第三章 反撃に向けて(6)

 薄暗いオフィス。戦場になったのか、デスクやチェア、パソコン等を含むオフィス用品の瓦礫が散乱し、あちこち剥げたカーペットが、その激しさを物語っている。

 その中央で周囲を警戒している二人の男。

 一人は痩せこけた顔にひょろっちい体躯をした、爬虫類っぽい印象の魔法使い。もう一人は目から下をフェイスマスクで隠し、革ジャンに装甲を組み合わせた、バトルスーツを纏った格闘士だ。

 魔法使いが腕時計を眺める。


「もう五分も隠れているよ。逃げたかもしれないねぇ」


 いきなり瓦礫となったデスクが崩れる。

 魔法使いが細い腕を伸ばし、青白い魔法陣を出す。


「スネーカー。獲物を探しなさい」


 魔法陣から黒い不定形が飛び出し、崩れたデスクの隙間に入り込み、今逃げたであろう獲物を追跡する。

 足音を抑え、魔法使いの背後に素早く迫る影。

 凶刃を突き立てる。


「グベシッ」


 情けない呻き声。ロキの頬に格闘士のパンチがクリーンヒットした。

 babironの倉庫襲撃はこれで六回目。予め妨害電波とケーブルの切断で外部との連絡を遮断。出入り口の魔防シャッターを下ろして、応援が来られないようにしたが、現在ロキは魔法使いと格闘士の警備主任に苦戦している。


「スネーカー。こっちですよ」


 吹っ飛んでいる最中のロキと、追跡する格闘士の間合いを縫うように、瓦礫を漁っていた筈のスネーカーが飛び込んでくる。


「コブラバイト」


 青白い魔法陣の発光が強まり、新たな魔法の発動を告げる。ロキに迫ったスネーカーが、黒い不定形を一気に増大させ、獲物を喰らわんと大口を開ける。


「ヒューッ。こりゃビッグマウスだ」


 ロキは軽口を叩きながら、左腕に黄色い魔力をバチバチと起こし、手から魔法陣を出す。

 体中に電撃を纏い、黒い不定形を近づけさせない。

 ほんの一瞬だけ。


「電気代なら、ちゃんと払ったぜ?」


 困惑するロキはスネーカーに飲み込まれてしまう。


「イッデェェェェェエエエエッ」


 激痛の叫び。全身に纏わり付いた黒い不定形が牙となって喰い込んだからだ。


「ついでだ」


 スネーカーに食われたロキは、格闘士のパンチの猛襲を全身に浴びてしまう。生物の魔法により強化した一発一発は沈むように重たく、怒涛の速さだから、茶化してやる余裕も無い。


「ダムダム」


 格闘士がそう呟くと、拳に魔法陣がいくつも重なる。それが、ロキの頬を抉り込み、爆発的な衝撃と共に首が捻じれて頭が一回転した。

 噛み付いてきた黒い不定形によって立たされたまま、強烈な衝撃をもろに受けてしまったが、ロキは薄ら笑っている。


怪物モンスターめ。まったく、何回殺せば死ぬんですか?」

「これを朝まで続ければ死ぬだろ」


 途方も無いだろう徹夜作業に魔法使いはため息を出す。

 口をもごもごさせるロキ。


「ブッ」


 口から、鮮血に染まった縫い針を勢いよく吐き出す。

 弾丸のように飛び出したそれを、格闘士は首を傾けて回避。

 その後ろに立っていた魔法使いの首筋に、ロキの針が突き刺さる。


「ッ」


 直後、魔法使いの痩せこけた顔がいっそう青白くなると、口から泡を吹き出して、ばたりと床に倒れた。


「クソッ、どうした?」


 倒れた魔法使いの方に格闘士の注意が向く。


「ッハハ。俺はフグにハマってね。特に肝が最高なんだ。おかげで、体はいつもビリビリさ」

「この怪物モンスターめ」


 ジョークに、格闘士は構える。

 黒い不定形の拘束から解放されたロキ。炎に包まれた左腕が相手の顔面ド真ん中を直撃。


「残念。ハッズレェ~」


 さっきの仕返し。「俺はカミサマだよ」と狂気じみた笑い声を上げながら、やられた分以上に倒れた格闘士をロキがタコ殴り。


「チン。焼きダコ、いっちょあがりぃ~」


 一仕事終えて、すっきりした様子。

 格闘士の顔面はもちろんバトルスーツで防御を固めていた胴体のあちこちも、ロキのパンチのラッシュにより陥没し、纏っていた炎により焼け焦げている。


「んじゃあ。後はいつも通り、ギルガメッシュに向けて、ドハデな花火をサービスしてあげましょうね~」


 ロキは小躍りしながらオフィスを後にする。壁を叩き、その反響を利用して見つけ出したギルガメッシュの隠し武器庫から、目ぼしいものを奪うと、即席の爆弾でbabironの倉庫ごとブッ飛ばした。



 薄暗い倉庫、アルベルトの研究室。部屋の真ん中にある作業台の上で、アルベルトは紙に魔法陣を描いている。

 ロキが使う魔法道具を作る傍ら、魔法マクスウェルの悪魔の完成を目指していた。


 ドサッ。魔法陣の真ん中に、使い捨て手袋を付けた細腕とアーマーを装着したゴツイ腕。倒した魔法使い達の腕が投げこまれたのだ。


「ヒャァァアアアアアアッ」


 尋常じゃない事に悲鳴を上げるアルベルト。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 盛大に笑い飛ばす声。下水道に繋がる横穴を隠す為、カモフラージュに描いた本棚の幕。そこからロキが現れる。


「ロキさん…………この前もそうでしたけど、そう言うのはやめて下さい」

「ハハハハ。魔法使いの垢じゃ足りないから、腕を貰ってきたんだよ」


 軽口を叩いていると、後ろにあるシャワー室のドアが勢いよく開き、制服姿の凛陽がご機嫌斜めな様子で出てくる。


「ウッサイ。アンタ等、もう少し静かにできないの? いっつもいっつも、下らない事で盛り上がってさ。何がそんなに楽しいのか、意味分かんないんだけど」

「そんな、凛陽さん。これを見てくださいよ。ロキさんがまた」


 アルベルトが凛陽に訴えかけ、作業台に案内する。

 魔法陣の上に置かれた二本の左腕。一瞥した凛陽は鼻をつまみたくなる。


「百ゼロでロキが悪い」

「そりゃないぜ。アリーには、戦いに身を置いている自覚が足りないと思います」

「こんなの。お姉ちゃんが見たら気絶もんよ。チョー悪趣味、マジ今すぐ捨ててよね」


 凛陽の苦情を受け、ロキは「チェッ」とふてくされた態度で、二本の左腕を下水道に捨てに行った。

 戻ってきたロキがおもむろに口を開く。


「俺、babironの襲撃やめるわ」

「ハァッ!! アンタ、今さら何言ってんの。ブッ殺されたい」


 怒りだす凛陽にロキが「シーッ」と人差し指を立てる。


「アンタねぇ。私はお姉ちゃん、アンタはリザを助けるんじゃないの? それを途中でやめるとかアリエナイんだけど」


 とりなす様にアルベルトが口を挟む。


「まぁまぁ、きっと理由(わけ)があるんですよ。とりあえず、どういう事か話しを聞きましょうよ」


「いや、ぶっちゃけさ。最初は楽しかったんだけど、今日だってアリーの魔法がちゃんと発動しなかったから、ピンチに追い込まれたし。人間強いし、しんどいだけって感じで、飽きてきちゃったんだよね~」


 襲撃時に使用した、魔法を組み込んだ使い捨て手袋は作ったばかり。体に電撃を纏い攻撃を防ぐ魔法、火炎弾を撃ち出す魔法の二つ。だが、使用していくうちに壊れてしまったのだ。


「そうですか…………」


 考え込むアルベルトに対し、凛陽はわがまま垂れ流しと呆れてしまう。


「あっそ。じゃあ、アタシがブッ潰そうか」

「いや、凛陽は今までと同じで、街のゴミ掃除を」


 納得できない凛陽が床を踏み付けると、部屋中にある本棚が一瞬だけ揺れる。


「なんで!! だったら、アイツの武器庫は誰が潰すのよ」


 笑いかけるロキ。


「お前もイチゴが食いたいのか。なら、いくつか分けてやるよ。でもな、今すぐ全部パクつこうなんてしたら、腹は壊すし、農家のオッサンに怒られちまう。それなら、ツバを付けといたほうが楽だ。つまり俺にまかせろって話しだ」


 意味の分からない比喩と挑発的な身振りを交えた説明に、イラついた凛陽のポニーテールが解け、赤くなる髪。ロキの喉元に草薙剣を突きつける。


「アンタに任せていいの? 任せちゃダメなの? やるの? やんないの? 答えてよ」

「約束は守るさ。オモチャは欲しいが、リザとアリーを取り戻すには多すぎる」


 余裕でおどける様子に凛陽は舌打ち。剣を引き、髪も赤から茶色に戻る。


「つまり、やるって事でいいんだね」

「もち」


 訝る凛陽に軽く答えた後、ロキはアルベルトに話しを振る。


「アリー。マクスウェルの悪魔の方はどうだ? 相変わらず爪の一つも見えねぇか」

「そうですね。爪は見えたと思いますよ。ロキさん、これを見てください」


 作業台の上にあった魔法陣をロキに示す。


「悪魔の左腕でも出してくれるのかな?」


 軽口にアルベルトは首を振る。


「どうでしょう。今から魔法を発動させます」


 アルベルトが紙に描いた魔法陣に両手をかざし、発動させる為に魔力を注ぎ込む。すると、魔法陣が発光。

 凛陽の周囲を漂う赤い粒子、炎の魔力が魔法陣に吸い寄せられる。更に、部屋中を漂っている緑色をした風の魔力と黄色い雷の魔力も集まってくる。


「嘘マジ?」


 驚く凛陽。

 魔法陣の上に集まった炎、風、電気の魔力。細かい粒子となって幾重にも織り交ざり、球体を形成し、美しい輝きを放つ巨星となる。


「これが悪魔の姿か。思ってたより迫力はねぇな。ハハ」


 球体を成していた三つの魔力の塊が自然の振る舞いに戻ろうと、外縁部から細かく外へ外へと散っていく。

 やがて、魔法陣が発動しているにも関わらず、球体を維持できなくなり、集まった三つの魔力は完全に分散してしまう。


「あ~あ、消えちゃった」

「今はこれが限界です」


 アルベルトは控えめに言う。


「ぽいな。資料に載ってる魔法陣のイイとこ取りをすりゃ、オッケーだと思っていたんだが。お前の先祖はケチすぎるぜ。魔法使いじゃなくて、マトリョーシカの職人かなにかだろ」

「大事な研究ですからね。けど、もうちょっとだけ、ヒントが欲しいです」


 ロキの言う事にアルベルトも同意。


「なら、俺がお前ん家を漁ってやろうか? 一目で分かるシロモノだからな、楽勝だろ」


 提案するロキ。マクスウェルの悪魔を作るうえで足りない何か、見落としていた何かがある事にアルベルトも心当たりがある。


「そうですね。お願いします」


 よし、とロキは指を鳴らす。


「ついでに、お前さんのアルバムとお宝本でも探してみるか」


 明らかに関係無い事も調べる気満々のロキに、アルベルトは動揺してしまう。


「待って下さい。マクスウェルの悪魔に関する事だけを調べてくださいよ」

「つまり、お宝本はあるんだな。アリーがそんな物を集める奴だったとは、ショックだぜ」


 落胆してみせるロキに、反論する顔がすっかり赤いアルベルト。


「持ってません。調べたって、そんなの見つかりませんから。時間の無駄です」


 草薙剣。ロキとアルベルトの間にその刃が光る。


「どうでもいいけど。武器庫もちゃんと潰すんだよね」


 静かに怒りを燃やし、睨みつけてくる凛陽。それを見たロキはからかう様に「もちろん」と頷いた。



 玄関のインターホンを鳴らす。


「こんにちは~。セント・ゴールディ・ホスピタルで~す。マクスウェルさ~ん」


 茶髪に眼鏡をかけ、白衣にネクタイの医師とナース。

 インターホンから反応は無い。


「お留守かな?」

「マクスウェルさん。入りますよ」


 無視して粛々とナースが玄関を開ける。

 中は薄暗く、ひと気の無い静寂に包まれ、いやに掃除が行き届いて綺麗だ。


 医者はロキだ。茶髪はカツラ、眼鏡は伊達。赤い目はカラーコンタクトで青に。今はバーナード・ダイソン医師として働いている。本物には長時間の休憩を与えておいた。

 わざわざ変装して侵入した理由、一時間毎に来るギルガメッシュの見張りを欺けるのは、植物状態になっているリザとアルベルトの両親の訪問診療しかないからだ。


 ナースの少し後を歩き、ロキはモノトーンに彩られた寝室に入る。

 整理整頓された部屋の中央にはダブルベッド。並んで寝ているリザとアルベルトの両親は、寝息を一切立てておらず安らかに眠っている。そこに二人の魂があるのかどうかも分からない。


「この二人死んでないよね?」


 ナースは鋭い視線でロキを一瞥。


「悪いけど、君は休憩してくれ」

「ドクターバーナード。何を言ってるんですか?」


 信じられなさそうにするナースをロキがグイッと覗きこむ。


「休憩だよ。休憩。私達が手術の次に好きな言葉だよ」


 咳払い。


「私達は勤務中です。ドクターバーナード、さっきから変ですよ」


 疑いの眼差しにロキが嘆息する。


「変にもなるさ。上からのお達しで、マクスウェルさんに新しい治療を施す事になってね。緊張しているんだ。しかも、ここだけの話し。極秘とも言われているんだ」


 噂すら聞かない初めて聞く話しに、ナースは考え込んでしまう。そこにロキの一押し。


「ほら、マクスウェルさんの後ろには神様がいるでしょ。余計な危険に巻き込みたくないんだよ。頼むよ」


 辛そうに心配を装うロキ。ナースは背後に存在する神には心当たりがあり、これ以上踏み込んではいけないと察する。


「分かりました。休憩を頂きます」


 お辞儀して寝室を出て行く。

 遠くなる足音、玄関のドアが閉まる音。邪魔者がいなくなると、ロキは急いで眼鏡を外し、カラーコンタクトを取り、目を押さえる。


「あーッ、目がゴロゴロしてイテェー。ケチって安物にするんじゃなかった」


 ロキの腕にはいつの間にか白い蛇が絡み付いていて、ベッドに跳んでいった。


 魔法の実験中に事故に遭い、植物状態になったリザとアルベルトの両親。新陳代謝を失った身体では点滴による栄養補給を受け付けない。その為、生命力を活性化できる魔法が使える魔法使いが必要になる。当然、植物状態になった肉体では抵抗力や内臓機能が衰える為、通常の診察も欠かせない。


 寝ている二人の足下から出て来た白い蛇。心なしか体長が短くなっている。迎えるように差し出されたロキの腕に跳んで絡み付くと、にゅるにゅる肩まで登っていき姿を消した。

 白い蛇の名はヨルムンガンド。ロキが持つ神としての生命力を具現化したもので、他者にも分け与える事ができる。


「俺よりアスクレピオスに任せた方がよくね。こりゃ過労死してんな。ッハハハハハハハハ」


 ロキは寝室から手を付け、次に円形の書斎、アルベルトの部屋を隅々まで物色したが、マクスウェルの悪魔に関する資料、その断片一つ見つける事ができなかった。


「はぁ~。悪魔の尻尾も捕まえられず、アリーのお宝本も見つからねぇときた。こりゃ、失せ物探しのプロも廃業か~」


 落ち込み気味で一階の廊下を歩くロキ。足下から、空気の吸い込まれる音が聞こえてくる。

色めきたち、注意深く辺りを観察。耳を澄ませて注意していると、階段下にドアがあるのを発見。開けてみると物置だった。


「なぁにが、上を向いて歩けだよ。下を向いた方がいいじゃねぇか」


 荷物をどかしていき、いかにもなハッチを見つけ、開けてみたら階段が。迷わず下りる。


 地下室は照明を付けても薄暗く、石壁でひんやりしている。そこには、年季の入った本棚がいくつもあり、隅にはたくさんの木箱が積んであった。真ん中には魔法陣ではない六芒星のカーペットを敷き、デスクには雑然と物が置かれている。倉庫と言うよりは研究室だ。


「ここなら将来的には三食オモチャ付きだし、イイ物件だ。キープ」


 ロキは取った本のページをパラパラと速読。どれも、マクスウェルの悪魔とは関係ないものばかり。


「ぁあ~数字の羅列ばっかでキツイわ~。電磁波ってそんな盛り上がる話しか、オイ」


 愚痴を言いながら、ロキはまた本を取りパラパラと速読。


「今度は天上の主の話しかよ。飯はマズイし、DVするし、皆アイツのどこがいいのかねぇ」


 そんな事を言っていると、開いたページに青く光る文字が。たちまち文字全体が歪み、別の文章へと変わる。


「なになに、計算していくと、この世界には観測されていないが、著しく力の高い特異点が存在する。我々が見ている力だけでは、この地球を、宇宙を構成するには足りない」


 読み上げてはみたが理解していない。


「私は神と言う何かがいるから、世界ができたと仮定する」


 と決め顔でロキは読んだ。

 直後。ツボにきたのか、豆腐みたいに顔を崩して笑い転げる。


「ッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ、ハァーッハッハハッハハッハハッハハッハハッハハッハハッハハッハハッハハッハハッハハッハハッハハッハ」


 そこに「ピピピピ」と無機質なアラーム音が鳴る。ナースが休憩を終える十分前には鳴るよう設定していた。

 ビリっと冷めた調子で、そのページを破り取るロキ。


「さぁて、お土産もできたし、お医者さんごっこの続きでもするかねぇ」


 立体コンパクトで変装を調整し、カラーコンタクトを渋々装着してから眼鏡をかけ。ロキはバーナードとして、ハッタリとテキトーで病院勤務を深夜まで乗り切り。アルベルトの研究室に帰った。



 babironの襲撃をやめると宣言したロキ。侵入しないとは言ってない。今は清掃業者になりすまし、各地にある施設で退屈な掃除を行っている。


 おうさまのあしもとは。

 ドブネズミが、おそうじ、おそうじ。


 汚れたトイレをピッカピカにするのは。

 雑巾もったスカラベ。


 窓がいつもダイヤモンドみたいに

 キラキラなのは。

 ハエが舐めているからさ。


 飲みかけコーラと。

 ボロボロクッキー。

 小人ちゃんの。


 微笑みの欠片が無いのは。

 ゴキブリの餌。


 エアコンがみんなに優しい理由は。

 蜘蛛の糸がフィルターだから。


 おうさま。

 きぞく。

 小人は。

 みんな知らない。

 ハイエナたちだけの。

 ひ・み・つ。



 昼間の広大な競技場のトラック。そこを素足にブルマ、キツめの体操着を揺らしながら走っている時雨。中央のグラウンドでは、無関心そうにギルガメッシュがスマートフォンで部下の報告を見ている。


 競技場を貸しきりにしているわけでもなければ、昼間ですらない。今は夜、ここはシュメール区画にあるbabironのビル。その製品試験場。隣の解析室で環境設定を操作して競技場を再現したものだ。


 時雨は体中にたくさんの汗を流し、どうにか腕を振って、足をなんとか上げている。


「ノロマ。そんなんじゃ俺を倒せねぇぞ。後二十周追加だ」


 ギルガメッシュに慣れ、戦えるようになる。その訓練として、時雨は仇敵に見られた状態でトラックを延々と走らされている。


「嫌なら、俺にかかって来いよ。できたら休ませてやるぞ」


 立ち向かわず、時雨は大人しく走る事を選んだ。

 リザは解析室の窓際に寄りかかり、その様子を歯痒そうに見ている。落ち着くからいて欲しいと時雨に頼まれているけど、声援を送るだけでも、ギルガメッシュの機嫌を損ねかねないから、本当にいる事だけしかできないでいる。


 ふと、背後の視線に気づく。

 製品試験場はギルガメッシュが立ち入り禁止にした。

 ゆっくりと振り返ってみる。


「……ッッ」


 頬をぷにょんと上に引っ張り上げ、目はスーッと細めるだけ細めて、ガリって突き出した前歯。笑えよと変顔をしてくるロキが窓に映っている。

 噴き出しそうになったが、リザは必死になんとか堪えた。


 薄暗い解析室。リザは横長で平らなコンソールに寄りかかっている。作業ジャケットに身を包んだロキは、窓際の下部に座りこんでギルガメッシュをやり過ごす。天井や床にある入り組んだ回路模様をたどる青白い光が、ときどき金髪と銀髪を照らしていく。


「まさか、また来るとは思わなかったよ」


 見上げてロキが笑っている。


「いやいや、一度来た場所はもう俺にとっては庭さ。今日のオヤツの場所だって分かるぞ」

「それは頼もしいね」


 皮肉気な態度をする。


「時雨はダイエットでも始めたのか? もう七十周も走ってんじゃねぇか。俺だったら今頃、干物みたいにカッピカピになってるね」


 トラックは一周四百メートル、それを七十五周。時雨は計三十キロも走った。


「悪いけど、ここはカフェじゃないんだ。用件だけ伝えるぞ」


 笑ってくれないリザを見てつまらなさそうに肩をすくめる。


「ほら」


 ピンと、クシャクシャになったメモ帳の束がロキの許に軽く投げつけられる。


 窓の外では時雨が木刀で素振りをしている。

 走った直後の疲れ切った体で、追い立てられる様にがむしゃらだから、態勢はメチャクチャで正しくできていない。

 時雨の痛々しい姿をリザは見ていられない。

 メモ帳の束を読み終え、ポケットにしまうロキ。


「へぇ、アイツずいぶん気前がいいなぁ。俺も女の子のカラダにしときゃ良かったかな」

「かもね。でも、あの娘が奴と戦うって言ってくれなかったら、手に入らなかったよ」


 ギルガメッシュは時雨が戦いやすいよう、あえて自身が持つ神器や能力の一部を明かしていた。


「カラドボルグにダーインスレイヴ。それにヴァジュラ。マジで神殺しする気マンマンじゃねぇか。後は骨喰いなんだ、知らねぇ武器の名前が三つだけど、オモチャはまだたくさんあっただろ。そこにゲイボルグとグラム、天叢雲剣も欲しいとか、ハハ。悪魔から強欲の座を貰っとけよ」


 いつも余裕そうに笑っているロキが苦笑。


「勝てそうか?」


 リザが不安そうに尋ねる。


「なぁ、リザ。隠れ天上の主ファンなんだろ? そっちに土下座して、アルベルトを助けてって頼んだ方が早いぜ」

「天上? ハハハハ、ロキ。私は救済なんかじゃなくて、今助けて欲しいね」


 皮肉を返すリザの胸に、ロキが指で作ったピストルの照準を合わせる。


「オイオイ、お前さんは銀の弾丸とニンニクで、美味しいコウモリ料理を俺に振る舞ってくれるんだよな。そうじゃなかったら、やっぱりファンだぜ」


 しつこく茶化されそうだから、リザがワイシャツのボタンをメンドクサそうに外すと、露わになる豊かな胸元とクロスのネックレス。

 クロスの真ん中にはめ込まれた石は、回路模様をたどっていく弱い光よりも、ほのかな緑色の輝きをしている。


「こいつは、天上とか関係無しに気に入ってんだ。ファッションを他人にとやかく言われるつもりはないよ」


 微かなサファイアの光がクロスから。


「わりぃ、わりぃ、そんなツマンネェことを言ったんじゃねぇ。俺にだって、こだわりの一つや二つあるってもんだ。ナンバーワンを骨の髄まで遊び尽くすくらいの、DIY精神がな」


 軽口が笑える。

 リザはボタンを留めてクロスをしまった。


「しっかし、俺の読み通りだったとは言え、どこでもポケットが魔法じゃなくて、能力だとはなぁ。カンベンしてくれよ。向学心たっぷりのアリーがガックシするぜ。こりゃあ」


 エンキドゥとその部下がどこからともなく武器を取り出し、タブレットで注文した食材が瞬時に厨房へ届くシステム。その根幹になるであろう楔形文字の床は、魔法ではなくギルガメッシュの能力によるものだ。


「改めて思うけど、私らの情報無しで仕組みを知るなんて、すごいな」

「そうだろ。もっと褒めてくれてもいいんだぜ」


 調子に乗らないよう話題を変える。


「それよりも、奴の主力はbabironの護衛、使える武器もそこに移したんだ。どうするつもりだ? ほっとけば勝てないし。潰そうと攻めれば激戦になるだろ。どうやって警報をごまかしてるか知らないが、下手すりゃ奴と戦うんだぞ」


 ロキは心配しているリザに意外そうだ。


「えっ、いいんじゃね。凛陽には今までどおり街のゴミ掃除をしてもらうさ。数は削れるし、透ちゃんの役に立ってるし、金も手に入るし。一石三鳥じゃねぇか」


 危機感の無い態度にため息が出る。


「あのなぁ、凛陽ちゃんが潰してるのは奴の囮なんだぞ。主力はどうするってんだよ?」

「ダイジョーブ、ダイジョーブ、俺に良い考えがある。まかせときなって」


 まったく安心できないから頷けない。でも頼っているのは、窓際であぐらをかき、軽薄な笑みを浮かべているロキなのだ。


「……もういいよ。それより、アルの方はどうしてるんだ? ちゃんと魔法の研究は続けているのか?」


 口に出そうとするだけで、自然と力が抜け、優しくなってしまったリザ。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 解析室で大声を出しても試験場に漏れる事は無い。けれど、リザは焦った様に語気が強くなる。


「オイ、聞こえるかもしれないんだぞ。静かにしろ」


 しょうがなさそうにロキが笑うのをやめる。


「いや、ヘヘ、お前が相当なブラコンだからさぁ。あんだけ激しく罵りあっても、やっぱ弟の事が好きって、凛陽も大概だが、ラブラブ設定なんじゃねぇの? ハハハハ」

「ふざけんな!!」


 急速に顔を真っ赤にし、笑う顔面を蹴ろうと伸びる足。


「静かにしろ。じゃなかったか? まぁいい。アリーはちゃんと魔法を研究してるぜ。できなかった事ができたからな。それは保障する」


 離れていても、弟ががんばっている事くらい分かっている。


「ちゃんと飯は食ってんのか?」

「前よりマズイ飯だからな。シャバの飯が恋しいんじゃないかな」


 そうだろうと、リザがため息をつく。

 おもむろに後ろを向いたと思ったら、ロキに袋を投げてよこす。


「なんだよこりゃ? 新しいオモチャか?」


 白く触り心地の良い袋はテーブルナプキンで作ったもの。それを赤いリボンで結んだ。


「お前んじゃない。アルに渡してやってくれ」

「そりゃあいい。せっかく都会に来たからな。ちょうど、お土産を探してたんだ」


 そう笑みを浮かべながら、ロキはリザから預かった袋をポケットにしまい込んだ。



 薄暗い研究室でアルベルトは、ロキが日をかけて集めた資料を穴があくほど読み、マクスウェルの悪魔に必要なものが何か、思いついた事をメモに書き出しては、またダメだとひたすら試行錯誤していた。


 そこに、サクサクと小気味よく、何かを食べている音が聞こえてくる。

 下水道につながっている本棚を描いた幕から、ロキが現れる。


「よぉ、精が出るな」

「ロキさん。お帰りなさい」


 作業しているアルベルトに近づき、袋からチョコチップクッキーを取り出すと、それを口に入れてサクサクと食べるロキ。


「調子はどうだ?」


 零れるクッキーのカス。いつものロキだと、アルベルトは首を振って答え、作業を続ける。


「アリーが初めて使った魔法は風だって聞いたんだけど、本当かい?」

「そうですよ」

「小さい頃、リザがママんに教わりながらクッキーを作って、できたてホヤホヤを皿に盛って今日のおやつにしようとしたら、転んでひっくり返したんだよな。地べたに落ちる筈のクッキーと皿を、お前が風の魔法で浮かしたんだっけか?」


 家族しか知らない話しに、つい作業を止める。


「一瞬だけですよ。その後は、母さんが魔法でお皿に戻して、テーブルまで運びました。どうして小さい頃の話しを知ってるんですか?」


 話しを聞いたロキは「へぇ~」とクッキーを取り出し、軽く放り投げてパクリ。

 サクサク。


「じゃあ、あの頃より、プロになった今の方が、格別にウマいんだろうなぁ~」


 興味の外に置いていたが、アルベルトは見てみる。

 白い布製の袋から突っ込んでいた手を抜き、ロキはクッキーを口の中に放り込んだ。


「さっきから食べてるそれ。どこで手に入れたんですか?」


 サクサクサクサク。ン。


「ぁ、リザのクッキーだけど。そう言えば、お前に渡せって言われてたっけ」


 ロキは何気なく言ってみせる。


「ちょっとーっ、ロキさん!!」


 つまみ食いなんて可愛いレベルじゃない、ロキのイタズラにアルベルトは叫んだ。


「んだよ。俺の送料と手数料はタダじゃねぇんだぜ。後、大事な魔法使いに、もしもの事があったら大変だからな。毒見だよ毒見」


 悪びれもしないロキ。それが、今に始まった事ではないから、アルベルトは泣き寝入りを選んだ。


「ハハハハ。もしかしたら、残ってるかもな。ホラよ」


 白い袋が宙を舞い、テーブルの上に軽い音を立てて落下する。

 アルベルトが袋の中を覗いてみると、底に最後の一枚が残っていた。


「いいなぁ。最後の一つって、とりわけオイシイんだぜ。特別にお前に譲ってやるよ」


 うらやましそうに言った後、飄々と笑いながら、ロキはシャワー室へと去って行った。


 リザがアルベルトの為に作ったチョコチップクッキー。その最後の一枚。

 まじまじと見つめてから、一口噛んだ。

 しっかりしているのに軽い。絶妙な食感。

 最後の一枚を、あっと言う間に食べ切ってしまった。


「あれ……………」


 視界が薄らぼやける。マクスウェルの悪魔の研究と、ロキが使う魔法道具の製作による疲労のせいか。


「姉さん。しょっぱすぎるよ」


 チョコチップのほろ甘さを、引き立たせる為に使った塩の量が、この一枚に偏ったのか。

 アルベルトは目頭を押さえてから、ロキのせいで中断した作業を再開しなければ、そう自分に言い聞かせ、ペンに手を伸ばす。

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