第五十九話「鬼の念仏」

 ユニゾンソフト社長、与脇さんによる粉飾ふんしょく決算の告白に、場は騒然となっていた。

 真宵くんから教えてもらったけど、粉飾決算とは赤字経営を黒字だと嘘つくこと。

 明かな大問題。許されない犯罪ということだった。


 お金に疎い私だとリアクションに困るけれど、その秘密は局長さんにとっての切り札だったらしく、社長さんの言葉を前に呆然と固まっていた。


 どよめきが収まらない会議室。

 しかしもう一つのモニターの映像が移り変わり、サンタクロースのような白いおひげのおじいさんが映し出された。


『ほっほっほ。わたくしはルーデンス・ゲームスの社長、江柿えかきです。……与脇社長からの突然のお話に驚かれているでしょう。わたくしも先日聞いたばかりでね。でも、彼のおっしゃったことは事実です』


 おひげの江柿社長は落ち着いた様子で話してくれる。

 サンタクロースが背広を着ているようで、ちょっと微笑ましくなった。

 向かい合うように設置されたもう一つのモニターの中では、与脇社長さんが深々と頭を下げる。


『江柿さん。今日はモニター越しで失礼します』

『ほほ。それはこちらこそだよ、脇ちゃん。よくぞ勇気を出して告白してくれたね。そして長さんもありがとうね』


 与脇社長の横では、長さんが照れるように頭をかいていた。


 ――後になって長さんから聞くことになるのだが、この二人の社長と長さんはかつての同期らしい。

 私が長さんに遊ばせてもらった古いアーケードゲームをはじめとして、多くのレトロゲームを共に開発した三人組だという。

 江柿社長は元々グラフィックの担当で、のちにユニゾンソフトから独立して作った会社がルーデンス・ゲームス。

 同胞のよしみとして、そして恩師であるユニゾンの創業者、王城社長の忘れ形見として、江柿社長は傾きつつあるユニゾンソフトを支えようとしていた。

 それが子会社化したのにユニゾンブランドを維持させてくれている理由だったのだ。



 江柿社長はモニターの中で静かに目を閉じ、語り始める。


『ユニゾンの粉飾決算は非常に悪質な行為。与脇くんはその罪を真摯に受け止め、償う覚悟を示してくれています。……これからルーデンスとユニゾンは大きな決断をすることになるでしょう。しかし、開発者の皆さんにつらい想いをさせないことだけは約束します』


 その真摯な態度は、信じるに足りた。

 そしてさらに、与脇社長が口を開く。


『私たちが審査会の場を借りてこうして出てきたのは、すべては鬼頭さんの断罪のためなんだよ』

「…………は? だん……ざい……だと?」


『キャリア開発室などという追い出し部屋を作って、クリエイターをないがしろにした罪。そして悪質な集金方法でお客様から搾取しようとした罪。……そのどちらも、決して許されることではないんです』

「違う! 俺はそんなことしていない! 証拠……。そうだ、証拠があるか、おいっ!?」


『鬼頭さん。いい加減に認めるんだ』

「粉飾野郎が正義ぶるんじゃねぇ!! そもそも部署を作り出すなど、社長のお前の指示がなければできないだろう!? ……それに悪質な集金とやらも、勝手に部長連中が手を染めていただけだ! 俺は何もしらん!!」



 ――局長さんがまくし立てるように叫んでいた時だった。

 唐突に、何かの会話が聞こえてきた。


『ガチャはわかるかね?』

『百円玉を入れて回すとおもちゃが出てくる……アレでしょうか?』

『まあそうだな。当たりが出るかのドキドキは、課金というリスクがあるから得られるものだ。あれはいいシステムだと思うよ』

『入れろ、ということでしょうか?』


 録音された会話のようだ。

 音質が変化しているが、明らかに局長さんと真宵くんの声。

 真宵くんを見ると、彼はスマホを前に掲げていた。


『そう言えば昔話だがな。祭の屋台でくじ引きの店があったんだが、なかなか興味深いものを見たな』

『どういうことでしょう?』

『高価なゲーム機を並べてあるが、それは当たりではないんだ。ただ飾ってあるだけ。そして子供は興奮気味にくじを引くわけだ。実に変わった飾りだと思ったよ』

『……つまり、当たりではない物を飾りつつ、ガチャを設置しろ、と?』


 聞けば聞くほど悪いことを言っている。

 場内の誰もがそう思ったらしく、局長さんを冷ややかな目で見つめ始めた。


『……審査会までの命だ。審査会をすぎれば、必ずクビにする』

『ほう。それは、結果がどうあれ解雇するということでしょうか?』

『そうだ! 二度と業界で仕事できないようにしてやる!!』


 音声が終わり、真宵くんは腕を下げる。

 局長さんは視線を宙に泳がせ、呆然としているようだった。



『おや、今の会話はなんでしょうか?』


 江柿社長の問いに、真宵くんは前に進み出る。


「今回のプロトタイプ開発中に鬼頭局長から強要された、集金のための悪質なアイデアです」


『最後の……解雇という話は?』

「僕が断固として拒否しましたら、逆上した局長に言われてしまいまして……」


『しかし、あなたがおっしゃるように非常に悪質なアイデアだ。聞き入れる方がどうかしているでしょう。それを解雇だなどと……』



 その時、局長さんがバンと机を叩いた。

 さっきからバンバン叩きすぎて、手のひらが腫れちゃわないだろうか?

 私が素朴な疑問を感じる中、局長さんは真宵くんの胸元につかみかかる。


「真宵ぃぃ! おかしなところで音声を切りおって。俺はしっかりと『さあな、そういうこともあるんだな』と言ったぞ!」

「局長、苦しいです……。僕はにらまれ、恐ろしかった。その空気を前に、強要されたとしか思えませんでした」

「こんのぉぉ……貴様、カマトトぶりやがってぇぇぇっ!!」


「あわわわわ。ダメです! 暴力はダメ!!」


 局長さんが真宵くんの胸元を締め上げる。

 私はとっさに間に入ろうとしたけど、逆上してる局長さんはビクともしない。


 すると阿木内さんや他の人たちが寄ってたかって局長さんを羽交い絞めにしてしまった。


「あ~はいはい。鬼頭さん、暴力はダメですよぉ~」

「くそっ! なんだ、離せぇぇ!!」


 局長さんはもがくけれど、男性が三人も四人も襲い掛かれば身動きが取れなくなってしまった。

 真宵くんは解放され、胸をなでおろしている。



 ようやく静まり返った頃、ルーデンスの江柿社長は声を低くして話し始めた。


『そもそも鬼頭さん。あなたは与脇社長の粉飾決算の事実を知っていながら告発もしませんでした。それどころか与脇社長を脅し、会社を支配していたわけです。……粉飾隠しは重大な犯罪ですよ』


「社長。彼の余罪はさらにありますよ~。神野さんを不当解雇したうえに、スタッフに不当な出勤停止を命じていた。本当にどうしようもないですねぇ~」


『そうですか……。取締役という立場を利用しての横暴なふるまい、目に余ります』



 それに反論するように、局長さんは大声で叫ぶ。


「全てはユニゾンを救うためだ! このまま赤字を続ければ崩壊は間違いなし! だからこそ、心を悪に染めてでも、俺一人が犠牲になってでも、なんとかせねばと思ったのだ! ……俺は全員のことを考えていた! ここまで献身的な男が他にいるかぁぁ!?」


 しかし江柿社長は動じることなく、穏やかに告げた。


『もう十分ですよ。あなたはもう、金儲けに頭を悩ませなくていいんです』

「は?」


『本来はこの場で言うつもりはありませんでしたが、仕方ありません。……正式な手続きはこれからですが、与脇社長との話し合いの結果、ユニゾンソフトを分社化し、吸収合併することに決まりそうです』

「分社……化? 吸……収?」


 呆気にとられる局長さん。

 私はのちに説明を受けたけど、つまりはこういうことだ。


 今、ユニゾンソフトは利益が出ている部門とそうでない部門がある。

 さらには慢性的な赤字体質を生む経営層の存在と、ないがしろにされている開発者との軋轢あつれき

 ここに大ナタを振るうのが、『分社化』と『吸収合併』という手段のようだった。


 ユニゾンソフトは二つに分割され、ルーデンスにとって必要なほうの会社はルーデンスの中に吸収される。

 そして不要なほうの会社は事業売却の利益を使って廃業へと進む。


 事実上の、ユニゾンソフトのブランド消滅という未来だった。



『ほっほっほ。開発者の皆さんは何一つ心配しなくてもいい。我がルーデンスの一員として、活躍できる未来を約束します』


「おい……おい……黙れ」


『また、与脇社長は廃業側を責任もって見届けるご覚悟。そして与脇社長たってのお願いで、財務担当だった鬼頭さんも一緒に連れていきたいそうです。……脇さんが会長で、鬼頭さん、あなたが社長ですよ。頑張って廃業までの道のりを歩んでくださいね』


「そんなこと、通るわけがないだろう! 取締役である俺を無視して、勝手に話を進めるなあぁぁぁっ!!」


『おやおや鬼頭さん。ルーデンスはユニゾンの主要株主です。子会社であるユニゾンの役員人事は、こちらが決めることですよ』



 江柿社長の最後の一言が効いたのか、局長さんは絶望したような顔で固まってしまった。

 顎をガクガクと震わせ、視線が宙を泳いでいる。


「やめて……ください……。それだけは……」


 しかし、誰からも返答はなかった。

 かけられる言葉のない沈黙。



 そして次に湧き出てきたのは、局長さんの気味の悪い笑い声だった。


「ふ、ふへ。ふへへ。真宵くぅん、雑談に決まってるじゃないですか」

「雑……談?」


 局長さんは阿木内さんたちに取り押さえられたままの格好で、私たちを見上げるように薄笑いを浮かべる。

 その気持ち悪さは伊谷見さんに匹敵するほどで、悪寒を感じるほどだった。

 真宵くんも心底不愉快そうに見下ろしている。


「ガチャもくじ引き屋も、子供の気持ちになっての話題だったでしょう? 開発の話とは無関係の雑談ですよ。課金がどうとか、勝手にそんな恐ろしい話につなげられると困りますよ~」


 薄笑いが気持ち悪い。

 すると真宵くんはスマホを取り出し、操作した。

 そして流れ始める音声。


『……とにかく、販売後も利益を出すアイデアを入れること。それがプリプロダクションの審査を通過する条件だ。……真宵。もう行っていいぞ』


「これはさっきと同じ時の会話ですが、僕は審査会を通さないと脅されていました」

「ちょ……。そんなの、冗談に決まって」


「そうですね。冗談だと思いますよ。あなたは利益だ市場だともっともらしい言葉を並べ立てているだけで、本当はそんなこと大事だって思ってない」

「は……?」


「本当に守ろうとしてたのは自分の立場。優位な立場から人を支配する快感に、酔っていただけです」


 絶句したように口をパクパクさせる局長さん。

 助けを求めるように、今度は私の方を向いてきた。


「イロドリせんせぇは許してくれますよね?」

「ふぇぇ!? な、なんですか?」


「ずっと知らなかっただけなんですよぉ。ふへ。今からでも契約しませんかぁ? 先生のような素晴らしい才能をお持ちの方は、社員待遇だともったいないですよぉ」


「あ、知ってます! お給料よりも高い金額に見えるけど、実は社員の人件費よりも格安で発注するんですよね!」

「なぜそれを!? ……いや、はは、そんなわけないじゃないですかぁぁ~」


 うわぁ。

 やっぱりそうだったんだ!

 仙才先生にやってた契約を、性懲りもなく!!


「今さら下手したてにでても、もう遅いです!! 局長さんの悪事は全部バレてますので~!!」

「あぁ……ああぁぁぁ……」


 すがり付くように伸びる手を避けると、局長さんは断末魔のようにうめくのだった。



「……ほんと、鬼の念仏だね」


 真宵くんが不思議なことを言う。

 何かのことわざだろうか?


「鬼の念仏?」

「無慈悲、冷酷な人が、表面だけ神妙にふるまうこと。心の底が腐ってるんだ。どうしようもないよ」


 後に残るのは、壊れたように薄笑いを浮かべる局長さんの姿だけ。

 こうして、波乱の審査会は幕を閉じることになった――。

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