第二章 魔法使いと神(2)

 本棚に囲まれた明るい部屋には、魔術書の山やメモで雑然とした大きい机がある。少年は紙に手をかざし、自然の流れである魔力を注ぎながら呪文を唱え魔法陣を描いていた。


 少年の名前はアルベルト・マクスウェル。可愛らしい顔立ちに金髪のセンター分けは肩まで伸ばしているから、よく女の子に間違われる。


 二股に別れたマントの下はカーキ色の生地に神秘的な装飾を施した制服。諦めたはずのメディチ魔法高等学校の制服で、ギルガメッシュから提供されたものだ。


「それは、自然と同義の魔力を御す魔法使いの性質。刻むのは雷と土を変異した負の調べ。それを放射。勝手気ままな自然を捕らえよ。我、自然を喰らう場となりてここに顕現せん」


 アルベルトの目には魔法陣の上に魔力が漂っている。それを自身の心と繋げて、呪文を呟きながら魔法陣の外縁部を描ききると、最後は真ん中に点を打つ。


 だが、これで完成したわけではない。魔法陣を起動して魔法が発動するか、それを確かめなければ完成とは呼べない。

 魔法陣を見る。集中し、自身の心と周囲に漂う魔力を集めて繋げる。


「ハァッ」


 気合いと共に魔法陣が赤く光り魔法が発動する。周囲にある魔術書やメモ、椅子とアルベルトが魔法陣に吸い寄せられる。


「うわぁッ」


 頭を魔法陣にぶつけたところで魔法が効果を失う。


「痛ッたぁ。また、磁石の魔法だ。雷を使うのはやめてみるか…………」


 侵入者を警告するブザーがうるさい。魔法陣を描くのに夢中で気付いていなかったのだ。切る手段が無いのと、ここまで来た侵入者への好奇心、気分転換を目的に部屋の外へと出る。


 水面を思わす空間は、魔法使い二十人がかりで作った侵入者を撃滅する為の空間だ。

 アルベルトがドアから出てみると、そこには光りの縄でがんじがらめに縛られ、逆さ吊りになっているロキの姿が。


「よぉ、助けてくれないか」


 話しかけるロキだが、アルベルトはその様子をじっくり眺めている。


「光か。拡散と収束を定義できるけど、それは光そのもので力を集めるには…………」


 ぶつぶつ呟く。頭の中で魔法陣を描いているからだ。


「おいおい、そりゃねぇぜ。俺は少年にとっての昆虫標本か。見てないで助けてくれよ」


 ロキは訴えかけるがアルベルトの反応は無い。聞こえてないと言うよりは意識から遮断されている。


「待て!! 俺の名前はロキ」


 アルベルトの小さな背中が遠のく。


「ちょ、お前、リザ・マクスウェルって、姉ちゃんいるだろ。俺はそいつの使いっパシリだ」


 無反応。このままでは救出どころか、逆に捕まってしまう。頭に血が上っていく中、知恵を巡らせ、魔法使いの関心を引くであろう単語を口にする。


「プロメテウス」


 部屋に戻ろうとしたアルベルトの肩がピクリと動く。


「魔法使いなら知ってて当然だよなぁ。プロメテウスの偉業を知らない魔法使いなんて、俺から言わせれば、失格だね。どうしようもないクズだね。炎に焼かれて死ぬがいいだね」


 ロキが煽っていると、さっきまで無関心だったアルベルトが小走りで迫ってくる。


「プロメテウス、ハァハァ、貴方も、ハァ、プロメテウスを、ご存知なんですね」


 息を切らし、目をキラキラ輝かせるアルベルト。

 かつての仲間の名前を出したら、こうもあっさりと釣れてしまうので、ロキは拗ねたくてしょうがない。


「……そ、そうだ、さすが魔法使い。しかも俺は、プロメテウスの魔法を知っている」

「本当ですか!!」


 ますますアルベルトの目がキラキラしていく。思惑通りだ。


「その前に、この縄を解いちゃくれないか? スペルが頭の中に沈んでいけねぇ」

「ダメです」


 あっさりと手のひらを返す態度にロキは舌打ちする。


「残念ですけど、それはできません。もうすぐ警備員が貴方を助けてくれますので、大人しく待っていてください」


 ロキに背を向けたアルベルト。とり憑かれた様にぶつぶつ呟きながら自分の部屋へと戻っていく。


「土よ。積み重なって安住を造りて、万物のいかなる攻撃からも守る事を誓え」


 魔法の呪文に思わず足を止めてしまう。


「土よ。安住を求めし者の風を奪う事なかれ。それは安住を誓わず。有益と無益を区別せよ」


 気が付けばアルベルトは空間を漂う茶色い土の魔力を集め、呪文を復唱しながら魔法陣を作っていた。


「起動型魔法と具象魔法に炎と土の属性を組み合わせた高度な魔法。その触りって奴だ。こいつはラグナロクの際、神々の攻撃から人間を守る為のシェルターになった」


 相手は侵入者。興味深い単語を並べているけど、うさん臭さが漂っている。付き合うだけ時間の無駄。それなのに魔法には手応えがある。


「あ~残念だ。同じプロメテウスを知る者なのに。自ら知る機会を手放すとは。この世界を変えられる新たな魔法を創りだせるかもしれないのに」


 生唾を飲んでしまう。研究に行き詰っている今。新しいアイディアが欲しい。


「分かりました。あなたを解放します。だから、僕にプロメテウスの魔法を教えてください」


 アルベルトは規則より魔法の探究を選んだ。これからする事は研究を完成させる為に必要な事だと自身に言い聞かせる。


 手をかざし、空間に漂う風の魔力を集め、青緑の魔法陣を描く。


「早くしてくれ。頭がパンパンになりそうだ」


 うるさいけど、できるだけ魔力を注ぎ込む。


「スラッシュ」


 アルベルトが叫ぶと魔法が発動し、風の刃が次々と打ち出される。そして、ロキを縛っている光の縄を切断していく。


「イッテェェ」


 ロキは頭から地面に落下したが、すぐに立ち上がってゴキゴキと首を鳴らす。


「サンキュー。さ~て、こんな所で立ち話もアレだし、あの部屋で話そうか」


 アルベルトが案内するよりも早く、ロキが我が物顔で部屋の中へと入ってしまう。


「それ僕の部屋…………」


 その厚かましさに少し引いた。



「ぇええッ、嘘。さっきの魔法はプロメテウスの魔法じゃない」


 ロキは悪びれもせずに笑う。アルベルトは存在しない魔法よりも、さっきの魔法の結果と考察を書かないと。机の真ん中に吸い寄せられて散らかった魔術書やメモを元に戻し始める。


「どうでもいいじゃん。そんなの。魔法ってのは人間の心と自然を繋げてイメージをドーンってやるだけなんだから。プロメテウスだろうがデタラメだろうが、どうでもいいんだよ」


 下らない事と聞き流すアルベルトはメモが書けるスペースだけをどうにか確保。魔法の結果と考察を書こうとしたら、そこに黒い影が差し込む。


「邪魔です」


 見上げると、ロキが大きい机の上であぐらをかいている。


「おいおい冷たいな~アルベルト君。せっかくだし、俺ともっとお話ししようぜぇ~。なぁ」

「気安く名前を呼ばないでください。僕にいったい何の用ですか?」


 アルベルトが冷たく接してもロキのにやけた顔はそのまま。


「だからぁ~。お前の姉リザにアルベルト君を、ここから連れ出せって頼まれたんだよ」


 姉の単語を聞いて机に置いた手が震える。


「帰ってください。僕には姉なんていません。それよりも、僕にはやらなければならない事があるんです」


 小声に速い口調。アルベルトはメモに視線を落として断る。


「ま~た魔法の実験か。お前、雷の属性で物を引き寄せたんだろ。でも、俺を拒否るって事は完成じゃないって訳だ。それって魔法の基礎がダメダメだから、完成しないんじゃねぇの」


 ロキの言う通り。魔法陣の上では魔法を発動した後に残った黄色い魔力が明滅している。

 そして、突き刺さる。完成してないのは事実だし、入学したかったメディチ魔法高等学校の奨学金試験に失敗したのも言う通り基礎ができてないからだ。


「そ、そう言うあなたは、何か魔法使いの資格を持っているんですか?」

「魔力は視えるさ。けど魔法は使えねぇ」

「人のこと言えないじゃないですか」

「だって俺はロキ。神だぜ」


 ロキが得意気に自分を指してみせる。

 よりにもよって自然の最高位の存在である神を図々しくも自称する。馴れ馴れしさを超えた態度も、アルベルトを余計イラつかせる。


「言っておきますけど、僕にだって、魔法を使えない自称神を撃退するくらいの力はあるんですからね」


 アルベルトの首をロキの両足が挟んだ。


「ヒぃッ」


 もし、少しでも力が加わり、捻られてしまえば、マッチ棒みたいに容易く折れてしまうだろう。


「その気になれば、お前さんをキャリーバッグに収納できるんだがなぁ。けど、バックが大きいからアルベルト君にも協力して欲しいんだよねぇ」


 魔法で撃退すると言ったのは牽制と舐められたくない思いからだった。だが、よほどの事が無い限り、ロキに魔法で攻撃するのは危険だとアルベルトは判断した。


「とりあえず、俺はこれ以上足も出さないし、手も出さない。それは約束しよう。あくまでアルベルト君の意志を汲むつもりだ。ここから出たいと思ったら俺が力を貸そう」


 ロキがあぐらをかいたところでアルベルトの警戒心は緩まない。


「オーノー。信じてくれてない。どうすりゃ俺を信じてくれる。うーん」


 和まそうとしたロキだがアルベルトは黙り込んだまま。何か思いついたのか、指を鳴らす。


「アルベルト君。魔法はどこの誰が創ったんだろうな?」


 ロキの質問にアルベルトが静かに答える。


「マナナン・マクリーン、オーディン、アテナ、ブラフマーによって創造されたと言われています」


「あいつらが? ハッ、インテリだし、天上の主より気前はいいかもしれないが、知恵の泉をがぶ飲みする市長気取りの目立ちたがり。そんな連中が人間なんぞに万能ツールをくれてやると思うか?」


 アルベルトはロキの冒涜的な発言に口を挟まなかった。


「俺ならプロメテウスのジジイを推すね。あいつは人間には激甘だ。おこづかいもガッポリくれるからな」

「まるで過去に行って、会ったみたいな言い方ですね」


 ロキがアルベルトの冷ややかな態度を笑い飛ばす。


「ハハハハハハ、知り合いさ。なら、プロメテウスの昔話を聞いてみないか? なぁにただの昔話だ。害は無い。お菓子も無いけどな」


 おどけてみせたが反応無し。気にせずロキが話を始める。


「むか~し、むかし、クロノス率いるティタン族を、ゼウス率いるオリンポスの神々がフルボッコにしました。その後、ゼウスが一大勢力を誇っていましたが、彼には困った癖がありまして。それは、女だったら種族を問わずに手を出す雑食系でした」


 魔法の結果と考察。その作業に取りかかるアルベルト。聞き流すつもりが、つい吹き出してしまう。


「魔法使いもゴシップがお好きと。さて、ティタン族には生き残りがいました。プロメテウスです。プロメテウスは監禁され、ゼウスの命じた研究をするのが仕事でした。あれ、こんな状況、どっかで見たな。ッハハハハ」


 アルベルトはペンを振ってるだけで全然筆が進んでいない。


「ある日、プロメテウスはゼウスから、人間用の惚れ薬の開発を命じられました。すると、なんと言う事でしょう。神と人間の差が分かっちゃったんです。神や巨人は自然そのものの集合体だったのです。ゼウスは雷、ポセイドンは水、ハデスなら炎の様に。それに比べて人間は、生命にテキトーな自然を混ぜた安物パティみたいな存在だったのです」


 ロキの話が一段落する。


「初めて聞きました。本当だったら面白いエピソードですね」


 アルベルトは全てを信じたわけではないが、ロキの語る神と人間の違いは正しかった。


「僕はプロメテウスを、彼が書いた魔法の資料。その写本で知りました」

「それなら楽しい魔法を創ってくれた奴に礼でも言わなくちゃなぁ。サインだって欲しいだろぉ、ッフッフッフ」

「無理ですよ。そんなの」


 アルベルトの寂しそうな様子にロキが首を傾げる。


「恐らく、人間に神と渡り合える力を授けてしまったから、ラグナロクが起きたんでしょう。その後、現代に蘇った神々によって、プロメテウスは消されてしまったのかもしれません」


 あくまで、アルベルトの推論だけど、尊敬する存在が消されたかもしれない。それを口にするのは辛いものがある。


「ハッハッハッハッハッ、あのジジイが簡単にくたばるかよ。油汚れよりもガンコなんだ。今頃、山にでもへばり付いてるぜ。俺が保障する」


 ロキが自信たっぷりに言って太鼓判を押した。

 ふざけた態度から出てくる質の悪いジョーク。でも、お互い行方に関する根拠が弱く、アルベルトもどこかで生きている様な気がしてしまい、何も言い返せなかった。


「こうなるんだったら、俺の武勇伝をヒエログリフにして残しときゃ良かったな。そうすりゃアルベルト君も、俺を神だと分かってくれんのに」


 ほんの少し感心させられたと思ったら台無しにしてくるボケ。アルベルトがロキを白い目で見ていると、部屋の外から大勢の足音が近づいてくるのが聞こえてくる。


「アルベルト君。カツ丼でも頼んだ?」

「そんなもん来ません。外の魔法が解けたから、警備員が弱った侵入者を探してるんです」

「アルベルト、ドアを開けろ!! 侵入者が来てないか確かめる」


 ドアをガンガンと叩く音に怒声が聞こえてくる。


「お願いだ。俺をいない者にしちゃくれないか」


 ロキが両手を合わせて頭を下げてアルベルトにお願いする。


 待ちかねた警備員が勢いよくドアを開ける。銀色に輝く鎧の様なアーマーにフルフェイスのヘルメット、古めかしい意匠の銃を装備した警備員が五人入ってくる。


「無事か。まさかとは思うが侵入者を匿ってはいないな?」

「………ドアは今の今まで開きませんでした」


 アルベルトの真偽を測る為、警備員の一人の足元から青くて大きい魔法陣が浮かぶ。部屋全体を隅々まで調べるように青い光りが広がる。


「反応ありません」

「散開して目視で確認しろ」


 本棚の裏や横それに上、バストイレ。ベッドは布団をめくり、下も覗いたが、警備員達は侵入者を発見する事はできなかった。


「では引き続き。ギルガメッシュ様の為に働いてくれ」

「はい」


 アルベルトが頷くと警備員達は部屋を出ていく。


「ハァー」


 ベッドの底から疲れた様子のロキが這い出てくる。


「どうして見つからなかったんだろう。魔法を使っていたし、ベッドの下も調べていたのに」

「簡単さ。魔法の時は息を止めてやり過ごした。奴らが動き出した時はへばり付いていた。下を見た奴は単純に上を見なかったってだけのハナシ」


 ロキの説明に納得できないアルベルトは唸る。


「上手くいきすぎな気がするんですよね。だって、侵入者がいるのに、ベッドの下をちゃんと見なかったんですよ。ちゃんとしてませんよ」


 ロキは不満気なアルベルトをなだめようと両手を上下に動かす。


「まぁまぁ、俺はいないもので神だからいいんだよ。んじゃあ、アルベルト君のお仕事の邪魔しちゃあ悪いし、そろそろ帰らせてもらうよ」


 唇を尖らせるアルベルトをロキが飄々と横切って行く。


「また、明日」


 ロキは背中を見せたまま手を振って部屋を出ていく。


 アルベルトは机に向かい魔法の結果と考察に再び取りかかる。

 あの時、babiron私設の警備部隊に突き出せば、なんの気がかりも無く魔法の研究が続けられるだろう。それなのに、ロキと名乗る怪しい奴をかくまってしまった。


 魔法の知識はあるみたいだが、プロメテウスの魔法は嘘だったし、語る話もうさん臭い。その上、神だと自称する。簡単に警備員をやり過ごせたのもどこか納得いかない。なにより、こんなうさん臭い奴をかくまってしまった自分自身が。


 おかげでアルベルトは魔法の研究に集中できなかった。



 ロキが部屋に来てから翌日。アルベルトは普段通り、机に置いた紙に魔力を注ぎながら呪文を唱え魔法陣を描いていた。


「ハァッ」


 心と魔力を繋げ、完成した魔法陣を起動する。

 魔法陣の上から光の玉が浮かぶ。瞬くと、周囲を舞う塵の様な光の粒が無数に表れる。光の粒が光の玉に吸い寄せられ大きくなっていく。


「おお」


 感嘆するアルベルト。膨張する光の玉が机の上に積んだ魔術書に触れた途端、いっきに弾けてしまい、激しい閃光と衝撃に襲われる。


「ウワアッ」


 治まる閃光。椅子から転げ落ちたアルベルト。周囲を見渡すと、積んだ本やメモがあちこちに散乱していた。


「本が無事で良かった…………でも、光だけしか集まんなかった。本来は全ての属性を集めないといけないのに」


 魔法の失敗にアルベルトは落ち込み気味。そこにノックも無しにドアが開く。


「来ちゃった❤」


 はにかんだ少女を意識した言い方。やって来たのは煤で真黒く服や顔を汚したロキだ。

 アルベルトは驚いて腰を抜かした。


「な、なんで!! ま、まさか。いやそんな筈が。いや、でも」


 昨日、ロキが帰った時から今までブザーは鳴っていなかった。部屋の外は通行許可証が無いと、侵入者撃退の魔法が発動する。発動したら魔法の罠を生成し、侵入者が引っかかれば、警備室とアルベルトがいる部屋に備えた警告のブザーが鳴る仕組みだ。


「今日は一階から通風孔でここまで来たからな。キャビア色になっちまった。一番メンドイ魔法の空間はソロ~リ、ソロ~リ歩いて行ったからな。無傷ってもんだ」


 アルベルトはロキのジェスチャーを横目に椅子へと座り、ひとまず落ち着いた。


「本当に帰ったんですか? あの空間に残ったか、部屋から出た瞬間に殺されたのかと思いました」

「いやいや、あんな住み心地悪そうなとこにいるなら通い妻になった方が断然イイね」


 ロキは当然と言った様子で机の上に座る。


「邪魔です。僕はこれから作業をするんです」


 アルベルトの抗議をロキが茶化す。


「え~。じゃあ俺どこに座ればいいんだよ」

「座る場所なんてありません。とにかく邪魔なんで出て行ってください」


 ロキは気にせず、黒コゲになった魔法陣をつまみ上げる。


「ま~た難しい魔法陣作っちゃって。今度は光の魔力だ。あれか、将来は賢者にでもなるつもりかぁ」


 からかわれたアルベルトはとても腹が立ったけど、そのまま表す事もできずに大きくため息。


「どうせ僕なんか、賢者には程遠いですよ。言っておきますけど、僕はここから出ませんよ」

「それならさぁ、アルベルトく~ん。俺のイスを魔法で作っておくれよ。そしたら邪魔なんかしないぜぇ」

「無理です」


 はっきり言われ、ズッコケそうになったロキは苦笑いを浮かべる。


「なんだよぉ。これから難しそうな魔法を作るんだろ。なのに、イスの一つも作れないなんてガッカリだ」

「簡単に言わないでください。魔法で物を作るには、元となる素材から作る錬金術が一般的なんです。それだって専門知識が必要なのに。ゼロから物を作るのは、それよりも大変なんです」


 アルベルトの説明にロキは大あくび。


「分かってねぇなぁ。自然に何させるか、それを心に思い浮かべるのが魔法の基礎だ」

「そんなに言うんだったら自分の魔法で作ってください」


 はっきりと言ってやったアルベルト。


「俺、神だからムリぃ~。魔法なんて使えましぇ~ん」


 手でバツの字を作りロキはふざける。


「そうですか。なら諦めてください」

「でも俺は作り方なら知っている。材料もベストには程遠いが、ある。ちょうど目の前には一流企業に選ばれた優秀な小人もいる。イスの一つや二つ、朝飯前だね」


 作業を邪魔され、イラつく言動の数々。相手にしなければ飽きて帰るだろうと、アルベルトは無視を決め込む。


「ハハハハハハハ。魔法使いなのに魔法の面白みを知らないなんて悲しいね」


 魔法が使えないロキに好き勝手言われ、アルベルトは眉間にシワが寄ってしまう。


「お前さん二十四時間お仕事する気かい。あのプロメテウスだって休憩するし、遊んでいたんだぜ」


 机に座っていたロキが俯くアルベルトを覗きこんで怪しく笑いかける。


「そ、そうですか」


 憧れの名前を出されてつい口を利いてしまった。

 パンパンと手を叩く音。


「アルベルト君。これは遊びだ。難しい魔法を完成させる為の言わば準備体操。さぁ、先ずはイスを思い浮かべろ。イスだ。玉座でもパイプイスでもなんだっていい。心にイスを思い浮かべるんだ」


 思い浮かべるだけならと、アルベルトは椅子を思い浮かべる。木でできた座り心地が硬そうな肘かけの無い椅子。邪魔者が座るには十分すぎる。


「どんなイスが浮かんだ?」


 アルベルトの耳元に優しく語りかける声。イタズラされてるみたいにこそばゆい。


「心に浮かんだ事をそのまま言ってみるんだ。そうすれば必ず自然が答えてくれる」


 気付けば目の前から消えロキの気配がもっと近くに。


「木でできた椅子です。座り心地は硬くて肘かけもありません。工場で作ったホームセンターでよく売っている様な、焦げ茶色の椅子です」

「そのまま集中して自分と自然を繋げるんだ。何が視える」


 アルベルトの目にはさっき魔法で集めた光の魔力。次に火の魔力。バストイレから出てくる水の魔力。本や机から僅かに漂う生物の魔力。これでは椅子なんてできない。


「生物や土の魔力が薄いからって諦めるにはまだ早い。そこにある魔力を無視して椅子の形を思い浮かべるんだ。そうすれば心が自然に働きかける」


 生物の息づく黄緑色の魔法陣が浮かぶ。元々ある魔力が薄いからとても弱々しい。


「ここで呪文の出番だな。アルベルト君、いつも呪文はどんな風に唱えている?」

「命じています」


 アルベルトが静かに言うと、小さな肩にロキがゆったりと手を回した。


「命じている・ね。自然と言うのはワガママなんだ。光や火はそこに留まるのが好きじゃなくてね。水はまだ得意かな。今のままじゃ椅子になんかなってくれない。さて、それでも命令するかね。サー」


「分かりません。呪文は人間が自然を従える為に作ったものですから」

「もし、椅子ができたらどう思う?」


 ロキの問いかけにアルベルトは少し戸惑う。魔法だけで物を創造するのは、魔法に目覚めてから何度かやった事がある。全て形にもならなかったが。


「そうですね。嬉しいですね」


 浮かんだ気持ちを素直に伝えた。


「ならアルベルト君と自然。お互いが楽しく、嬉しくなるよう、呪文で遊ぼうじゃないか」


 魔法陣が浮かんだままアルベルトは黙ってしまう。ロキの言いたい事が分からないわけではない。だけど、楽しそうな言葉が思い浮かばないのだ。


「俺の言った事をそのまま言ってみるんだ」


 その囁きは焦りが抜ける心地良さ。ほんの僅かにかかる吐息に緊張が解けて楽になる。


「光よ。自由に世界で踊り舞い、我らを照らす存在よ。一つ我とごっこ遊びをしましょうか。形を持たないのに形を持つと言う遊び。生きとし生けるものと一緒になって遊びましょう。留まらないと言う理を破り、新しい自由を謳歌しようじゃありませんか」


 黄緑色の魔法陣が光る。ロキの囁きを復唱する。アルベルトの言葉選びに合わせたような、それでいて普段なら選ばない砕けた言葉。それを言うだけで高揚感さえ覚える。魔力がいつもより言う事を聞いてくれる様な、とても集めやすい。


「火よ。創造の火よ。その身が芸術である貴方に頼みがあります。誰にも負けない貴方の想像力で、生きとし生けるものと光。それに我らを至高の芸術へと導いてください」


 黄緑色の魔法陣が大きくなり縁に赤みがかる。


「水よ。形を持ちながら自由なる者よ。生きとし生けるものの血となり、光と火に我の意志を伝えておくれ。みなと一緒になって、みなでしかできない一つを作り上げて、共に喜びを分かち合おうじゃありませんか。設計図は心の中、我それを差し出さん」


 呪文を言うと、魔法陣の真ん中から青い波紋が一度起こる。アルベルトの心にさっき思い浮かべた椅子が現れる。勝手に上がる腕。自然の一部である体が魔法を発する機会を知っているからだろうか。後は手を広げて自身の魔力を注ぎ込むだけ。


「椅子よ。この世界に顕現せよ!!」


 アルベルトが叫ぶと魔法陣が眩しく光る。


 机の上に椅子がある。木でできた座り心地が硬そうな肘かけの無い椅子だ。


 漂う魔力だけで物を作る事ができた。試した回数は少ないけれど、今までできなかった事ができた。アルベルトは嬉しさに満ち溢れて笑顔になる。


「しっかし、もうちょいふっかふかな椅子になんなかったのかねぇ。まぁ、これ以上は贅沢ってもんか」


 喜びを台無しにするのはぐでーっと椅子にもたれかかったロキだ。


「椅子を作れって言ったのはあなたでしょ」


 アルベルトは聞こえないよう言い返した。


 椅子の足がみしみしと音を立てる。できたばかりの背もたれがグラグラ揺れる。気付いた頃にはもう時すでに遅し、粒となって崩壊する。ロキが派手に尻餅をついた。

 せっかくできた物が壊れてしまい、アルベルトは悲しそうな顔をする。


「ッハハハハ、ヒャハハハハ、アーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ」


 ロキが尻餅をついたまま腹を抱えて大笑いする。その様子にアルベルトは最初戸惑っていたが、次第に訳が分からなくなったのか、つられて。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 部屋中に二人の爆笑が響き渡る。


「ハハハハ。俺にはショボイ椅子なんか相応しくねぇって事だ。アルベルト君、今度は玉座を作ろう」

「嫌です。そんな事より、どうして魔法の知識があって魔力も視えんのに使えないんですか?我流じゃないですよね。誰から習ったんですか?」


 アルベルトの質問にロキは立ち上がり、今度は机を舞台代わりにする。


「ブッブゥ~。アルベルト君。俺はカミサマだぞ。それも、そんじゅそこらのしみったれた神じゃねぇ。プロメテウスと一緒に魔法を創り、その普及に貢献したヒットメーカーだぜ」


 ノリノリなダンスと一緒にロキは得意気に語ってみせた。

 愕然とした。神を自称するだけでなく、魔法を創ったとまで図々しくも言ってみせる思い上がりに。


「お前さんが尊敬するプロメテウスは自然の流れ。いや魔力を人間に視せようと、頭をゴォーーーーッ。阿鼻叫喚の煉獄よ。魔法ができりゃ割に合うが、できない奴は火を見ただけでヒィーーーッ。逃げ出す程のトラウマもんさ。実に非人道的だと思わないか?」


 顔を近づけて怖がらせ悲鳴も上げてみたが、アルベルトに無視されるから、ロキは話を続ける。


「俺なら、コインにヒモをくくりつけてユ~ラユラ。それがお気に召さないなら、魔法の粉で新世界へとご招待。帰還する頃にゃ世界を救った英雄、奇蹟の人。時々バーサカーになるのはたまにキズだが、サバトだと思えば楽しいもんだぜ。ッハッハッハッハ」


 魔法を使えるようになる為には心に自然を刻み込む必要がある。その方法として魔法による幻覚が一般的だ。


「この魔術書。あなたに読めますか?」


 アルベルトがロキに差し出した魔術書。古びて年季が入っている。


「死者の書か。もし、クロスワードならカラスの餌にでもしとくれ」


 魔術書のタイトルは『マクスウェルの悪魔』。

 めくると、羽ペンで書かれた黒い文字が青く光り、文字が歪んだかと思ったら違う文章に変わる。

 ロキが見ているページは概要で「この世界には人々には見えない力がある。私はふと頭に浮かんだ事を計算していく内に、まだ見ぬ力の存在を知ってしまった。それは、この世界を構成する重要な要素と言っても|憚(はばか)られない」その後パラパラとめくって首を捻る。


「babironの裏帳簿ってワケじゃなさそうだな。数字の羅列に簡単な呪文。また数字の羅列。けど雷の魔力を説明しているな」

「よ、読めるんですか!!」


 すっとんきょうな大声を上げるアルベルト。比べてロキは「ああ」と何気ない返事。


「だってこれ、僕以外の魔法使いは読む事ができなかったんですよ。あなたはいったい何者なんですか?」

「前々から言ってただろ。俺はロキ。カミサマだって」


 アルベルトがロキと出会った時。神と自称する変わり者かと見ていた。昔話は魔法の基礎にエピソードを付け加えたもの。警備員をやり過ごせたのは彼らがいい加減だった。罠をくぐり抜けたのは時間をかければ、確証は無いけど、どうにかなるかもしれない。


「明らかに古いから、リンゴで寿命を延ばしてない限りはお前の先祖のか」


 散々神を自称するから、子孫のアルベルトと神であるギルガメッシュにしか読めなかった魔術書でロキを試した。だが予想とは裏腹に、目の前にいるこの奇人変人の類は、それを確かに読んで見せたのだ。


 自然は視えるのに魔法が使えない。魔法の基礎を読みかじった程度の知識ではない。見立てを凌駕している。

 遠い血縁と言う可能性もあるが可能性は低い。それよりも遥かに低い可能性。自称神から、ひょっとしてロキが本物の神ではないのかと傾いてしまう。


「ロキさん。僕は先祖が残してくれた『マクスウェルの悪魔』を完成させたいんです」


 初めて名前を呼んだ。しかも「さん」付け。今まで目を合わせようとしなかったアルベルトが目を合わせてくれる。

 ロキは黙って頷いた。


「マクスウェルの悪魔は僕にしか作れない魔法なんです。僕より優秀な魔法使いが魔法を発動させても、失敗したら解読し直す必要があります。情報を漏らしたくないみたいで、僕にしか任せられないそうです。人間にはこの魔術書を読む事はできませんが、神様なら読めます。でも、解読できたとしても、実際に魔法を発動させるわけじゃないから、違ってくるんです………………だから……僕にしかできないんです」


 静かに語られる理由と決意。言った直後、何を言われるのか、されるのか、怖くて落ち着かないアルベルトは、散らかってしまった魔術書を拾っては机の上に積み上げていく。


「ヒュ~。カッコイイねぇ」


 ロキは口笛を吹いてはやしたてた。


「確かに、この狭苦しい空間は悪魔が住むには最適だな。うるさい奴もいないし、三食研究付きときた。けどなぁ魔法は自然なんだぜ。もっと刺激のある外で魔法を研究すれば、ギルガメッシュの所にいるよりできないもんもできるかもしれねぇ」


 アルベルトは持っている魔術書に目を向けた後、またロキを見る。


「嫌です。ここは研究するのに最適な場所です。ロ……キ以外に邪魔する者はいませんから」


 震える魔術書。それを止めて支えるのはロキの手だ。


「オイオイ、しっかりしろよ。できあがる前にコーヒーとかこぼしそうでヒヤヒヤする」


 相変わらず笑みを浮かべるロキ。アルベルトには温かく見守る優しい眼差しに見えた。少なくとも無理矢理外へ連れ出すようには見えない。


「俺帰る。片付けとかツマンねぇからな。一人でやっとくれ」


 そう言ってロキは部屋から出ていった。



 アルベルトがマクスウェルの悪魔の魔術書を解読していると、ドアをノックする音が聞こえてくる。


「トマスだ。入るぞ」

「どうぞ」


 ドアを開けたのはbabiron魔法道具製造部門課長トマスだ。

 本来アルベルトはエドモンド高等学校の一年生だ。それをギルガメッシュが学校に圧力をかけて、魔術師養成インターンに捻じ込み、マクスウェルの悪魔を秘密裏に研究させている。


 表向きには研修を受けた実態が必要な為、魔法道具を製作すると言う課題まで課せられている。週に一度マクスウェルの悪魔の進捗状況と魔法道具を、直接担当のトマスに提出しなければならない。


「お疲れ様です。トマス課長」

「今週の進捗状況と成果物を貰いに来た。今提出できるか?」

「少し、待ってください」


 アルベルトは机の上に、手書きのレポートと円筒型のライトに、近未来的だけど種類の違う手投げ弾を三つ置く。


「確認しよう」


 トマスは唸りながらレポートをじっくり眺める。

 その様子をアルベルトは緊張した面持ちで見ている。


「…………ハァ」


 露骨なため息が聞こえてますます気が重くなるアルベルト。謝ってしまいたくなるが、向こうが何か言うまでは我慢する。不用意な謝罪になってしまうからだ。

 その中で違和感を抱く。いつもよりシワが薄い。いつも髪をセットしているけどちゃんとしすぎている。目が僅かに大きいような。現実逃避したいから、そう見えるのだろうか。


「全く、情けなくて何を言っていいのやら。ギルガメッシュ様が好待遇でお前の事を迎えてやったと言うのに、何一つ成果をあげていない。そもそもマ、クスウェルの悪魔なんてものは存在せず。全て先祖の妄想ではないのか」


 先祖が残した魔法を侮辱されて、アルベルトは言い返したい気持ちでいっぱいになる。


「ありえねぇぞ、アリー」


 頭に疑問符が湧く。「アリー」とは何を指しているのか全く分からない。


「俺だよ俺、ロキだよ」


 トマスが顔を両手で拭う仕草をすると、最近見覚えのある不敵な笑みに。黒い髪はカツラで本来の銀髪が現れる。


「ロ、ロ、ロキ!! 嘘、いやありえない。いやでも、ろ、ロキさん、ロキさんなんですか?」

「ッハハハハハ、いやーおどかし甲斐があるってもんだ。これだから変装はやめられねぇ」


 驚きはしたが、違和感があったのですぐに落ち着く事ができたアルベルト。


「すいません。さっき言ったアリーってなんなんですか?」


「なにって、アルベルト君の愛称だよ。だって~、名前そのまんまだと長いだろ。でも、ずっとお前呼ばわりも嫌だろうから考えてみたんだよ。いや~アルベルト君ってさ~、パッと見女の子っぽいじゃん。これからは『アリー』って呼ぶ事にしたんだ」


 顔が一気に真っ赤になる。アルベルトは中学生に上がっても、男の子にしては可愛らしい顔立ちなので、同級生からは女の子みたいだとイジられる事があった。本人はそれが嫌でしょうがない。


「やめてください!! 僕は男ですよ。普通にアルとかでいいじゃないですか」

「イヤだね。決定事項なんです~。アリーで決定。決定な」


 嫌な愛称とヘナヘナふざけるロキを見て、とても不愉快だった。だけど、アルベルトにはもう一つ気になる事がある。


「ロキさん。さっき、トマスって名乗っていましたけど、本物のトマスさんはどうしたんですか?」

「あぁー、モノホンね。そいつは俺指定のホテルで楽しくやってんじゃないかなぁ」


 ロキは昨日の内にbabironの魔法道具製造部門の偉い奴を尾行。言葉巧みに誘導し闇討ちした。その後ニブルヘイムにある空きビルまで運び、声色や口調に仕事内容を頭に叩き込み、顔は凛陽からメイクを習う事で変装した。そして、今も本物は監禁中だ。


「あ、そうですか………………」


 軽い口調で監禁を語られる事にアルベルトは恐怖を覚える。ロキと魔法の話を通じてどこか打ち解けてしまっていたが、危険な存在である事には変わりない。


「ハイハイ、ごめんよ~」


 部屋の外からローラーの転がる音。ロキがはしゃいだ様子でオフィスチェアを机の前まで押して、勢いよく座り足を組む。


「アリー。いいだろぉ。イスだよイス」

「本当に決定なんですね。はぁ……」


「課長になると、イスが好き放題みたいだぜ」

「仕事してくださいよ。課長に変装してるんですから怪しまれますよ」


「仕事ねぇ。アリーはマクスウェルの悪魔の研究だけじゃなくて、魔法道具まで作らなきゃいけないのかよ。メンド臭ぇなぁ。ちゃんと給料出てんのか」


「めんどうなんかじゃありませんよ。魔法道具を専門で作る人達に比べれば、こんなのおまけですよ」

「んで給料いくら貰ってんの?」


 アルベルトは魔術書に目線を落とし解読を再開する。


「もういいでしょ。トマスさんとして仕事に戻ってください。本当に怪しまれますよ」


「大丈夫なんだなぁこれが。今日のお仕事は、インターン生への特別研修って名目でスケジュールを空けたんだ。だから、今日はアリーの研究を見守ってやるよ」

「そうですか。大人しくしてくださいよ」


 アルベルトの言葉にロキは「はいはい」とダルそうに返事。


 魔術書を読む。しかし、文章が頭に入ってこない。メモに本文を写してもやはりダメで気が散ってしまう。原因それは、ロキが正面からまじまじと作業の様子を眺めてくるからだ。本人にそのつもりは無いだろうが、解読を監視されているみたいでとても落ち着かない。


「ロキさん」

「なんだ。俺に魔法を教えて欲しいのか?」

「すいません。正面から作業を見られると、こう、集中できないのですが、なんとかしてもらえないでしょうか」


 頭を下げる。


「えっ、俺のせい。俺のせいなの。アリーの言う通り大人しくしてやったのに。傷つくわー。超傷つくわ―。おまえ酷いわー。やつ当たりなんて酷いわー」


 ロキは深刻そうな声を出し、自分の両肩を抱え体を縮こませて大袈裟に傷つきましたと、アルベルトにアピールしてくる。


「すいません。本当すいません。集中したいので、何か別な事をしてもいいので、遠目からでお願いします」


 もう一度頭を下げるアルベルト。


「しょうがねえなぁ。今回だけだぞ~」


 アルベルトは再び作業に取りかかる。明るい声で言ったロキは約束通り離れて、書棚からテキトーに取った魔術書を読んでいる。

 ペンが紙をなぞる音、ページを手繰る音、アルベルトの独り言だけが部屋に聞こえる。一人で作業している時とほぼ同じ状況。


 ロキはこの静けさに飽きた。手に取った魔術書は読み終えた。魔法使いならためになる内容だが魔法を使えない存在にとっては退屈だった。退屈は嫌いだから読書はしない。寝心地が良さそうな備え付けのベッドは眠くないので選択肢にならない。


 ふと目につく円筒形のライトと手投げ弾。アルベルトが製作した魔法道具だ。手投げ弾は一度きり、後で会社組織に提出するから迂闊に遊べない。遊べるのは一つしかない。


 アルベルトが机に紙を広げる。これから魔法陣を描こうとしているところに、目が眩むどころか潰されそうなとても強い光に照らされる。


「グワァァァッ、目ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ」


 目を押さえるアルベルト。ロキはその様子を笑いながらライトを消す。


「ろ、ろ、ロキさん!! な、な、な、なんてことするんですかぁッ。し、しっ、失明するかもしれなかったんですよ」

「太陽も裸足で逃げそうだな。おい」


 ロキは抗議してくるアルベルトを無視して本棚にライトを向ける。すると、さっきの眩しすぎる光と比べて、とても微弱に感じる程の明るさになる。


「なんだこりゃ。さっきの太陽みたいな光になんねぇのかよ」

「そのライトは敵と決めたものを眩しく照らして怯ませるんです。今のロキさんはトマスさんなんですから、会社への提出物で遊ばないでください」


 ロキは「へぇーへぇー」とテキトーに相槌を打ちながら面白そうな物を探していると、ライトで照らした本棚の隅っこに魔法とは関係無さそうなガラクタがまとめられている。だから、アルベルトの目を眩ます。


「目ぇぇぇぇッ」


 急いでガラクタの方へと向かうロキ。その中から赤地のゴムボールを手に。


「ダメです!! ロキさん。それ危ない奴です」


 ロキがお構いなしにボールを勢いよく床に投げつけると、一気に火の玉となって跳ね上がる。


「うわぁっ」


 アルベルトはすぐ退避。火の玉は部屋中を暴れ回り、笑っているロキの横顔を|掠(かす)める。


「ウォォッ、危ねぇ。なんぞこれ」


「僕の作った魔法道具「ウィスプ」です。逃げる時に追っ手を足止めさせる道具です。ランダムに飛ぶから相手もビビる筈です」


 アルベルトが大声で解説すると、ウィスプから火が消え、あっけなく床へと落ちる。


「すげぇな。今の魔法道具はアリーが作ったのか?」

「はい」


「もしかして、本棚の隅に置いてある奴もか?」

「はい」


「今のウィスプって奴は玉を床に叩きつけるって条件を満たすと、火の玉になってあちこち飛ぶってか」

「その通りです。火の玉になった後は一定の距離までしか飛ばない以外は自由にしました」


 魔法道具は素材となる物と発動する魔法に、起動する条件の為の魔法、その三つで構成されている。本来は起動する条件を設定し、条件を満たしたら魔法が発動する起動型魔法と呼ばれるものの一種だが、今では同義的に扱われている。


 魔法道具の利点は誰にでも使用できる事と、魔法を予め準備できる事だ。発動する魔法が不安定なところと道具としての寿命が短いのが欠点だ。


「なんだ、このぉ、竹でできたオモチャは? どうやって遊ぶんだ」


 竹とんぼをあらゆる角度から眺めるロキ。とうとう口にくわえてしまう。


「なにやってんですか。これは高天原の伝統的なオモチャで竹とんぼです。棒の部分を手で挟むんです。そして、回して放し飛ばすんです」


 両手を合わせて擦らせる。ロキは竹とんぼをくるくる回して放す。少し上へ飛んだと思ったら、アルベルトの腰より低く、しかも安定した状態で飛ぶ。


「下、下かよ。これってそう言うオモチャなのか。俺、上へ飛ぶものだと思ったのだが」

「いえ、普通は上に飛ぶものです。でも僕が魔法で上昇しないようにしました」


「面白いけど、なんか地味じゃね」

「地味ですか。僕は上じゃなくて、下? って思ってくれると思ったんですけど。ロキさんが魔法を使えるならどんな魔法にしますか?」


 落ちた竹とんぼをアルベルトが拾い机に向かう。


「低く飛ぶならいっそ穴掘れるようにしようぜ」

「尖らせるんですね。やってみましょう」


 アルベルトはマクスウェルの悪魔を研究する時よりもわくわくした様子。


「使う魔法は風と土を少々ってところだな。呪文は、風よ。ぐるぐる、ぐるぐるぅ、ぐ~る、ぐ~る回せ。大地を抉っちまえ。土に惹かれて空よりも大地を愛す。愛ゆえにそれは激しいもの」


「愛? ロキさんの口からそんな言葉が」


「別にいいだろ魔法なんだからさぁ。竹とんぼが上に飛ばず、穴を掘れるまで下へ行くってなったら、もう恋するしかねぇんだよ。たぶん」


 アルベルトは穴を掘るイメージを浮かべる。竹とんぼに向かって空色の魔法陣を浮かべ、呪文を笑わないように紡ぐ。陣の上に茶色い小さな魔法陣を作りだし二つの魔法を込める。


「よし遊ぶぞ」


 ロキが魔法を込めたばかりの竹とんぼを飛ばす。ちょっと飛んだかと思ったら、|螺旋(らせん)を描いて足もとに垂直落下。


「危ねッ。ハハッ成功だ。いっそ穴掘って脱出しようぜ」


 竹とんぼは床をギュルギュル激しく抉ろうとする。


「無理ですよ。この部屋は強力な魔法と丈夫な素材でできてるんですから。止めます」


 アルベルトは風の魔法で竹とんぼをふっ飛ばした。床には傷一つついていない。


「ふぅ、足もとだったから危なかったですけど。距離を調整すれば面白くなりそうですね」

「おっ、これは女が化粧する時に使う鏡じゃないか。アリーはやっぱり女の子じゃないか」


 ロキの言葉に反応してアルベルトの顔がまた真っ赤。


「違います。僕が小学生くらいの頃、今でもあるんですけど、映った像を立体的に映し出す3Dコンパクトって商品があるんです。それを自分の魔法で再現したものです」


 説明を聞きながらロキがコンパクトを覗きこむと、鏡から小さなロキの顔が飛び出す。


「おおスゲェ。俺だ。耳や後ろが見えるぞ」


 変顔を作って遊ぶが、すぐに飽きたのかコンパクトを閉じてしまう。


「でもコレ売ってる奴なんだよな。それじゃつまんねぇ」

「そんなこと言われましても」

「とりあえず俺と瓜二つにして欲しいな。大きさも含めて」


 アルベルトはロキの注文通り、コンパクトに込められた魔法を書き換えた。


「サンキュー。よしやってみよう」


 ロキが鏡を覗くと、鏡面からロキの顔が飛び出し、狭いところからくぐり抜けるように全身が飛び出す。


「うぉぉっすげぇ出かただな」


 傍から見ると、本人が本人を持っている状態だ。ロキがコンパクトを床に置いて自分と握手してみたり、二人で足を上げてみたり、変顔を作って一人睨めっこをした。ため息。


「アリー一味足りない。なんかねぇかな」


 無茶ブリにアルベルトは首を振る。


「よし、鏡の俺を化け物に変身させるんだ」


 ロキの思いつきにアルベルトは縦に頷き、コンパクトを改良してみる。


「魔力を生物属性と闇属性に変えるのが大変でしたね」

「でも、アリーのおかげでできたぞ。さっそく使ってみよう」


 ロキが二人並んでシャドーボクシングをする。


「シュッ、シュ。なんだなんだ、ぜんぜん変わんないぞ。これ」


 飛び出したロキの像がモザイクがかった様におかしくなったと思ったら、腐敗してグチャベチョな目を背けたくなる姿に変化。活き活きとシャドーを継続。


「俺ゾンビになると、こんなんなのか」

「そう、みたいですね。創作物でしか見た事ないのでなんとも言えませんが…………」


 ロキはゾンビになった自分を突っつこうとしたがすり抜けてしまう。何度も突っついたが結果は変わらず。白けたのかコンパクトから離れてしまう。


「チェッ、つまんねぇの」

「あくまで幻ですから。実態を作れって言うのなら僕はオススメしません」


 ロキはアルベルトの話しを無視。魔法道具の山の中から、ラフなベストを引っ張り出して迷わず着てみる。


「アリー。これなんだ。普通の服じゃねぇよな」

「ロキさん。分からないなら、せめて僕に聞いてからにして下さい」


 勝手気ままなロキの振る舞いにアルベルトは参ってしまう。


「んで、どうやって使うんだ?」

「何があっても動かないでくださいね。お願いします」

「分かった。どんなオモチャか期待してるぜ~」


 アルベルトがロキに手をかざす。魔力を集中させ、風の魔法である緑の魔法陣が浮かぶ。


「アリー、動かないでやるけどさ~。痛いのはカンベンだぜ」

「ショット!!」


 風が収束し、大きな弾となって飛び命中。ロキは痛そうにする。


「やっぱり痛いじゃないか。これなんに使うんだよ」

「このベスト。素材は普通ですが、ベストに衝撃が走ると、それを吸収し膨らむんです」


 アルベルトの言う通り。風の収束弾を受けたベストはほんの少し膨らんでいた。


「待て、これっぽっちも吸収できてねぇ。体が圧迫されたぞ。普通に防御の魔法でよくね」

「ロキさんから普通って言葉が出るなんて以外ですね」


 アルベルトがクスリと笑うと、ロキが舌打ちしながらベストを脱ぐ。


「この魔法道具がスベってるせいだ。普通の方がまだマシってだけの話しだ」


 ロキの言葉はどこか負け惜しみの様にも感じさせる。


「とりあえず、もっと膨らむようにしろ。とにかくデカく、デッカくな」


 投げやり気味に言われたが、アルベルトは楽しそうに「分かりました」とベストの改良に取りかかる。当然ロキもそれに加わる。


「できました」

「よし着てみよう」


 装着完了。アルベルトはロキに手をかざし、風魔法の準備をする。


「ショット!!」


 風の弾がベストに命中。瞬間、衝撃を吸収しようと膨らむ。更に膨らむ。そして、いっきに膨張し、着ているロキを浮かす。大きな流線型となったベストらしき物は本棚を隠し、机を押しのけてしまう。


 ついにロキは壁にギリギリと挟まれてしまう。

 難を逃れたアルベルトからロキは見えない。


「ロキさん。大丈夫ですか?」

「だ、だ、大丈夫だ。昔、巨人に潰されたが、死にゃあしないさ」


 苦しそうな声を聞いてアルベルトが魔法を放つ。風が無数の刃となって飛ぶ魔法スラッシュだ。膨らんだベストを突き破る事もできず、また膨らむ。


「ごめんなさい」


 アルベルトが頭を下げている内に、部屋の半分はベストに占められてしまう。


「グォォォォォォ。ムリッ、ムリ」


 バァァァァッンと耳をつんざきそうな破裂音。膨張したベストはどこかに消え、ロキはぐったりと床に倒れている。


「ロ、ロキさん…………」


 目を開けるロキ。心配するアルベルトと目が合うと、噴き出した様に笑いだしてしまう。


「ハハハハハハ。俺の予想以上だ。こっちの方が断然オモシロイ。ッハハハ」


 アルベルトもつられて笑ってしまう。


「ふふ、ロキさん。死にかけていたのに、よ、よく笑っていられますね」


 二人は笑った後、すぐ冷静になってベストによって散らかった部屋を片付け一休み。


「疲れました~」


 アルベルトはバタリと机に突っ伏し、ロキは椅子にだら~っと寄りかかっている。


「俺、今日はトマスとして十分仕事したよ」


 まったり休む二人。時計はかかっているが、陽の光差し込まないアルベルトの部屋ではどれくらい時間が経ったのか分からない。


「あっ、ぁあーッ」


 突然のアルベルトの叫びにロキは耳を塞ぐそぶりを見せる。


「どうしたアリー。発作か? 救急車呼ばないとな」

「ま、ま、まっ、まま、マクスウェルの悪魔。マクスウェルの悪魔のけ、研究」


 青ざめ、アルベルトは思い詰めた様子。


「んなもんどうでもよくね。べつに昨日今日できそうなシロモンじゃなさそうだし。魔法道具つくんのに疲れたんだから、もう休みでいいんじゃね。ハイ、あがり~」


 投げ出すようにロキは腕を広げる。


「ロキさんのせいですからね。ロキさんが魔法道具で遊ぶから、僕は研究どころじゃなかったんですよ」


 震えた声のアルベルトは怒っているのに少し涙目だ。


「また、俺のせい。俺のせいなの。ヒドイな~アリー」

「ロキさんのせいです。僕にエネミーライトを照らすし、ウィスプは使うし、立派に研究の邪魔をしてました」


 ロキは立ち上がり大仰な仕草もしつつ反論する。


「確かに、確かにだ。その件に関しては、俺が悪かったかもしれない。ああ、謝ろう。だが、魔法道具を自分から積極的に改造してたよな。意見を求めてたし、俺が言う呪文を積極的に唱えてもいた。もし、研究を続ける気でいたなら、俺を攻撃したり、電話で上に泣きつく筈だ」


 ロキに指されたアルベルトは、ドア近くの壁に備え付けられた内線を見てしまう。その正当性に唇を噛んでしまう。


「どうしてメディチの試験に落ちたんだ? アリーはこんなに起動型魔法ができんのに。俺には意味が分かんねぇ」


 不意に突きつけられた過去にアルベルトは打ちのめされる。溢れる戸惑いが思考を鈍らせていく。ただ、このままでは抜け殻になると分かっていたから、言葉をもがき出す。


「それがいったい、僕になんの関係があるんですか?」


「ああ確かに。アリーの言う通り今は関係無いな。かんけいない。でもな、俺の言いたい事は魔法使いとしてのアリーを高く買っているって言う事だ。なんたって、俺の注文通りに魔法道具を面白くしてくれたからな。そこらの魔法使いにはできねぇ芸当だ」


 ロキが机に身を乗り出してアルベルトに言ってやった。


「…………試験に落ちたのは、僕が具象魔法や呪文ができなかったからです」


 具象魔法とは心と魔力を繋げ、媒介となる道具等を使用しないで、魔法陣を直に浮かべて発する魔法の名称である。


「いや、できてたでしょー。俺がタロットカードになっていた頃、誰が助けてくれたよ。アリーでしょ。俺に風の魔法ブッ放したじゃん。忘れたとは言わせねぇよ」


 分かってないとアルベルトは言い淀む。ロキの知る由も無い事だから。


「魔法そのものはできますよ。けど、試験に求められる魔法ができなかったんです。合格に達していたのは起動型魔法だけだった。でも、三つできなきゃダメなんです。起動型魔法だけできたって、最後には具象魔法と呪文ができないと魔法は極められない。限界なんです!!」


 怒りを振り絞ったアルベルトは息を切らした。いつもなら落ち着きの無いロキも、今は身動き一つせず黙っている。

 携帯の着信音が鳴る。


「ケータイ。出てください」


 ロキは促されて通話する。内容は緊急性の高い案件。事前に聞いといた状況ごとに出す指示でやり過ごそうとしたが、現場に戻らないと収拾できそうにない。


「やっべ~俺人気者だわ。戻らなくちゃ」


 ロキは予め持ち込んでいたコンパクトや化粧道具を使い、トマスに変装しようとする。その様子がおかしく見えたのか、アルベルトの表情が少しだけ明るくなる。


「まさかロキさん。女装ですか」

「見てろ。美人になってやる」


 そう言って変装を終える。できたのは老け顔のロキだ。


「な、美人だろ」

「ハハ、はい。美人ですね」


 カツラを被りトマスの完成。


「んじゃ、俺行くわ。よ~く休んどけよ」


 見送るアルベルト。ロキは言い残した事があるのか、ドアの前で止まって振り返る。


「アリー。俺、決めたわ。お前、俺の考えたオモチャを作れ。オモチャを作ってるアリーは楽しそうだったからな。きっと魔法学校に通うより、ず~っと楽しいぞ~」


 いつもよりシワが多いロキの笑い。

 ため息を飲み込んで、アルベルトも笑ってみせる。


「そうですね。楽しそうですね」

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