終章 カミサマの退屈(3)

「いってきます」


 家から突き出た青い塔屋を見上げ、アルベルトは父さんと母さんに挨拶した。


 入学してから、あまり袖を通さなかったブレザーに袖を通し、ぶ厚い魔術書一冊分にも満たないリュックを背負い、ほとんど通っていなかった高校へと、これから登校する。


 この機会に、伸びた金髪も短めにカットした。周囲から女の子だとからかわれないか心配だけど、リザは「大丈夫、大丈夫」とテキトーに言うだけなので、不安は拭えなかった。


 アルベルトの首元には、チェーンから革紐に変えたリザのネックレスが。クロスの中央にはまった輝石は緑の光を小さく放っている。



 あの日見たロキのマクスウェルの悪魔を、アルベルトは記憶の中で何度も再現し、それを数え切れないほど分析した。


 神では起動できない筈の魔法陣を強引に起動し、フェンリルの残滓を含んだ自然の流れを集め、幻を創りだした。咆哮は激震となってギルガメッシュの動きを封じ、襲いかかる極大の光は、紡いだ呪文を拾い集めたのか、神の力を自然へと還していった。


「こいつは俺の悪魔だ」


 正に不条理そのもの、ロキの言葉通りだ。傍で見ていたアルベルトは、横取りされてしまった悔しさよりも、敵わないと言う清々しさの方が勝った。


「アリーはアリーで一から作り直せよ」


 そして言葉通り、マクスウェルの悪魔を一から研究し直す事にした。今度こそアルベルト自身の手で成功させたいからだ。


 まず調べたのは、マクスウェルの悪魔とリザが身に付けていたクロスのネックレスとの関係だ。中央にはまった小さな輝石には、入ってくる光を一定間隔で赤、緑、青の光にして反射する魔法陣が刻まれていた。


 宝石等を加工する高度な手作業ではあるが、魔法そのものは比較的簡単。ロキのフェンリルは何故、起動に必要だと判断したのか、今のアルベルトには理解できない。


 ただ推測はできる。先祖はアルベルトと同様に神を、自然を、畏れていたのではないだろうか。それは、エンジンの様に利用しようとした冒涜に対する償い。一度完成させた魔法陣を破棄する事もできず、クロスのネックレスと言う形で切り離したであろう、研究者としての苦悩の現れなのかもしれない。



 アルベルトは信号待ちの間、ワイシャツのボタンを締めてネックレスを隠した。


 戦いが終わり、ヴァルハラからの事情聴取を受けた。担当したのは、治安維持対策課捜査官のトールだ。生真面目で威圧的、雷が赤子に見えるほどの激雷と山一つを丸めて潰せそうな力に溢れていて、取調室からいち早く出たかった。



 開口一番、トールがアルベルトに深々と頭を下げた。話し方も丁寧だから、怖いから誠実な印象に変わり、長時間の取り調べも思っていたより楽だった。


 その後、質問する機会ができたのでロキの事を聞くと、トールが表情を曇らせてから、一言「悪」だと断じた。アルベルトも同意した。だけど、本質的には一般的な倫理観を持ち合わせていない、オモシロい遊びを探し求めている子供なのかもしれない。



 地下鉄を降り、エスカレーターで地上まで登り切ると、落ち着いた街並みが見えてくる。



 ヴァルハラからの事情聴取が終わっても、babironのインターンの単位等、様々な事務手続きの関係で、仮にも通っている高校にも関わらず、正式に再登校できるまで一カ月もかかってしまった。だが、空いている時間全てを研究に費やす事はできなかった。


 通常科目の勉強である。つい最近までは研究し放題だった。だけど、これからは普通の学生として学校に通うのだから、その遅れを取り戻さなければならない。

 この問題はアルベルトにとって、ロキを魔法使いだと見せかける使い捨て手袋よりも、遥かに難易度は低い。


 真の難題は日常の家事である。身の回りのほとんどを他(ひ)人(と)任せで研究に偏っているアルベルトにとって、寝食を抜くのはしょっちゅう。洗濯物を洗濯機から取り出し忘れ、また洗ってしまう。基本自室が中心の筈なのに、気付けば、家全体が散らかっている。あろうことか、目覚めない両親に魔力を注ぎ込む事も忘れそうになった。


 そんな壊滅的な状況を見かねてか、リザが一週間に一度くらいの間隔で、修業先のレストランから夜遅い中、二時間かけて家に帰ってくるようになった。憎まれ口を叩きながら弟の尻拭いをしてくれるおかげで、どうにか回っている。


 校舎が見えてきた。babironのビルよりは二回り以上も低く。広すぎず狭すぎずの適度な広さ。

 足が疲れてきた。一時間にも満たない通学路なのに、研究ばかりで机にばかり張り付いていたツケが、ここに来て回ってきた様だ。


 体力的な不安はあるが、アルベルトには学校での人間関係の不安は薄かった。

 ギルガメッシュ程の凶悪な生徒はいないだろうし。破天荒で絶え間なく冗談ばかり飛ばしてくる変わった生徒もいないだろう。


 神のせいで麻痺してしまったから、目に映る生徒が物足りなく感じてしまうかもしれない。周りと馴染めず友達ができなかったら、その分を研究に当てればいい。もし、イジメに遭ってしまったら、魔法道具を駆使してしまおうか。


 物騒な考えをしまいこんでる間に、校門までたどり着いた。


 急に実感する新しい生活。それでも期待はしている。環境が変わるのだから、何かオモシロそうなものを発見できるかもしれない。

 アルベルトは新たな一歩を踏み出した。

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