おばあちゃん

 今まで触れてきませんでしたが、私は母方のおばあちゃんが大好きでした。


 母方のおじいちゃんおばあちゃんは車で10分くらいのところに住んでいるので、よく遊びに行っていました。

 父方のほうはかなり遠くだったので年に一回行くかどうかでした。


 父方のおじいちゃんは私が中学に上がるくらいの時に亡くなりました。おばあちゃんはもう全く会っていませんが今でも元気にしています。


 母方のおばあちゃんにはすごくよくしてもらっていて、私が小学生一年生の頃から裁縫や押し花など、たくさんのものを教えてもらいました。

 私が手先が器用なのはそのおばあちゃんとの経験のおかげです。


「どうしてこんないい人からあんなダメな人間ができたんだろう?」


 と、おばあちゃんと母をよく比べていました。


 ですが、大人になった今、たくさんの情報を得たりして、わかったことがあるんです。

 もしかしたら、母も私と同じだったのかもしれないと。負の連鎖は続く、と表現したらいいのでしょうか。


 母方のおじいちゃんが少し気難しい人でした。とはいっても私たち孫にはそんなことないのですが。

 亭主関白というか、怒りっぽいところもあって。時代もあるんだと思いますが。

 母がどんな気持ちでおばあちゃんとおじいちゃんと過ごしてきたのかはわかりませんが、おじいちゃんの難しさはなんとなく、私にも理解できる部分がありました。


 そして、おばあちゃんと母を比べてしまうことに関しては「責任が違うからかもしれない」と気づかせてもらいました。

 例えて説明すると、

 全然知らない人の子どもにどこか道端で出会ったとして、

「あらかわいいね~」

 なんて、かわいがること、なんとなく想像できますよね。

 すごく優しそうなその人も実は自分の子どもには厳しかったりするんです。

 それはだと思うんです。

 自分の子どもだと何かあったとき責任を取るのは自分です。

 でも、知らない子どもだとなんの責任もないからある意味関心がなくて許せるんだと思います。

 すみません、説明がすごくへたくそなんですが……


「自分の子どもに対する接し方と、人の子どもに対する接し方は違うもの」

 

 ということをなんとなく理解しました。


 だからと言って、私はそれで母に同情をし、許すわけではありません。

 本来はそれを自分で理解し、解決し、負の連鎖を続けないようにするものです。

 もしかしたら母は理解すらしていないのかもしれません。

 私はここでその連鎖を断ちます。

 自分のことをしっかり理解して、もう自分より後にこんなことがないようにします。


 ちなみに父がどのように育ったのかなどは全くわかりません。



 そして、そんな大好きなおばあちゃんは私が中学二年生の時に亡くなりました。

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