第四章 最後に笑うのは(1)
二十時。babironシュメール区画支店三十階。薄暗い解析室にある、整然と並んだ真っ平らなコンソールの間を歩いていくと、待ちわびたかのように自動ドアが開く。
踏み入れると急に視界が眩しくなり、押し潰してくる圧迫感に襲われる。
無機質な灰色を基調とした天井や床。空間が広大過ぎて、全景を見渡す事ができない。
製品試験場。新規開発した魔法道具や通販で取り扱う予定の商品。仕様書通りの性能なのかを検証し、安全性を確認する為の場所。
「ノロマ。よく、ここまで来れたな。褒めてやるぞ」
皮肉気で威圧的な声に、つい伏し目がちになってしまう時雨。
鮮血の髪、野性味の中に気品のある端正な顔立ち。ユリの紋章と茨模様を精緻に織り交ぜ、自身の強さを誇示し皇威を放つ漆黒の衣装。
ギルガメッシュだ。
その後ろには、飛ばされた凛陽とアルベルトが、天井から伸びた鎖に体中をグルグル巻きに拘束された上で吊るされている。抵抗どころか、声の一つも上げようとしないのは、意識を失っているからだ。
「オイ、白フード。テメェは誰だ? 招待した覚えは無いぞ」
空間と同化した白いコートに身を包んで、フードを深く被って素顔を隠した、時雨に付き添う様に立っている存在。
「嫌だなぁ。俺だよ俺。ロキだよ。初心に帰ったのさ。ほら、こう見えてもシャイボーイだから、初めて会った時はこんな風に顔を隠してただろ。忘れちまったのかい?」
手を広げる身振りをしながら、そう言った。
「意味不明だな。ここは関係者以外立ち入り禁止だ。五秒以内に顔を出せ。できなかったら一番最初に処分するぞ」
殺意によるカウントダウンに、慌てた様子でフードを取る。そこから、銀髪と赤い瞳、困った様子の笑みが現れ。指を振ってみせる。
「チッチッチ、ほんッと。冗談の通じない奴だな。そんなんじゃ、女の子にはモテないぜ」
「リザはどうした?」
家族を人質に取っているにも関わらず、リザの姿が無い事に目が行く。
ロキがコートのポケットに両手を突っ込んだ。
「どうした? 見て分からないのかよ。休みだよ休み。体調不良。人間なんだし、よくある話しだろ。診断書はまだ貰っちゃいないが、お前の死亡診断書よりは遅いかもしれねぇ」
無視してギルガメッシュが、どこからともなくスマートフォンを取り出し、画面を見ずに発信したと思ったらすぐ切る。ワン切りをした。
「たった今、俺の優秀な部下がリザの両親を処分する」
報せに、時雨が小さな悲鳴を上げる。
「処分? オイオイ、あんな死に体。今さらどうしようってんだい?」
ポケットから両手を出して身を乗り出す。
「簡単だ。銃殺してから家を燃やす」
「ずいぶん派手な葬式をしてくれるんだな。babironが、そこまで事業を拡大してるなんて初耳だ。物流なんてやめて、いっそ葬ぎ――――――」
時雨が、聞くに堪えられないとロキの背中を叩いた。
「なにすんだよ」
訴えかける時雨。
その瞳は潤んでしまい、黙ったまま首を横に振る。
「分かったよ」
ロキが投げ出す手つきで折れてみせた。
「さて害虫。始める前に、マクスウェルの悪魔を渡してもらうぞ」
「ハイハイ、プラチナチケットですね~」
催促してきたから、ロキはコートのポケットに手を突っ込んで、ご所望の品を探っていく。
「聞きたい事があるんだけど、会場限定グッズはどこかな? 時雨って書いたTシャツ、横断幕にうちわ。後、七色に光るライトサーベルに、熱中症対策のドリンクとかなぁ~い?」
胸ポケットから、折り畳んだ紙飛行機を取り出すと、よく翼を広げ、その先端を上向きに微調整した後。ギルガメッシュ目がけテイクオフ。
「まさか、俺しかお客がいないのに、売り切れちゃいないよな? まぁいいや。それより、プログラム内容はどうなってる? 開始したら終わるまで休憩は無しか? トイレ休憩くらい欲しいなぁ。漏れちまう。後、アンコールの時は、アンコールって言った方がいいかな?」
真っ直ぐ飛んできた紙飛行機をギルガメッシュがつかみ取る。紙を広げたら、紅い魔法陣が描かれている。
透かしてみると、魔法陣からは色とりどりの魔力がきらめき、溢れ出している。
訝るように唸ってから、紙を消してみせた。
「いいだろう。約束通り、最後まで見学する事を許してやろう。感謝しろよな」
「あざーす」
ロキの舐めきった礼には気にもとめず、ギルガメッシュが一歩迫る。
「どうした、来いよ。ナンバーワンの俺とノロマの一騎打ちだ。ドゥーカもいねぇ。テメェがこの俺を殺せば、全てが終わる。こんなビッグチャンスを逃すほど、テメェもバカじゃねぇだろ」
歩き出す時雨。その足取りには迫るものがある。
「………………私が………………………………終わらせる………………………」
倒すべき敵から目を伏せ。しんしんと為すべき事を呟き、自身に言い聞かす。
捉えていた漆黒が消失。
既に察知していた。斜め前から迫ってくる。時雨は決して忘れない。押し潰してくる威圧感を、まき散らしてくる不快な死を。
腰だめに天叢雲剣を現し、柄を握り、鯉口に手を添え。速やかな居合抜きで敵の心臓を斬り裂く。後は十回でも、百回でも、千回でも、反射による激痛が伴ってきたとしても、再生できなくなるまで攻撃。
する筈だった。
鞘から刀身が現れる事は無く、居合抜きの体勢のまま動けない。禍々しい漆黒を纏う血に塗れた死神の顔を、間近にしただけで時雨は決定を覆してしまったのだ。
ギルガメッシュの姿を見失う。
背後に不快な死が、振り向く頃にはもう遅く、いない。左、右、再び背中。感知できたところで、恐怖に圧されてしまった以上、目にもとまらぬ速度に翻弄されてしまうだけ。
背中を蹴飛ばされた時雨は無様に床を這う。その様を、蹴った張本人であるギルガメッシュがつまらなさそうに見下す。
「まるで、話しにならねぇ」
捨て台詞と共に歩き出す。向かう先は鎖に吊るされた凛陽へ。
「こんな時の為にとっておいた、ヤキトリに価値を発揮してもらおうか」
スマートフォンからアプリを起動。鎖の銀色が魔法で珊瑚色に染まる。意識の無い凛陽の肌に、鎖と同様の色の呪文が浮かび上がり、それが全身に行き渡る。
「っぐッ、キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」
最低な起床。全身の肉を切り刻まれ、そこから強酸を流し込まれ、内側を犯していく様な苦痛。眠れるわけがない。
「ギルガメッシュゥゥゥゥゥ」
歯を食いしばりながら、痛みに屈さず叫んでも、凛陽はまるで相手にされない。更なる怒りを注ぎ込んで自我を保とうとする中、姉時雨の姿を見る。
心痛に苦しみ、今にも泣き出しそうな姿を。
「ハアアッァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ」
真っ赤に燃え上がる凛陽の体。呪文による浸食を退け、鎖を溶かし切る。
闘志を剥き出しにした髪は炎の如く、まが玉状の小さな角をちょこんと生やし。袖口の開いた真っ白な服の胸元には、可愛らしいピンクのリボン。腰には銀色のベルトと下げ緒代わりのチェーン。スカートは左右非対称、赤地に黒い悪魔の横顔をした刺繍が。
凛陽が覚醒状態になり、猛火を纏って降り立った。
「……テメェ」
かったるそうにため息。ギルガメッシュは白けた様子で睨みつけてくる。
石火の勢いで飛び出す凛陽。おもいっきり仇敵を無視して横切り、一直線に時雨の胸へ飛び込んだ。
「ぁあ~~~、お姉ちゃん。うん、夢じゃない、お姉ちゃんだぁ~。ねぇねぇ、からだ鍛えたでしょ、筋肉付いてる~。クンクン、あっ、お風呂入ってない。ダメだよ、ちゃんと入らなきゃ。って、マンホール暮らしのアタシの方がヤバいか」
抱きついたまま、とろけた声まで出して、甘えに甘えまくる凛陽。既に纏った炎は消えているので熱くはないが、時雨は倒れないようにするだけ。
「お姉ちゃん無事みたいだけど、本当に無事? あの野蛮人に、いかがわしい事とかされてない? 小さい事でもいいから絶対言ってよね。小さくないから。絶対十万倍にして、ブッ殺しておくから」
心配そうに凛陽が見上げてくる。死の脅威が未だ存在する中、状況とそぐわない行動をする事に疑問。それ以上に多くの血に塗れ、屍を踏んできた存在に鳥肌が立ってしまう。それ以上に生きて再会できた事に、また奥底がざわめく。
時雨は空いた両腕をぎこちなく動かし、妹を抱きしめようとしたら、熱い温もりと力強い感触がふっと消え去ってしまう。
「ごめんね。それよりも今は、あのクソヤローを片づけなくちゃ」
離れた凛陽。草薙剣の切っ先をギルガメッシュに向け、静かに闘志を燃やしている。
「いいのか? どうせ最後だ。この俺が特別に、満足するまで待ってやってもいいんだぞ」
葉巻をくゆらせながら言った。
「ご心配なく。アンタをサクッて片づけたら、いっぱいいっぱい、お姉ちゃんからご褒美もらうもんね~」
「ぉう、頼りにしてるぜ」
「ロキ、いたんだ」
ぞんざいな扱いに肩を軽くすくめる。
「いたさ。三日前からね」
「あっそ」
葉巻を捨て、ギルガメッシュが悠然と両腕を広げる。かったるそうなため息と共に、空間が横一列に歪んだ。
歪みの向こう側から覗き込んでくる真っ赤な光。真黒く重厚な装甲に包まれた巨体が、重量感ある軍靴と共に激震を起こして前進。
「オイオイ、なんだ、あのバカデカいのは」
有人兵器サイクロプスが十体。立ちはだかるようにして整列。いつのまにか、陰に入りきらない数のbabironの警備部隊が後衛に。
「今さらそんなザコ。アタシの相手になると思ってんの? バーカ」
凛陽の挑発にギルガメッシュが口元を歪ませる。
「オイ、テメェら!! あんなのに、デカい面されて悔しくねぇのか? ヤキトリを処分できたら、特別ボーナスにポストをやるぞ。この俺も戦ってやろう。人生楽したきゃ、今戦え!!」
かったるさの微塵も欠片も無い猛烈な檄。それを受けたギルガメッシュの部下達は、雄々しく声を張り上げる。
これから流れ出すであろう大量の血。考えてしまっただけで時雨は不快になってしまい、身の毛がよだつ。
「大丈夫。アタシお姉ちゃんがいて、今無敵だから」
時雨に笑いかける凛陽。太陽みたいに輝いていた。
「……凛陽」
戦場へ飛び出した妹。か細い声じゃ、もう届かない。
天叢雲剣をしっかり握り、時雨は目を背けたくなる惨劇を直視する。
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