それはまるで習慣のように
このお話は自傷行為のお話です。苦手な方は飛ばしてください。
また、これは自傷行為を助長するものではありません。あくまでも、私の経験を書いているだけです。
中学生の時にリストカットをしたという話はしたと思います。
私は、あれからリストカットをやめられませんでした。
調子がいいときは一ヶ月くらいしないとか、それくらいはあったと思います。
でも、私は高校生になって、気が付いたら寝る前に必ず切るようになっていました。もう習慣でした。
そのころにはもう手首にはしていませんでした。なので手首の傷はいつの間にか消えていました。
そしてこの頃からはばれないように、腕や足にしていました。
カッターは昔と同じものを何度か新調していました。
絆創膏は昔より大きくなりました。
夜に切らないと眠れないような。
夜に切ればまた明日も生きられるような。
そんな感覚でした。
なんでしょう、うまく言葉にできません。
ただ毎日していました。
それによって楽になるとか、そんな感覚もなかったような気がします。
毎日やらないと気が済まない、そっちに近いような気がします。
悲しい曲を聴きながら、泣きながら、なんとなく切る。
夜は毎日そうでした。
切るとき、誰にもばれないようにトイレやお風呂場でしていました。
あとから知ったことですが、この時、親は私がリストカットしていることに一切気づいていませんでした。
切らないと生きていけない、そんな感じでしたね。
決して死ぬために切っていたわけではありませんでした。
「よし、これでまた明日も生きられる」
そんな感じです。
本当に習慣でした。やらないとなんか気持ち悪い、みたいな。
今こうやって書きながら考えると本当にバグってますね。
リストカットは私が毎日生きるために必要な行為でした。
毎日ご飯を食べる。毎日睡眠をとる。毎日リストカットをする。
って感じです。
あの時の心情を言葉で表すのが本当に難しいです。
「習慣だった」
これが私の中で一番しっくりくる例え方です。
私の中で「リストカットをやめなきゃ」っていう気持ちはありませんでした。
私が生きていくために必要なことで、リストカットをやめることは逆に死ぬことって感じです。
生きるためにやってるのに「リストカットやめて」なんていわれたら「じゃあ死ねってこと?」って返したくなります。
もちろん、そうじゃないのはわかってるんですけどね。
ただ私にはそれだけ必要不可欠のものでした。
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