私をステータスにしないで

 私が合格した大学はそこそこ名の知れている大学でした。

 そんなに頭のいい高校ではなかったので、私が合格したことを担任の先生に言ったとき、本当にびっくりしていました。


 そしてそれはもちろん、親もでした。


 塾の先生と母は「いやあ、あの大学に行くなんて無理ですよね~」なんてよく話していたんです。

 それが私が合格したとたん「あなたがあの大学に合格したこと、みんなに自慢してるのよ!」と今までとは態度が一変。

 それは父も同様でした。父も「会社の人に自慢している」と言っていました。


 これは、普通は喜ぶべきものなのでしょう。


 こんなに娘のことを自慢してくれて。私のことを自慢の娘であると言ってくれているようなもので。


 でも、私は嬉しくありませんでした。

 むしろ、嫌悪感さえ覚えました。


 私はただステータスにされているとしか思えませんでした。


 今までさんざん傷つけてきて。なにかしても褒めてもらえなくて。ダメだったときはいっぱい怒ってきて。

 親の好き勝手にされてきただけの私。

 

「娘がよく頑張ったの、娘すごい!」


 って、素直にみんなに自慢している感じじゃなくて。


「この娘私が育てたのよ、私子育てうまいでしょ?」


 って、親のために使われているように感じました。


 だって今まで誰かに自慢されていたことなんてないし。あんなにやさしくされたのだって初めてだし。掌返しがすごすぎて、受け入れられませんでした。

 これがたとえ私の考えすぎだとしても、そういう気持ちにさせるように私に接してきた親も少なからず悪いと思うんです。


 私は人に自慢されるのが本当に嫌でした。


 自分が親のステータスを上げるために使われていることが嫌でした。

 親が「すごーい!」と言われて「ふふん!」と思っていることを想像すると

許せませんでした。

 私の努力があの親の機嫌がよくなる行為に使われていると思うと辛かった。


 なにより、親に初めてまともに褒められたのにも関わらず、喜びという感情を持たなかった私が悲しかった。


「もう私はこの人たちに何も望んでいないんだ」


 それを理解した瞬間でした。

「褒められたい」「認められたい」

 そんな気持ちがあったはずなのに、もうこの親ではだめなのだと気づきました。

 本当の本当に、何も期待していないことに気が付きました。

 いつの間にか、私はそれだけ親に対して何も思わなくなっていました。

 きっと、見ず知らずの道端の人に褒められたって喜べるのに、私にとって親はそれ以下でした。

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