第二章 魔法使いと神(7)
babironのビルにある応接室。エンキドゥを倒し、アルベルトとリザの安全を確保。後は脱出するのみ。それでも、緩んだ凛陽が時雨に甘えるくらいのゆとりはあった。
筈だった。そこにギルガメッシュが現れる前は。
驚きを隠せないリザに、覚醒状態を解いて不意を突かれた凛陽、怯えたアルベルトは後ずさりする。時雨に至っては息を切らし、胸を押さえたまま動けない。
倦怠感と威圧感を漂わせ、ギルガメッシュは辺りを把握。豪華な内装はすっかり面影を失った。エンキドゥと彼が率いていた部下達は全員倒れていた。深いため息をこぼす。
「ずいぶん情けない姿だな。バスティナードゥ」
聞き慣れない単語を強調して言った。
「すまないギッシュ。油断していた」
飛び起きるエンキドゥ。スーツはボロボロだが余裕でまだまだ戦えそう。
「寝ボケてねぇよな。やれ」
ギルガメッシュの一言を聞いてエンキドゥの姿が消える。
今すぐ覚醒しようと凛陽は草薙剣を出し、全身に力を入れ一気に発火。
炎を裂くギルガメッシュの斬撃。覚醒状態にはなっているものの、速すぎる攻撃に凛陽は防御するだけで精一杯だ。
「キャアッ」
リザの悲鳴。アルベルトの目の前でエンキドゥが姉をさらっていく。
「リザ!!」
「俺を殺したかったんだろ」
ギルガメッシュが草薙剣を弾く。力負けした凛陽は吹っ飛ばされ尻餅を付いてしまう。
「確保した」
エンキドゥがリザを捕まえ、ギルガメッシュの後ろに控えている。
「ご苦労ドゥーカ。テメェはナンバーワンの俺の戦いでも見物してろ」
凛陽が悔しそうに立ち上がると、ギルガメッシュがスナップを効かせて何かを投げてくるので、ついキャッチ。濃い青色の液体が入った高そうな小瓶だ。
「何コレ?」
「仙薬五霊丹って言ってなぁ。死んでない限りは一気に身体を全快させ、徹夜明けでも百人力の仕事ができる代物だ」
塩を送られ、凛陽は小瓶の処分に戸惑う。
「は、意味分かんない。どうせ毒でしょ。いかにも毒ですって色してるし。それに、アンタが敵であるアタシを助けるメリットって無いよね」
嘆息。
「ナンバーワンの俺が、そんなケチなマネするかよ。万全なテメェを潰してこそのナンバーワンだ」
「飲まない方がいいですよ。毒かもしれません」
「ポニテちゃん。アイツはクソが付くほど、いけ好かない奴だけど。たぶん、大丈夫だ」
凛陽は小瓶を開けて、グッと濃い青色の液体を口に含む。
唖然とするアルベルトとマズそうだなと引くリザ。
刺々した口触りなのに、シロップを百倍濃縮した甘ったるさが広がる。後から来る腐卵臭とクセのある苦味が甘ったるさを打ち消さず、ただ要素として際立っている。それでも、気持ち悪さと小瓶への破壊衝動を抑えこんで、上を向きどうにか全部を流し込んだ。
飲んでやったと誇らしげな顔をするも、やはり、マズかったのか咽てしまう。
「ゴッホ、ゴホ。マジ、サイテー。なんなのコレ、罰ゲームでも殺していいレベル」
「凛陽さん。どうして飲んだんですか」
「大丈夫か? 体とか平気か? あー、大丈夫とか言っちゃったけど。とにかく、今はポニテちゃんを信じてる」
アルベルトとリザ。ここでも温度差がある。
「全部飲んだか。それでも、勝つのは俺だって事には変わらないけどな」
ギルガメッシュの言葉を一笑に付す凛陽。
「エラそうに舐めプして、バカにしたつもりなんでしょ。言っとくけどアタシ、調子こいてる特権階級をブッ殺して、お姉ちゃんを安心させるんだから」
ギルガメッシュがそこにいるだけで、恐れ震えている時雨。立っているのもやっとな痛々しい姿に凛陽のやるべき事は決まっていた。
「逆に、こうは考えなかったのか。俺がテメェに毒を盛ると。飲んだら最後、姉の前で無様に殺される。ノロマな姉も死ぬ。弱ってたって、逃げるチャンスくらい作れただろうに。テメェは姉を守れずに死ぬかもしれなかったんだぞ」
可能性に対して凛陽はこれを下らないと笑う。
「毒? 何それ? そんなんでアタシを殺せると思ってんの? 今アタシ、アンタを殺したくて、殺したくて、しょうがないんだからさぁッ!!」
怒髪、天を衝き。起こった炎上が、応接室に容赦無い熱気と激しい輝きをもたらす。
瞬く間に炎を纏った凛陽が渾身の力で灼熱の振り下ろしを放ち、ギルガメッシュに剣で防御させた。
「やるじゃねぇか。ヤキトリ」
「それってアタシ?」
凛陽の周囲を包む炎が落ち着く。それは力を失ったのではなく、ギルガメッシュへの攻撃に割いているからだ。
「その無駄な炎と、俺に負けた事を忘れて、何度も挑んでくるトリ頭っぷり。テメェ以外に誰がいる」
ギルガメッシュが草薙剣を弾いた。凛陽はそれを堪えて、もう一度打ちこむ。
「うっせーんだよ。ナンバーワン中」
凛陽とのつばぜり合いを、ギルガメッシュは持っている剣を消す事で放棄。力余ってつんのめる相手を蹴り飛ばす。
「テメェこそ、悪魔(デヴィル)って言葉を入れないで攻撃してみろ」
蹴りを受けた直後、体勢を立て直しまた斬りかかっていく。
「アンタ、どうしてアタシと親を殺したの? 答えなさいよ!!」
草薙剣を幅が広い刃に青い装飾を施した剣が止める。ギルガメッシュがさっきまで使っていたシンプルなデザインの剣から変わっている。
「なぁ、俺が殺した筈なのに、どうやって蘇った?」
「アンタがナンバーワンのヘボなだけよ」
ぶつかり合う剣戟。凛陽は力強くて荒々しい斬撃を絶え間なく放つ。攻撃は最大の防御の典型。
「ヤキトリが知る訳ねぇか」
一方、淡々と応酬するギルガメッシュは、当てる瞬間に剣を出し用が済んだら消す。
剣閃が明滅する度に剣の種類が変わる。密度ある重い剣、受け流すのに適した短刀、刺々しい刃の大剣、装飾過多な曲刀等々、挙げればきりが無い。
繰り広げられる激しい戦い。見ているアルベルトはそれよりも、ギルガメッシュと凛陽の言った事が気になり、恐る恐る口を開く。
「ギルガメッシュさん。時雨さんの両親と………凛陽さんを殺したのは本当ですか?」
「ああ殺したな。だからって、今すぐテメェが死ぬわけじゃねぇ」
かったるく雑な答え。
「ギルガメッシュ。理由(ワケ)を言えよ。アンタにはその責任がある」
リザが厳しく問いただす。怪物に捕まっているとは思えないくらい肝が据わっている。
「それをテメェらに話して、この俺に何のメリットがある。十文字以内で説明しろよ」
事実を認めたが全く説明する気の無い態度に、リザとアルベルトは何も言えなかった。
「長生きできる。二、三秒くらいわねッ!!」
殺意でいっそう燃え上がる炎。凛陽が草薙剣で押せ押せと暴力的に攻め立てる。
「話せ。話せ。話しなさいよ。隠すなんてサイテー。ブラック企業、ブラック幹部。クビになる前にクビにしてやる」
何故、日常を壊された。何故、姉時雨が仇の影に恐怖しなければならない。考えたくなくても、付きまとってくる疑問。はらわたが煮えくり返るには十分だ。
手が付けられない太刀筋を当たり前にかわし、捌いていくギルガメッシュは、いい加減飽きてきたのか気だるいため息をこぼす。
「ウゼェ。株価が下がるよりかはマシだが、ウゼェったらねぇなぁ」
神が殺人を犯しても、人間よりも軽微な罰で処理される。だが、人間の命よりも自社の株価の方が遥かに重く。犯した罪すら公表しようともしない。
力ある者の傲慢を許さない。脳天を狙った凛陽の一撃。
「前よりマシだが、面白くはねぇなぁ」
十字架を意識させる大剣が草薙剣を阻む。瞬間、刃に電気が迸り、部屋中を一掃する程の雷撃を起こす。
巻き込まれたアルベルトと時雨は、すぐには起き上がれないものの、吹き飛ばされただけで済んだ。
直撃した凛陽は姉の心配もできず、立ったまま動けないでいる。その隙をギルガメッシュが二本の槍で突く。
迫りくる槍に気付いた凛陽は、なんとかこれを払い上げる。そのまま、がら空きになった相手に斬りかかる。
「はぁっ?」
どこからともなく現れた二本の槍が、高速回転しながら浮遊し、草薙剣からギルガメッシュを守っている。
肉を貫く音。さっき払い上げた槍が、狙い澄ましたかの様に背中から凛陽を串刺し。
「正真正銘のヤキトリだな」
高速回転する槍をどかし、ギルガメッシュが蹴り飛ばす。
吹っ飛んだ凛陽は、槍が刺さったにも関わらず、すぐに立ち上がってみせた。自身の頬を叩き、纏い直す火炎。勢いの強さに刺さっていた槍が逃げ出す。異物が無くなったから、大きく空いた傷口は塞がり、服も元通り。
「あ゛ーマジムカツク。全然攻撃当たんないし、槍とかチョー痛いし、つか、その槍、マジなんなの?」
ギルガメッシュの周囲を漂う六本の槍。あたかも意思を持っている振る舞い。
「
「全自動。もしかして疲れたの? ダッサ」
凛陽が鼻で笑うと、六本の槍が天井スレスレまで浮き、矢継ぎ早に撃ち出される。
襲いかかる槍を次々と弾きながら、ギルガメッシュに突撃する凛陽。
戻ってきた槍に正面を阻まれる。側面に回って斬りかかったら、更に二本の槍が護衛に戻ってくる。ギルガメッシュは防御に回った槍をつかんで一気に腹部を貫く。
凛陽は横に逸れて回避し、叩き斬ろうとしたら、後ろから護衛に肩と膝を押され、バランスを崩し倒れてしまう。
頭を狙ってくる槍を凛陽は転がってやり過ごす。一本目が床に刺さっても、二本目、三本目としつこい。もちろん全て回避した。
立ち上がる凛陽。刺さっていた陸槍ワール・ガイストが床から引っこ抜け、ギルガメッシュの許に。
「悪魔ノ翼」
放つ真空の刃。射線上からギルガメッシュの姿が消える。
「下らねぇ」
ギルガメッシュが凛陽の前に現れる。陸槍ワール・ガイストが、頭、心臓、腕二本、足二本を同時に狙う。
寸前。凛陽は炎を一気に噴出して刺突の勢いを殺し、点から逸れる様に体を動かしつつ、草薙剣で心臓を守り、どうにか凌ぎ切った。
ギルガメッシュは舞う槍をつかんでは、次々と的確な突きを放っていく。同行する槍もまた攻撃に加わり、縦横無尽の乱舞となる。
「サイテー」
反撃の機会があると信じ、嵐を剣捌きと炎で凌ぐ凛陽。闘志に燃える髪は切れ、体中はあちこち削げ、出てくる熱い血は煙を上げて飛び散る。再生能力が追いつけなくなる程の猛攻だ。
凛陽とギルガメッシュの戦いを見ていた時雨。互いに剣戟を繰り出していた所までは、一方的に妹が傷つけられる事は無かったから、落ち着いて見る事ができていた。しかし、陸槍ワール・ガイストが出てからは、なぶり殺されていく光景ばかり。
呼吸が苦しい。見たくないものに目が霞んでいく。消した筈の天叢雲剣が握らすように現れたので、時雨は首を振って拒絶した。
刺してくる風と血が煙を上げる音ばかりの中、今にもかき消されそうな声が。凛陽は耳を澄ませて、溢れすぎるノイズの中から、どうにか声を聞き出す。
「逃げて」
もがく様に苦しむ中、必死に絞り出した姉時雨の声。それを聞いた凛陽に迷い無し。痛みなんか気にせず、一気に飛び退く。
「お姉ちゃん。ありがとう」
追撃してくる槍を凛陽は次々と弾き、今度こそがら空きになったギルガメッシュに向かう。
距離を詰めると、背後を狙う槍。引き付けるだけ引き付け、凛陽は振り向き様に四本の槍を薙ぎ払う。
「悪魔ノ翼」
ギルガメッシュを守る二本の槍を悪魔ノ翼が一気に焼き払う。
「今度こそ」
走り出す凛陽。突如噴き出してきた水の縄が炎を超えて四肢をからめとり、あられもない体勢で逆さ吊りに。
「……ピンク」
見てはいけないと分かっていても、アルベルトはついつい見てしまう。
「アル、後ろを向け」
羞恥心に堪えられないのと、拘束を解きたい両方から凛陽が暴れる。
「み、見んな。クソッ、マジサイテー。アンタ、乙女に触手とか、す、スカートの中身を見るとか、ま、マジ殺してやるんだから。変態」
水の縄を出しているのは、先端が四つ又に別れた杖ウォーターフーパー。持っているギルガメッシュが鼻で笑う。
「乙女? 俺には、これから絞められるチキンにしか見えねぇな」
杖を振り下ろすと、連動して凛陽も床に叩きつけられる。そのまま引きずられて壁にぶつかると、雑巾の様に壁に擦りつけられ、今度は天井に。
「はぁッ」
凛陽が気合いと共に、縛りつける水の縄を水蒸気に。天井を蹴りつけ、纏う炎を灼熱にまで高め、ギルガメッシュへと一直線。
突然、巨大な水流が凛陽に襲いかかり、業火もろとも飲み込んだ。
「火消しには十分だな」
発射したギルガメッシュ。持っていた杖は消え、代わりに、青銅に輝く小型の砲塔グランパスを腕に装着している。
どれも、凛陽がマンションの屋上からギルガメッシュを襲撃しようとした時、それを阻んだ魔法道具だ。
応接室に立ちこめる水蒸気。それを凛陽の一振りが晴らす。
「今のアタシは、前のアタシより強いんだから、おんなじ技が通じる訳ないでしょ」
ギルガメッシュが手を前に出し、かかって来いと指を動かす。それを見た凛陽は、一拍間を置いて走り出す。
グランパスが、薙ぎ払うように構えた凛陽に狙いを定める。
詰まっていく間合い。ギルガメッシュの口元が歪む。見逃さなかった凛陽が回避を始める。
標的は時雨。グランパスの砲塔から巨大な水流が放たれる。
「お姉ちゃん」
時雨に一滴でもかからぬよう、急いで巨大な水流へと向かう凛陽。
草薙剣を水の塊に突き刺し、燃え盛る刃で切り裂いていくと、反撃の狼煙が生じる。
「やっちまえ」
「凛陽」
リザ、時雨が勝機を信じて声援を送り。アルベルトは今起ころうとする事に息を飲む。
ギルガメッシュの懐に凛陽が猛接近。できる限り最速で、最強火力の草薙剣で真一文字を描く。
「そろそろ、本気を出してやるかぁ」
不吉な声だけを残し、手応えさえ無く、影すら見えない。
突然、凛陽の腕が斬れ、血が噴き出す。
背中合わせに現れるギルガメッシュ。持っている剣は血で染まっている。
「俺ならここだぞ」
凛陽が振り向くと同時にギルガメッシュを斬る。
無傷。悠然と立っていた。一方、凛陽の身体には斬られた傷ができていた。
「ぁあああっ」
痛みの叫び。正面に立っていたギルガメッシュが姿を消し、横に現れたと同時に凛陽の太ももが貫かれていた。
凛陽の体がすぐに再生し、傷を塞いでいく。その様子を、ギルガメッシュは腕組みをして見下す。
「バカにすんなッ」
手応え無し。それでも凛陽は、目の前の相手を殺してやろうと炎を絶やさず、素早く荒々しい斬撃をがむしゃらに繰り出す。
猛攻の中、ギルガメッシュは草原から吹く風を浴びる様に優雅に佇んでいた。
凛陽の振るう草薙剣。その刃はもとより、そこから溢れる炎さえ、皇威に溢れる黒衣に届くことは無かった。
「ハァアアッ」
気迫に満ちた凛陽の剣がギルガメッシュを斬るも、全く掠りやしない。代わりに己の背中が斬られていた。それを嘲笑う様に、ギルガメッシュが正面に姿を現す。
「この俺は、気前の良さでもナンバーワンだからなぁ。教えてやるよ。殺した理由を」
挑発的に見下してくる。凛陽は今すぐ斬ってやりたい衝動を抑え、耳を傾けてやる。
「気にいらなかったからだ」
何を言っているのか理解できなかった。
「もう一度言ってやるよ。気にいらなかったからだ。チープで悪かったな」
あまりにも理不尽で漠然とした理由によって、日常が破壊された。凛陽は怒りを燃やし、時雨は苦しみを抱え続けなければならないのか。
「ふざけんなッ、ふざけんなァッ、ふざけんなァァァッッ!!」
命を軽んじられ、踏み躙られた激情により、烈火となって溢れ出す力。凛陽が正面から速攻でギルガメッシュを斬りつける。
反対にまた斬られていた。
「絶対、許さない。アタシがアンタを死刑にしてやるんだから」
斬る。裁かれないと言うのならば、自身の手で神と言う名の邪悪な存在を焼き払う。
「許さない? 笑わせる。理由を話せば許してくれんのか? 頭を下げれば許してくれんのか? 金を積めば許してくれんのか? 違うよなぁ。結局、加害者をブッ殺して満足したいんじゃねぇか。だったら、もっと殺す気で来いよ」
憎悪を以って、過去最速を極めた筈の剣速も、現れては消える速さに翻弄され、すり抜ける様な空を切る感触。その度、嫌みに華麗な技で返されてしまう。例え当たらないと分かっていても、凛陽は絶対に仇を討てると信じ、ひたむきに草薙剣を振るい続ける。
手も足も出ない一方的な戦いを見せられて、リザとアルベルトは絶句してしまう。
火の粉と血飛沫が舞う。数え切れないほど肉を切り刻まれ、何本もの動脈から血を噴き出した。心臓を切断されたら気が遠くなり、肺が潰れれば剣速が極端に鈍る。脚をやられれば、立っている事さえままならない。
凛陽が傷つく姿に時雨もまた傷ついていた。なぶり殺しに遭う妹の姿に胃が絞めつけられ、早くなりすぎる心臓が更なる痛みを生み、呼吸は苦痛を吸って吐く不快なものだった。
俯いても、肉が斬れる音や血が床にはねる音が聞こえる。特に鮮明なのは呻き声。脳裏に悲鳴となって、我が身をズタズタに切り裂いていく。耳を塞ぎたくても、腕は冷たく凍りつき微動だにしない。
再生していても、いずれ限界が訪れて死ぬ。天叢雲剣から聴かされた。あの不快で侵食する死を想起した途端、時雨の奥底で何かがざわめきだす。戦う事を求める天叢雲剣から責め苦を浴びせられ。聴こえてくる凛陽の悲鳴。その三つが協奏し、理性を押し潰していく。
「……凛陽……やめて」
凛陽は時雨の僅かな悲鳴を聞き逃さなかった。瞬間、下火になった炎が再び燃え上がり、ギルガメッシュの剣を弾いた。
「
死角に立つギルガメッシュに、灼熱の猛火を纏った斬り上げが決まる。防御を捨て、草薙剣にありったけの力を込めた凛陽必殺の一撃。
無傷を誇ったギルガメッシュの体が、真黒い火傷で蝕まれ、深く焼き斬れていた。
「大したこ――――」
吐血。
突然、草薙剣が握れなくなり、床に落ちて消える。
「キャァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」
慟哭を上げるように血が噴き出す。激痛が滝となって襲いかかる。凛陽の体にはギルガメッシュに悪魔ノ尻尾を決めた時の太刀筋と、瓜二つの致命的な傷ができていた。
「光栄に思え。ナンバーワンの俺が、わざわざテメェなんぞの攻撃を喰らってやったんだ。当然『目には目を歯には歯を』代償を支払って貰ったぞ」
攻撃を受けたにも関わらず、ギルガメッシュは絶大な力を誇示する。
「嘘だろ。起きてくれよ」
リザは凛陽が起きるどうこう関係無く、声をかけずにはいられない。
「りよ、りよ、りよ、りよ、りよ、りよ、りよ、りよ、りよ」
狼狽える時雨は満身創痍の妹を呼び続ける。だけど、その足は、本能的に不快な死から遠ざかろうと後退していた。
「ノロマ、よく目に焼き付けろ。虐殺においてもナンバーワンの俺が、テメェの妹をどうするかを」
ギルガメッシュが十字架を意識させる大剣を振るうと、斬撃と巨大な雷が同時に凛陽を襲う。白銀に輝く美しい剣が一閃。応接室の真ん中に少女を氷漬けにしたオブジェができあがる。それを紅蓮に染まった細身の剣が瞬時に焼き払い。風車の形をした鍔の曲刀が気流の刃をいくつも起こし、敗者を細断していった。
時雨は無慈悲で嗜虐的な追い討ちを、直視できず背を向け逃げ出していた。見なくても視える死が、執拗に突きつけようと迫ってくる。生じる恐怖で体が思い通りに動かなくなり、足がもつれて転んでしまった。
ぶちまけられた泥の様な音、粘っこいものと重々しいものが入り混じって床を転がり。這いつくばったまま動けない時雨の足もとにぶつかる。
ねちゃっと不快な感触。見たくはなかった。ただ、天叢雲剣とは違う声、胸の奥底から生じるざわめきが、見ろ、見ろと時雨に訴えかけてくる。
躊躇いが体を緩慢に動かし、足もとに転がる現実と向き合わせる。
床をあちこち塗りたくる汚らしい赤と黒。炎に炙られ、片や凍りついた、肉片とも臓物とも見分けのつかないものがいくつも漂う。虐殺の末、戦う為の腕や脚はねじ切れ、掻き回された胴体は脈動しない。
いじらしく勝機を信じても、文字通り首の皮一枚となっては、絶望を叩きつけるだけの不快な死の産物となった。
ねちゃねちゃと音を立てて迫る黒衣を纏った死。足下を妨げるものをぐちゃっと潰し、無惨に転がる妹を踏み台代わりに冒涜した上で、残された姉を見下した。
「どうした? あの時みたいに剣を取って来いよ。この俺がこうして待ってやってるんだぞ」
既に体と服を再生させたギルガメッシュが、凛陽を踏みにじる。時雨は押し潰してくる恐怖に咽び喘ぎながら、手を赤黒く染めてでも這いつくばって進み、頭をどうにか上げ「やめて」と慈悲を乞う。
「ハッ、テメェがノロマだったから、妹はこうして死んだんだ。こうなったのは、全てテメェのせいだ」
「ギルガメッシュ!! どう考えたってアンタが悪いに決まってる」
リザが啖呵を切って時雨を弁護する。
「バスティナードゥ」
エンキドゥがリザの頭を鷲づかみ、顔面から床に叩きつけた。
「リザ、下らねぇ善悪を考える暇があんなら、ナンバーワンの俺に相応しい朝食を考えろよ」
「…………クソヤロウ……………」
リザの呻きに、かったるい嘆息をしてから、ギルガメッシュは時雨の方を見てやる。
「テメェのせいで、俺のコックが床に転んじまったよ。なぁ、テメェの妹は家族だかの仇を取る為に、ナンバーワンの俺に挑んだが、テメェは妹の仇を殺(と)らなくていいのかよ」
四つん這いになるだけで限界。このまま突っ伏したくても、流れた血にこれ以上体を染めるのは不快極まりない。
俯くだけの時雨に突きつける。銃と呼ぶには大きく、機械的に洗練された形態をしたエメラルドに輝くキャノン砲。
「テメェは動物以下のノロマだな。逃走も闘争もできないなんて、死ぬ以外ねぇよ」
血の
「天叢雲剣、うすうす持ってるとは思っていたが…………まぁいい。それよりそれは、俺と戦う気になったと、とっていいのか? なぁ」
天叢雲剣がうるさく「戦え」と求めてくる度、不快な重りとなって全身にのしかかり。手当たり次第に死をまき散らす暴君ギルガメッシュが、その様子を笑いながら魔の手を伸ばし、絞め潰してくる。もがけば、もがくほど、惨劇を再燃し続ける為の生贄になった妹凛陽、彼女の傷口から垂れ流しの赤黒く不快な血を注ぎ込まれる。
時雨は溺れる代わりに、胸の奥底のざわめきが激しくなる。動悸でも過呼吸でもなければ、天叢雲剣でもない。根源的な不快とは違う別のなにか。その正体を考える猶予も無く、臨界を超えた不快が体を壊していき。溢れかえった死に、もう堪えきれない。
喉から苦々しい臭いが抜け、焼けるような酸味が外へと押し寄せてくる。時雨の口から汚濁を立てて、グチョグチョでベタベタした、えげつない臭いの吐しゃ物が赤と黒の上に落ちた。
「きったねぇなぁ」
飛び散った血肉を踏んづけていったギルガメッシュが、眉間にシワを寄せ引いた。
吐いても楽になれない時雨。口の中に残った気持ち悪さと、自分が出した吐しゃ物を目の当たりにして。不快が不快の連鎖を呼び、じんわりと吐き気が込み上げてくる。
「リフォームする前に、この俺直々に掃除でもしてやるか」
引き金がゆるやかに動く。察した時雨は目をつぶってしまう。
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