間話(1章最終話〜2章開始の間)

第1.5章 スマホの中の住人

 

 現在の時刻は01:40分

 

 流石に寝なければ翌朝起きる時が辛い時間。


 あまり朝が得意ではない私ですが、随分と夜更かしをしているのです。


 電気もつけず暗い部屋で、手に持ったスマートホンの明かりだけがぼんやり光る。


 ここ数日の私の眠る前の日課でした。


 写真のフォルダを、開いては閉じてを繰り返してはや数時間。


 再度開いてしまったフォルダの1番新しい写真に目を向けます。


 元の画像を拡大して、尚且つそれを切り取って保存した、私のスマホの1番新しい写真。


 そこに写る一人の少年の顔を見る。


 ため息が漏れました。


 私の知る現在の『彼』よりも、うんと若い写真の中の『彼』




 気づけば時間は2:00をまわっていた。


 流石にもう寝ないとですね。



 中学生時代に流行っていたおまじない。


 当時は心の内で小バカにしていたそれを、今日も私は行ってみます。


 もう中学生でもない私が、それでもおまじないを今日も続けるのです。


 

 どうか、夢で会えますようにと、深く心に念じながら。






※※※





 終業を告げる鐘が鳴り、日直の方の号令に倣って、私は席を立ちました。


 蚊の鳴くような声で「ありがとうございました。」と頭を下げます。


 大きい声は出せません。それでも声は発するのです。


 教室の中にだらりとした空気が流れていくのを感じながら、私はお弁当を取り出しました。


 教室の中ではあまりご飯は食べません。


 上手く周りに溶け込めないから。


 優しいことに声を掛けてくれる人もいたのですが、今ではそれもなくなりました。


 ちょっとだけ悲しいと思ってしまう自分は、なんて身勝手でわがままなのでしょう。


 教室を出て、ここ最近のお弁当スポットへと向かいます。


 図書室の前、少しだけ廊下が広がり、ロビーのようになっている場所。


 日当たりも悪く、どこか薄暗いこの場所は、なぜだかとても落ち着くのです。


 誰が世話をしているのか、青々と茂った観葉植物。


 それに並ぶように置かれた、木製のベンチと机。


 いつものようにそこに腰を下ろした私は、お弁当を広げて食べ始めました。


 相席するのは観葉植物。


 こんにちは。今日も元気ですね。頭の中では私も元気に話せます。


 勝手な同族意識で、私はそれを眺めるのを気に入り始めていました。


 目の当たる場所にはなくても、それでもしっかりと育っているこの子を、勝手に私は応援していました。


 今日のお弁当はいつもよりもおかずが多い。


 きっと、お母さんがまた張り切っていたのでしょう。


 もぐもぐと口に含んだご飯。うん、今日も美味しいです。


 少し口に含み過ぎました。昔から食べるのが下手だと言われていたのに、どうも私は鈍臭い。


 飲み物を飲もうと思った私は、水筒を出し忘れていることに気が付きました。


 横においた鞄から、水筒を取ろうと手を伸ばしたのですが、上手く掴みきれずに、おっことしてしまいました。指紋と握力が仕事をしてくれません。


 そのままコロコロと階段の方に転がっていった水筒。


 まず無いとは思うのですが、中身が炭酸だったら大惨事ですね。なんて、くだらないことを考えている場合ではありません。


 たった今、鈍臭いと反省したばかりでこれなのです。


 今日もついてないなーと少しだけ気分が落ち込みながら、水筒を取りに行こうと立ち上がりました。


 おっとびっくり、階段から誰か上がってくる音がします。


 お客様が誤って踏んでしまったら、大怪我になりかねません。


 一生を慰謝料のために過ごすことになるのは、再婚をしたお母さんのためにも、なんとしても阻止しなくては。


 慌てて水筒に駆け寄ると、お客様が気付いて下さったのか、私よりも先に手に取ってくださいました。


 しっかりとお礼を述べたい気持ちはあるのですが、いまだに口の中にご飯が詰め込まれていて、喋れません。


 駆け寄る私に気付いたのか、こちらに向かってお客様が歩いて来られます。


 視線をずうっと下に向けていたので、どんな方かは存じませんが、ズボンを履いているのを見るに、どうやら男の方のようです。


 喋れない代わりに、せめて目を見て頭を下げなければっ。と、おずおずと見上げました。



 あまりの衝撃に、口からご飯を吐き出してしまうところでした。



 それくらい、びっくりしたのです。


 それくらい、自分の目を疑ったのです。


 私はこれほどまでに神様の存在を信じた日はなかったでしょう。



 だって、水筒を拾ってくれた男の人は。



 私のスマホの住人だったのですから。


 おまじない以上の結果が出ているのは、果たしておまじないのおかげと言えるのでしょうか?



 「これ、君の?」



 なんて落ち着いた声なのですかっ。



 耳が幸せって、このことですかあ。


 

 さながら今もベンチの横にある観葉植物のように、動かすこともままならなくなった身体を必死に動かしました。



 しかし頭を小刻みに動かすのが今の私に出来る精一杯でした。



 私が苦しんでいるようにでも見えたのか、手をとって水筒を渡してくれます。



 なんて綺麗な手なのでしょうかっ。



 皮膚が幸せって、このことですかあ。

 


 「それじゃあ。」



 そう告げて颯爽と去っていくあの人を見つめます。


 

 かっこいいなあ。


 くだらないことで騒いで、大きな声を出していた中学時代の男の子とは大違いです。


 ああ、図書室へと入ってしまいました。


 ようやく我に返った私は、水筒の中身でご飯を呑み込みました。


 幸い中身は炭酸ではなかったようです。


 それどころではない私には、味はさっぱりわかりませんでしたが。


 一息ついて、さっきまで今日もついてないなーなんて思ってしまったことを、あっさりと撤回しました。


 なんてついている日なのでしょうか。


 さて、残りのお弁当を食べるためにも、ベンチに戻りますかーと思ったその時。


 私は見つけてしまいました。


 恐る恐る近付いて、『それ』を手にとります。


 先ほどの彼の生徒手帳でした。


 とりあえず急ぎ足でベンチへと戻った私は、こっそりスマホで生徒手帳を写真に撮りました。


 おっと、勘違いしないでください。住所なんかは見ていませんよ?


 証明写真を撮っただけです。


 もちろん私がしていることが、悪いことだとはわかっています。


 けれどたぶん、偉い人が言っていました。


 落とす方が悪いのだ。と。


 ……たぶん言ってました。


 生徒手帳を盗撮したことを、誰にも見られていないか、辺りを確認します。


 ふう。だれもいないようですね。


 一仕事やり終えて、わざとらしくぐいっと額をぬぐいます。


 自分でもテンションが高いのを自覚しました。


 

 もう一度、拾った生徒手帳に目を落とします。



 ああ、今日は本当になんて良い日なんでしょうか。


 だってこれで、スマホに眠る小さい『彼』の写真と、記憶の中の現在の『彼』を、想像で補う必要がなくなったのですよ。


 これで、いつでも今の彼を見ることができるのです。


 


 男の子にしては線が細くて、どこか中性的な容姿にも見える彼。


 生徒手帳の、彼の名前をそっと指でなぞる。




 『月岡悠』



 私はずーっとそれを眺めていたのでしょう。


 昼休み終了の鐘の音が響き渡ります。



 私は結局、お弁当を一口しか食べられませんでした。





※※※



 放課後を告げる鐘が鳴り、私は席を立ちました。


 お弁当を一口しか食べられなかったので、流石にお腹が空いています。


 早く帰って、お弁当を食べなくちゃ。そう思って、荷物を詰め込んだ鞄を肩にかけます。


 ポケットに入れていたスマホが震えて、私はそれを取り出しました。


 メッセージの送り主はお母さん。


 きっとまた、何かのお使いなのでしょう。



 《奏の好きなもの買って良いから、ネギと木綿豆腐買ってきて。》


 

 ほら、やっぱりお使いでした。


 いつもなら面倒くさいと思ってしまう私ですが、今日は文句も浮かびません。


 だって、今日は良い日でしたから。


 お昼を思い出して、心に活力が漲ってきます。


 鞄を肩に掛け直すことで気合を入れてみた私は、スーパーを目指して、いつもよりも元気よく学校を後にしました。



 あ……そういえば私、生徒手帳、拾ったままでした。




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