第二章 魔法使いと神(9)

 銃口から伸びた角はクワガタのハサミの装飾。ロキの後ろに立ち、一風変わった銃の引き金を引いたのは、アルベルト・マクスウェルだった。


「おっかしぃ~なぁ~。今日の昼はトンカツだぜぇ。もしかして、虫入りキャベツだったのかなぁ。ハハハハ」


 冗談を言っている間も、高音が幾度も鳴り、その度に光線が体を襲う。時間差で肉や内臓を容赦なく食い破り、背中から真っ赤な噴出と共に消えゆく甲虫。


「ロキさん、ごめんなさい。こうするしか無いんです」


 満身創痍のロキに、淡々と引き金を引き続けるアルベルト。

 弟の信じられない行動を、巨体によって這いつくばったままリザは突きつけられる。


「どう言う事だッ、アルッ!! アンタが何をしてんのか、分かってんのか」


 怒声。エンキドゥが黙らそうと拳を振り上げる。


「手を出すな。ドゥーカ」


 どこからともなく、ギルガメッシュは葉巻を取り出し、それに火を点けていた。


「うるさいな姉さん。分かっているよ。僕が何をしているのかを」


 ロキの肉体は再生しているにも関わらず、体中が抉られていくばかり。


「どうして裏切った? 私はアンタがギルガメッシュから自由になって、自由に魔法を勉強できるようになってもらおうと、ロキに頼んだんだ――――」


 息苦しくて咳き込んだ。


「どうして裏切った!!」


 今すぐ止めさせたい。立ち上がりたくても、びくともしない巨体が邪魔だ。唯一できる事と言えば、この怒りを声に出してぶつける事しかできない。


「伝えたかったんですよ。姉さん。余計な事はしないで欲しいと」


 アルベルトの冷ややかな答えに、愕然としたリザは口を大きく開けたまま。


「ロキさんは目立ちすぎなんです。僕の家を凛陽さんと時雨さんに見張らせていましたよね。他にもギルガメッシュさんは、babironで起きた異変を教えてくれました。そして、何か変わりはないかと聞かれたので、僕はありのまま全てを話しました」


 引き金を引いて一呼吸置いた。


「その後は、僕が報告係となって、ギルガメッシュさんが作戦を考えてくれました。怪しい武器取り引きに乗ったのも、エンキドゥさん達がここに駆けつけたのも、全て作戦通りだったんです。後はお二人が余計なものを排除して、僕達は今まで通りの快適な生活を送るんです」


 ギルガメッシュが葉巻をくゆらせる。


「ヴァルハラを呼んだのは俺だ。詐欺師。奴ら、テメェの名前を出したら喜んでいたぞ」


 全てを知り、ロキの口元が歪む。


「ックク、フッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。アーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ」


 笑い皺と真っ赤な血を凝縮させ、腹の底から笑い飛ばした。大きな笑い声が応接室中に響き渡り、その狂気は聞く者全てを唖然とさせた。


「グヒヒッやられたぜ。この俺が、まんまと騙されちまうなんてよぉ。あーオモシロイ。サイッコー。復活してみるもんだぜぇ」


 引き笑い。ロキは今の状況に歓喜し、楽しそうに踊ってすらいる。


「手が止まってるぞ。アルベルト」


 ギルガメッシュに促されて、アルベルトは我を取り戻し、銃を握り直す。ロキの反応があまりにも予想外すぎて、戸惑いを処理し切れなかったのだ。


「やめろ。アル」

「いいよ、アリー。撃てよ。そいつで俺を殺すんだろう」


 ロキがここを狙えよと心臓を指して、銃口を向けるアルベルトの方へとゆっくり近づく。


「ロキ、何を言ってるんだ。アルもいい加減にしろ」


 リザは無理矢理声を張り上げた。それでも何も変わらない。

 引き金にかけようとする指の震えが止まらない。浅い呼吸を何度も繰り返し、近づいてくる奴に焦点を合わせる。さっきまでやっていた事をもう一度実行するだけ、さっきまでやっていた事をもう一度実行するだけ。自由になる為、引き金を引いた。


「アル!!」


 ロキの胸に光線が当たり、やがて肉が蠢くと、虫が肩を引き裂いて消えた。そして、微笑。


「ハッズレー。そこは俺のハートじゃないぜ」


 軽々しく命を削るロキにリザは戸惑うが、弟の非道を止めない理由にならない。


「アル。アンタはいったい何を見てきたんだ。アンタや私の為に、どれだけの血が流れているのか、分かんないのか」


 体のあちこちをズタズタに斬られ、血みどろになった凛陽。その傍には、踏み躙られ、打ち砕かれ、絶望に叩き込まれた時雨。


「時雨さんと凛陽さんには同情してますよ。ギルガメッシュさんに両親を殺されたから。でも仇討ちを挑む機会を得た。そして、挑んで負けた。ある意味、自業自得じゃないですか」


 他人事を聞かされ、リザの頭は沸騰する。


「アンタだって人間だろ。目の前で、ポニテちゃんがどうなったか、見てないなんて言うんじゃないよ。ギルガメッシュに殺されたんだぞ。その姉ちゃんだって――」


 興奮して息を切らす音に、アルベルトはため息をつく。


「見てないのは姉さんの方だ。凛陽さんと時雨さんは少なくとも人間じゃない。数え切れない程の致命傷を負っても、体が再生し続けるなんて、怪物モンスターか神しかあり得ない。今は死んでいる様に見えても、時間が経てば蘇る。よみがえりますよ」


 自分に言い聞かせる様でもあった。


「そう言って、蘇らなかったらどうするんだ」


 張り裂けそうな叫び声。リザは住んでいる世界の違いに堪えられなかった。


「ヘヘッ、神やモンスターだって痛みを感じるんだぜぇ、アリー。肉抜きして、体が軽くなったって訳じゃないんだ。そりゃもうヒリヒリするし、虫に食い破られる時は、ぐちゅぅぐちゅぅ、アッーーーー」


 ロキの出す太い奇声に、アルベルトはすくんだ。


「ヒヒッ、カワイソウに、そこで伸びた凛陽なんて、アルベルトだったら致命傷を何度浴びたことやら。そいつが神経の一片、一片にベッタリ染みつくんだぜぇ。まぁ、俺は弱っちい神だし、こんなの日常茶飯事だから、平気だけどな。ハハハハ」


 白い歯を出して、赤々と笑い飛ばすロキ。それを黙らそうと、アルベルトは引き金を引く。

 高い音。モゾモゾと喉の辺りが蠢き、肉を抉り飛ばした。

 声が出ないと気付き、ロキは手を鮮血に染める。


「あー、あー、テス、テス。しゃべりは俺の数少ない趣味の一つなんだ。アリー、それを奪わないでおくれよ。ところで、俺に言ったアレは嘘だったのかい?」

「………………あれ?」

「姉ちゃんに礼を言いたい、じゃなかった。行き詰まりを感じた、ここではないどこかで研究云々って話しさ。忘れちまったって事は、ぶっちゃけ、どうでもいいって訳だ」


 その通り。アルベルトはロキが言った事で思い出した。


「僕が今の環境を捨てる? 本気でそんな事をすると思ったんですか? 余計な雑音が無くて、好きな時に食事を頼めて、必要な物も用意してくれる。マクスウェルの悪魔の完成以外にも、魔法道具やレポート等を作る必要もあるけど、それは緩い。わざわざそれを捨てて、雑音だらけで、不便さしかない外で、研究する必要があるんですか? 意味が分かりません」


 自分の正当性を語り、不合理を言う相手を撃った。

 撃たれているにも関わらず、ロキは穏やかに息を吐き出す。


「……後、聞きたいんだが、俺の通い妻は楽しかったってのは本当だよな?」


 ふざけた調子が陰ったロキは捨て犬みたいで、アルベルトはつい目を背けてしまった。


「………………楽しかったですよ。魔法の話しに、持ち込んできたガラクタを魔法道具にする事や、変なところも含めて。ロキさんに会えて良かったと思いますよ…………………………」


 躊躇いに首を振って、銃を構え直す。


「でも、前に言いましたよね。僕はマクスウェルの悪魔を完成させたいと。それは、どうしてもなんです。その妨げになるものは一つでも多く排除したいんです………………………………ロキさん、あなたも含めて」


 銃口がロキの心臓を捉え、光線が放たれる。

 甲虫と血を吐き、嗤う。


「んだよ。神は悪魔に勝てねぇのかよ。草葉の陰でプロメテウスも泣いてるぞ。俺だって、お前の事をマブダチだと思っていたんだぜ。それを裏切るなんて、あんまりじゃないか」


 体をよじらせ、挑発的に指した。


「お前なんて一生悪魔とダンスして死ね」


 アルベルトは苛立ちを覚え、奴の姿が目に入らないように足を撃ち、虫に食わせた。


「ロキ」


 無様に床へと倒れる姿にリザは呼ばずにはいられなかった。


「悪ィ、悪ィ、ほんのジョークだ。本気にすんなよ」


 まだ笑っているロキを見て、リザの胸の辺りが自己嫌悪で苦々しくなるが、それを押し込んでアルベルトを睨んだ。


「アル、お前は何もわかっちゃいない。ギルガメッシュが用意した最高の環境、その代償がどれだけ高いか? 先祖が作ったって言う魔法が、スゴイ奴じゃなくて、ショボい奴だったらどうなる? 母さん、親父、私はともかく、お前も殺されるかもしれないんだぞ」


 アルベルトは何を言ってるんだと鼻で笑う。


「姉さん、魔術書はいいですから、せめて、自然の流れが見えるようになってから、言ってくれませんか? もし、マクスウェルの悪魔が大したことなかったら、僕が名前に見合う魔法にすればいいだけです」


 中性的な顔立ちからは想像できない野心に満ち溢れた表情を浮かべて、尊大な言葉が出てきた。

 怒りを通り越してため息。


「クズっぷりだけは成長したな。けど、肝心の魔法の方はどうなんだ? ギルガメッシュに用意していただいた最高のカンヅメで研究しているんだから、試験に落ちたた時よりは成長してるんだろうな? アル」


 反論できず黙ってしまう。


「逆に、試験に落ちた程度の実力で完成する魔法なのか?」


 抑えこんでいた感情がいっきに膨れ上がったのか、アルベルトの口がわなわな震えだす。


「うっさいんだよ!!」


 爆発させた怒り。銃の狙いを這いずるロキからリザに変える。

 怯えるどころか、首だけでも向かっていく気迫の姉。引き金を引こうとしたが、重く、重くて、ロキの様にできない。


「ァラァッ」


 奇声を上げて投げ出すように銃を振り回した。

 今まで見られなかった一面にロキが「ッハハハハハハハハハハハ」と大笑い。アルベルトはそれを黙らす為に、不愉快な笑い顔に五発撃ちこんだ。


「はぁ、はぁ、姉さんは僕に嫉妬しているんだ。なんたって、はぁ、家族の中で魔法ができないのは、姉さんだけだからね」


 落ち着きを取り戻しつつある声。ただ、中性的な顔立ちが醜く歪んでさえいる。


「魔法が存在できなかった時代に、先祖が生み出したマクスウェルの悪魔。それに形を与えるのは僕だ。大げさかもしれないけど、この魔法はきっと世界を大きく変える。栄誉と共に僕の名前が歴史に残る」


 話していく内に、再び野心に彩られていた。


「姉さんはそれに嫉妬しているから、僕を不自由な場所に放り込もうとしているんだ」

「違う」


 すぐに否定した。変わってしまった、見た事なかった弟とリザは向き合う。


「お前は逃げているだけだ。受験に失敗した事を認めず。行くべき高校がつまんないと決めつけて、同じ年の子と遊ぼうともせずに、自分から部屋に籠って、ずっとダラダラ研究」

「僕は真面目に、研究に取り組んでいるんです」


 首を振る。


「違うね。何度だって言ってやる。お前は逃げているだけだ、アル。起きない親父と母さんの面倒を神に押し付けた」


 アルベルトから血の気が引いた。

 姉弟の言い争いを余興にしていたギルガメッシュが、二本目の葉巻に火を点ける。

 倒れ伏したロキ。喰われた目を取り戻し、千切れた頬は肉を取り戻していた。

 静かな応接室に呟き。それは、呪詛だ。


「そんなこと言うのか、そんなこと言うのか、そんなこと言うのか、そんなこと言うのか、そんなこと言うのか、そんなこと言うのか、そんなこと言うのか、そんなこと言うのか」


 激しい憎悪が、悪辣な裂けた笑みとなって現れた。


「ヘッ、姉さんがそんなことを言うんですか。事故で父さんと母さんが、起きないと分かったら、僕を置いて、すぐ家から逃げ出した、姉さんが、そんなこと言うんですか」

「そ、それは…………」


 物怖じしないリザが言葉を詰まらせると、アルベルトはここぞとばかりに粘っこく責め立てる。


「僕は覚えてますよ。試験に落ちた次の日、『住み込みで修業する』とだけ、メッセージを残して出て行った。それって、父さんと母さんの面倒を、僕に押し付けたと言われてもおかしくないですよね」

「あ、あれは、既に決まっていたんだ。家から店まで二時間なんだぞ。行って帰って終わっちまう。それに、親父と母さんの世話には、魔法の素養が必要なんだ。私にはムリだ」


 言い訳するリザをアルベルトが鼻で笑い蔑んだ。


「それって、僕とどう違うんですか。仕事を言い訳にして出て行ったのと、研究を言い訳にして出て行ったのと、何が違うんですか? 魔法が使えるか、使えないかなんですか? 魔法が使えないからって、何もしなくていいって訳ですか」

「悪い………でも、仕送りはしてただろ。なんて、言ったらダメか」


 リザはアルベルトを直視するのが辛い。


「姉さんはコックとしてお店を持つ為に、父さんと母さんを置いて修業。でも、僕がギルガメッシュさんの許で、魔法の研究をする事には反対だ。つまり、こう言う事だよね。姉さんは自分の夢が叶わなくなるから、僕が魔法使いとして成功するのが嫌なんだ」


 今のリザには、アルベルトから浴びせられる責め苦がエンキドゥよりも重くて痛い。


「ちがう。そんなつもりじゃない、そんなつもりじゃ――」


 アルベルトの冷めた態度はしだいに失せ、激しい憎悪を剥き出しにして睨んだ。


「そんなつもりじゃない? よく言うよ。だったら、あの時、僕になんて言ったか覚えているかい。覚えてないだろ」



 薄暗いキッチン。テーブルには手の込んだごちそうが並んでいる。

 詰め襟の制服を着たアルベルト。一切手を付けずうわの空。

 見下ろし、リザはため息をした。

『自分の魔法が未熟だって、分かってよかったんじゃない』

『魔法なんて、どこでも勉強できるんでしょ』

『その程度で落ち込むなら、魔法なんてやめれば』

 失意のどん底に落ちたアルベルトを、リザは足早に横切り、キッチンを出て行く。



「姉さんは僕に魔法をやめて欲しいから、そんな事を言ったんだよね」


 吐き出された怨恨にリザはぶちのめされた。


「ちがう、私は………そんなつもりじゃ――」

「だからなんだよ!! 僕は傷ついたんだぞ!!」


 狼狽えるリザをアルベルトは糾弾した。


「でも、姉さんのそんな顔が見れてよかったよ」


 相手が誰だろうと立ち向かっていく凛々しさを、弟によって打ち砕かれてしまったリザ。眉尻は下がり、涙を流すまいと精いっぱい堪えているものの、咽んでしまっている。


「アル…………………………」


 這いつくばっても、下だけは見ないようにしてきた。魔法に憑りつかれていた弟を、殴ってでも連れ戻すつもりでいた。だが、真意を知った今。リザはすっかり罪悪感に呑みこまれてしまった。


「ッハハ。なるほど、だから、アリーはお姉ちゃんが嫌いってわけだぁ。いや~、体を張った甲斐があるぜ」


 愉悦に浸っているアルベルトを、ロキの愉快な笑い声が現実に引き戻した。


「ロ・キ、さん」


 復活する存在を忌々しそうに撃つ。だが、放たれた光線は避けられてしまった。

 肩をさすってみせるロキ。


「ッー。けど、掠っただけじゃ、バグらずに済むのか」

「もう二度と僕に関わらないでください。僕はマクスウェルの悪魔を完成させたいんです」


 間髪入れずに放たれる光線。たくさん攻撃を受けまくっていたのに、アクロバティックな動きでロキは避けていく。


「ん~。アリー、お前が姉ちゃん嫌いな気持ち分かるぜぇ~。あんなこと言われたら、俺だって一生立ち直れねぇよ」


 光線が当たらず、アルベルトはイラついていく。


「でも、姉ちゃんの言う通りかもな、お前はいろいろ逃げてるぜー。きっと」

「うるさい!!」


 怒鳴り声に「ぉおー、怖い」肩をすくめる。


「だって、部屋にいた時の服って、私服じゃないだろ。アイツ等から聞いたけど、あれ、お前が落ちた高校の制服なんだっけ。まぁ、俺だって、ヴァルハラの制服に袖を通したんだ。他人(ヒト)様の事を言えないわな。ハハハハ」

「うるさい」


 光線をかわすと、笑っていたロキの顔が締まる。


「最後に聞きたいんだけどよ。その銃はアリーが作った物なのか?」

「違います。僕なんかがとうてい足下にも及ばない、すごい魔法使いが作った銃です」

「へぇー。じゃあ俺は死ねねぇな」


 軽口を叩くが、軽薄さはいっさい含まれていない。ロキは真っ直ぐアルベルトの許へと歩き出す。


「来るなッ」


 アルベルトが光線を撃つと、ロキはそれを正面から受け止めた。だが、当たった直後に出てくる筈の光る甲虫が、肉を食い破らない。

 迫ってくる。体中を震わせて、逃げながら撃っていく。


 ロキは一切笑みを浮かべない。


 いくら撃ちこんでも肉を食い破らない。いくら撃ちこんでも歩みを止められない。アルベルトからマクスウェルの悪魔を取り上げようと、得体の知れない何かが迫ってくる。


 アルベルトはぬかるみに足を取られて尻餅をついた。べっちゃりと、手がどろどろと汚らしく染まった。どぎつい酸味の臭いが鼻を襲う。吐しゃ物が混じった血だ。


 ただならぬ視線を感じ、首を動かす。

 真っ赤に染まった相貌が、全てを焼き尽くしかねない程の殺意が突き刺してくる。全身をずたずたに斬り刻まれ、怨嗟の塊となった凛陽。


 また一歩、また一歩、ロキが迫ってくる。

 アルベルトの精神がどんどん削げ落ちていく。逃げると言う選択肢は、顧みなかったものに恐怖した時点でとうに失った。

 そして、とうとう追い詰められた。


「うわぁぁぁぁぁあっぁぁああああああああああああああああああああああああああああっ」


 錯乱したアルベルトは、凍える手付きで、むりやり引き金を引いた。ぶれぶれの銃口から放たれた光線が腹部に命中するものの、動きを止めることは無い。


 カチカチカチカチカチカチ。

 カチカチカチカチカチカチ。


 歓楽的に殺害する赤い瞳がアルベルトを写し、命をこねくり回そうと伸びてくる手。


 カチカチカチカチカチカチ。

 カチカチカチカチカチカチ。


 ロキが銃身を奪うようにつかみ、自身の額にクワガタのハサミの装飾を突きつけた。


 カチッ、カチッ。


「アリー、魔法使いなら、余所様のじゃなくて、自分のでやらなくちゃなぁ。それに、起動型魔法は、俺みたいな奴にはチョ~便利だが、よくイカれる」


 額から血を流して笑うロキ。

 何もしてこない。放心したアルベルトは銃から手を放す。


「………………………………………………………………………………………………どうして?」


 小動物の様に怯えながら、意図の読めないロキを見上げる。


「どうしてかって。俺はアリーには手を出さないし、足も出さない。ただし、口は出す。その約束を守っているだけさ」


「やくそく?」


 勝手に流れてくる涙。


「ぁあ~、そうだよ。でも、こんな程度の約束も守れないようじゃぁ、カミサマ失格だろ」


 また笑う。満足そうに。


「約束を守ったから、おめぇのサイコーのビビり顔が、拝めたってもんだぜぇ」


 アルベルトは、いつもどおり「ハハハハハハハハハ」と大笑いするロキを見て、僅かに落ち着きを取り戻す。


「さて、俺はお前の姉ちゃんとも約束している訳だ。アルベルト・マクスウェルをギルガメッシュから自由にして欲しい。ってな」


 腕を広げながら一回転。


「俺はお前に手を出さないし、足も出さない。そして、お前をギルガメッシュから解放する。でも、肝心のお前は、ぬくぬくの環境で、マクスウェルの悪魔を研究したい。つまり、今はお持ち帰りできない。なら、残る手は、俺がギルガメッシュをどうこうするしかないって訳だ」


 一瞬だけ見せた真剣な顔つきに、アルベルトは驚愕した。圧倒的な実力差をさんざん思い知ったと言うのに、ロキは本気でするつもりなのだ。


「どうして!! どうして、こんな事を? 僕は、僕は………………」


 意味が分からない。本当に何を考えているのか分からない。

 にゅっと、アルベルトの鼻先にロキの顔が迫る。


「オモシロそう、だからさ」


 困惑するアルベルトを笑う。


 今の状況を楽しむかのように笑う。


 これからする事で、何が起こるか楽しみで笑う。


 大胆不敵に笑う。


 笑顔から赤々としたものが零れだす。血涙、鼻血、吐血。それが、堰をきったように溢れ出し、真っ赤な笑いとなる。


「ロ――――」


 アルベルトが叫ぶ前に、ロキが「シィーッ」と指で口を封じた。


「おっと、手を出さないって約束したのに、真っ赤なウソをついちまったぜ」


 空いた手でゴシゴシと血を拭う。


「アリー、これから革命を起こすんだ。今から赤っ恥はかきたくねぇなぁ」


 唇から指を離し、ロキがギルガメッシュの方へ向く。


「ギルガメッシュ、お前に挑戦状だ。まぐれでしか攻撃が当たらないナンバーワンにぃ、もしぃ、もぉ一度ぉ、俺が一発でも、ぶちこむ事ができたらぁ、アリーとリザをよこしてもらおうか」


 名指しで叩きつけた挑戦状と、かったるそうなため息。


「俺に受けるメリットはあんのか?」

「あるね。アリーに俺の始末なんてさせたら、一生かけてもムリだね。むしろ、その時間をマクスウェルの悪魔に捧げさせた方が、お得だぜ」


 ギルガメッシュが舌打ちする。


「ふざけんな。テメェの始末はあいつの仕事だ。その為に――――」

「おやおやぁ。貧弱で神器一つ持たない神に、恐れをなすナンバーワンがいるらしい」


 わざとらしい挑発をすると、重々しいため息が吐き出される。


「部下を信頼できてこそのナンバーワンだ。ザコ如きに手は下さねぇんだよ」


 ロキが「ハハッ」と笑う。


「いいや人選ミスだね。アリーは仕事をしたけど、現に俺はこうしてピンピンしている。しかも、メンタルをやったのか、休職中だ。それって、babironがブラック企業なんじゃないかな。ギルガメッシュさん」


 好き放題言うロキに、ギルガメッシュはとうとう重い腰を上げる。


「ウゼぇなぁ。その条件乗ってやるから、さっさと来いよ」


 言ったと同時にロキが走り出し、ギルガメッシュに何度も殴りかかるが、全て外れ。剣で吹っ飛ばされて返り討ちに。

 ロキは余裕とすぐに立ち上がり、軽く笑みを浮かべてから、また向かっていく。体を虫に散々喰われたとは思えない、キレのあるパンチとキックを何度も繰り出し。引っかき、踏みつけ、ねこだましを織り交ぜるが、どれも掠りやしない。

 勝ち目の無い勝負を挑むロキを、アルベルトは理解できない。理由は聞いた。ただし、納得のいくものではない。だから、疑問がたくさん湧く。それが気になってしょうがない。


「ロキさん。どうして戦うんですか。僕はあなたを裏切ったんですよ」


 戦ってる最中でも、ロキはアルベルトの声を聞き逃さなかった。


「そうだな、確かに一杯喰わされた。だが、約束を破る理由にはならねぇ。むしろ、それもコミコミで、お前をギルガメッシュから解放すりゃあいい」


 答えなくてもいいのに律儀に答える。答えるから、気になるから、つい疑問を挟む。


「そんな約束に意味なんて無いですよ」

「俺はカミサマだぞ。人間の願いは叶えるもんだぜ」


 大きな動きをしては避けられ、一方的に斬られる。傷が塞がらなかったら、とっくに死んでいる。再生する限り、同じことをくり返し続けるのだろうか。


「ロキさん、ギルガメッシュさんに勝てない事くらい分かっているでしょ。いい加減やめたらどうですか?」

「これからおもしろくなるのに」

「意味が分からない。結局やられてる。どこにおもしろさがあるんですか!!」


 とぼけた答え。それをする余裕に、アルベルトはイラついた。


「確かにナンバーワンは強ぇえな。けど俺は、不可能だとか、できないって言われている事をするのが大好きでねぇ。いいヒマ潰しになるんだよ」


 笑みを浮かべて言っているが、その間ずっとギルガメッシュに斬られ続けている。


「ウゼぇ」


 ロキが剣閃に足を取られ、そのままバランスを崩し転倒した。


「黙って聞いてやったが、テメェ戦う気あんのかよ? ナンバーワンの俺が与えたチャンスを無駄にする気か」

「スキありッ」


 ロキは姑息な足払いをするが、最小限の移動で回避されてしまった。返しにギルガメッシュから剣で顔を潰されてしまう。


「諦めろ。ヴァルハラにならリムジンで送ってやるぞ」

「イ・ヤ・だ・ね。それに、リムジンくらいになら乗りましたー」


 ロキがへらず口を叩くと腹を貫かれてしまう。剣を抜いたところを狙い、立ち上がりを兼ねた反撃の蹴りを放つと、ギルガメッシュに距離を取られてしまった。もちろん追撃。


「アリー。もし、マクスウェルの悪魔を完成させたらどうする?」


 話す。殴る。避けられる。


「さぁ、まだ完成していませんから」


 完成した後の事なんて全く考えていなかった。


「ッハハッ、今の研究大好きだもんな。でもお前、ず~っとギルガメッシュさんの所でいいのかい? アイツのとこじゃ、一生武器しか作らせてくれないんじゃないかなぁ~」


 ロキは攻撃を避けているが、それを上回る剣速によって、体に受けるダメージが確実に蓄積していく。


「俺が神々を打倒した暁には、アルベルトは自由に研究できるさ。その時には、ワイズマンに昇りつめているかもしれんな」

「神々ナンバーワンになっている頃には、アリーは千の風になってんじゃないかなぁ」


 そう言うと、ギルガメッシュから強烈な一撃をもらい、ロキは体がよろめいてしまう。


「……見たかよ。アイツの遊び心の無さを、ツマンネェにも程があるだろ」


 よろめきをおどけに変えて、アルベルトに訴えかけた。


「俺とお前はよく似ている。高そうな腕時計は分解したいし、暴走するゴーレムからはEを消したくないし、賢者の石は国を売ってでも作りたい。そんな少年みたいな心を持っている」


 アルベルトは石の下りで思わずクスリと笑ってしまう。


「お前にとってマクスウェルの悪魔は賢者の石だ。最高におもしろいオモチャだ。売れるもん全てを売ってでもやりたい。そうだよな?」


 攻撃を繰り出しながら問いかけるロキ。

 アルベルトは、すぐには返事ができなかった。でも、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと、僅かに頷いていた。


「それでいい、それでいいんだアリー。けどな、ギルガメッシュの許で研究するって事はだ。ナンバーワンの役に立たなきゃいけねぇって事だ。アイツはどう見ても野心家だ。世界一嫌いな言葉はムダで。コストカットにおいても、俺がナンバーワンだと言うツマンネぇヤローだ」


 大仰に悲劇を装い、ロキが誰もいない方向を指すと、正面から現れたギルガメッシュに指を斬り落とされる。


「なに言ってやがる。テメェの相手で時間をムダにしているだろうが」

「でもよぉ、アリーの研究したいものがムダってハンコ押されたら。きっと、今みたいにはできないんだろうな~。もし、コッソリやってたのがバレた日にゃ。サクッと殺されちまうんじゃね。だって、刀欲しさに時雨と凛陽の両親を始末しちまったんだぜ。きっとやるさ」


 ギルガメッシュがアルベルトの方を見る。


「買えるものは買う。買えないものは奪う。投資すべきものは投資する。処分すべきものは処分する。ただそれだけの事だ」


 アルベルトは、ロキを倒す為に支給された銃バグリーを見る。ギルガメッシュにとって、魔法使いアルベルト・マクスウェルは、ただの投資対象にすぎない。


「アリー。お前さんは若い。が、人間の寿命はパーティより短い。だから、遊べるうちにどんどん遊んだほうがいい」


 ロキが再生した指で指す。


「魔法使いは自由であるべきだ」


 衝撃的だった。安っぽい台詞の筈なのに、アルベルトは霧が晴れた様な新鮮さを覚えてしまう。


「まぁ、俺を楽しませてくれるオモチャを作ってくれるなら、魔法の創始者として、より自由を保障しようじゃないか」


 おどける。いつもどおり体をぐにゃりと曲げ、いつもどおりニヤけ、自信満々だ。


「それって、ロキさんがつまらないと思ったら、どんな目に遭ってもいいんですか?」


 アルベルトは言葉の裏を読んでしまい、捻くれた態度に。


「いや、毎日つくれって言ってるわけじゃない。ときどきぃ、三日に一度、週一、月二ぃ、くらいかなぁ。ぁあ~ダメ、ダメ、だめかぁ~」


 ロキがギルガメッシュと戦いながら、チラチラと視線を送った。アルベルトは見ているだけで、なにも答えようとしない。


「なんだよぉ、アリー。時雨のマネか。じゃあ~~、いつかでいいや」


 ロキは拳をギルガメッシュの顔面まで肉薄させ、外したから指をパチンと鳴らす。


「そうだ。俺がなんで、ウルトラZな事をするのが好きなのかを。ヒマ潰し以外にも理由があるんだぜ。特別に教えてやろう」


 アルベルトは興味を引かれた。もしかしたら、マクスウェルの悪魔よりも知りたいのかもしれない。


「これは魔法と一緒さ。魔法だって自然を不自然に、神ばりにコントロールしちまうんだぜ。作る前はできなかった事が、作った後は、縦じまが横じまになる程度のヌルいもんさ」


 ロキのパンチが空を切り続ける。ギルガメッシュはイラついた顔をしながら、的確に攻撃を返していく。


「アリー。今の俺はギルガメッシュに一撃を入れるどころか、その前にブッ殺されそうだ。そう思ってるよな」

「はい」


 はっきり返事し、分かりやすく頷いた。


「ヒ・ド・クね~。俺、絶対やんよ~。やってやんよ~」


 攻撃を受けている事よりも、アルベルトに期待されてない事にガッカリする。そこに斬撃が襲いかかるので回避してみせ、すぐ側転しながらギルガメッシュから距離を取った。


「見てろよ。俺がギルガメッシュに一撃を入れる。超カッコイイ姿を」


 宣言したと同時にロキが走り出す。


「俺がエクストリームに挑む理由。それは、できねぇと思っていた奴の、驚くツラと吠えヅラを見るのが楽しみでなぁ」


 ロキは止まってすぐ折れたナイフの破片を踏み付けて浮かし、ギルガメッシュに向かって蹴り飛ばす。

 軽く顔を傾けるだけで、ナイフの破片は掠りもせずにどこかへいった。ロキは次の手と動き出す。


「そんなのできねぇ、嘘っパチだと言いやがる。けど、やりたいと思うとな」


 ロキはギルガメッシュにある程度近づくと、ほぼノーモーションで手榴弾を投げつける。


「頭も体も勝手に動きやがる」


 だが、慣れない投げ方をしたせいか、手榴弾は天井の方へ飛んでいった。


「なんてな」


 オチをつけたと同時に起こる爆発。

 手榴弾で天井を壊し、瓦礫をぶつける筈が、爆発の跡すら残っていない。ギルガメッシュはつまらなさそうにするだけだ。


「ハァーーーーーーーーーーッ。空気読めよ。どいつもこいつも、さっき、俺カッコ付けたでしょ。イイ話したでしょ。天井は無事だし、ナンバーワンは無傷だし、どうなってんだよ」


 うるさいブーイングを飛ばした後、本当に決まると思っていたのか、ロキは肩をガックシ落とす程へこんでしまう。


「バカが。この応接室には結界があんだよ。たかがグレネードの一発で壊れてたら、ハイエナの一匹も呼べねぇ」

「じゃあ欠陥品だな。大砲の一発で窓がバーンだ」


 効果と共に手を動かし、揚げ足を取る事に必死なロキ。ギルガメッシュは呆れた様子で何も言い返そうとはしなかった。


「よ~~し、論破したついでに、ギルガメッシュに一発入れてやるぜ」


 ロキが腕を天高く掲げると、空いた腕でかかって来いと挑発する。だが、相手にもしてくれない。


「どうしたナンバーワン? 来ないのか、来ないのかよ。いつも通りに動いたら、俺に一発いれられんのが怖いのか。よぉ」


 はしゃいだ煽りに、ため息が答える。


「なんで、格下のテメェんとこに、俺が行かなきゃいけねぇんだ? テメェが来い」


 ため息。ノリの悪さにガッカリ。


「わ~ったよ。俺発、俺のアタックを、ギルガメッシュナンバーワン宛てに、スピード配達するよ」


 ロキが軽口を叩きながら、アルベルトの方を見る。


「見てろよ」


 アルベルトは力強い言葉に押され、目を離さないようにした。

 ロキが腕を掲げたまま、ギルガメッシュの鼻をあかそうと立ち向かっていく。


「魔法って難しいよな」


 突っ込むように走る。


「二発目は当たってないよな」


 話しているのに、笑っているのに、ロキの走りがさっきより速い。


「けどよ、やりたい思いが強けりゃ」


 間合いに入り、ロキが掲げたままの腕を躍動させる。


「強いほど」


 捻った腰を回転させ、顔面を鋭利に捉えたフックを放つ。


「なんか、できてるぜ」


 ロキが肩越しにアルベルトを見て、笑ってやる。


「ロキさん!!」


 名前を呼ぶその声は悲鳴だった。


 天井から、ぐにゃりとした蛇と思しき物体が落ちてくる。それは、ギルガメッシュによって切断されたロキの腕。サイの目状に斬れて、血と一緒に床へと降り注いだ。

 造作もない、当然の結果だと、ギルガメッシュが表情一つ変えずに鼻で笑う。

 ロキが鼻で笑い返す。


「!!」


 肌に伝わってくる空気が、ほんの微かに鋭い。違和感が溢れた自信と余裕を曇らせ、ギルガメッシュを動揺させる。彼の頬に、ボールペンの線と見間違う程の、小さな小さな傷ができていた。


「な、できただろ」


 ロキが腕を掲げた時。手の平の中には、コートの中に残っていた風の刃を起こすピンポン玉を握りしめていた。

 間合いが詰まり、ロキが殴りかかってくる。小細工を警戒していたギルガメッシュは腕そのものを切断しようと、ギリギリまで引き付け、現した剣を振るう。

 握った拳は引っ込めず、自ら肉を斬り裂いていく勢い。

 途切れる前のありったけの力で、ピンポン玉を潰し魔法を起動した。

 ロキの腕が吹っ飛ぶよりも僅かに早く、拳の隙間から漏れ出た風の刃が、ギルガメッシュの顔を掠ったのだ。


「まぁ、かすり傷に対して腕一本は、我ながら赤字だと思うよ。ハハハ」


 風の刃に巻き込まれて、あちこちを切り、二の腕から先を失ったロキ。それでも、満足気な清々しい笑みを浮かべている。


「アリー」


 呼びかけたロキをギルガメッシュが強く蹴り飛ばす。

 アルベルトの傍まで吹っ飛んだロキは、立ち上がる事もできない。


「やべぇ、ハシャギすぎちまった。もうネタ切れだわ」

「ロキさん………………」


 体中の傷口は塞がらず流れ出る血、失った腕は失ったまま。この短時間の戦闘で数え切れないほどの再生をくり返してきたから、限界を迎えてしまったのだ。


「嘘っ、パチも、できりゃ、マジだ。マクスウェルの、悪魔だっ、て、きっと、いる」

「ロキさん」


 呼びかけても、不敵で怪しい笑みを浮かべず、うわの空に天井を仰ぐだけ。口から生まれたと言わしめる達者な口も、今は軽口の一つも叩かない。


「アルベルト、詐欺師にトドメを刺せ。今の奴は死に体だ」


 ギルガメッシュからの命令。アルベルトは固唾を呑んでいた。


「簡単なゴミ捨てだ。終わったら、また俺の為に研究を続けろ」


 目の前に落ちているゴミと称されたものを、言う通りに処分すれば、今までどおりマクスウェルの悪魔を研究する事ができる。なのに、アルベルトは立ち尽くしたまま動けない。

 動こうとしないアルベルトにギルガメッシュが舌打ち。


「アル!!」


 意を決し、叫ぶように呼びかける声。それは、弟への罪悪感に呑まれ、沈んでしまっていたリザからだった。


「アル、話を聞いて、くれ。お前に嫌われている事は、分かった。でも、聞いて欲しい」


 今の彼女には悲愴は無く、叱りつける激情も失せ、母性を垣間見せる穏やかさがある。

 アルベルトの方へ歩き出していたギルガメッシュが、リザの方に目を向ける。


「私がお前に、ギルガメッシュの所で研究して欲しくないのは、嫉妬しているからじゃない」


 耳に入ってくるリザの声。だけど、今のアルベルトには、何か意味のある単語の羅列。


「お前は、私が家族を捨てたと思っているんだろうけど、私は……」


 言い訳に気付いたリザは、そうじゃないと首を振って言うのをやめた。

 聞かされているギルガメッシュは、ただ無意味な交渉、茶番の類だと鼻で笑いながら、歩みを急がず悠然としていた。


「アル、あの日、お前が受験に落ちた日。私が言ったことは本心じゃないんだ」


 どんな行動をすればいいか分からない。そんな思考に遮られていても、人生を左右した出来事。その真相は聞き逃さなかった。


「あの日、言ったことは、受験に落ちてウジウジするお前に、なにくそ根性で立ち上がって欲しかったから言ったんだ。あんな事を言った私を見返すんだって、がんばって欲しかった」


 リザの言うことを、アルベルトが天秤にかける。それは嘘か真、どちらにも傾き、強く揺さぶった。


「信じてくれなくていい。ただ私は、お前の夢である立派な魔法使い。それになる為に選んだんなら、進め」


 リザが動けないアルベルトの背中を押そうとする。


「生かしといてやるが、テメェのせいで大損害だ」


 ギルガメッシュがアルベルトの近くまで来た。


「私のせいで、お前の大好きな魔法を、苦しいだけの魔法に変えてしまって、すまない」


 リザは弟が見ていようと見ていまいと、自分の過ちを認めて頭を床に付ける。

 謝罪する姉に、アルベルトは怒りを覚えて咄嗟に拳を強く握り。悪態をつこうにもつく事ができないから、唇を噛んでしまっている。


「私もロキみたいにお前を信じてやればよかったよ。だってアイツは、お前に裏切られても、体張ってがんばってたんだぞ。いい友達にも見えるよ」


 倒れているロキ。真意を聞きたくても、でまかせの一つも言ってくれない。今のままでは何も分かりやしない。そこに、押し潰してくるような威圧感が迫ってくる。


「友達はよく選べって言うよな」


 今までも怖かったが、向けられてこなかった殺意にアルベルトは怖気づいてしまう。


「お前を一人ぼっちにしてごめん」


 優しすぎて頼りないくらいの声を出して、リザは瞳を潤ませながらも、その口元だけは笑っている。


 いきなり抱きしめられた。それも後ろからだ。本当にされたわけではないけど、恐怖で震えていたアルベルトに懐かしい温もりが伝わり、ほんの僅かだけど楽になっていた。


 命令通りに動かない魔法使いを蔑む。


「やれよ」


 鋭く突き刺してくる言葉に、アルベルトはアーマーの大腿部に手をかざすと、武器等を収納する魔法、その魔法陣が瞬時に起動する。


 恩人を裏切りたくない。


 その情動が更なる魔法を起動させる。強大な威力の火球と風を凝縮した砲弾が一緒になってギルガメッシュを襲う。

 二つの銃を握り締め、息を切らすアルベルト。マスケット型で銃身がきらびやかな紅玉の短銃と、もう片方も同型で銃身は少し短いが綺麗に碧(あお)く透きとおっている。


「なにをしたか分かってるよな」


 至近距離からの奇襲に対して、当然の様に無傷だ。

 ギルガメッシュの抑えた声でも、アルベルトは委縮してしまうが、ロキを殺させまいと銃口を下げないよう肩に力が入る。例え、声が上ずっても、小さくなっても、なんとか相手と交渉しようと意を決して口を開く。


「す、すいません。一番得意な属性の魔法と、その次に得意な属性の魔法を撃ち出す、魔銃バルバロッサを、ギルガメッシュさんに撃ってしまって。ただ、ただ僕は、殺す必要まではないんじゃないかと、思うんです」

「それを決めるのは俺だ。テメェじゃねぇ」


 ギルガメッシュの威嚇に、アルベルトは怯んでしまうが、引きさがれない。ロキを助ける為に、次は下でに出ようと頭を深く下げる。


「お願いです。マクスウェルの悪魔を、ギルガメッシュさん、貴方の許で必ず完成させますから、ロキさんと時雨さんを見逃してください。お願いします」


 頭を深々と下げる姿に、ギルガメッシュが一笑に付す。


「取り引きの基本を分かってねぇな。そんな条件、ナンバーワンの俺が飲むと思ってんのか」


 睨めつけ、更にのしかかる重圧。アルベルトは臆しながらも、頭を働かせていた。頼んで聞いてくれないのなら、残された手段は一つ。


「バルバロッサ、魔銃バルバロッサを撃ちます。ギルガメッシュさん程の強い神なら、こんなの余裕で受け止められる、筈です」


 弱気な口ぶりだが、アルベルトは更に狙いを絞った。


「ギルガメッシュさん。貴方に攻撃が命中したら、攻撃した相手にも、受けたダメージを反射する事が、できる筈です。何故なら凛陽さん、ロキさんの攻撃が、貴方に命中した直後、何もされてないのに、二人が苦しんだからでしょうか」


 論理を展開していくうち、声に自信が出てくる。


「確信は持てませんが、バルバロッサのダメージは、ギルガメッシュさんにとっては、例えかすり傷でも、僕は死ぬかもしれない。それは、僕の攻撃を貴方が避けた事で、その仮説が強くなりました」


 「下らん」とギルガメッシュが鼻で笑わず、顔をしかめたまま。


「僕が死んだら、誰がマクスウェルの悪魔を作るんでしょうか。姉さんは魔法の素養がありません。両親は意識不明。子孫でない魔法使いには魔術書は読めません。僕が写して、他の魔法使いに実践してもらうと言う方法もありますが、貴方は情報を漏らしたくない。だから、魔法に知識のある神にも頼りたくない筈です」


 アルベルトから震えが消えていた。


「お願いがあります、ギルガメッシュさん。ロキさん、時雨さんを見逃してください。そうしなければ、貴方にバルバロッサを撃ちます」


 脅しに、ギルガメッシュが感嘆の笑い声を上げる。


「ハハハハハハハ。良い取り引きだ、アルベルト。ちゃんと、相手の欲しいものが、理解できてるじゃねぇか。だがな――」


 姿を消すギルガメッシュ。


「テメェは詐欺師よりノロい」


 アルベルトの背後に現れ、手刀を繰り出した。それを、電撃の盾が持ち主よりも早く察知し攻撃を阻んだ。


「ッ」


 突然、手に襲いかかる高熱と痺れに、アルベルトは銃を落としそうになる。

 正面からギルガメッシュは現れ、電撃の盾を破壊しようと剣を振るう。今までよりも動きは遅く、人間のアルベルトでも対応が間に合い、バルバロッサを撃てた。


 今度は倒れているロキの傍にギルガメッシュが現れる。トドメを刺されないようすぐ攻撃。

 人間のアルベルトが、ギルガメッシュに距離を取らせた。凛陽やロキと比べれば、瞬く間の命のやり取りだが、アーマーの中は一気に汗ダクダクだ。


「ウェイブ・ウォール。俺が護身用に貸した奴じゃねぇか」

「防御したのに攻撃になるんですね。貴方がロキさんを殺したいと言うのは、分かっていましたから、ロキさんに注意していれば、なんとかなります」


 結論に達し、大きく宣言する。


「僕の攻撃を受けたら僕が死ぬ。そして、ギルガメッシュさんはマクスウェルの悪魔が欲しいから、僕を殺したくない。防御を破ろうにも、貴方は強すぎるから躊躇する」


 伏兵となったアルベルトの指摘に、ギルガメッシュは全く動じない。


「だからどうした。方法なんざ、いくらでもあんだよ」


 取り出した大口径のリボルバー。アルベルトが目を凝らしてみると、それは、戦闘の余波とギルガメッシュから溢れ出す力に紛れているだけで、ただのマグナム拳銃だと見抜いた。


「貴方が用意した魔法道具はどれも一流です。マグナムだからって――」


 鉄を叩き潰す様な音から撃ち出される銃弾。見切れないアルベルトの代わりに、ウェイブ・ウォールが防ぐ。だけど、白い閃光を纏った規格外の威力に、激しい放電を起こす。


「後一発でオシャカだ。降参するなら今だぞ」


 ぎりぎり優位に立ったと思ったら、すぐ窮地に立たされ、体中から冷や汗をどっとかく。それでもアルベルトは、ギルガメッシュから与えられた猶予を思考に費やす。

 ロキはまだ倒れたまま、起き上がる気配もない。魔法道具は魔銃バルバロッサと、壊れる一歩手前のウェイブ・ウォール。そして、装着しているアーマーのみ。時間稼ぎをするには心許ない。


 残る手段は戦闘の余波により残った膨大な魔力。そのほとんどが、炎の化身となって、仇討ちを挑んだ凛陽の執念。ロキが多用し、ギルガメッシュも利用した炎や風の魔法道具による残滓だった。

 バルバロッサの特性が示した通り、アルベルトが一番得意な属性は炎、その次は風。ここにある膨大な魔力とは相性がいい。だけど、行動に移れないでいた。


「答えろ!! 降参するのか、それとも痛めつけられたいのか」


 しびれを切らしたギルガメッシュに、アルベルトは覚悟を決めた。バルバロッサを捨て、両手を前にかざし、赤い魔法陣を浮かべる。


「ほぉ、テメェの苦手な魔法じゃねぇか。そんなコケおどしで、ナンバーワンの俺をどうにかできると思ってないよな」


 ギルガメッシュの言うとおり、アルベルトは具象魔法が苦手だ。起動型魔法と違い、道具の介在が無くなるだけで、心が魔力である自然の流れに飲まれてしまい、心象を上手く魔法として現せない。その上、落ち着いた机の上ではなく、今の切迫した状況では、ますます困難だ。


「テメェには失望したぞ。一流の道を選び、三流を切り捨てる事ができたと言うのに、おめおめと乞食みたいに拾いやがった」


 アルベルトは猛然と逆らってくる炎の魔力と、自由気ままで言う事を聞かない風の魔力を、自身の魔法陣にかき集めようとする中。悪意みなぎる声がかき乱してくる。


「俺とロキ。財力、武力、権力、将来性、才能を見抜く力、どれを比べても俺の方が上だ。それを分かっていると言うのに、テメェは泥船に乗った」


 アルベルトが魔法を発動させたくても、炎の魔力は好き勝手に焼きたいと騒ぎ、風の魔力は割れたガラスの向こうへ行きたいと、思うようにいかない。その上で突きつけられる、自身がギルガメッシュの庇護にあったという事実。それをなげうった後悔が負担になってくる。


「ナンバーワンの俺だからこそ。無価値だったテメェに、価値を見出してやったと言うのに、三流以下の情なんぞにほだされやがって」


 受験に失敗し、失意のどん底に沈んでいたアルベルトを見出し、魔法使いとしての自信を取り戻させてくれたのも、ギルガメッシュの存在が大きかった。例え、マクスウェルの悪魔を欲しいが為に、利用されていると分かっていても、感謝してるし、裏切ってしまった事に罪悪感すら覚えている。


「しょせんメイジ五級の三流以下。テメェのちっぽけな魔法は俺には届かねぇし、テメェの選んだものは俺が全部壊す。そうなる事も予想できないテメェは、三流以下の脳みそだ」


 アルベルトにとってロキは、うさん臭く、予測不能で、手段を択ばない、他人ヒトの隙間を突いてくる危険な存在だった。だが、ギルガメッシュと戦いながら、魔法使いの在り方を説き、再生できなくなるまで命を削って体現した姿は、胸をうつものがあった。


「時間切れだ。ナンバーワンの俺が直々に詐欺師を始末し。アルベルト、テメェを処罰する」


 ギルガメッシュがマグナムの撃鉄を起こす。

 助けたい。マクスウェルの悪魔の完成を純粋に楽しみにし、その次の魔法も楽しみにしてくれている事が、アルベルトにとってはとても嬉しかったからだ。


「ロキさんは僕が守る!! ギルガメッシュが相手でも!!」


 決意を叫び、手を交差する。

 舌打ちと同時に発砲。


 アルベルトの魔法陣がギルガメッシュ目がけて飛ぶ。勢いよく飛んだ魔法陣は、強い意志に応えた魔力によって、どんどん大きくなっていく。

 巨大になった魔法陣と絶大な威力が衝突。激しく火花を散らし拮抗すると、魔法が起動。陣全体から火が噴き出し、攻撃を焼き尽くしながら一気に燃え広がり、アルベルトとギルガメッシュを隔てる灼熱の壁ができあがる。


 応接室を二分する灼熱の壁。アルベルトは神経をすり減らしながら、魔法を維持しようと努める。


 ガン。

 ガン。

 ガン。


 アルベルトの全身を揺さぶる衝撃。それは壁を壊そうと、ギルガメッシュが叩き込んだマグナムによるものだ。


 耐えた。膨大な魔力を利用して、手放しで維持しようにもアルベルトは、そんな技術を持っていない。仮にできたとしても、ギルガメッシュ相手にそんな事はできない。今は命がかかっている。


 そして待った。

 一秒、一秒。

 過ぎていく時間が、引き伸ばされたように長い。

 交差し伸ばしたままの腕が、ぷるぷると震え。息は苦しくなっていくばかり。魔法の集中と炎の壁が放つ熱気が、ひ弱な体を更に苦しめてくる。


 その上悪態どころか、熱風が吹き上がるばかりで、誰の声も聞こえてこない。壁の向こうは今どうなっているのか、本当にロキは目覚めるのか。そんな不安が付きまとう。

 やがて、アルベルトは炎の揺らめきなのか、疲労の目まいなのか、その区別さえつかなくなってしまった。


「ふわぁ。アッつッ」


 間の抜けたあくびと大げさな驚き。朦朧としたアルベルトが、声のした方を見てみる。


「すげぇな。これ、アリーが作ったのかよ。この仕事ぶりなら、壁職人として、キレイな嫁さんがもらえるかもなぁ」


 ロキだ。失った腕以外は元通り再生させ、いつも通りの様子で上体を起こしていた。


「ろ、ろろ、ロキさん!!」


 意識がはっきりした。もう二度としゃべってくれないんじゃないかと思っていた、ロキの目覚めにアルベルトは喜んだ。


「わりィ、寝オチしてたわ」

「んん、なぁにぃ、うっさいなぁ」


 眠たそうな声が、アルベルトの後ろから聞こえる。

 気になったアルベルトは、炎の壁を絶やさないように注意しながら、肩越しに見てみる。

 声が出なかった。あまりにも大きい衝撃に、危うく魔法を中断しそうになった。


 ギルガメッシュを相手に剣を振るい続け、攻撃を散々浴びて命を燃やし尽くし、ロキよりも絶望的だった。

 草薙剣を杖にして、なんとか立ち上がる凛陽。体は五体満足に元通り、可愛らしい顔にも傷一つ残っていない。残った力を再生に使ったから、戦う為の覚醒した姿を維持できず、制服姿に。チャームポイントのポニーテールに使うゴムは失ったまま、茶髪を下ろしていた。


「り、りりりりり、凛陽さん!!」


 驚愕を抑えるにも、抑えきれないアルベルトを、復活したばかりの凛陽はめんどくさそうにする。


「ウザ、こんな美少女を化け物扱いするなんて、ヒドくない」


 凛陽の返しに、アルベルトはすぐ正面を向いてしまう。それを「ハハハハハハハハ」とロキが大笑いする。


「しっかし、凛陽。体をバラバラにして寝るなんて、寝相が悪いにも程があんだろ。ありゃ傑作だったぜ。ハハハハハハ」

「つかアンタ、その腕、サメにでも喰われたの」


 ロキが無くなった腕を庇い「これはなぁ」とひとネタかまそうとしたら、炎の壁と対峙するアルベルトから、改まった声で話しかけられる。


「ロキさん、今すぐ逃げてください」

「え、なんだって、ロケットパンチの練習がなんだって」


 耳に手を添えすっとぼけるロキが、今のアルベルトにはとても歯がゆい。


「早く逃げてください!!」


 鼓膜を揺らす大きな叫び。震える背中が危機を物語っている。

 ロキと凛陽がなにも言えないでいると、噴き上がる炎にかき消されそうな声。


「壁の向こうにギルガメッシュ」

「お姉ちゃん」


 凛陽は時雨の方に振り返り、傍へ行く。


「あぁぁんもぉ~。お姉ちゃん口元汚いから、拭いてあげるね~」


 理解できないでいる時雨の口元を、凛陽がハンカチで優しく拭いてあげている。


「なんだよ、アリー。役者もそろったし、これから熱ぅい展開になんじゃねぇの。それを逃げろだなんて」


 ニヤけは消え失せ、冷めた様子で睨んだ。


「白けるぜ」


 衰える事を知らない炎の壁。しかし、アルベルトの息は絶え絶えで、背中も丸まり。魔法を維持する為に伸ばした腕は、ぶらんと下がり。立つのもやっとなくらい疲弊している。


「わぁーったよ。会費も払ったし、今日は帰るわ」


 ロキがそう言って、応接室のドアの方へと振り返る。


「俺と一緒に、二次会行くひと~」


 逃げる事を察知した時雨は動いていた。ただし、ロキの歩きよりも緩慢としている。

 爆発と聞き違える雷鳴。

 炎の壁を越えて、ギルガメッシュがアルベルトの腹を殴っていた。


 何がどうなっているのか分からない衝撃に、愕然としている時雨と凛陽。その様子にギルガメッシュが勝ち誇ると、倒れ込んだアルベルトと共に姿を消す。


 直後、応接室を二分していた炎の壁から、燃え上がる勢いが失われていく。それでも、アルベルトの意志が残っているのか、その姿をどうにか保とうとしている。


「ッハハ、見ろよプロメテウス。火だ」


 炎の壁が消えゆく様を、ロキは悠長に眺めてから走り出す。

 時雨はギルガメッシュが消えた瞬間から、本能的な恐怖に従い走っていた。その後ろを護衛するように凛陽がついて行く。

 もうすぐ応接室の出入り口に、時雨と凛陽がたどり着く。


 突然、ギルガメッシュが現れ立ち塞がる。

 略奪するように時雨を抱き寄せる。


「ギルガメッシュ」


 怒声と共に炎を纏い、草薙剣で首を狙う。余裕を残して、ギルガメッシュは時雨ごと消えてしまう。


「クソッ」


 地面を蹴りつけ踵を返す。

「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」


 姉を失った絶望の悲鳴、姉を奪った憤怒の雄叫び。体に烈火を纏い、草薙剣に殺意を乗せ、猛然と走る。


「がんばるねぇ」


 横切ろうとするところを、軽い調子で軽く凛陽の手首を捻るロキ。


「離せ!! お姉ちゃんを助けるんだ!! 邪魔したらブッ殺す!!」


 炎の真っただ中、ロキが牙を剥き出しにする凛陽を笑う。


「オイオイ、片腕の俺なんかに捕まってんだぜ。ギルガメッシュなんかのとこに行ったら、犬死にだ」

「お姉ちゃんが殺される。お姉ちゃんを助けなきゃ。お姉ちゃんになにかあったら私。お姉ちゃんにまだ…………」


 わめき散らす怒声が一気に途切れ、纏う烈火もみるみるうちに弱火に。


「お前が今死んだら、誰もお姉ちゃんを助ける奴はいねぇぜ」


 ロキを睨みつけて唸る凛陽。


「オイオイ、そう怒んなよ。俺はお前らの仇を探すだけで、もう見つけたんだぜ。契約完了。二人を助けるなんてオプションはねぇ」


 仇を見つけ出すのを手伝うだけで、仇討ちそのものに協力するとは言っていない。


「だけど、俺達が協力すれば、時雨も助かる」


 落としてから上げる。わざとらしさが鼻につく言い方。


「ふざけんな!! お姉ちゃんが殺されたらどうしてくれるんだ」


 治まることを知らない怒りに、ロキは動じないでみせた。


「時雨は殺されねぇよ。本日の特賞、男の嗜み、ロンリーナイトの保険、物持ちは良い」

「サイテー、サイテー、サイテー。アタシのお姉ちゃんがあんな奴に、メチャクチャに穢されるなんて、そんなのサイテー。絶対に――」


 駄々をこねる様に暴れる凛陽に、押さえつけているロキはいっそう手を焼いた。


「サイテー!!」


 高い声で叫んだのはロキだ。手を放してサムズダウン。そして、笑うのも忘れない。


「サイテーなのはしょうがない。けど後二つ、サイテーが付く前に助けりゃいい。そうするには、まず、グッスリ悪夢を見ないといけねぇ。そして」


 ピース。


「大逆転のハッピーエンドだ」


 凛陽が「ハァ」と大きなため息を吐く。根拠の無い自信に満ちた笑いに、怒りを通り越して呆れる。


「イミ分かんない、何が悪夢でグッスリよ。アンタの頭がハッピーしてんじゃないの」


 アルベルトが作った炎の壁。今まで限界を超えて燃え続けてきたが、天井に達していた高さは、よじ登る事ができたら越えられそうなくらい縮み。横幅も、人が横歩きで通れるくらいの隙間ができている。


「そんな事より。あのドアをブッ壊して、ギルガメッシュに一泡吹かしてやろうぜ」

「そんなんで、アイツが悔しがるの?」


 凛陽が小首を傾げる。


「この部屋には結界が張ってあってね。俺たちゃ袋のネズミ。ナンバーワンはこっから出られないとナメてんのさ」


 炎の壁の方にロキが振り向くと、ほんの少しだけ火力が増した。炎を出すピンポン玉を当てたからだ。


「時間は稼いだ。これは逃げじゃねぇ。俺と一緒にギルガメッシュを悔しがらせるんだよ。凛陽は、やられっ放しがいいのかい?」


 凛陽はロキが癪に触ると睨みつけてから、少しだけ可愛げを見せた。


「いいわけないじゃん。いい、このアタシが手伝うんだから。ロキ、サボったら殺すから」

「グッド」


 絶対ギルガメッシュから姉時雨を取り戻し、必ず仇討ちを果たす。凛陽はそう自分に言い聞かせ、残った微かな力に誓いと怒りを乗せて、今はドアに草薙剣をぶつける。


「悪魔ノ尻尾!!」

「ヒャァッホー」


 大火を纏った薙ぎ払いとゴキゲンな飛び蹴りが、固く閉ざしたドアをブッ壊す。

 ロキと凛陽はbabironのビルを脱出。態勢を立て直し、反撃の機会を伺う為に、夜の闇へと消えていった。

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