終章 カミサマの退屈(1)

 LIVE配信を行うサイトで、放送者ロキによる『babiron経営幹部ギルガメッシュによる緊急記者会見』が始まる。


 椅子にかけるギルガメッシュ。胸には天叢雲剣が刺さり、腹部には爆弾を巻き付けている。腕と肘かけ、足と椅子の脚を、有刺鉄線でグルグルに縛り付けられ。憔悴し切っていた。


「エッ、もう始まってんの」


 教えられて気付いたのか、傍にいる道化師の仮面を被った男がカメラの方を見る。


「ぉぉ、映ってる、映ってる。じゃないって。わぁ~ったよ、緊急記者会見ってのをやるんだったな」


 仮面の男がギルガメッシュの肩をパンパン叩く。


「わたくし~、ギルガメッシュの代理人でッす。いきなりなんですが、本日を以ってギルガメッシュは、一身上の都合により、babironの経営幹部を辞任しちゃいま~す」


「退職金はいりましぇ~ん。飲み会とかで使っちゃってください。ッフフフフフ、明日の株価は値下がり間違い無し。持ってる人は急いで売っちゃいましょう。ッハハハハハハハハハハハハハハハ」


 笑いを響かせ、カメラの前に陣取って、道化師の仮面を外してみせる。

ロキだ。


「世界中の退屈してる人間たちぃ、初めまして~。世界中の神々と、その他大勢の諸君、お久しぶりで~す。霜の国生まれ、アースガルド育ちのロキ、デース。神々の力によって永らく封印されておりましたが、わたくし立派に勤めを果たして、シャバへと帰ってきてまりました。イェイ☆」


 カワイ子ぶったピースをして、ロキがロキを拍手。


「エッ、お前誰だよって。人間にアンケートを取ると、九十八パーセントが、この俺ロキの事を知らないんですって、チョーショック」


 頬に両手を添え、あんぐり口を開けてみせた。


「こう見えても俺、けっこうヤリ手なんだぜ。神々の中でも巨人を多く殺した方だし。ケツァルコアトルや天使の羽から布団を作って、高天原に売ったし。ポセイドンの飼っている馬でハンバーガーを作ったし。ホルスの両目からはピアスを作ってみたぜ」


「っクククク、少なくとも神々をフルボッコにするのは余裕だ。まぁ、ヌァザの左腕を手に入れたおかげだけどな。ハハハハハ」


 コミカル且つ狂気に溢れた話し方。今度は天井を仰いで目頭を押さえる。


「シクシク。アイツ等、こう言う黒歴史を人間にバラして欲しくないから、俺が死んだ隙を狙って、復活できない封印をかけてきたんですよ。今を楽しむ権利を奪った、ロクでもないクソの集まり。この生きづらい社会を生きる人間達同様、俺も被害者なんですよぉ。メソメソ」


 嘘泣きをやめる。


「さて、ここで謝らなければならない事があります。実を言うと、連日発生していたbabironの倉庫がブッ飛ぶ事案なんですが、やったのは俺です。この場を借りて――――」


 ばぁと舌を出し、変顔。体はグネリとおどけ。


「まっことにしぃーましぇ~ん」


 謝る気はさらさら無い。むしろ開き直り、ふざけ続けた。


「悪いのは、俺を知らない人間達だもんねぇ~。ここにいるぞっ、アピールしただけだもん」


 ぶりっ子した後、ロキがバク宙でギルガメッシュの後ろに跳んだ。


「さて、長話も飽きたでしょう? そろそろ本日のメインイベント。ギルガメッシュによるぅぅぅぅ」


 両腕を翼の様に広げ、歓喜の叫びを上げる。


「フリィーフォーールショーッ!!」


 ギルガメッシュの胸に刺さった天叢雲剣が引き抜かれる。体は干からびてしまったのか、血が流れ出る事は無かった。


「カウント、スリィー」


 指を三本示す。


「トゥー、ドーンッ!!」


 掟破りのピースサイン。ギルガメッシュの座った椅子を蹴飛ばし、窓ガラスをブチ破り、五十階にある執務室から地べたへと突き落す。

 切り替わるカメラ。別のビルの屋上から撮っているだろう、落ちていく様子が映る。


 なすがままのギルガメッシュ。もはや牙は全て抜け落ち、悲愴感に溢れ。暴君の面影すら感じさせない、ただの腑抜け。

 腹に巻いた爆弾が爆発。

 ビル街の真ん中で花火が咲いた。


「ヒャァアアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 カメラに映るロキ。悲鳴の様な最狂に楽しそうな笑い声を上げている。


「うーっひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ」


 手から落っこちた起爆用のリモコンを踏み潰し遊んでいた。


「フフフ。いやぁ、悪ィ、悪ィ。神々の中で一等賞で死んだからな。ナンバーワンになる夢を叶えられて、俺は嬉しいぜ」


 冷めやらぬ笑い。邪悪をたっぷり含んだおぞましい笑顔が浮かんだ。


「ここで、お知らせ」


 カメラの向こう側に語りかけるからか瞬時に愛想が良くなる。


「わたくしロキは、人間達のお願いを叶える事に致しました。お家のお掃除から、お子様のお勉強、あん畜生な上司への仕返し、一人暮らしの寂しい時のお相手、神級(かみクラス)アイドルの誘拐、神殺しまで、なんでも叶えちゃいますよ。これは頼もスィーーーーーッ」


 伸ばしてから一拍だけ間を置き、指パッチン。


「もちろん、昔みたいに神や巨人、天使に悪魔、怪物に精霊からのお願いだってウェルカムだぜ」


 両腕を広げ、挑発的な手招きをしてみせる。


「相談料無料、爆安の料金、成功率百パーセント。ニヴルヘイムで、貴方のお願い待ってま~す。バーンッ」


 指でピストルを作り、ハートを撃ち抜く。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 この放送は法令に違反している為、運営により削除されました。


 薄暗い部屋に爆発音とロキの笑いが響く。魔法で大きなスクリーンとなった壁には、削除された筈の放送が映し出されている。



 上品な革張りの椅子にゆったりと委ね、腕を肘かけに預け、鑑賞していた。

 長くて美しい黒髪は正に夜。黒い眼帯で閉ざした左目、全てを鈍色の右目が見ている。理知的な顔立ちは華奢なのに、どこか威厳があり。浮かべる微笑みは見守る余裕すらある。


「やぁロキ君。いつまで私の後ろにいるつもりかな」


 自動的に照明が点き、椅子の後ろにあるカーテンが開く。

 鴉色に寄ったダークグレーのコートにスーツが浮かび。白いワイシャツに締めた黒いネクタイには、金色の太陽に槍と剣を重ねた警察機構ヴァルハラの紋章が刺繍されている。


「旦那が、長い旅行から帰ってきたと聞いてね」


 背の高いハットスタンドに掛かった、つばの広いハットを奪ったロキ。弄びながら高級感溢れる執務机を回り込んで、座っている者の正面に現れる。


「ちょっくら、挨拶しに来たんですよ」


 綺麗な机の上には格調高い警視総監のプレート。ロキから「旦那」と親し気に呼ばれているのはオーディンだ。


「それにしても、捜査官全員集合だなんて、出社する度カーニバルじゃないですかぁ。今度俺も出店をやるんで、よかったら寄ってくださいよ」

「その時は、人間でも食べられるものを頼むよ」


「ハハハ、どうして旅行に?」

「見聞を広げる為だよ」


 ズッコケそうにした後、ロキが手振りを交えてブーイングを飛ばす。


「オイオイ、お前ほどの知識人で引きこもりが、そんなこと言う。言っちゃうワケ」


 愚問だなと微笑む。


「世界は広いよ。スプレイニルでこの地球を飛び出し、天上の主が住む太陽やディラックの海を越えたんだ。この目で観測してないものばかりで、実に有意義だったよ。フフフ」


 自慢げに話すオーディンよりも、ハットを回して遊ぶロキ。


「で、旦那は長旅の疲れを、俺のオモシロ動画で癒したんでしょう。こりゃ、立派な違法ダウンロードだ。きっちり請求しますぜ。こちとら、鴉じゃなくて閑古鳥がうるさくてしょうがねぇ」


 軽い嘆息。


「むしろ、感謝して欲しいよ。最後まで動画として保存するだけで、特にお咎め無しなんだからね。もし私が、ヴェーダにいち早くアクセス制限を働きかけなかったら、君の華々しいデビューは、エンリル君によって出オチにもならなかったんだ。警察としては出血大サービスだと言ってもらいたい」


 鈍色の瞳が光っていた。ロキが例え万全の状態だったとしても、babironのCEOでもあり、嵐の神エンリルとの戦いは避けたいところだ。


「よけいなお世話だぜ。俺の逃げるスピードは光よりも速いのを忘れたか?」


 走る真似をしてみせるロキをオーディンが軽く笑う。


「フフ、そうだったかもしれないね。私としては、今君に過労死されるのは困るよ。この世界にどう適応するかの方が、観測しがいがあってね。昔とは違う事を教えてあげただけさ」


「よく言うぜ。昔は俺が過労死するまで、こき使ってたじゃねぇか」


 ハットを被りロキが肩を竦めてみせる。


「そうだったかな。自発的に首を突っ込んだ様にも見えたけど」


 今度はハットを胸に当て、ロキが弱々しく尻込み。


「いや、違うね旦那。ありゃ、空気を読んでいたんだ。ほら、俺ってイイ子だろ?」


 オーディンが首を軽く傾げる。


「どうだろう。でも君の働きは今も昔も変わらず、凄まじいね」

「そうだろう。今も昔も錆びついてないぜ」


 得意気に胸を張るロキ。


「錆びついてないかもしれないが、ギルガメッシュ君の仕事ぶりを話してあげよう。今後の参考にするといい」


 オーディンが老婆心を示す。


「彼は神々との戦争をする為に魔法使いを大勢集めて、起動型魔法の武器を大量に作らせていた。babironでは生活用の魔法道具の製造と販売、いわゆるプライベートブランドって奴を隠れ蓑にしてね」

「俺も隠れ家が欲しいぜ。今な」


 退屈そうにあくびをする。


「そうだね。君は犯罪を勲章にしている節があるようだけど、私達の追跡はかわしたいんじゃないかな。なら、どうする?」

「逃げて、隠れて、遊んで、バーン」


 指で作ったピストルを撃ち、ハットを被り、笑みを浮かべるロキ。


「君らしいね。でも、派手な遊びはし辛いよね。その点、彼は武器を横流し、資金を提供する事でヴァルハラを買収した」

「セレブ限定じゃねぇか」


「babironの施設、表と裏の経路(ルート)を最大限に利用し、麻薬等の禁制品も安全に売買もしていた。だから、神々の目を欺き、旧時代の神器を集められた。協力的じゃなかった一家族を闇に葬れた。権力さえあれば、厳しい規則も文章の羅列。堂々と遊ぶことができるんだよ」


 犯罪を取り締まる側、その長からの発言だ。

 一回転するロキ。上に投げたハットをキャッチしてみせた。


「旦那、俺はそんなもん無くったってな。たくさんエンジョイしてやるぜ。ベイベー」

「言っておくけど、君だってトール君の力を借りていたんだ。旧知の仲と権力は、イコールの関係だとは思わないかね」


 ロキがオーディンを指す。


「いや、それ以上だな。オーイ、俺と一緒に遊ぼうぜ~。イイヨー。で、済んじまうだろ」


 不敵な顔つきを見て柔和に微笑んだ。


「さてロキ君。babironの株価には興味が無いかもしれないけど。その後、ギルガメッシュ君がどうなったのかは興味があるかな?」

「旦那、寝ボケてたな。俺がドーンと花火にしてやっただろ。ええ、オイ」


 引っかけ問題に案の条引っかかった生徒を見るように、オーディンが優越感に浸る。


「残念。彼は死亡では無くて行方不明だよ」

「行方不明? 粉微塵になったんじゃねぇのか」


 爆発に手応えを感じていたロキにとって、オーディンの話しは信じられない。


「もし消滅なら、彼が世界中に張っていた、ウルクのネットワークも消滅している筈なんだけど。こちらで破壊するまでは機能していたからね。生存の可能性が高いよ」


 ロキが自分のおでこを軽く叩いてみせた。


「アチャー。こりゃ、時雨に怒られるぜ。ハハハハハ」

「彼は死んだも同然さ。世界中の神々に戦争を企てようとした事が明るみになったんだ。旧ヴァジュラや旧カラドボルグ等、大量にあった武器も押収した。なにより、表と裏の世界が行方を追っているからね。この先ナンバーワンを目指せる可能性は、粒子の大きさにも満たない」


 静かに陳腐なものと、可能性を容赦無く切り捨てた結論を出す。


「まぁ、私としては、旧時代の神器を押収する事ができたし、なによりbabironの機密情報が手に入ったからね。実りが多い事件だったよ」


 babironの利益は、ウルクによる作業効率化が大きく貢献していた。だが、破壊する以外に選択肢は無かった。企業の社会的責任上、犯罪者の力に頼るなど決して許されないだろう。今後は抜本的な事業改革が迫られる。


「俺は全然どうでもいい」


 満足そうにするオーディンにロキがヘソを曲げてしまう。


「ロキ君。それなら、マクスウェル家は気にならないかい?」


 顔を向ける。


「両親の治療は継続しているよ。私としても、魂と体が繋がらない原因は時間があったら調べてみたいからね」


 人道よりも、オーディン自身の興味関心の色が濃い。


「リザはどうしてんだ?」

「ああ、確か、確か、ピ、ピエド・ロシェ、だったかな。彼女は自分の勤めているレストランに戻っているよ」

「俺、あいつの作る飯食ってねぇんだよなぁ。旦那は食った?」


 鈍色の瞳が何気ない質問に一瞬だけ曇る。


「わりぃ、わりぃ、お前さんは食いモンよりも、本の方が主食だよな」


「君はプラスチック爆弾をよく使ってたけど、それよりも、おやつで食べるチョコチップクッキーの方がエネルギーの量が多いって知っているかな?」


「そっかぁ。リザはアリーに爆弾よりもヤバいのを食わせようとしていたのか。じゃあ、俺は爆発物処理班になるワケかい。ッハハハハハハ」


 ロキがエアで爆弾を解体して口に運んだら、頬をボンと膨らましてみせる。


「さて、ロキ君がお気に入りのアルベルト君についてだが、babironのインターンを修了して貰って、エドモンド高等学校に通ってもらっているよ」

「それって、魔法学校だっけ?」

「いや、偏差値が高めの普通高校だよ」


 頭を抱えるロキ。アルベルトが魔法学校じゃなくて、普通の高校に通っているのが信じられない。


「マジかよ。小人の家と間違えてんじゃねぇのか」

「私の見立てでは、魔法学校の裏口入学は薦められないね」


 ロキが足音を立てて執務机に迫り、オーディンの前にハットを叩きつける。


「しょっぺぇ答えだな、旦那。アリーの実力は物差しで測るもんじゃねぇぜ。魔法の創始者でもある、この俺のお墨付きだ」


 身を乗り出され、ツバをまき散らされても、オーディンは微動だにしなかった。


「ロキ君。誰にだって、合わない環境と言うものがあるんだよ。それに、独学だとしても、素晴らしい研究成果を残した学者も多い」

「ハッ、お前らが設定したハードルなんて、アリーはとっくに跳び越えているぜ」


「マクスウェルの悪魔」

 不意を突かれたロキ。その言葉は重たく、世界そのものと対峙する威迫に思わず黙ってしまう。


「マクスウェルの悪魔。通常、エネルギーを奪う魔法は生物属性に的を絞った魔法が多い。何故なら、自然の集合体である精霊や神にすら含まれているからね。痛手を与えるなら妥当な判断と言える。より高度を極めると、複数の属性を吸収する事も可能だが、制御は困難を極め、吸収できる量も減ってしまいがちになる」


 鈍色の瞳が興味津々に輝く。饒舌を超え、他者を寄せ付けない。わざわざロキを黙らせたのは、研究者等にありがちな独りよがりを聞かせる為。


「君は魔力の塊いや一つの銀河を見たんだ。呪文が自然に対する変化の要請では無く、本質的な姿を求めたのは正に必然。全ての属性を含んだ自然の流れを一か所に集め、神を自然へと還す為に、引き寄せる力を作っていたんだ。分かりやすく言えば、巨大な磁石と言ってもいい」


 魔術書を読んだと言うよりも、アルベルトが起動したマクスウェルの悪魔を、あたかも間近にした様だった。


「実に興味深い」


 探究心の絶頂から、立ち上がってしまう程の歓喜。


「失敗してしまったのは致し方ない。完璧に準備しても不測の事態はつきものだ。だが、一番の問題は、ロキ君。君だよ、君。フェンリルによる解決。ああ、台無しだ。例え正しかったとしても、余計な係数を入れるくらい美しくない」


 退屈だとロキは、普段気にしない爪の長さを気にしている。そんな不真面目な態度に、熱情冷めやらぬオーディンがおもいっきり机を叩いた。


「私は君が羨ましいんだよ。死者まで蘇らせたんだろう」


 問いかけにロキが笑みを浮かべる。


「いや、神にしただけさ」


「簡単に言うもんじゃない。ヨルムンガンドの再生能力と神性を真吹姉妹に分け与えた。だが、これだけでは死者を蘇らせられない。神々の盟約が阻んでいるからね。君は知ってか知らずか、フェンリルで盟約を一時的に破壊した。その上、媒介でもあり暗示でもある旧天叢雲剣を神代と俗世の物に分け、姉の時雨さんには神代を、妹の凛陽さんには俗世を融合させて神にした」


 マクスウェルの悪魔を語る時と同じくらい、オーディンは昂ぶっている。


「度し難い程の奇跡。復活したばかりにも関わらず君は、興味深い事象を二つも引き起こしたんだ。ああ、私は是非ともこの目で観察したかった。できる事なら、この手で実験してみたかったよ」


 熱弁を終え、我に返ったオーディンは激しく息を切らしてしまう。


「ここで死んだら、俺は旦那を二度殺した神になれるな」


 机のふちを支えに呼吸を整えた後、オーディンは「どっこいしょ」椅子に深々と腰かける。


「なぁ、旦那。ちと頼みがあるんだけどよぉ。聞いてくれるか?」

「聞くのは構わないけど、その先を期待しないでくれると、大いに助かる」


 ロキがハットとボール二つでジャグリングをし出す。


「時雨と凛陽にも、高校って奴に、通わせてやっちゃくれないか。ほら俺、給料未払いだし、ギルガメッシュを花火にできなかったし、良心がイテぇんだよ」


 ロキはしゃべったまま見事な手捌きでハットとボールをヒョイヒョイと宙に浮かしていく。


「彼女達なら、住む場所と通える高校を手続きしておいたよ。君よりも豊かな生活だ」

「旦那にしちゃ、ずいぶん仕事が早いんじゃねぇかぁ。オイ」


 オーディンが穏やかに微笑んだ。


「君は利用する為、私は観察する為、手許に置いといた方がなにかと都合が良いからね」

「ハハハハ、それは違うぜ旦那。アイツ等がニヴルヘイムをうろついていると、いつ俺の寝首をかきに来るか分からなくてなぁ。怖くて、怖くて、しょうがねぇんだよ」


 つかんだハットの中にちょうど良くボールが二つ入り。それを被ってみせるロキ。


「ところで、バルドルの奴は元気か? また俺が遊んでやってもいいんだぜ」


 笑みを浮かべる。純粋に楽し気で、怪しく気色悪い。

 鈍色の瞳が光る。


「同じネタじゃ、私の心は動かせないな」


 穏和な微笑みは消え失せ、憤慨と言うよりは無関心で、冷淡だ。


「心配しなくても、バルドル君なら刑事課の捜査官として精力的に働いてもらってるよ」


 なりを潜めた緊張感。オーディンはしゃくしゃくとした様子でロキに微笑みかける。


「旦那。いくら優秀な息子だからって、全部まかせっきりじゃねぇよな」

「よく分かったね。私よりも優秀だから世話になっているよ」


 ハットを被ったまま、ロキが黙って部屋を出て行こうとする。


「待て」

「んだよ、要介護者。今日の訪問は終わりだぜ」


 呼び止められたロキはメンドクサそうだ。

 静かに息を吐き出し、オーディンは優しく語りかける。


「また遊びに来るんだろう? 私は出入りを歓迎するけど、ヘマだけはするなよ」


 柔らかく光る鈍色の瞳。


「他の捜査官。特にバルドル君には注意した方がいい」


 オーディンの老婆心を笑い飛ばす。


「っふふはは、ああそうするよ。ヤドリギ製の爪楊枝を送るだけにしとくぜ」


 ロキがジョークを飛ばした直後ハットをキザに投げた。回転して飛ぶそれは、つかみ取ろうとする指先を掠め、弧を描きながら傍のハットスタンドにかかる。


 音も無く閉まった扉。部屋にはオーディンただ一人。


「ふわぁ、今度は静かすぎるね」


 帰る挨拶も無しに去った悪友がこれからどんな騒動を巻き起こすのか、瞳を閉じて思案を巡らせる。

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