第四章 最後に笑うのは(9)
倒れた時雨とロキ。
凛陽が命の炎を燃やして皆を守ったように、キャノン砲の限界を超えたビームから時雨が全力を尽くして守った。
見下ろすギルガメッシュ。神をも討ち滅ぼす力を全身に流し込まれても尚、暴君として君臨している。
満身創痍の中、倒さなければと、這い上がろうとする時雨。頭を容赦無く踏み潰されてしまい、身じろぎ一つできなくなってしまった。
「アルベルト」
静かな声で呼ばれたのに、アルベルトはすっかり怖気づき裏声で返事をしてしまう。
「今日は最悪だ。あんなゴミ共の為に神器が壊れた。大量の武器を無駄にした」
ワインボトルを現し、手でコルクを抜き、現したグラスに注いでいく。
「最悪ついでだ。この俺の投資が無駄だったか確かめてやろう。ボトル一本を空けるまでにマクスウェルの悪魔を完成させろ。その上で殺してやる」
香りをゆっくりと嗅ぎ、口にワインを流し込む。
アルベルトは失敗した魔法陣を見つめたまま。
作り直したところでまた失敗する。仮に成功させたところで、死亡するまでの時間を先延ばしにするだけ。ギルガメッシュを喜ばせるだけではないのか。魔法陣を見つめたまま、アルベルトは動かなかった。
「どうした?」
ボトルとグラスがするりと手から落っこち、割れる。
「ざ……けや………がって…………」
ギルガメッシュを襲う強烈な痺れ。怒りで顔を歪めながら吐血し、体中が燃え上がりそうなほど真っ赤に染まる。
「ヒーーーーーィヤァァァッ、ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハァッ。アーーッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
甲高い悲鳴にも似た狂気一色の笑い。
ロキのパンチがギルガメッシュの顔面にめり込んだ。
「泥の味はウマかっただろォッ」
ゲスな笑いと派手な動作でもう一発。だが、現れたヘルムによって防がれ「イッデェー」と大げさに痛がっているところを至近距離から散弾銃で撃たれてしまう。
「オイオイ、それってドゥーカのオモチャだろ? いいのかぁ。棺桶に入れる前に壊して」
吹っ飛んだロキ。限界以上に発揮した散弾の破壊力をまともに喰らい、身体は大きく抉れていた。
無数の矢となって撃ち出される雷。体を再生させたロキがひょいひょい避けて発射装置を現したギルガメッシュへと接近。
「言っただろ。ビリビリには友達で慣れてんだよ」
いつの間にか咥えたタバコを口から離し、煙の代わりに電撃を吐き出す。
「失礼、葉巻の愛好家に、おタバコは、お口に合いませんでしたかな」
しかめっ面に左腕から放った爆炎を浴びせ、治まった直後、吹き矢を撃つ。
「五分もしない内に二日酔いとは、こりゃ相当の下戸じゃね」
矢の毒により、ギルガメッシュは頭痛に襲われ、立っているのもやっと。
「なぁ、アリー。そろそろ、マクスウェルの悪魔をスタンばらせてもいいんじゃね」
「僕を戦力に数えないでください」
もう一度魔法陣を作り直す。ロキからの頼みをアルベルトが拒んだ。
「エッ、助けられるだけのヒロイン希望? もぉ~、これだから、男が草食系って言われちゃうのよぉ」
銃器型の魔法道具が放つ雷や炎、棘に水の弾幕をかわし、ロキがギルガメッシュにパンチを浴びせまくる。
黄色い魔法陣を展開しながら腕を振り下ろす。落雷がギルガメッシュを貫く。
「ロキさん。どうして、時雨さんと戦っていた時に、魔法を使わなかったんですか?」
ギルガメッシュを殴って蹴って好き放題する様子に、流されそうになってしまったが、ロキは出し惜しみをしていた。
だから、アルベルトは不信感をぶつけた。
「魔法を使ってないのはどっちだ? 俺の方がバーゲンセールじゃないかぁ」
深まる疑心暗鬼。
「姉さんに代役をさせましたよね。あれって、本当はオモシロそうだから、そそのかしてやらせたんでしょう?」
「リザか? 確かにオモシロそうだからフッてはみたけどさぁ。ありゃ、本人の希望、自己責任。もし断ったら、これを超えるオモシロ展開を考えていたからね。マジだよ。本気(マジ)」
助ける筈のリザに危険な役回りをさせた事をロキは全く悪びれようともしない。
「みんな命懸けなのに。どうせ、姉さんも、凛陽さんも、時雨さんも、ロキにとってはゲームの駒なんだ」
もし、出し惜しみせずに戦ってくれていたら。そんな苛立ちが爆発し、今にも泣き出しそうな声でアルベルトは叫んだ。
「僕達の事なんかどうでもいいんだ!!」
銃口とライトが向き合い。眩しい光を放つ。
這いつくばったロキがギルガメッシュの背後に現れ、吹き矢で腱を射抜く。
新たな毒による猛烈な吐き気によって、格好にこだわる暴君が吐しゃ物を撒き散らす。爆風がまとめて消し飛ばした。
「っハッハぁぁ。そうかもなぁ。なら、時雨と凛陽をゲロ皇帝から助ける為に、マクスウェルの悪魔を成功させるってのはどうだ?」
絶句するアルベルト。凛陽と時雨は神としての再生能力を使い切り、もう助からない。
「お前の眼は節穴か。女の子のオシャレに気付かないだけじゃなくて、自然の流れにまで気付かないなんてよぉ。モグリだぜ」
騙されたつもりで視る。辺りを自然の流れが充満し、特に雷と炎が視界を攪乱(かくらん)してくる無秩序の中。
微かに息づく火が視える。はしゃぎ回るだけの爆炎と違い、勇猛で一際輝く生命の色。戦いで散った筈の凛陽からだ。
水を超える澄み切った青。静かに凍てつかせる殺意と湧き出す優しい流れ。今も淀まず時雨の中で混ざり合っている。
「アリーに助けられたと知ったら、二人の美少女はチューくらいしてくれるかもなぁ。させたってバチが当たらねぇ筈だ。それでも気が乗らないかぁ?」
言ったロキから盛大に噴き出す鼻血。
「ありえねぇ。千人切り以上もした、このオレ様が、あんなガキに興奮しちまったのか。マズイぞぉ、ロリコンの濡れ衣で透ちゃんに追っかけられるのはカンベンだ、ズェェェェェェェェェッッ」
赤い吐しゃ物。鼻だけじゃない、目や耳。体中の穴と言う穴からも血が噴き出している。
やせ我慢していたロキ。ギルガメッシュは弱ってこそいるが、与えられた苦痛を反射する能力は健在。殴ったら殴った分だけの痛み。与えた電撃や爆炎による負傷。吹き矢とワインに仕込んだ色とりどりの猛毒が襲いかかっていた。
ロキは痛みに大袈裟な反応をよく示す。だけど、アルベルトに裏切られて体を散々魔法道具で食い破られたにも関わらず、平気な顔して迫ってきた。弱いのに痛みを内側に押し込んで、表に出さず耐え抜こうとする強さがある。
傍にいたから分かっていた。オモシロさを第一にして手段を選ばない。なのに、交わした約束を守ろうとする。いつだってロキは真剣に遊んでいるのだ。
アルベルトが抱いた負の感情。マクスウェルの悪魔を作り直したくないだけの言い訳。期待を裏切り、失敗を恐れる弱さ。本当に命懸けじゃないのは誰なのか。
「ロキさん、僕やりますよ」
アルベルトがロキに向かって大見得を切ってみせる。
「貴方のショーが霞むくらい、ド派手な魔法を見せてあげますよ」
床に新しい紙を広げ、もう一度マクスウェルの悪魔を作る。
「そりゃいい。爪痕だけじゃなくて、喰っちまうくらい凶暴なのを頼むぜ」
ロキがワクワクした様子で浮遊する六本の槍が繰り出す攻撃をかわし、小石の代わりに小銭を指で弾いて反撃していく。
「俺はbabironの魔法使いから使わなくなった腕を貰って、ようやく魔法ができるようになった。けどな、借り物じゃねぇ、本物の魔法使いが羨ましくてしょうがないんだ」
六本の護衛の隙間を鋭い風が吹き抜けギルガメッシュの首を切り裂く。
緑色の魔法陣を現し、同じ傷を負いながらも笑っているロキ。
「なんたって、勝手に鼻くそをほじるからなぁ」
左の中指で鼻をほじり、出てきた大ものを弾いた。
「まっ、一番の理由は、俺よりド派手な魔法で遊べるって事だな」
右手には、投げたら風の刃を纏って戻って来るアルベルトに作らせた魔法道具の定規が握られている。
「だから」
動きの鈍ったギルガメッシュに迫るロキ。煙幕で姿を消す。
「グハァッ」
二人に増えたロキが三本ずつに分かれた槍に貫かれる。今度はうねる風が槍を全て吹き飛ばし、残像を消した。
「俺の分まで楽しんでくれ。未来のワイズマン」
ギルガメッシュの正面で光る緑色の魔法陣。
ロキが素早い身のこなしで残像を生み出し、陸(ろく)槍(そう)の狙いを集中させる。セキュリティを騙せるのだから、魔法道具を騙すのもわけない。そこにボーラを二つ投げる。ワイヤーが三本ずつに分散した槍に絡み付き、錘で束ねる効果を高め、後は勢いで吹っ飛ばしたのだ。
「はい」
活躍こそ見てないものの声は届いていた。魔法を使いたくても使えず心底憧れているロキの為にも、アルベルトはがんばろうと意気込んだ。
「ヒィヤァッホウ」
頼もしい返事にテンションを上げたロキが大きい玉の付いた指輪をはめてギルガメッシュの顔面をブン殴る。
「ライトニング・スピア」
立っていられない劇臭の中、すかさずスタンガンを突き付ける。
消えた。突然、跡形も無く。押し潰してくる殺気さえ感じられない。
主がいなくなっても忠実な陸槍は、標的を取り囲んで一斉に突く。穂先を引き付けるだけ引き付けバク宙するロキ。伸ばした手から赤い魔法陣を現し爆炎を放つ。
爆炎をかき消す強大な土の刃。闇に染まった剣閃が六本の槍を蹴散らし、執拗なほどロキを襲う。
「ッデ、ッデェー。病み上がりが、またゲロ吐いても知らないぞぉー」
「テメェには関係ねぇ」
ギルガメッシュになぶり殺されるロキ。突然現れては消える暴君に触れる事すらできていない。トールや時雨の速さですら目で追えたが、床を蹴った素振りは無く、どこを移動しているのか、その影すら捉えられない。
速すぎるのでなければ、殺気を消して死角に回り込んだのか。姿を消してから現れるまでの間、確かに圧倒的な殺気も途切れている。今まで消すどころか剥き出しにして、戦う相手に圧倒的な力の差を誇示してきたのに。
魔法か。魔法道具か。だが、使えば自然の流れも変わる。使っているとして、自然の流れが視えない事こそ、正に不自然。
斬られまくって立ち上がれないロキの体が現れたマシンガンによって文字通り蜂の巣になった。使った数は十丁、撃った弾丸の数は千。その全てが限界を超えた威力だ。
「ヘッヘッヘ、スタイリッシュでハイソなオモチャでしか遊ばねぇのに、グフッ。そんなゴツゴツした野暮ったいモノで遊ぶなんて。らしくねぇな。ペッ。ヘヘヘ」
弾丸を吐き出し、ふてぶてしく笑ってみせる。
「ただの在庫処分だ」
それを聞いたロキがますます笑う。最高のジョークでも浮かんだのか、とても楽しそうだ。
「まるで、人間にも神にもなれない、怪物と遊んでいるみたいだ」
汚泥の如き粘りつく生理的嫌悪。全てが滑稽だと言い放つ醜く歪み切った怪物らしい笑顔。
「テメェで遊んでやるよ」
怒りを湛えた声。姿が音も無く消える。
瞬く間も無く不意に現れ、強烈な斬撃がロキを天井へと吹っ飛ばし。一気に床へと叩きつける。
腕を掲げ不敵に笑うロキ。衝撃で体が弾む中。その手にはグリップ状のリモコンが。
ポチッ。
突然起こった爆発。放り出されたギルガメッシュに宙で身を翻したロキの裏拳が炸裂。
倒れたギルガメッシュは既に消えていた。
ロキがスイッチでもあり、十二個の目盛りの付いたダイヤルを回し、ポチリ。
現れる一閃を貰ってしまう。激痛を笑いながらスイッチは押す。死角から襲ってくる二撃目は読んでいたから屈んでやり過ごせた。
正面から飛んでくる超速の銃弾をまともに浴びてしまう。押したと同時に飛んできた二発目は華麗に身を反らして帳消しにする。
「ハハハハ、怖いか? この俺が」
ロキが握ったリモコンで自分を指し、そのままピッ。挑発に乗り、爆炎に包まれても襲ってくるギルガメッシュに強烈なアッパーカット。
時間を極限まで切り詰めた剣閃に襲われる中、ロキが軽快なダンスを披露。挑発的な動きと今を楽しむキレッキレな躍動感に溢れている。
パチッ、パチッ、パチッ。スイッチを押す度に決めていくポーズは、無駄にカッコつけていてファニーだ。
カチッ、カチッ。現れては消える。
ダイヤルを一に合わせ。
ポチッ。
派手な爆発と一緒に憤怒したギルガメッシュが現れる。背後から殺(と)りにくる本命を、待っていたロキが回し蹴りで撃墜する。
「ウ~ン。アイム、ナンバーワン」
ギルガメッシュを尻目に、ロキが天に向かって中指を立てる。
「俺がッ、ナンバーワンだ!!」
激昂のギルガメッシュ。ロキを刎ねようと腕を超速で振るい、剣を現そうとした瞬間。
ピッ。
スイッチを押したと同時に剣が消え、空を切る腕。何が起こったのか分からないギルガメッシュの顔面に、ロキが銃口を突きつける。
手の平に収まる古めかしい拳銃デリンジャーが眉間の深いシワを撃ち抜く。
すかさずロキがギルガメッシュに見よう見まねのアームロックをかける。
「エンキドゥ君にも、この技をかけてやったんだぜ。オ・ソ・ロ~イ」
「この落とし前。絶対、支払わせてやる!!」
ギルガメッシュが現す剣やリボルバー、魔法道具や神器。それは、彼専用の保管場所『ウルク』から取り出すものを選び瞬間移動させている。
閉鎖できる空間にならギルガメッシュはウルクを創る事ができる。babironのオフィスや倉庫施設、隠し部屋、厨房、ショーケース、机の引き出し等、大小を問わず。創れる数にも上限は無い。
「そりゃ、言いがかりじゃないですかねぇ。事故ですよ。事故。あんなに火薬が置いてあるんですから、たまたま引火したんじゃありませんか」
現れる直前で消えたカラドボルグ。以降現れなくなった神器。ロキがタイミングを見計らって、地下三百メートルにある武器庫(ウルク)を遠隔で起爆したからだ。
ウルクを創る際、楔形文字を描いた魔法陣が生じる。それは、一部でも壊れたら機能しなくなる。
エンキドゥを倒した直後、トールに追いかけられたロキは激しい攻撃を頑丈極まる武器庫の破壊に利用。倒されて捕まった後、製品試験場に向かった隙に、壊れた床から露出した陣の一部に爆弾を集中して仕掛けた。
「ヘッヘッヘッ。しっかし、俺からの快気祝い。パイナップルと羊羹を、美味しく味わってくれてなによりっすよぉ。特に羊羹は、お友達のホッペが爆発する程、評判が良かったですからなぁ。ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
ロキが最高に楽しそうな笑い声を上げる。
ギルガメッシュはウルクに瞬間移動ができる。ロキと偽神器の取り引きをしていた港からエンキドゥのいる応接室まで一瞬だった。炎の壁を一切触れずにアルベルトと時雨を連れ去れたのは、いったん別のウルクに飛んで、現れる場所を調整して元いたウルクへ飛んだからだ。
各地のbabironにあるギルガメッシュの隠し武器庫にも、清掃員等に変装したロキが密かに爆弾を仕掛けておいた。
ギルガメッシュは爆散したエンキドゥを確認した後、ロキを殺す為に瞬間移動を惜しみなく使った。
助けに現れた時雨は、殺気が途切れて重くなる刹那をいち早く感知し、達人的な反撃で対応していた。だが、武器を現し移動に使用するウルクも、攻撃のタイミングさえも、ロキはカンで起爆していた。
「ぁああッ。お前、なんちゅうバカ力。透ちゃんかよッ。メンド臭ぇにも、程がッあッ」
「当然だ。だからナンバーワン。テメェのセコイ作戦なんざァッ、ボツ案同様、引き裂いてやる」
ロキが青筋を立てて死にもの狂いで技をかけるも、ギルガメッシュの圧倒的な速さ、薙ぎ倒す力は本物。気を抜いたら形勢逆転待った無しだ。
「あ・リー、ア、リー。で…………できたぁ?」
今にも倒れそうな弱々しい声でロキが呼ぶと、アルベルトが静かに立ち上がる。
緊張した様子は無く、むしろ落ち着き払っているくらい。
「今から魔法を起動します。逃げて下さい」
真理を垣間見た畏れ。
「逃げる? 喰っちまうくらい凶暴なんだろ。口臭がフローラルなら、問題ナッシングだ」
キツくても軽口を叩き、ロキの力がますます入る。
目を閉じ、深々と息を吸い込むアルベルト。新たなマクスウェルの悪魔に心の一切を注ぎ込む。
「炎が礎を築き、水が循環をもたらし、風が彩る筆となり、土が繁栄を約束する」
浮かぶ呪文を紡ぎ、魔法陣に命を吹き込んでいく。
「雷が力を振りかざし、氷が悠久を刻む。闇が静寂を司る時、光が始まりを照らす」
周囲にある自然の流れを、変えるのではなく呼びかける。
「生命こそ奇跡」
アルベルト自身の魔力を自然へと還す。
「理を創りしは神。否、汝もまた理の一片にすぎない。神よ、自然に帰れ」
魔法使いが、人間が、神を否定する。
「マクスウェルの悪魔を起動する」
この魔法の特性は、辺りにある全ての属性の自然の流れを一箇所に集める。アルベルトの先祖は何故、神に匹敵する存在である悪魔と名付けたのだろうか。
神が滅び、復活するまでの狭間の時代。学者だった先祖は世界を数式と理論だけで記述しようとしていた。だが、導き出した解は、どれも納得いくものではなかった。
そんなある日、信仰から天啓を得た。神の存在だ。本来なら狂気の沙汰とも言える行為だったが、数式化した個々の自然現象に加えていくと、かつて世界が美しく豊かであったと言う解に達する。
神。かつて世界を創造し、様々な権能を司る超越者。概念と化しても尚、その力は滅びることなく、世界を維持し続けた自然の集合体。
一筋縄でいかない研究の助けになったのは、旧神々の時代にプロメテウスが自然の特性や人間と神の違いを書いた資料。その写本だ。
先祖は人間も神の如く自然を操作できる可能性、魔法の存在を見出した。
魔法は自然を扱う。神が自然の集合体ならば、その無限大とも言える力を人間にも利用する事はできないだろうか。探究の対象から鉱脈へと貶める冒涜を超えた蹂躙。アルベルトにはとても畏れ多い。
マクスウェルの悪魔には何故、悪魔と言う名を冠しているのだろうか。技に悪魔の名を冠する凛陽に聞いた。彼女曰く、草薙剣に言わされていた。でも悪魔には神への敵対者としての意味が含まれる。神を殺すからそう名付けたんじゃないかと、ぶっきらぼうに語ってくれた。
敵対する存在になら、既になった。アルベルトもまた神に逆らったのだから、弓を引く悪魔を召喚できる筈だ。
魔法陣に、神が持っている力を場に還せと定義した。
空間中にある自然の流れを、魔法陣に引き寄せ一カ所に集約した。ギルガメッシュから野望に燃える金色の力を喰らい。ロキから狂気に染まった黒を飲み込んだ。
色とりどりに輝く濃密な力が巨大な渦を巻く。
アルベルトは息を飲んだ。初めて見るのに分かる。細胞レベルにまで刻み付けられた原初の光景。自身の存在がいかにちっぽけか分かる、恐るべきも懐かしき光景。
魔法陣から虹色の光彩が失われる。
引き寄せる力を失い、集約した無数の力がそれぞれ元の在り方へと戻り、空間中に拡散していってしまう。
瞬く間に神秘的な輝きは失われ、灰色の現実に引き戻されてしまった。
「この俺が、こんな不良品に、投資したと言うのか」
蔑まれるアルベルト。押し潰してくる殺意。
確かにマクスウェルの悪魔は姿を現した。だけど、ギルガメッシュから奪った力はせいぜい甘噛み程度、かえって怒らせるだけだった。
「害虫」
アームロックを解かれ無様に倒れていたロキが、呼ばれたのに気付く。
「魔法使いは友達だったよな。なら、友達の最期でも看取ってみるか」
見せしめにしてやる。勝ち誇った暴君の横顔。
「よしとくれ、よしとくれ。俺、あんなショボくれたツマンねぇ奴、初めて見るぜ」
露骨に目を泳がせるロキ。激しく手を振って他人を装い、アルベルトを突き放す。
「………え……………」
振りかざされる腕、現れた剣がアルベルトを斬る。
静止した剣。肉体的な苦痛は無い。ただ、ぽっかりと穴が空いたまま。
「アルベルト……生きて………………」
伝えた時雨。冴え渡る美しさは雪解け、風で散る花の如く倒れてしまう。
「ッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ。役立たずのゴミを拾うバカがいるとはな、傑作だ。ッハッッハッッハッハッハッハッハッハ」
ギルガメッシュの大笑いが響き渡る。確かに痺れて動きを止めていた。立ち上がるのがやっとの状態で天叢雲剣をむりやり振るったのだから、ほんの一瞬が限界だった。
約束を破られた。マクスウェルの悪魔を二度も失敗してしまった。今まで費やした研究は全て無駄だった。それよりも、師匠でもあり、悪友でもあり、兄とも呼べる、一言では言い表せない大事な存在から飽きられてしまった。
絶望。
刃が閃く。アルベルトは目を閉じ、このままギルガメッシュに殺される事を選んだ。
「フェンリル!! マクスウェルの悪魔を完成させろ」
ロキの舌にある痕。牙を剥き出しにした獣の口が毒々しい光を放つ。
獣の咆哮。全身からガスの様に怪しい闘気が噴き出し、辺りを一気に暗黒で染める。
あまりの不意打ちに、止めてしまった剣。警戒するも、ただのこけおどしと決めつけ、ギルガメッシュは処刑を再開する。
狼が駆ける。宵闇よりも深く人間よりも大きな体躯が不吉な唸り声と一緒に背後から飛びかかる。大顎を開けて剣を噛み砕き、アルベルトを丸呑みにした。
晴れる暗闇。
気が付いたアルベルト。まだ朦朧とする中、強く呼びかける声が、ほんの少し懐かしい。心配そうに覗きこまれるのが、なんだか気恥ずかしい。会いたいような、会いたくないような。
「ウワァァッッ」
「アル、大丈夫か?」
情けない悲鳴を上げて腰を抜かしたアルベルトに、リザが文句の一つも言わず、手を差し伸べて力強く引っ張り上げる。
「姉さん。どうして、ここに?」
幻ではない手の温もりに、安心してしまう。
「さぁね。よく分からないけど、アイツが呼んだんじゃないかな」
凶暴を絵に描いた様な狼が、凄まじい連射で撃ってくる強烈な銃弾からの盾となる。やがて退屈そうに巨体を寝そべらせ、あくびまでかく。
宵闇の毛に掠るだけで銃弾は消滅する。狼の姿をした自然の流れそのもの。禍々しい闇色をした不条理の塊。
「ハハハハ、姉弟、感動のごた~いめ~んってわけだ。三度目でも泣けるねぇ。グシシッ」
なれなれしく声をかけてくる。大きすぎる存在感に隠れてしまっていたロキだ。アルベルトは出かかった憤りを、どうにか抑え込んで警戒する。
「そう怒んなよ。さっきのは、押すなよって言ったら、本当に押してくれなかったんだよ。ダメ出しすんなら、笑いを分かっちゃいない王様にするんだな」
助けてはくれたが、本当にそうだろうかと、ふてくされるアルベルト。その様子がオモシロイから、ロキはとりなす筈が笑いを押し殺せずにいる。
「まぁ、っひひ。フクザツなお年頃の、チェリーのハートを鷲づかみにする方法なら、ハハ、心得てるつもりだ。なんたって、ッヘヘヘヘヘ、俺の左腕が、今日イチで疼いているからな」
両腕を高々と上げた瞬間、周囲が燃え上がり明るくなる。
逆光に浮かんだロキ。見せびらかす様に左手には魔法陣の紙、右手にはクロスのネックレスを提げている。
「僕の魔法陣」
驚いた声。
すぐ開けたワイシャツの襟元を確かめるリザ。身に付けていた筈のネックレスがいつの間にか盗られてしまった事に気づく。
「オイそれを返せ。アンタのオモチャにはなんねぇだろ」
手を伸ばし、アルベルトよりも食ってかかるリザに、ロキは困惑を装いすくめてみせる。
「俺が聞きてぇよ。オーダーしたら、アリーと一緒にお前さんまで寄こしてきたんだ。けど、フェンリルがサービス残業をしてんだぜ。なにか、特別な、意味があるはずなんだよなぁ」
突進と同時に襲いかかる光の剣、出力の限界を極め天井にまで達したそれを逞しい前足が叩き折り。繰り出してきた二振り目は、狼が巨体を瞬時に翻し闇を蓄えた尻尾で打ち破る。
狼の名はフェンリル。ロキのでまかせを担保し、理さえも引きちぎってしまう切り札。
使えるのは三度まで。初めて時雨に会った時、死んだ凛陽を蘇らせたのに一度。マクスウェルの悪魔の完成を命じたのに一度。だけど、ロキの舌にある模様は、きれいさっぱり無くなってしまった。
遡り。時雨が天叢雲剣でギルガメッシュを撃退した時。攻撃の余波によってロキの封印は壊れたが、魂は解放されること無く、消滅しようとしていた。最初のフェンリルは窮地を脱する為に使用したのだ。
凛陽を蘇らせ、天叢雲剣から草薙剣を分離し、時雨と一緒に神の力を与えた。アルベルトを助け、この場にいなかったリザを召喚したフェンリル。万能のように見えるが、あくまでロキの言った事象を強引に実現しようとしただけ。マクスウェルの悪魔の完成に必要だろう部品を揃え、時間を稼ぐだけで、創る工程を丸投げしてしまった。
手持ちぶたさなロキがリザのネックレスを振ったり、突っついたりして弄ぶ。クロスの真ん中にはまった石は変わらず、赤、緑、青と色を巡らせ、柔らかい光りを放ち続けている。
拳を握るのをやめ、リザは躊躇いがちに口を開く。
「実は、それ。地下室からパクったんだ」
告白に、アルベルトは何も言う事ができなかった。
「私だけ、魔法ができないだろ。ガキの頃よく、本当の親は誰だろうとか。なにか秘密が無いか漁ってたら、見つけたんだ」
辛い胸の内を語りながら、リザはアルベルトに向かって頭を下げる。
「ごめんな、アル。大事な魔法のピースかもしれないんだろ。それを、家への腹いせに使えると思った、バカな私のせいで」
激しい攻撃でうるさくても、涙ぐんだ声が聴こえてくる。
糾弾するところだった。命がかかった重大な局面で、図らずも邪魔してくれたリザを。だけど、ずっと魔に魅入られ、苦しみを見ようともしなかった報い。喉まで出かかった辛辣な言葉を、アルベルトは呑み込んだ。
「……いいよ。姉さんが、無事なら」
面を食らったリザに、優しく笑いかけるアルベルト。
まだ、ぎこちないかもしれない。でも、できるだけ、感謝を伝えたかった。
フェンリルが勢いよく吠える。全てを押し潰そうと迫ってくる超巨大岩石を跡形も無く粉砕した。
自然の流れが消える。禍々しい闇色をした巨大な狼は不条理極まりない存在らしく、なんの前触れもない。
「よぉ、皿に燭台まで付いてきて良かったなぁ」
肩越しに笑いかけるロキ。伸ばした左手には魔法陣。ギルガメッシュに向けた中指にはネックレスが。
アルベルトの青ざめた顔。自然の流れが視えなくても、リザにだってやらんとしていることが分かる。
「舞台を降りる前にギャラを頂くとするぜ」
腕から湧き立つ黒く怪しいモヤ。ロキから発する自然の流れが魔法使いの操る魔力の如く振る舞い、描いた九芒星を色で満たしていく。
魔法陣の中心に重ねたクロス。淡い三色の光を発していた輝石が純粋なまでに鮮烈な光を放つ。
アルベルトは立ち尽くしていた。
「こいつは俺の悪魔だ。アリーはアリーで一から作り直せよ」
イタズラっぽく笑いかけたロキ。
鮮烈な光と禍々しい闇が合わさった巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「俺と遊べ。マクスウェルの悪魔」
白き幻の中に猛る黒き力。不条理から生まれし、凶暴な狼の頭となって顕現。
問答無用の咆哮は暴君をも震撼させ、襲いかかる光が全てを喰らい尽くす。
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