった僕は、宿題を片付けるために一人、机に向かっていた。
どんどんと教室からクラスメイトが居なくなっていくのを横目に、教科書と宿題、それから一冊の文庫本を取り出して大きく伸びをした。
宿題を片付けるか。とはいったものの昼休みの残り時間を使ってほとんど終わらせてしまっていた為、あまり急ぐ必要もないことを思い出す。
そんな余裕があったからか、机においた文庫本に目を止めて、これを持ってくる事になった経緯を、というか昨夜に交わした水原とのやりとりを、スマホの画面を見ながら思い返していた。
※
《八色くん、起きてる?》
《起きてるよ、どうした?》
《別にどうでも良いんだけど、明日は23日だね。》
《本当にどうでも良いな……暇なのか?》
《まあそんなとこ。明日の晩ご飯の具材何にしようかな?八色くんのとこは何食べるとか決まってたりするの?》
《さあ、いつも通り適当だと思うけど。何にしようかなって事は水原が作るのか?》
《ううん普段は作らないよ。でも明日は作ろっかなって》
《そうか》
《ちょっと!そこは何作るんだ?とかあるでしょう?》
《何作るんだ?》
《全く……えっとねーどうしよっかなー教えようかなー?》
《おやすみ》
《待って待って!教えるから!》
《さすがに冗談だよ。でもまあ気になるかな、何作るんだ?》
《意地悪だなー、なんでそんなに捻くれたんだか。えっとね、明日はなんとっ……パエリアを作りまーす!》
《へえ、パエリアか。家で作れるもんなのか?》
《本格的なのは難しいけどね、でも普通にできると思うよ。良いでしょ!パエリア!》
《美味しくできると良いな》
《出来たら写真送ってあげるね。それでさ、1個お願いがあるんだけど……》
《お願い?変なものじゃなければ良いけど……》
《明日バイトだったよね?》
《バイトだよ》
《放課後、バイト先行ってもいいですか?》
《お客さんとしてだろ?お金落としてもらえるのならいつでも歓迎しますよ》
《わかった。ありがと》
《え?お願いってそれだけ?》
《あ、ごめん今のは相談!お願いなんだけどさ、明日本貸してくれないかな?》
《文庫本って事?参考書とかじゃないよな?》
《なんでも良いけど、文庫本の方が良いかな。だめ?》
《いや、別に良いよ。どんなジャンルのが良いんだ?》
《んーと、恋愛物とか。》
《八色くん?寝ちゃった?》
《ごめん、探してたんだ。ぱっと探して見つかったのがアドルフ、マノン・レスコー、ハムレット、高慢と偏見くらいかな。日本のが良かったら妹に持ってないか聞いてみるけど》
《ハムレットがいいです!》
《定番といえば定番だし、良いんじゃないか。放課後に渡せばいい?》
《うん、ありがとね八色くん》
《前から思ってたけど文字でまで名前打つ必要ある?》
《あるの!まあいいや、よろしくね》
《了解。じゃあ寝るよ。おやすみ》
《おやすみなさい》
※
……どうりで今日はなんか疲れてると思ったら、昨日は意外とやりとりしてたんだな。
メッセージはどうにも苦手だ。
水原もそれを分かってくれている為、あまり普段は数多くはしないのだが、時たま昨夜の様に少しだけ長めに行うのである。
僕はこれでも随分長くやりとりをしたと思っているけれど、1日にこれの何十倍もメッセージを送りあっている人たちが世の中に居ると思うとゾッとしないものがある。
まあそれこそ他所は他所、うちはうち、か。
その後、しばらく宿題をゆっくりと片付けていると、教室の扉が開いた。
もちろん水原である。
「こんにちは。遅くなっちゃってごめんね」
「いや、まだ出る時間じゃないから大丈夫だよ」
「っそ、なら良かった。宿題やってたの?」
「ああ、まあもうほとんど終わってるんだけどさ、一応ね」
「早いわね。今日でた宿題じゃないの?」
「昼休みに時間が余るからね。今日はバイトもあったし」
「ま、まあ早く終わるに越した事ないものね」
「そういう事。じゃあ水原、これ。お願いされてたやつ」
そう言って家から持ってきたハムレットを手渡した。
「あ、ありがと……えへへ」
本を受け取るなり、嬉しそうにはにかむ水原。
大袈裟だなと思ったけれど、特に何かを言ってやろうとは思わなかった。
っと、そろそろだな。
「じゃあ水原。僕はバイトに行くから」
「あ、待って八色くん。これ」
そう言って水原が鞄から一冊の文庫本を取り出してきた。
「え?なに?」
「えっと、ほら!私だけ借りるのもなんかねって思って。……だからこれ、はい」
そういって手渡された本を見る。『はつ恋』ね、著者は……ツルゲーネフか。読んだ事のない本だな、どんな内容だろうか。
「わざわざ悪いな。じゃあ行ってくる」
「あ、うん。バイト頑張ってね」
胸の前で軽く手を振る水原に別れを告げてバイト先の『プレミアムホスト』へと向かった。
……今日はいつもよりも、あの変に強気な口調ではなかったな。
※
バイト先に向かった僕は、相変わらず閑古鳥の鳴く店内にて、いつも通り机を磨いていた。
まあでも、今日はお客様1名は確保してるしな。
……いや、もしかしたらまた黒磯も一緒かもしれない。
と、最近よく店に来てくれる水原とその中学時代の友人である黒磯千秋の事を思い出していると入店音が鳴った。噂をすればなんとやらかな。
「かっ……」
……か?
「いらっしゃいませ、1名様でよろしかったでしょうか?」
あれ?水原1人か、珍しいな。
「……あ、うん。じゃなくて、はい。1人、です」
……やたらもじもじとする水原。1人で来るのにまだ慣れていないのだろうか?
店内に誰もいなかった為、「お好きな席にどうぞ」と声をかけてから、水とおしぼり等を取りに行った。
水原はどうやら壁際のボックス席に座った様だ。
「お冷やでございます。ご注文お決まりになりましたら、そちらのベルでお呼びください」
「かっ……」
……か?喉でも痛いのか?
「あ、ありがとう。その……」
「はい?」
「う、ううん!決まったら呼ぶねっ」
「……ごゆっくりどうぞ」
……どうにも様子が変だな。
机ふき(他にすることが終わってしまった)に戻りしばらくすると、ベルが鳴ったので注文を取りに向かう。
「お待たせ致しました。ご注文はお決まりでしょうか?」
「……ゎぁ」
「……水原?」
……しまった。つい普通に名前を呼んでしまった。
「あっ!はい、えっと、注文、だよね?」
呼んだのは君だろう。
「はい、承ります」
「……えっと、ドリンクバーと、このローズクランベリーパフェでお願いします」
……季節限定の薔薇のデザートで来たか。さすが甘党だな。
注文を取り終え、戻る。
厨房にいた店長にデザートの用意をしてもらい、水原の席へと向かった。
水原は僕が貸した文庫本を読んでいた。集中しているのか、僕が近付いている事にも気がついていない様だ。
「お待たせいたしました。ローズクランベリーパフェでございます」
「わ……美味しそう!えへへ……ありがとう。八色くん」
「いいえ、ゆっくりしていって」
……あんまり嬉しそうにするもんだから、つい普段の口調で返してしまった。
デザートを堪能した水原は、少ししたら帰って行った。
そういえば、パエリアを作るとか言ってたな。
バイトを終えて家に帰り、やる事も終えたので部屋で借りた本でも読もうかと思っていたら、水原からメッセージが届いた。
《美味しく出来た!本もバラのデザートもありがとう!いい23日になったよ。》
一緒に来ていた写真には水原が作ったであろうパエリアが写っていた。美味そうじゃないか。
《こちらこそ本と来店ありがとう。》
そう短く返して読書に戻った。というか、この本やけに新しく見えるな。
水原は本の管理にかなり気を使っているのかもしれない。
……これ、タイトル詐欺じゃないか?だいぶ重たい話だぞ。
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