第四十六話「それぞれの本気」

 頬とこぶしがズキズキする。

 僕は『真宵ディレクター』の席に座りながら、痛む頬を撫でていた。


 高跳たかとびさんを追い出し部屋に戻すためとはいえ、自分で自分の頬を殴るなんて、本当に無茶をしてしまった。

 力ずくで何とかするなんて考えは、もしかしたら高跳さんや創馬そうまさんたちに影響されたのかもしれない。


「痣ぐらい、創馬が特殊メイクでやってくれるっすよぉ……」

 ……殴り終わった後に高跳さんに言われたけど、それはもう後の祭り。

 まあ勢いで殴った僕のせいだし、リアリティが出たわけだから、良しとしよう。



 ……そんなこんなで無事に高跳さんは追い出し部屋に出戻ることができ、僕は鬼頭の望み通り、ディレクターの椅子に座ったわけだ。


 僕は改めて『真宵ディレクター』の席からの眺めを一望する。

 クソ鬼頭から一通りの状況は聞いたけど、この公式の開発チームを一言で言えば「崩壊寸前のチーム」だった。

 やる気に満ちた追い出し部屋と比べるまでもなく、暗雲が立ち込めている。

 それなのに、伊谷見はやけに不遜ふそんな態度で僕の横に立っていた。


「ふふん。真宵ディレクター様のお手並み、拝見だねぇ~」


 このニヤニヤした顔を見るだけで腹立たしい。

 でも、僕は作り笑いを浮かべて振り返った。


「いえいえ。伊谷見さんに頼ろうと思っています~! 僕はしょせん、右も左も分からない新人ですから」

「な、なんだよぉ。……下手したてに出やがって、内心でぼくを笑ってるんだろぉ?」


「そんなことないですよぉ~。僕は『企画立案者だから完成のビジョンをもっているだろう』と、それだけの理由で呼び戻されたにすぎません。鬼頭局長からはディレクターを拝命しましたけど、僕はあくまでも伊谷見さんを中心に動くべきって思ってますから」


 そんな感じにおべっかを使ってみると、伊谷見はだらしない顔でにやけ始めた。


「そ、そう? あは、あはあはあは。真宵くんも可愛い奴だなぁ」

「あはははは……」


 くそ、何が可愛い奴、だよ。

 うまく事を進めるための嘘に決まってるだろ。


 伊谷見にディレクターの能力があるなんて、この惨状を前にすれば思えるわけがない。

 処理落ちまみれのプロトタイプ。

 いつまでもフワフワと定まらない仕様。

 暴走する脚本家に、デザインを上げてこないキャラクターデザイナー。


 ……伊谷見は言ってたよな。『ぼくがうま~く作ってあげる』って。

 はは。

 こいつが審査会まで踏ん張ってくれれば、僕らは追い出し部屋で最高のプロトタイプを作れたのに……。たった三か月しか持たないなんて、期待外れもいいとこだ。


 でも、おかげで鬼頭の懐に入るチャンスができたのも事実。

 罵倒したい気持ちを抑え、僕は右手を差し伸べる。


「伊谷見ディレクター・・・・・・。僕らはこれからは一緒に作っていく仲です。共に協力し合い、必ずやプリプロダクションを成功させましょう!」

「あはっ。ぼくの・・・チームに歓迎するよぉ、真宵くんっ!」


 伊谷見の分厚い手を握りしめる。

 ねっとりとした汗が密着し、とてもとても不快だった。



   ◇ ◇ ◇



「彩さ~ん。敵の形態変化の演出、そろそろA案とB案のどっちにするか決めようかと。彩さんはどっちがいいと思います?」


 ぼんやりとペンを握っていたら、グラフィックチームの女性に声をかけられた。

 慌てて送られてきていた演出案を見てみると、それは数日前から判断を保留にしていたものだった。


「あ、そうですね。エフェクトでごまかすA案と、まともに変化を見せるB案……。残り時間を考えると、Aの方が無難かもしれないですね」

「分かりました~」


 彼女はにこやかに礼をしてくれて、さっそく作業に取り掛かるところのようだ。

 私が仕事を止めていたのに、嫌な顔一つせず。

 居心地の良さを感じると同時に、申し訳なくなった。


 その時、横で作業をしていた創馬さんが私に顔を向けた。


「夜住さん、もうグラフィックチームの中心だね。そろそろアートディレクターを名乗ってもいいんじゃないかな?」


 アートディレクターとは名前の通り、絵作りに関する最高責任者だ。

 絵に関するあらゆる判断をし、ゲームを魅力的に作り上げていける。


「そ、そんな大役、まだ私には早いですよぉ。創馬さんの方が実務経験は長いし、適任だと思います……」


「そんなことないけどな。わたしは絵作りのビジョンがある夜住さんがやるべきだと思うよ」

「……でも」


「元気ないね。……真宵さんが抜けたこと、関係してる?」

「……自分でもよく分からないんです」


 指摘されれば、確かに真宵くんがいなくなってからの私は何かがおかしかった。


 真宵くんは自分が抜けても問題ないように田寄さんに引き継いでくれたし、これが局長さんに近づくチャンスだって、私も分かる。


 ……それに、私たちも目の前の開発に全力で取り組むべき時なんだ。

 プロデューサーの阿木内さんに相談した時も、真宵くんがいなくなっても力を緩めないで欲しいって言われた。


 私がやることはシンプルだけど、なぜか頭の中に霞がかかっていて、いろんな判断に自信が持てなくなっている。



 しばらくの沈黙の後、ふいに創馬さんが立ち上がった。


「……夜住さん、ちょっとおいで」

「あ、はい」


 創馬さんは手招きすると、追い出し部屋の奥に向かう。

 そこには、数日前から現れた謎のパーテーションがあった。

 布とダンボールで仕切られてて、中が見えなくなっている。

 不思議だなぁと思っていたものだ。


羽流はねる、入るよ」

「おう。……って、夜住さん!?」


 暖簾のれんをくぐって最初に目に入ったのは、パンツ一丁の高跳さんだった。


「ふわぁぁ!? 高跳さん、パンツパンツ!?」

「ちょ、待って待って! 服着るっす!」


 高跳さんは姿鏡の前で、なぜか半裸でポーズをとっていた。

 創馬さんの説明によると、高跳さんはお仕事するときいつも半裸になるので、格闘ゲームを作っていた時代もパーテーションの中に隠れて仕事していたらしい。


「あの、なんで裸だったんですか?」

「オレ、アニメーターっすからね。こうやって実際に動いて体の動きを確認してるんす」


 そう言って姿鏡の前で構えたかと思うと、シャドーボクシングを始め、さらにその場で宙がえりを披露してくれた。

 凄い身体能力だ……!


「服を着てると体の軸がわかりにくいんで、裸が一番なんすよ。機材管理室からこっそりカメラも持ってきたんでね、録画しながら動きの確認をしてるんす。……ま、パンツは履いてるんでノープロブレムっすね!」

「動きってそうやって作ってるんですね……」


「ほんとはモーションキャプチャーモーキャプしたいとこっすけど、この環境だと仕方ないんす」

「そうそう。羽流が変わってるだけだよ」


 そう言って創馬さんと高跳さんは笑いあう。


 ――『アニメーター』

 始めてその職種の名前を聞いた時にはテレビアニメの動画を描く人だと思ってたけど、ゲーム業界で言う『アニメーター』とは3Dキャラの動きをつくる人のことらしい。

 モーションデザイナーと呼ぶこともあるらしいけど、『キャラクターに命を吹き込む仕事』として誇りを持っているから『アニメーター』を名乗っているということだった。


「ところで創馬、なんか用?」

「ああ、そうだった。夜住さんが元気ないから、真宵さんの話でもして欲しくって」



   ◇ ◇ ◇



「真宵くんを心配する気持ちは痛いほど分かるっすよ」


 高跳さんはしみじみと語っていった。

 真宵くんにアニメーションを教えていた時のやり取りや、鬼頭さんにまつわる異動の件など。


「オレもここに戻るときに、だいたいの経緯は教えてもらってるっす。あのクソ鬼頭に近づくなんて危険だろうと、本人にも言ったっすから」

「うん。私、心配で……」


「大丈夫っすよ! 腹を決めた男は強いんす。なんてったって、自分自身を気絶する勢いで殴れるんすから。……そんな男に後を託されたんすから、オレは迷わず進むって決めたんす」


 確かに男気についてはよくわかる。

 真宵くんが高跳さんのために一芝居うったなんて聞いた時にはすごいと思ったものだ。

 だけれど、彼を安心して見送れない自分も、確かにいた。


「……オレは夜住さんのこと、深く知ってるわけじゃないんすけど。長さんや真宵くんから聞いてた印象とは別人っすね」

「……別人?」

「ええ。いつもポジティブに突き進んで、壁を突破していく強い人。……でも今は下を向いてしょんぼりしてるっす」


 急に私のことに話題が移り、ビックリする。

 そして、別人だなんて言われるとは思わなかった。


「……もしかして、自分ががんばれば真宵くんが潰れるって思ってないすか?」

「ふぇ?」


「彼はこんな状況で投入されたディレクターなんだ。真宵くんは尻ぬぐいをさせられるに決まってる。もし敵チームがプリプロ審査に通らなければ、真宵くんの将来も潰れてしまう。……もしかして、そう思ってたり?」


「そ、そんなことないよぉ」


 何か、心の奥底を見抜かれた気持ちになり、ぎくりとした。

 思ってもよらない想像だけど、妙に腑に落ちてしまう。


 すると、ずっと黙っていた創馬さんが口を開いた。


「ううん。わたしはそんなこと、あるって思ってるよ?」

「そ、創馬さん?」


「わたしはしばらく夜住さんを見てて気づいたんだけど、真宵くんがいなくなってから判断のスピードが落ちてると思う。そして、迷ったときにイマイチな案を選びがち」

「う……嘘です」


「さっきの演出案の時も、無難なほうを取ろうとしてたよね。……今までの夜住さんなら、時間の懸念なんて力づくでねじ伏せて、よりユーザーが喜ぶ方を選んでた」

「あ……」


 無意識だった。

 確かに、以前の私はどんなに無茶だろうとがんばろうとしたはず。

 少なくとも迷わなかったはずだ。


「無意識に、手加減してるんだよ。……何に? たぶん、真宵くんにだと思う」


 そして創馬さんはグイっと詰め寄ってきた。


「夜住さんが本気で戦えば、勝てる人なんていないんだ。だから、真宵くんと戦うことを恐れてる。……倒しちゃうから」


「私はただ、真宵くんを心配してて……」

「彼は心配されるほど弱いままなのかな? わたしは過去の彼を知らないけど、ここで開発してた彼は、ちゃんとしたディレクターになってたよ」


 ……今、自覚した。

 なんてことだろう。

 私は真宵くんのことを、いまだに守らなきゃと思っていたのだ。

 真宵くんを心配する気持ちは、信じていない気持ちの裏返しだったんだ。

 なんて……なんて彼に失礼だったんだろう。


 すると、高跳さんが大きくうなずいた。


「そもそも、今回の企画は夜住さんが一人で立ち上げたわけじゃないんす。真宵くんと二人で、でしょう?」

「……うん」


「だったら彼の力を一番知ってるのは、夜住さんのはずだ。夜住さんが本気でぶつかっても、彼は大丈夫っす。やりましょう!」


 そうだ。

 彼は迷うこともあるけど、決めた後はまっすぐに走っていた。

 いつだって冷静で、労基に相談したりと、私が思いもよらないことをちゃんとしてくれる。

 それに田寄さんに鍛えられていたし、何か凄い作戦があるのかもしれない。



 私は抱き枕をギュっと抱きしめ、立ち上がる。


「うん。やる! 本気でやる! 真宵くんが残していったものを完成させる責任があるもんね」


 私が全力を出しても大丈夫なのだと、みんなが言ってくれている。

 もう、迷う必要はないのだ。


「ありがとうございます!! ……こうなったら演出案の変更を伝えなきゃ。ちょっと行ってきます!」


「うん。行ってらっしゃい」

「どんな演出でも作るんで、思いっきり暴れていいっすよ~」


 創馬さんと高跳さんが頼もしく手を振ってくれる。

 私はパーテーションを飛び出し、グラフィックチームの元へと駆けていった――。

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