記憶にはなくとも

 ここまで読んでくださった方で、私が親を嫌いになるのに理由が不十分だと思っている方がいらっしゃるかもしれません。

 実際、私も「なぜ親が嫌いなの?」と言われると咄嗟に決定的な証拠を挙げることができません。

 なぜ言語化できないのか、私はたくさん考えました。


「本当はそれほど嫌いじゃないのかな?」


 なんて思ったこともあります。

 そして、私は最近その答えの一つにたどりつきました。


「言語化できない苦しみを味わったから」


 です。


 正確に言うと「言語化できない時期に味わった苦しみだから、感情や感覚、心の奥底に苦しかったというものは残っているが、それを言語化することは今でもできない」


 といった感じです。


「嫌だった」「この人とは一緒にいたくない」「おうちが嫌い」


 そんな子どもっぽい感覚だけがずっと残っています。トラウマだけが永遠に私に付きまとっています。



 何があってそうなったのかはわかりませんが、されて嫌だったことで覚えていることがもう2つだけあるのでそれを書きます。


 ひとつ目は父に蹴られたことです。

 小学生の頃だったのは覚えています。でも、なぜ蹴られたのか全く覚えていません。


 もうひとつは母に家を追い出されたことです。

 真夜中に玄関から放り出されました。それも理由はわかりません。その後、どうやって家に入ったのかもわかりません。


 こうやって文字にして皆さんに発信していくことを決めてから、たくさんのことを言語化してきました。

 それでもやっぱり「私の苦しみはこんなもんじゃない」「もっと何か、あったはずなのに」と、皆さんにうまく伝えきれていないことを毎日悔しく思っています。

 ふと思い出してお話を書き足していることもあります。

 思い出すことが苦しいときもあります。

 それでも私はこの気持ちと、この現実と向き合って生きていきます。


 なんだかお話とはあまり関係のないまじめな話になってしまいました。


 今回のお話で私が言いたかったことは、


「言語化ができないような小さい頃に味わった苦しみは今も言語化することができずに、しっかりとした記憶として残ってはいないけれどそれでも確かに苦しみとして心に傷ができてしまっている」


 ということです。


 言語化ができない分、人間の第六感といいますか、そんな感覚のところで「この親はダメだ」「この人たちと一緒にいちゃいけない」と感じていたんだと思います。

 そんなことを子どもに感じさせるような親だったんです。

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