第三章 反撃に向けて(5)
ロキによるbabironの倉庫襲撃による影響は、執行役員でもあるギルガメッシュの手を煩わせた。リザと時雨に用意させた朝食にも手を付けず、部下からの問い合わせに対応している。
「いいか。謝罪文を出して待つだけなら三流だ。損したって構わねぇ。金を積んで新しいルートを開拓するなり、メーカーに人や材料を注ぎ込むなりして、払った分の価値は提供しろ」
気だるさに怒気を混ぜて言った後、通話を切る。
「お客様には神対応なんだね。私達にも分けてくれると、嬉しいんだけど」
食堂の端でリザが皮肉を言うと、ギルガメッシュは馬鹿かと鼻で笑う。
「ここに価値を見出して金を払ったんだ。提供できなかったら存在する価値もねぇ」
片隅にいる時雨は病的に肌が青白く、息をするのが辛い。
「ノロマ。今朝、俺の部下の焼死体が大勢見つかった。それに建物は全焼して倒壊。これで五度目だ。なにか心当たりはねぇか?」
胸が苦しく、やつれた体は小刻みに震えていて今にも倒れそうな時雨。それを、ギルガメッシュが薄く笑う。
「そんな事より、お前の会社がピンチなんだ。今こそナンバーワンの出番じゃないのか?」
これ以上追い詰められないようにリザが割り込んだ。
「そうだな、確かに良くない状況だ。でも俺は仕事ができるからな。テメェ等と話すくらいの余裕はあんだよ。リザも偉そうな事を言うからには、俺が払ってる分に見合う仕事をしてくれるんだよな?」
「するよ。クソ以下みたいな奴にだってな」
リザは躊躇わず強気に言ってやる。
ギルガメッシュは出された食事に手を付けないまま、スマートフォンを眺めながら食堂を出て行く。
「ほんと、イヤな奴だ」
分かっていても、リザは言わずにはいられなかった。
「大丈夫か?」
「片づけしないと」
時雨は虚ろな様子で自分の仕事をしようと、ゆっくりとした足取りで、食事を運ぶ為に使うサービスワゴンを取りに一人食堂を出て行く。
厨房にある流し台。水道の蛇口を捻ると冷たい水が出てくる。スポンジに食器用洗剤を付けて、使った食器類を洗いはじめる時雨。
丸々残った食事は、食欲が無いからリザに全部食べてもらった。
ロキにメッセージを送ってから一週間もしない内に、ギルガメッシュの口から彼が率いる非合法組織のアジトを、凛陽が壊滅させたことを聞かされた。
火傷や斬撃による致命傷。全焼して倒壊した建物。凛陽が持つ草薙剣なら造作も無い。時雨はそれよりも、敵対する別の勢力によるものだと考えていた。
だが、ロキによるbabironの倉庫襲撃により、別の可能性を考えられなくなってしまう。スマートフォンから映し出されるロキの仕業だろう凶行。通販サイトから注文できなくなった物が急に増えだし、ギルガメッシュの通話している光景をよく見る。そこから、凛陽がアジトを潰し回っている可能性が、限りなく黒に近い白になる。
以降時雨は、話しを聞かされる度、凛陽がギルガメッシュによってバラバラにされた時みたいに、胸が締めつけられていき、奥の方から何かがざわめき出してしまう。
がむしゃらに戦い続けている凛陽。その身は更に多くの血に塗れ、それ以上に様々な攻撃を浴びて血を流している。
ぬちゃぁっとした触り心地。洗っている筈のお皿が汚い。スポンジで擦っても、擦っても汚くなるばかり。生臭さが溢れ出し、鼻を突いてくる。無色透明な水が赤く、蛇口から注がれ続けているから、お皿や流し台も染まる。
綺麗な時雨の手も、真っ赤な血で汚れてしまっている。
小さな悲鳴と共に、お皿を床に落とし割ってしまう。
「おい」
急いでリザが傍に来る。
「大丈夫か?」
声をかけられ、時雨は幻覚を見ていた事に気付く。
「……………………」
立ち尽くしたまま動けない時雨を、リザが軽く慰める。
「あ~あ、やっちまったな。まっ、皿なら代わりはいくらでもあるし、大丈夫でしょ」
「……」
割れたお皿から時雨を離そうと、腕を引っ張るリザ。
「後は、私が全部やるから休んどけ」
引っ張られるまま小さく頷く。
「その代り、後でたっぷり聞かせてもらうからな」
握る力がなんだかとても強かった。
ベッドルームの窓際。時雨はサイドテーブルに着き、メモ帳を広げている。書きこもうとしているペンは微動だにしない。
「凛陽はますます力を付けたな」
厳然とした声が時雨に話しかける。部屋には他に誰もいない。話しかけたのは内側から、天叢雲剣だ。
「妹は着実に修羅の道を歩み、羅刹になるであろうな」
「やめて」
泣きそうな弱々しい声を出す。
「やめて、だと。なにを愚かな。お前が下らぬ過去に臆し、いつまでも、やらねばならぬ事をやらぬから、凛陽が血に穢れ、血を流すしかのだ」
時雨は言い返せない。
「だが、将来有望な羅刹も、口惜しいかな、この戦により死んでしまうのだろうな」
天叢雲剣の声は皮肉気でもあり寂しそうだ。
「そうね」
微かな声で同意。時雨と天叢雲剣の見立ては一致している。
「一人では無いぞ。魔術師の坊主は本懐を成し遂げられぬまま死に。料理人の娘は飽きられ捨てられる。火付け役が策を巡らしたところで、力の差に屈し、惨殺されるであろう」
「やめて」
起こりうる事態を突きつけられ、時雨は苦しそうに頭を抱え込んだ。
「この戦には無駄が多い。狙うは大将の首のみの筈。だが、動ける者達に、立ちはだかる人柱は数知れず。無駄に多くの命を散らすであろうな」
窓の向こうに赤々とした空と瓦礫が。倒れたギャングやbabironの警備員達、それにロキ、アルベルト、リザ、凛陽の死屍累々の凄惨な光景が。時雨には見える。
不快な光景から目を背けても、胸は苦しく息が詰まるばかり。
「時雨。お前を忘れているぞ。神であるその身は、数え切れない苦痛を味わい、慈悲も無いまま、惨たらしく死ぬ運命(さだめ)にあるのだ」
映る自身の死に顔は、異様に綺麗で、穏やかに眠ってさえ見える。どうしてか、なんだか恐ろしくて、吐き気がこみ上げてくる。
「なんと滑稽な話しよ。目の前にいる大将の首さえとれば、悲劇は起きないと言うのに。お前は炊事をするか、思いの丈を記すのみ」
吐き気を押さえつけて、どうにか息を整える。
時雨が落ち着きを取り戻すと、やつれてしまった自身の顔と目が合う。
「………間違っている。天叢雲剣なら勝つ事ができる前提になっている。その根拠は?」
「我が力を持ってすれば、ギルガメッシュなぞと言う名も知れぬ雑魚の首、とるのも容易い」
首を横に振る。
「答えになってない」
「蛮勇は愚の骨頂。だが、策謀のみで戦はできぬ。戦は混沌だ。それを知らぬ者に我が力を行使する事。これ許さず。我に戦う意思と覚悟を示せ。それを示せば、我もそれに応えん」
「………………嫌………………」
消え行きそうな声。
「ならば、みな死ぬだけだ」
誰かが傷つくのは不快。誰かが死ぬのはもっと不快。できる事なら、敵でも傷つくところや、死ぬところなんて見たくもないし、人伝でさえも聞きたくない。
「嫌」
「流れる血を最小に抑えたくば、お前が全てに終止符を打つのだ」
それ以上に自身が傷つくのは嫌、自身が死ぬのはもっと嫌。
だから、鞘に収まった天叢雲剣を振り回し、マシンガンやバーンショットを撃った。攻撃が当たってしまい、苦しむ敵、命を落とす敵。その全てが不快だった。
「嫌」
「戦え。お前がやらぬと言うのなら、結末は変わらない」
できる事なら、凛陽とロキに全てをまかせたい。だけど、一か月前の戦いで、力の差をまざまざと見せつけられてしまった。このままでは大事なもの全て、ギルガメッシュに殺されてしまう。
時雨はどうすればいいか分からない。
「戦え」
「嫌」
お互い頑なで譲らず、言い合いをする。時雨は悲痛な叫びで拒否の意志を示すが、天叢雲剣は内側から苛烈に怒鳴りつける。
追い詰められた時雨は、逃げられないものから逃げようと、メモ帳を殴りつけるように書きこんでいく。
書いても、書いても。
書いても、書いても。
あの声が消えることは無い。
「いやぁぁぁぁっ」
「時雨!!」
張り裂ける悲鳴を聞きつけ、急いで駆け付けたリザ。取り乱す時雨を落ち着かせようと、咄嗟に後ろから両肩を押さえ付ける。
「落ち着け、どうしたんだ」
「やめて」
いきなり触れられたから、取り乱した時雨は駄々をこねる子供みたいに暴れてしまう。華奢な見た目からは想像できない強い力に、リザは押さえつけるのも難しくなる。
「痛ッ」
リザは呻いてしまう。時雨の持っているペンが腕に刺さったのだ。
時雨はすぐに気づき暴れるのを止めた。
リザは時雨よりも、彼女が大切にしているメモ帳。そのページが黒くしわくちゃになっている事に目が行ってしまう。
ページは黒く滲み、細かくびっしりと「嫌」と言う字で埋め尽くされていた。
リザの怪我は大したことなく、シャツに穴が空き出血はしたが、腕にほんの小さな点の様な傷ができた程度だった。それだって、生物の属性の魔法がかかったばんそうこうを貼れば、半日もしない内に跡形も無く消えてしまう。
「…………ごめんなさい」
「これで何度目だよ。こんなの、エンキドゥに叩きつけられた時に比べれば、全然大したこと無いし」
軽く笑いかけるリザは時雨のベッドに腰かけていた。
「でも…………」
時雨は傷つけてしまった罪悪感から、リザを直視できないでいる。
「そんな事より。さっきと言い、お前どうしちまったんだ? 話してくれよ。そしたら許してやる」
取り乱した理由を知りたいリザは、子供を諭す母親くらい穏やかだった。
時雨は天叢雲剣とのやり取りを話した。
「ッハハハハハハハハ。時雨一人でギルガメッシュと戦うだって。アハハハハハハハハハ」
リザは思いっきり笑い飛ばした。
時雨は首を傾げてしまう。
「そんなにおかしい?」
「わりぃ。いや、あまりに意外すぎて」
軽く謝り嘆息する。
「助けてくれるのは嬉しいさ。でもな、お前が死ぬつもりでギルガメッシュと戦う事なんて、誰も望んじゃいないさ」
優しく言われた時雨は、居づらそうに手を組んで俯いてしまう。
「凛陽ちゃんは時雨の為に、今も戦っているんだろ。もし、お前が戦っている姿なんて見ちまったら、きっと悲しむよ。まぁ、私としては、凛陽ちゃんにも戦って欲しくないんだけどね」
時雨は楽になれず、沈んだ様子でぼそぼそと呟き。
「………………死んでもいいの?」
瞳を潤ませ、恐怖を訴える。
「私だって死にたくないさ」
そう言ってリザは腰を浮かし時雨の頭を軽く撫でる。やつれても、髪はシルクみたいに気持ちいい触り心地をしている。
「ヒッ」
驚き、椅子から小さく跳びあがってしまう時雨。
「私達には私達で、なにかできる事はきっとある筈さ。お前のメモ帳や、ロキへのメッセージの時みたいにな。きっとある」
立ち上がったリザは胸を張って自信満々に言ってみせた。
「外部から遮断されているのに?」
根拠の無い自信に、時雨は浮かないまま。
セキュリティ等、なにか重要そうな情報を二人は持っていない。アルベルトの居場所が判明したのは、リザが姉としてギルガメッシュに弟の安否をしつこく聞いたから。当然、連絡禁止になっている。ロキと凛陽がチブチャ区画に住んでいたころ情報を送れたのは、見つけるのが困難なバハムートを獲ってくれた、漁師達への感謝の意に偽装したからだ。
脱走する為、ビルの構造を把握しようともした。そこで、ギルガメッシュに様々な理由を付けて行動範囲を広げようとしたが、正当性が作れず、当然却下されてしまっている。
「うっせ」
図星を言われてリザは、とりあえず時雨のおでこを軽く小突いた。
「お前は寝てろ。寝れてないのはお見通しなんだぞ」
気まずそうなまま、リザはベッドルームから出て行ってしまう。
ため息。再び一人きりになった時雨は、メモ帳の真っ白いページを開いて、髪を撫でられた事と、おでこを小突かれた事を書きこんでいく。
朝の食堂。部屋の片隅に立ち、リザの陰に隠れる時雨。
そこにギルガメッシュが入って来ると、時雨を見つけて開口一番。
「まったく、ヤキトリだか詐欺師だか知らねぇが、これで六つ。ご苦労なことだ。裏にあるゴミ溜めを燃やせば、俺の手足がもげると思っていやがる」
聞きたくなかったアジトの壊滅情報に、時雨はうなだれてしまう。ギルガメッシュはそれを一瞥してから、悠然と椅子に着き、用意された朝食に手を付ける。
優美にフォークとナイフで、エッグベネディクトを切り分け、口に運んだ。
「炭の味がしない分、食えるな」
「そりゃどうも」
ギルガメッシュがリザに話しかける。
「ノロマはちゃんと料理を作ってるんだよなぁ?」
「もちろん。今朝のそれは、時雨が作った」
鋭い風がリザの金髪ショートを数本切り裂く。その正体は、バハムートの鱗を加工して作った鋭利なナイフ。ギルガメッシュが出したと同時に、目にも留まらぬ動作で投げたものだ。
直後、時雨が悲鳴を上げて床にしゃがみこんだ。
「ノロマの味付けはテメェの味付けより、ほんの少し薄い。こいつは立派な偽装だぞ」
「…………悪かった」
反省するリザを一笑に付した。
「味見に置いてもナンバーワンの俺を、ごまかせるとでも思っていたのか? マヌケ。最近ノロマがメインを作ってねぇ。リザから見て、料理人としてのクオリティがあるなら作らせろよ」
「サイドは作っている。それに、慣れない環境にまいって、時雨は今体調が良くないんだ」
リザは食い下がる。ギルガメッシュの暴政から時雨を守る為に。
「メインも作れねぇんじゃ、料理人としての価値は無いな。せっかく手に入れたシマを、これ以上台無しにされんのも割に合わねぇ。そろそろ、ヤキトリの前で絞めてやろうかな」
笑わず。飽きてしまった玩具を捨てる程度の口ぶり。
時雨は戦慄し、青くなる唇。振りかざされた死に狼狽える姿は、雨に濡れた子犬よりも弱々しい。
「まったく、奴隷体質で興が冷める。俺が戦いに勝ち天叢雲剣を手に入れる。そんなシナリオだったんだが、叶いそうにもねぇなぁ」
臆病者への侮蔑と、自身の見込み違いを悔いてから、ギルガメッシュは朝食を再開する。
へたりこんだまま呆然としている時雨。
「時雨」
心配して声をかけるリザではない。それを内側から、厳然な声がかき消してくる。天叢雲剣だ。
「お前の寿命も近いな」
時雨は小さく頷く。
「お前達の命は、あの若造の物なのか?」
否定する。
「料理人の娘は言っていた。自身にできる事をすると」
時雨は天叢雲剣の言わんとしている事が分からない。
「若造は時雨との戦いを望んでいる。これこそ、お前にしかできない事だ」
「できない」
誰にも聞こえないよう小さく言った。
「お前は神と言うだけで、理不尽をまき散らす存在を許しておけるのか?」
その問いは、時雨の内側に眠ってしまったものを貫き揺さぶった。
瞼が閉じると、凛陽がなぶり殺された時に、内側から襲いかかったざわめきが、脈打つ波紋の姿となって浮かぶ。
目をゆっくりと見開く。瞳から仄かな生気は失われ、代わりに虚ろで満たし。動けなかった体から臆病が抜けたのか、緩慢な動作で立ち上がる。
時雨は一歩踏み出す。
心配するリザの声、フォークやナイフを使う微かな音。
その一切をよそに追いやり。
ざわめきだけしか聞こえない。
水底を歩く速さ。
隙の無い所作からは躊躇いを窺わせず。
接近した事を気取らせない。
ごく自然な瞬き。
悠長に食事をしているギルガメッシュを捉え。
王手。
張りつめた糸が切れる。
瞬時に距離を詰めた時雨。天叢雲剣が鞘走り、白刃一閃。
仇敵の首が鮮血と共に舞い、決着がつく。
筈だった。
「ぁっ、ぁっ、ぁぁあっ、ぁぁあっ」
恐怖に陥った時雨は、死に物狂いで天叢雲剣を鞘から抜こうと、ぎちぎちに揺らしている。
ギルガメッシュは何事も無く食べ終えると、フォークとナイフを揃えて、ナプキンで口元を拭いていた。
「惜しかったなぁ。完全に消した殺気、ノロマとは思えねぇ身のこなし。だが、得物を握った瞬間から震えていやがる」
邪悪な微笑みを向けられた時雨は一気に力が抜けてしまい、またへたりこんでしまう。
「カウンターがあるから余裕って訳か」
余裕なギルガメッシュに胸クソが悪いリザ。
「使わねぇよ。俺の見立てじゃ、初撃はコイツ一本で充分だ」
フォークを二人に見せつけた後、皿にきちんと戻す。
「しかし、残念だなぁ。せっかく、この俺と戦ってくれると思っていたんだが」
ギルガメッシュから皇威や邪悪さが失せ、どこか寂しそうにも見える。
「……それ、なら、わたしを、戦えるようにして……………………」
恐怖の間隙を突いて、時雨は息を絶え絶えにしながら、どうにか話した。
「正気か、時雨!!」
リザは時雨の突拍子の無さにとっても驚く。
「外野は黙ってろ。ノロマ、特別に時間を取ってやろう、話せ」
上から促してきたが、向こうは聞く耳を持つので、時雨は口重そうに話す。
「私は痛いのは不快。血も不快、だけど。ギルガメッシュ………………貴方は、とても不快」
「ハッハッハッハッハ。テメェみたいなメス豚に嫌われたって、別にかまわねぇ」
悪逆なギルガメッシュの笑みと威嚇に時雨は怯えてしまう。
「…………私が、貴方にっ、慣れれば、さっきみたいな遅れをとることはない」
「なるほどな」
納得するギルガメッシュだが、時雨の身を案じるリザにはできない。
「無謀だ時雨。それこそ殺されちまうぞ」
銃声が黙らせる。
「これは、俺とノロマが合意したものだ。外野は口を出すんじゃねぇ」
威嚇射撃に、リザはもう何も言い返す事ができない。
上から見下ろしていたギルガメッシュが、時雨に目線を合わせようとする。
「ノロマ、光栄に思え。教える事においてもナンバーワンの俺が、特別にテメェを戦えるようにしてやろう」
時雨は暴虐的な威圧感に晒され、意識を保とうとする事が苦行なところに、ギルガメッシュが施しを与えてやると悦に浸った笑みまでしてくる。
「それまでの間、この俺が戦えると判断するまでは生かしといてやる。良かったな」
両親と妹の仇から戦闘訓練を受ける事が決定した。その直後、蓄積していた肉体的疲労と、極度の精神的摩耗によって、時雨は気絶してしまう。
広大でがらんとした空間は、床は一面木の板で敷き詰められ、年季の入った壁はどこか厳粛さが漂い道場の趣がある。
ギルガメッシュはその中央で葉巻をくゆらせている。
「なぁ、時雨が来ないんだが、どうしたんだ?」
別の部屋が見える窓に寄りかかってリザが話しかける。向こう側には横長で平らな作業台が前後二列に並び。入り組んだ回路模様の天井と床を微弱な光が時々なぞっていく。
ここはbabironの製品試験場。開発したばかりの魔法道具を広大な空間で実際に使用し、横長で平らなコンソール(制御卓)で解析する。部屋が道場の装いになっている理由は、魔法と科学技術を組み合わせた環境変化機能により再現したからだ。
ふすまを再現した自動ドアが開く。
おずおずと入って来る時雨。俯き気味で顔が赤い。
「おまっ、なんつー格好をしてるんだ時雨」
横目で見ていたリザは、驚いて二度見した。
時雨は真っ白い体操着を豊満な胸でぱつぱつにして、下は間違いなく隠すであろう太ももを惜し気も無く出した、ぴっちりブルマーを履いていた。不快だから、つい全てをひた隠そうと腕で包み込み、内股気味になってしまう。
「ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ。無様だな」
指を指し、ギルガメッシュが嘲笑する。その笑い声の大きさは、広大な空間におもいっきり響く程だ。
「オイ、なんで、時雨がこんな格好をしなきゃいけないんだ?」
言いたいだろう時雨に代わってリザが声を上げる。
「奴隷を辱める服としては価値があるだろ。これはブルマと言ってな。かつてはスポーツウェアとして、学校等で広く使っていたみたいだが、安全性は欠くし、下着と変わらねぇデザイン性が不評で、シェアは減ったんだが。なるほど、いいニッチの取り方をしている」
「クソヤロウ」
リザを無視し、一人感慨に耽った後、恥辱に苦しむ時雨を上から挑発する。
「自由に服を着る権利が欲しかったら、俺んとこまで来いよ」
ギルガメッシュの強制から解放されたい時雨。動くのに邪魔な羞恥心を取り除こうと、深呼吸を試みる。
「ついでに俺の首を飛ばしたってかまわねぇ」
自身の首を切る真似。まさに驕りの現れ。
時雨は今の格好に慣れたのか、ちゃんと地に足が付くことができた。だが、それもほんの一時だけ。隙を見せていても、はっきり伝わる暴君の威圧感に目が眩んでしまう。
倒れまいと意識を集中させ、一歩踏み出そうとしたが動こうとしない。今度は足に意識を向けてみたが、足はあるのに足と言う感覚が消え失せている。
「どうした? いずれ、俺と戦うつもりなんだよな?」
言葉が汚泥となって足に絡み付いてくる。
さっき捨て去れた様に、時雨はもう一度深呼吸を試みるが、息は切れるばかりで泥沼だ。結局いつもと変わらない。
黒衣を纏い、鮮血の髪をした悪辣な相貌から、せせら笑う声が聞こえてくる。
恐怖の中を歩かせてくれた、あの時のざわめきにすがろうとしたが、肝心なところで正体不明のそれはなにも応えてくれない。
剣呑な嘆息が凍てつく風となって、時雨の抗おうとした力を凍りつかせる。
「まぐれかよ。これ以上ノロマに構うほど、ナンバーワンの俺はヒマじゃねぇ」
そう言ってスマートフォンをしまった瞬間、ギルガメッシュが姿を消す。
時雨の背後に重苦しく禍々しい気配が。
「だが、明日も時間をとってやる。俺って優しさでもナンバーワンだよなぁ?」
頭に刻みこんでくる声と、自動ドアが開閉する音。
戦闘訓練初日、時雨はギルガメッシュに一歩も近づく事ができず。最後は床にへたりこんでしまった。今日これで三度目だ。
シャワーから勢いよくお湯を出し、それを俯いたまま浴びる時雨。
この一か月以上、あの鮮血の髪と黒衣、悪辣な相貌を極力視界に入れないよう、俯いたり、リザの陰に隠れたりして、どうにかやり過ごしていた。
冷酷で嗜虐的、ナンバーワンと価値が口癖。葉巻とワインを愛好し、バハムートの肉とラム肉が好物だと情報を得ても、恐怖が和らぐことは一切無く、不快な死そのものである事は今も変わらない。
「しぃ~~~ぐれっ」
「ひゃぅ」
背中に当たる大きな弾力。突然の事に時雨は可愛い悲鳴を上げてしまう。リザの豊満な胸によるものだ。抱きしめられ、吐息が耳元をくすぐってくる。
「時雨はいいなぁ。抱き心地良いし、クンクン、なんだかイイ匂いするし。それに」
「ぁぁっ」
リザが時雨の胸を揉んでいく。
「揉み心地も最高だ」
「………はな……して…………」
時雨はリザに不快を訴える。
「どうして、戦おうとしたんだ?」
鋭い言葉に何も答えられない。
「私は、お前に戦えなんて言った覚えはない」
努めて冷静を装うが、次第に熱が帯びていくリザ。
「ケンカならした事あるけど、戦いって殺し合いだろ。お前の嫌いな痛みを何度も浴びなきゃけいないんだし、死ぬかもしれないんだぞ」
「私はみんなが殺される前に決着をつけるつもりだった」
時雨は淡々と言った。
「無茶だ。それじゃ凛陽ちゃんと変わらないじゃないか」
「天叢雲剣の力は未知数。絶対に勝てるわけでは無いけど、それに賭けるしかない」
理由にリザは納得できない。
「そうかもな…………………………………………でも、お前一人が背負うなんておかしい…………私を頼ってくれよ!!」
我慢できず爆発させた感情に時雨は動じなかった。
「リザには無理」
突き放されても、時雨のどこか合理的で危なっかしい思考をリザは知っているから、よけい放っておく事ができない。
「前みたいに、メモ帳を手に入れた時や、ロキにメッセージ出した時みたいに、一緒にギルガメッシュの倒し方を考えよう。今はなんにも思いつかないけど、私を置いていくなよ」
時雨がどこかへ行かないよう、引き止めようと抱きしめている力が強くなる。
シャワーが止まる。
「私はリザの言ってた、できる事をしているだけ。ギルガメッシュはリザではなくて、戦える私と戦う事を望んでいる。私はみんなが死ぬのは不快だから、決着をつけたい。でも私は、戦えないから、慣れる必要がある。だからこれは、私にしかできないこと」
リザは時雨の肩にうな垂れる。
「そんな、さびしいことを言うなよ。私はお前に、何かしてやれないのか?」
己の無力さを咽ぶ。
「ある」
顔を上げるリザ。
「私一人じゃギルガメッシュとはいられない。でも、近くにリザがいると、少し落ち着く。だから――」
「分かった。お前が本気でやるって言うんなら、見届けさせてくれ。手伝わしてくれ」
顔を赤くして時雨が俯いてしまう。
「…………ありがとう」
戦う理由を説明した時と比べて、か細いお礼をする時雨に、リザは胸を揉んでやる。
「ひゃぁっ」
飛び上がりそうな悲鳴に、してやったりと笑うリザ。
「上がるか。熱くなっちまった」
抱きしめるのをやめた。
時雨は失った温もりに違和感を覚えながら、足早なリザの後をついて行く。
バスルームを出たリザは髪が短いからすぐに乾き、ささっと下着を身に付けていく。
「しっかし、私と時雨で一緒に入ったのって、これが初めてじゃないか?」
タオルで体を包んだ時雨は、鏡の前で長い髪を整えながら。
「初めて」
「だよな。じゃあ、また一緒に入るか?」
「遠慮する」
素っ気ない答えに「ちぇっ」と苦笑いしながら、ネックレスを身に付けるリザ。
「リザってアクセサリーを身に付けてたの?」
鏡越しから時雨は振り返って、少し近づいてみる。リザの首にかかったクロスのネックレスは、神を讃えた様な繊細な細工が施されていて、中央の石は赤く小さな輝きを放つ。
「そういや見せてなかったな。興味あるって事は、やっぱり女の子だなぁ~」
そう言ってリザがワイシャツを羽織る。
「知らなかったから、いちおうメモに残したいだけ」
石が少し暗くなると思ったら、緑に光り出した。
「魔力が微かにあるんだけど、これは魔法で色が変わるだけ?」
「そうなんじゃないかな~。これはウチの地下を漁ったら見つかったもんなんだ」
緑に光っていた石が今度は青く光る。すると、リザがワイシャツのボタンを締めて、クロスを隠してしまう。
「よし時雨。私らの夕食を作っちゃうぞ。食い終わったらクソヤロウのディナーだ」
二人は自分達の夕食を先に作って済ませると、その次にディナーを用意し、夜遅く戻ってきたギルガメッシュに、それを出して嫌味をもらったら、またシャワーを浴びて就寝した。
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