第一章 探しもの(2)
「ドゥンツクツク、ドゥンツクツク、ドゥンツク、ドゥンツク、ドゥンドゥン、ドゥン」
声による妙な重低音に起こされた時雨と凛陽。檻の中等ではなく、区役所の埃っぽい物置のままだった。
「よぉ、楽器の真似をしてる奴の真似してみたんだが、ステージに立てるかな? ハハハハ」
ロキが馴れ馴れしく笑いかける。
床には、ガムテープでグルグル巻きになった人型が二つ。時雨と凛陽をヴァルハラに連行しようとした刑事課の巡査だ。
「意味分かんない。来んなって言ったじゃん」
凛陽の態度は刺々しく気に食わぬ様子。
「たまたまだよ、たまたま。ドゥンツクツクにも飽きてきたから、そこら辺をウロついてたんだ。で、気付いたら、ココさ。セイレーンの声に釣られたのかな。ハハッ。ドアをノックし、ドアマンもノックしてみろ。一日で二回も、お前達の寝顔を見られるとは思わなかったぜぇ」
大袈裟に身振り手振りを交えて、口にするのは面白くもない冗談ばかり。凛陽の苛立ちはますます募っていく。
「ふ~ん。わざわざ他人(ひと)の寝顔を見たいが為に、アイツ等をボコッたって訳。趣味ワルッ」
蔑んだ凛陽の態度に、ロキが「チッチッチッ」と立てた人差し指を振る。
「いやいや、そんな趣味は無いさ。ただ、仲間のピンチを、助けないわけにはいかないだろ」
聞き捨てられない単語を、ロキがしれっと口にしてきたので、凛陽は拳を強く握りながら聞き返す。
「仲間? どこにいんのよ」
「俺の目の前に二人もいるぜ。お姉ちゃんに確かめたらどうだ」
凛陽が信じられなさそうに見た。こんな時でも時雨は冷静にメモを取っている。
「私はロキの仲間になるのと引き換えに、殺された凛陽を蘇らせてもらった」
機械的に淡々と事実だけを告げた。
「と言う訳で、ヨロシクぅ~」
ニヤニヤ笑いながら、軽いノリで凛陽を指すロキ。
「ふざけんな!!」
怒りを爆発させた凛陽がロキの襟をつかみ上げると、勢いよく棚に叩きつける。
「アンタ、お姉ちゃんに何をした!! お姉ちゃんはお姉ちゃんだけど、いつもと違うし。ロキとか言う、わけ分かんない奴の仲間になるって言っちゃうし」
わめき散らしていく内に零れてくる大粒の涙。
「お母さんもお父さんも、アタシも、死んだわよ。ザックリと。サイテー、サイテー、サイテー。もうサイテー」
目覚める前から死を自覚していた。ズタズタに壊された日常は、執拗な悪意によってますます包囲されていく。姉の時雨ですら、もう昨日までの姉ではない。目まぐるしい状況の変化に追い付こうとするだけで精一杯なのだ。
「ハハハハハハハハハ。安心しろ、これからはオモシロくなるだけだ。ハハハハハハハハハ」
笑い飛ばすロキの横っ面をおもいっきり殴り倒す凛陽。
「お姉ちゃん。本気(マジ)で、こんな奴の仲間にならなきゃいけないの? 絶対ロクな目に遭わないよ。警察に捕まった方が、三食付いてるし、毛布も屋根もあるし、まだマシだよ」
時雨は凛陽を怖がるように視線を一切合わせようとはせず、背けながら答える。
「約束は守る…………………………………ロキが凛陽を蘇らせる約束を守ったから、私も仲間になる約束を守る。それに、警察は信用できない。それこそ、ろくな目に遭わない…………」
物置に漏れる凛陽の大きなため息。
「分かったよ、お姉ちゃん。アタシも一緒だよ。お姉ちゃん一人じゃ、あんなうさん臭い奴の言いなりになって、何されるか分かったもんじゃないし」
「ようこそ、俺のチームに。パーティとシャレこみたいところだが、凛陽の口から、俺で遊んだ礼を聞いてからだなぁ。もし、恥ずかしくて言えないなら、ネタでカンベンしてやる」
調子に乗っているロキの腹を凛陽が蹴ったら「ガハァッ」と鳴った。
更に、グルグル巻きになった警察二人も蹴った。
「このッ、人間以下のクソイヌ」
罵倒を浴びせた後、起きてジタバタするグルグル巻きを踏んづける。
「ああっ、サイテー。なんでアタシ達がヒドイ目に遭わなきゃいけないの。カワイイから美人だから、違う。関係無い。全部アイツのせいよ。自称神のせいで生活はメチャクチャ。ブッ殺してやる」
肩で息をする凛陽。いくら大声を出しても、動かなくなるまで踏んづけても、怒りは収まる事を知らず、体の方が参ってしまった。
「お困りなら、俺が手を貸してやろうか? お前さんを殺した仇なんて、指輪を探すくらい簡単さ」
笑みを浮かべ、ロキが棚を支えにしながら、おぼつかない様子で立ち上がる。
「寝ボケてんだったら、そのまま一生寝てくんない? その方が大助かりなんだけど」
冷たい反応に、ロキは首を大きく振ってみせる。
「オイオイ、せっかく、トリオで活動するんだから、ビルボードをジャックする前のヒマ潰しに、パパッと解決しようぜって言ってんだよ。そんなんじゃ、犬の口に金の円盤をツッコめないぞ~。ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
「お姉ちゃん、アイツの黙らせかた知ってる?」
話しかけられた時雨。視線はメモ帳でもなければ凛陽でもなく、ドアの方に向いている。
「来る」
時雨の言った通り、ドアは勢いよく開き、区役所の職員が三人も入ってくる。
「大丈夫ですか? さっきから、すごい物音や大声が聞こえてくるんですけど」
ヴァルハラが引き受けたにも関わらず、話は落ち着くどころか白熱の域を越えるから、様子を見に駆けつけてきた。
「あの、貴方は?」
「あいつら、温室育ちのガリ勉だからさぁ。ハートにヒビなんて入った事ないだろ。もう全然ダメ。ハナシ進まないの。だから、ちょっと前までヤンチャしていた俺が呼ばれたってワケ」
ロキが飄々と疑問に思う職員達を通り抜け、物置を出て行こうとする。
「すいません。規則ですので確認させて下さい」
引き止めてくる職員に、嫌気とメンドクサさを露わにした。
「分からない? ナンパとカン違いすんなよ。これからヴァルハラで保護するんだから。ちょっと待ってて。あった、あった」
ポケットをガサゴソした後、出てきた警察手帳を提示。
「失礼しました」
慌てて頭を下げる職員を「いいよ、いいよ」と軽くゆるした後、親指で廊下を指すロキ。
「行くぜ、時雨、凛陽。こんなホコリっぽいとこ、とっととおサラバだ」
堂々とミズガルズの区役所を出て行った。
「夜遅くに来て部屋を貸してくれ。でも、金が無い。帰るんだね」
突き放す女。長いボサボサした髪に目立つシワ、だぼっとした服。この人はアパート・ビヨンドの大家だ。
「その件に関しましては、誠に申し訳ありません」
狭苦しく散らかった六畳間。ビールの缶や食べかけのおつまみ等、ゴチャゴチャしたローテーブルを挟んで、大家と交渉しているロキ。丁寧に頭を下げて、敬語まで駆使しているから、今までの時とはまるで別人だ。
「ちょっと、勝手に掃除しない」
凛陽は時雨が座れるよう、ごちゃ混ぜの要るものとゴミをどかし、現れたフローリングをティッシュで拭いていた。
「お姉ちゃんに座ってもらえるだけ、ありがたいと思いなさいよ。バーカ」
「まぁまぁ、すいません、すいません」
ロキは大家に笑いかけ、まぁまぁと手を動かして機嫌をなだめようとする。
「凛陽、とりあえず、ゴホッ、謝って」
「ス・イ・マ・セ・ン」
あからさまなロキの咳払いと反抗的な態度をする凛陽に、大家は舌打ちする。
ロキ、時雨と凛陽は新しい住処を探していた。条件としては、お金が無いから極限まで安い家賃と、警察機構ヴァルハラの捜査が及びにくい事の二点。住める地域も限られてくる。
ニブルヘイム区画。死者の街を冠するだけあって、そこはかつて立派な都市部だったが、建物や道路等は荒廃し、空気までもがうらぶれている。住民も低所得の労働者、水商売を含んだ灰色な仕事に就く者、ギャングやホームレス等の社会から外れたものばかり。
結論から言うと見つからなかった。空きが無い、吹っかけられるは序の口。時雨と凛陽をいかがわしい商売に誘う者、逆にロキだけを誘う者。家賃の代わりとして、怪しい薬を買えと迫る輩等。どこも訳ありとは呼べない厄介事を抱えていた。
「だいたい、うちは一部屋に一人まで。ここをラブホとカン違いしてるんじゃないのかい?」
「いえいえ、こう見えても私達は、金さえ払って頂ければ、護衛から暗殺までやる傭兵なんですよ。ただ、高天原からニブルヘイムへ来たもんですから、少々お金が」
指の腹くらいの大きさをしたハエを、むきになって追い払おうとする凛陽と、拭いたフローリングに正座したまま目をつぶっている時雨。ロキの話に大家は怪訝な様子だ。
「どう見ても、ションベン臭い女子高生だね。ここらのゴロツキ共にやられちまうよ」
疑いを和らげようと愛想よくする。
「確かに、女子高生の格好をしていますが、これはカモフラージュ。彼女達は高天原で特殊な訓練を受けていた所を、私がちょ~っとスカウトしてきたんですよ」
「日本からねぇ。仕事の当てが無いのにスカウト」
時雨と凛陽は旧日本である高天原系の人種だが、ミズガルズ区画育ち。ハッタリだ。
含み笑いを浮かべるロキ。
「仕事。これからありそうじゃないですか。オーガのランギでしたっけ、ニブルヘイムにあったネルガルのシマをとっちゃったでしょう。そろそろ仕事のにおいがするんですよねぇ」
ニブルヘイムはヴァルハラの影響が届きにくく、多くの非合法組織が縄張りの拡大を狙っている。最近だと、一大勢力を誇る神ネルガルが、新興勢力であるオーガのランギによる奇襲を仕掛けられて、まだ日が浅い。
「鉄砲玉にもならない素人なんて誰も雇わないよ」
「よろしいんですか? お引越しをオススメしても差し支えない、砲火の真っただ中でお一人なんですよ。この機会にいかがです。金づるにもなって話し相手にもなる、アイギスを手許に置いておくと言うのは」
ロキがアパート・ビヨンドを選んだのは、壊滅したネルガルの麻薬工場から、それほど遠くない場所に建っているからだ。奇襲によって、借りている住人全てが一夜で消えた。近々起こるであろう大規模な抗争を恐れ、誰も寄り付きたがらない地域なら交渉の余地はある。
「舐めんな。私はこの街に何十年もいるんだ。この意味が分かるか? 何十年も生き延びてきたんだ」
経験を持ち出し頑なな態度の大家に、仰る通りですと、へつらい頷くロキ。
あまりの白々しさに「うわぁ」と凛陽は引いてしまう。
「それに、保証金はルールさ。家賃を払わず逃げる奴は、掃いて捨てるほどいるからね」
大家が缶ビールを開けようとしたらハエが飛んでくる。潰そうとして、逃げられたのを見たロキはひらめいた。
「大家さん。そのハエ、凛陽が一刀のもとに切って差し上げましょう」
「ハァッ」
急なフリに凛陽は声を荒げた。
「ちょっと、刃物を振り回して、壊したらどうしてくれんの? 弁償してくれんの?」
ロキは一瞬含みのある笑みをした後。
「凛陽の腕前なら可能ですよ。成功した暁には、保証金は家賃を支払う月末まで延長すると言う形で入居させて頂きます。万が一テーブルやライト、壁や床に傷を付けてしまった場合は、二人の刀、黒(くろ)ん坊切景(ぼうきりかげ)秀(ひで)と手掻(てがい)包(かね)永(なが)を差し上げ、このアパートから大人しく去ります。どちらも高天原門外不出の業物。一振り、最低でも五百万いや一千万は間違いありません」
魅力的なロキの話しに唾を飲む大家。あんな女子高生にハエは切れないと高をくくる。
「その話し乗った」
「ロ――」
ロキは手で凛陽の口を閉ざし、会話の主導権を強引に握る。
「凛陽、ハエを切れ。物さえ壊さなければ、どうにでもするさ」
耳打ちと無茶ぶりに、凛陽は小声で噛みついてかかる。
「ムリ。小さいし、早いし、アンタやりなさいよ」
「スッと切りゃいいんだよ。このままじゃ、ストリートがベッドだぞ」
「武器を無くしたら、仇をどうブッ殺せっての」
「戦いは今だぜぇ。お姉ちゃんと馬小屋暮らしをする為のなぁ」
二日連続野宿。それだけでも最低だが、それを治安が悪く汚い街でだなんて、もっと最低。ここよりもっといい場所に二人で暮らしたいけど、大好きな姉時雨を雨風や下卑た奴らに晒されないよう、今はやるしかない。
ぎこちなく抜いた刀は、荒々しく燃えるような刃文が特徴的だ。それを、どこからでも切りかかれる様に構える。
「見てなさい。アタシの実力を」
ハエが飛ぶ。大家の鼻先、缶やおつまみ、ロキの周囲を旋回し、凛陽の太ももに。
身体中に纏わりついてくる、舐めるような気持ち悪さを、凛陽は我慢していると、ローテーブルの方へ飛んでいった。
間合いに入ってきたが、失敗できない緊張から腕が震えるだけ。
隙を突く様に汚らわしいものが、正座した時雨の方へ。
「お姉ちゃんに近づくなぁッ」
衝動的に凛陽の怒りが爆発し、勢いよく刀を振り下ろした。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
派手に飛び散った缶ビールやおつまみ、テレビのリモコンに新聞、その他のゴミ。
ローテーブルの上には、ちぎれたハエの死骸と、賭けに勝利すべく凛陽が執念でむりやり止めた刀が。
腰を抜かした大家の顔。
「どうです。凛陽の腕前はなかなかでしょう。それでは約束通り、家賃と保証金は一ヶ月後に必ずお支払いしますので、今後ともよろしくお願い致します」
ロキが話しをまとめにかかる。
「ダ、ダ、ダっメだ。お、お前のせいで、楽しみの晩酌が、メチャクチャになったんだ。つまりは、コッチの勝ちだ」
「いいえ、私達の勝利ですよ大家さん。賭けの条件はテーブルそのものの無事であって、誰も晩酌etcを片付けてはならない、なんて言ってませんよ」
天井の照明や壁は傷が一切増えておらず、無事そのもの。ローテーブルは床を散らかした分だけ前よりもスッキリしている。上にある物を賭けの条件に含めず合意した、大家の落ち度であるとロキが責めた。
「待った。前は、ここに傷なんて付いていなかったのに、お前のせいで増えたんじゃないか」
「ふざけんなッ」
声を荒げた凛陽が往生際の悪い大家に、刃を突き付けてやろうとした瞬間、手首を強い力でつかまれ腕が動かせない。
「だめ。凛陽」
手を伸ばし制する時雨は、殺気に怯えている。
「………お姉ちゃん」
大人しく聞き入れ、どうにか抜き身の刀を収めた。
「ヒッヒィィィッ」
うろたえる声。身を乗り出したロキが、大家の首筋にペンの先端を突き付けていた。
「大家さん。本当はこんな事はしたくないんですよ。もし一ヶ月後、私達が約束を破って逃げていたら、高天原に通報してください。情報料は多少もらえますよ」
目を細めて口角を上げたまま、声は低く抑揚を抑えるロキ。
「サインするので、契約書をお願いします」
ペンの先端を大家の首筋から離す。
「一ヶ月後、保証金…………家賃を……お願いします」
契約成立。ロキ、凛陽と時雨はアパートの入居をする。
スカートの中を覗いた罰で正座させられたロキは、凛陽の説教を聞き流していた。
「いい、アンタはお姉ちゃんのおかげで一緒にいられるの。分かってる? そもそも、ここに住めんのは、アンタじゃなくて、アタシが、見事ハエを切ったおかげなんだからね」
凛陽がロキを見下し得意気にしてみせる。
「切っていない。凛陽の刀はハエから一センチ以上もずれていた。振り下ろした衝撃で物が飛び散っている短時間の間に、ロキが糸くずを指で弾いていた。大家は糸くずを凛陽が切ったハエの死骸だと錯覚した」
部屋の隅っこで正座している時雨が、にわかには信じがたい事を口にした。
「そっ、そ、そ、そんな~。お姉ちゃん、イジワル言わないでよぉ。あ、ア、アタシがハエを切るの見たでしょ? ねぇ? ねぇ? ねぇってばぁー」
ポニーテールを揺らし、子犬みたいに凛陽が時雨にすがり付く。しかも少し涙声だ。
「なんだよ時雨ぇ~、バラすなよ。つか、見えてたのかよ」
時雨が小さく頷き肯定する。
「ハハハハハハハハハハハハ、犯人は時雨ってか、オイ。プフフッ、何も知らずに自慢するのを陰で笑いたかったのによぉ~。ッハハハ、チクショー台無しじゃねーか。ハハハハハハ」
おかしくておかしくて、弾ける笑いと溢れ出すからかい。
「ロキィィィィィィィィッ」
病的な笑いに負けぬ怒声。ロキは引きつった。顔を真っ赤にして迫ってきた凛陽が、拳を叩き込もうとしている。
「落ち着け、話せばわかる。凛陽はカワイイ美少女だ。美少女らしく、まずは、そのハンマーをしまうところから始めようじゃないか」
チョップ。
「?」
あまりの軽さに、お手上げしたロキはどう反応すればいいのか困惑し、やられた顔。
茶化す態度を睨みつけた後、心なしか凛陽の頬が赤い。
「あっ、アタシがハエを切ったついでに、テーブルまで掃除しちゃったから、大家のいちゃもんがウザかったでしょ。論破してくれた分は引いておいてやったから、感謝してよね」
大家に契約書を結ばせ住処を確保できたのも、警察機構ヴァルハラによる逮捕から助けてくれたのも、目の前で笑っているロキのおかげに他ならない。
余計なおまけも付いているけど、今こうして一緒にいられる。認めたくない悔しさと認める恥ずかしさ。
「私は見た。凛陽が切ったのは雑誌類とアルミ缶、食べかけのイカ焼きと串、フライドポテト四本。残りは吹っ飛ばしただけ」
時雨がメモ帳を見ながら呟いた。
「あ゛ー、マジむかつく。アンタってマジなんなの。お姉ちゃんを洗脳して自分に都合のイイこと言わせるなんて。警察なの? 不審者なの? 意味分かんないんだけど」
凛陽のぼやきをロキが笑い飛ばす。
「ハハハハハハ、全ては俺の徳の高さよ。なんたって、毎日がニルヴァーナだからなぁ。クッフフ。さて、俺は王子様でもなければ、蓮マニアでもない。果たしてその実態は」
スッと立ち上がる。
「俺の名ま――――えっ、じぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。足イッデェぇぇぇ。超しびれたぁぁっ」
くるりとターンし、座っている時雨と凛陽にカッコつけて自己紹介する筈が、襲ってくる足の痺れに耐えられず床にコケた。
「バッカじゃないの」
大げさに痛がるロキの顔を、凛陽がスカートの中を見られないよう踏んづける。
「くそぅくそぅ、俺は業界関係者じゃなっ。俺はロキ、カミサマだぞぉ」
予定通りいかず、みっともなさ過ぎる姿と情けない声で自己紹介。
「神? 神ってあの神? でも、神にロキって名前の奴いたっけ?」
いまいちピンとこない様子。
「オイオイ、この俺をご存知ない? ジェネレーションギャップって奴かなぁ。ロキだぜ、ロキ。ラグナロクの英雄である神の名前だぞぉ~。今ならサインもサービスしとくぜ」
自身の存在をこっけいにアピールしながら、凛陽に近づいてみたロキだが、しつこいと蹴られてしまった。
「ないわ。三百六十度、どう見てもチャラ男のアンタが神とか、マジないわ」
全く信用してくれない態度。困ったロキは、黙ったまま動かない時雨に助けを求める。
「なぁ、時雨。お前も俺の事を知らないってワケじゃあないよな。ああ、どうしよう俺。怖くなってきたぞ。あの時のお前を見れば分かる。スターを見る目じゃなかったもん」
「私も凛陽同様ロキを知らなかった。でも、天叢雲剣が教えてくれた」
時雨は腰に差した天叢雲剣を鞘ごと抜いて、驚いている凛陽とロキに示してみせた。
「ロキの履歴から話す。嘘から生まれた神。記憶と知恵の神オーディンが率いる戦団ヴァルハラの軍師兼密偵を務める」
「コイツを雇うとか、面接する前に帰れってならないかなぁ」
ロキは終始落ち着きなく振る舞い、軍師や密偵なんて務まるようには見えない。
「ハハハ、残念だったなぁ。俺はオーディンの旦那にアピってスカウトされたんだよ」
「ヴァルハラの発展に尽力し世界中を旅した。その後ロキは、オリンポスやケルト等の勢力の垣根を越えて神を集め、人間や怪物の軍隊を編成。後世に『ラグナロク』と呼ばれる世界規模の戦争を引き起こし、戦死した」
「お姉ちゃん、おかしくない。今って普通に、神々と敵対した巨人や悪魔だっていんじゃん。なのに、どうして、裏切った神はいないんだろ? 実はいないんじゃない」
内心ショックを受けたのかロキは悲しげだ。どん底から、テンションを一気にハイ。
「ジャジャン!! 凛陽。クイズです。ゼウスの親父の名前は?」
「クロノス」
「ボケろよーーーーー」
いじれないから頭を抱えてしまう。
「次、明けの明星と言えば?」
「ルシファー。こんなのがクイズとか、バカにしないでよ」
「悪魔の王は?」
「だから、ルシファーでしょ」
「ブッブゥー。正解はサタンで~す。あいつをスカウトしたのもサタンで~す」
ロキの勝ち誇った笑みに凛陽はイラつく。
「なに言ってんの。そんな奴いないし。ルシファーが王よ」
「凛陽、サタ――――」
「時雨、ラストクエスチョンを出すから、よく分かる解説はその後だ」
姉をないがしろにしたと凛陽がロキを睨んだ。
「ゼウスの相談役で研究者と言えば? チッ、チッ、チッ、チッ、チッ」
「ぇえ~。ぇえ~っとー、ヘ、ヘパ、ヘパイストス」
「残念。プロメテウスでしたぁ~。あのジジイ、存在がシークレットだから、知らないか」
ロキのバカにしてくる態度。ムカついた凛陽は時雨の肩を揺らし、悔しさを訴える。
「お姉ちゃん。コイツ、デタラメばっか言うんだけど。なんとか言って」
「サタンもプロメテウスもラグナロクの主犯格。現代に復活できないよう神々が封印した。必然的に、私達人間は存在自体を知らなくなる」
「なるほどね。さすが、お姉ちゃん。博識ぃ~。それに、分かりやすぅ~い」
納得した凛陽が時雨に甘えて頬ずり。やられてる方は無表情のまま。
「ふわぁ~~~~~っ。プロフも更新できたみたいだし、そろそろ仇討ちトークしない? 俺的にはそっちの方がワクワクするんだけど」
ロキがのんびりとくつろいでいると、甘えるのをやめた凛陽が厳しい目で見てくる。
「んだよ。金払ったら、続きを見せてくれんのかぁ。なぁ、オイ。ハハハハハハ」
ゲスい笑いを浮かべる。
「黙れクソ。はっきり言ってアンタ、信用できないのよ。だから、何ができんのって話。自分をラグナロクの英雄だって言えちゃうんだから、相当スゴイ事ができるんでしょうね?」
性格は問題外。凛陽がロキを信用できるのは実力。その一点のみ。
「みゃ~、みゃー、みゃー。ゴロゴロみゃ~。みゃ~お、みょう、みょう。みゃーッ」
突然、六畳間に聞こえる愛くるしい猫の鳴き声。仰け反ったり、寝転がったり、飛びかかろうと威嚇するのは、四つん這いになってなりきるロキ。
それを間近で見せられている凛陽は、口をあんぐり開け、なにも言えなかった。
「おぉ~れぇ~はぁぁ、何だってぇできるぅー。作・詞、さっ、きょ、く、おてのーものー。ラブレターを書けばー、相手はイチコロ。海の上を走りぃ、マグマを泳ぎぃ。ネノクニにもひとっ飛びぃー。大地を揺らし、街は火の海、雷霆で塔を貫く。世界だって終わらせられる」
お辞儀してみせるロキ。壮大に歌い、無駄に優雅で笑いを誘おうと踊ってみせた。
「見たか、俺は笑いが取れるし、無限の可能性を持っているんだぜぇ」
やり切って満足そうに笑う。
「死ね!!」
凛陽が茶番に付き合わされた怒りで立ち上がり、おもいっきりロキの横っ面を殴る。
「……ウソ?」
パンチを受け止められた。手加減無しの全力を余裕しゃくしゃくに。
「俺は何だってできるからな。お前さんのコークスクリューだって受け止められんのさ」
ニタニタ不敵な笑みが気持ち悪い。へなちょこにしか見えない筈のロキから、溢れ出す黒い力。どろりとした沼みたいな感触が、つかまれた拳から凛陽の全身を舐め回してくる。
「……フン、そんなんでアタシに勝ったつもり。あー、キモい、キモい。意味分かんない」
凛陽がへそを曲げながらハンカチで手を拭き、時雨の傍に座った。
「ロキ、盗んだ警察手帳を出して」
「またかよ。メンドクセーなぁ」
時雨に言われて、ロキがポケットと言うポケットを探っていくと、警察手帳が床に。
「なにコレ!! マジでパクったモノじゃん」
ロキと写真の巡査は、髪の色や目の色、顔つき、似ても似つかぬ。しかも引き止めてきた区役所の職員は、新たにやって来た三人目の警察として通したのだから信じられない。
「ロキの能力は言動や行動により他者の認識を操り、現実段階にまで引き起こせる。ロキを刑事課の人間だと認識した状態で、区役所の職員は警察手帳の提示を求めた。応じることができたから、別人の手帳にも関わらず、職員はロキを本物の警察だと認識してしまった」
天叢雲剣が知っている嘘の神としてのロキの特性を、時雨は事例を交えながら説明する。
「凛陽がハエを切ろうとして実際には切れなくても、ロキが同じくらいの大きさをした糸くずを、ローテーブルの上に飛ばしたから、大家はハエが切れたものだと認識した。刀を振った凛陽も、切れたものだと認識しているから、私とロキと相違している」
大家との賭けで凛陽が刀を振り下ろした時。ローテーブルを破壊しないよう、全身全霊の力で止めた。気付けば、切れたハエの死骸。手応えの無さは虫だからと片付けた。今なら時雨の話にも信憑性が持てる。ロキから感じた人ならざる力がそうさせる。
「さすが、お姉ちゃん。ロキのインチキを見抜いてたなんて、さすがだよ~」
凛陽が時雨に抱きつき、ギュ~っと甘える。
「俺も、俺も、知りた~い。どうして、俺のネタをことごとく見破れるんですか? 天叢雲剣にはオプションで千里眼機能まで搭載しているんでしょうか? ぜひ教えてください」
ロキが拳をマイクに見立てて質問するけど、時雨はメモ帳で顔を覆うだけで答えようとしなかった。
「ズバリ、時雨と凛陽を悲劇のヒロインに仕立て上げた奴は誰でしょうか? 性別、年齢、身長、体重、出身地、好きなタイプ。詳しい事を教えてチョーダイ」
「さぁね。むしろ、アタシが知りたいくらいよ。大勢のヤローを引き連れて、お父さんと何か話してたかな。で、なんか、危なくなったから逃げて。あー、お姉ちゃんを庇って、剣で斬られちゃった」
時雨ではなく、抱きつくのをやめた凛陽が答えた。仇にまつわる話だけど、いまいち要領を得ない。
「オイオイ、仇は一人じゃねぇのかよ。ミカエルが相手か? 戦争する気なら、同窓会ついでにルシファーんとこでも行こうぜ」
メモ帳を持つ手は力無く、見えた時雨の表情はひどく怯えていて身体中も震えている。
「ミカエルかルシファーって事でOK? 違うんなら、NOって言うのは今の内だぞ~。間違った相手じゃ、向こうにも迷惑だからなぁ。ッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
ロキが一人笑うだけで、凛陽も時雨も何も言わず黙ったまま。
「お前らツマンネェぞ。俺は仲間として知りたいんだよ。どうしても話せないなら、そのメモ帳見せてみ。仇の名前とか特徴とか、色々書いてあるんじゃねぇの?」
ロキが時雨からメモ帳をかっさらおうとすると、すばしっこい動きでつかませてくれなかった。
「やめて!!」
今にも殺されそうな悲鳴。凛陽に腹を蹴られ、フローリングを転げたロキ。
「もしかして、字、汚ねぇのか。それで見せたくないんだろ?」
起き上がったロキの額に、突き付けられる刀の切っ先。
「ブッ殺す。お姉ちゃんが嫌がってんの見て分かんないの、バカ、クズ」
絶対に見せまいと、時雨がメモ帳を胸に抱え込んで息を切らしている。そんな痛々しい姿の姉を騎士の如く凛陽が庇う。
「後、お姉ちゃんの字は達筆なんだから」
座ったままロキは両手を上げ、降参の意思を示す。
「わかった、わかった。けどな、仇の候補が星の数なんだ。どれが一番星か、はっきりさせようじゃねぇか。もしかして、本当は仇なんかいなくて、自作自演だったりしてなぁ。クフフフフフ、アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ――」
両方の親指で自分を指し、ロキが虫唾の走る笑いをしてみせると、額に刀の切っ先を突き付けられる。
「ッてぇーーー。灰色エキスがこぼれたらどうしてくれんだよ。バカになっちゃうじゃん」
「あ゛、次お姉ちゃんを苦しめたら、頭の中をかき混ぜるわよ」
見下ろす凛陽からは、煮えたぎった怒りと激しい殺気が溢れ出している。
「凛陽、もう、だいじょうぶ……これ以上は、だめ」
時雨は押し潰されそうに震えながら、一線を越えそうな凛陽を諭した。
「…………ロキ。私は、仇の名前を知らない……顔は覚えている」
これ以上聞き出したところで、時雨は今にも散ってしまいそうな花みたい。とても収穫なんて期待できない。凛陽を怒らせて楽しんではいるけど、叩き斬られる危険を冒すのは割に合わない。
「まぁ、いいさ。向こうさんだって、天(オ)叢(モ)雲(チ)剣(ャ)を取りに戻って来るだろうから、嫌でも会えるだろうよ。それまで、のんびり観光するのも悪くねぇかもなぁ。ハハハハハハハハ」
「なに勝手にしめてんのよ。まずはお姉ちゃんに謝りなさいよ」
ロキは肩をすくめ笑っていたが、凛陽の殺気立った視線と切っ先は未だ向いたまま。
グーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ。
大きくお腹の鳴る音。しかも二重奏。
朝から波乱の連続で神経をすり減らした。お金が無いから食事もできず、公共交通機関も利用できないから、移動は徒歩。そこにロキと言う、終始逆撫でしてくる要素が加わってくるから、張っていた気も限界を迎えてしまった。
堪らない恥ずかしさで赤くなる凛陽の顔。あまりに急で、よりにもよって聞かれたら面倒な相手に、ネタをやってしまったと悔しくていたたまれない。
「お腹空いた」
時雨は無表情にあけすけなく言った。
「ッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ」
「うるさい!! 笑うな。バカ、死ね。変態、神モドキ。空気読め。ああッ、もぉサイテー」
ポニーテールを激しく揺らし、凛陽が大笑いするロキに罵声を浴びせる。
「ハイハイ、分かりましたよぉ」
ロキが立ち上がり、気色悪くニタニタ笑いかける。
「若者が節制なんてするもんじゃねぇ。どれ、俺が新しい死者の街を見物するついでに、ザクロをたくさん持ち帰ってやるよ。その間にお前らは水浴びでもしてりゃいいさ。ハハハ」
「あっそ。言われなくても」
ロキはベーッと舌を出す凛陽に見送られながら、夜のニブルヘイムへと出かけて行く。
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