第四十四話「真実の扉を開こう 5(終)」

「ねえ、神野さんさ。実は今でも……ユニゾンに戻りたいって、思ってる?」


 神野さんの家のリビングを出るときになって、田寄さんは重そうに口を開いて尋ねた。

 神野さんはというと、慌てたように両手を振る。


「えっ!? ……いやいやタヨちゃん。そんなわけ無いって~」

「ふぅん。珍しくキョドっちゃってさ。そういう時はいつも真逆のことを考えてるんだよねー」


「ふぇ? ……神野さん、戻りたいんですか?」

「残ってる僕が言うのも変ですけど、あんな会社、戻ってもいいことないですよ?」


 僕らが聞くと、神野さんは困ったように眉を下げる。


「もう。タヨちゃんが変なこと言うから……」

「でもさ、ホントでしょ?」

「……まあ、うん」


「そんな……どうしてですか? もう自由なのに……」


 さんざんひどい目に遭ったはずなのに、「会社に戻りたい」なんて思考が信じられなくて、僕は尋ねずにいられなかった。

 神野さんは少し考えこんでいたようだけど、次に顔を上げた時、その目はまっすぐに僕らを見つめていた。


「……ドラゴンズスフィアのファンたちをクズどもの餌にされたくないから。未完成品でがっかりさせた上に、名前を騙った偽物で集金される未来が見て取れるんだよ。……それだけは阻止したい」


 その未来は想像に難くない。

 良心ともいえる開発者たちは追放され、残っているのはクソ鬼頭の操り人形ばかりとくるからだ。


「どうにかしたくても、ドラゴンズスフィアの権利はあくまでも会社が持っている。今の僕にはどうしようもできないんだ……」


「アタシが思うにさ。神野さんが退職したことは公式に発表されてるんだし、他の会社で新たなファンを獲得したほうが健全だよ?」

「分かってる。……頭では分かってるんだけど、割り切れないんだよ。あの作品を守れるのは自分だけって考えてしまう」


 そう言う神野さんの表情は切実そのものだった。

 あれほど異を唱えていた田寄さんも、腕組みをして眉をひそめる。


「そっか。……まあ、別れた旦那から子供を奪い返したいって思えば、気持ちは分かる気がするよ」

「はは。……僕には子供はいないけど、たぶんそんな感じかも。……会社はどうなってもいい。でも作品を放っておけない。作品とファンへの責任を全うしたいんだ」


 その気持ちは僕もよくわかった。

 僕だって『デスパレート ウィザーズぼくらの作品』に興味を持ってくれた調査会の子供たちの期待を裏切りたくない。

 それに、僕だって神野さんの作品は好きだ。ファンの一人として、作品がこんな状態で死ぬのは見たくない。


 すると、田寄さんは深いため息をついた。


「まるで『呪い』だね」

「呪い?」


「アタシたちクリエイターは作品にしばられて身動きができない呪いにかかってるんだ。その作品の中心に近づけば近づくほどに離れられなくなる呪いが。……はは。どんなに酷く扱われても、作品とファンに向けた愛だけで動く。……そう考えると滑稽だね~」


「……そうか。僕、呪われてたんだ」


 神野さんは愕然とした表情でつぶやく。

 田寄さんも自虐的に笑い、「アタシも呪われてたんだね、スフィアエンジンに」と付け加えた。



「呪いじゃないです!」


 みんなが重く沈み切っていたとき、叫んだのは彩ちゃんだった。


「お客さんへの想いが呪いになるなんて、そんなの嘘ですよ。悪いのは鬼頭さんって人なんです。悪者が悪いだけなのに、自分の作品を呪いなんて言っちゃダメ!」


「ヤスミン……」

「彩ちゃん……」


「作品は『願い』なんです。楽しんで欲しい、好きになって欲しい、みんなで一緒に遊んで欲しい……。そんな心の欠片で作り上げた、みんなの願いの結晶。それが作品なんですよ」


 そして、彩ちゃんはこぶしを握りしめ、高く掲げた。


「神野さん、待ってて! 絶対に鬼頭さんをやっつけて、神野さんを呼び戻してみせる!」


「……もう、大の大人を泣かせないでよぉ。僕はその気持ちだけで大丈夫だから……」


 神野さんは涙ぐむ。


 いやいや。

 気持ちだけで十分だなんて、僕はそれだけで終わらせる気はない。

 法に反した悪者は、徹底的に潰してみせるのだ。


「……いえ。なんとかしてみせますよ、神野さん。……実は僕、労働基準監督署に相談してるんです。追い出し部屋なんて存在、許されていいわけないですから」


 すると、なんと田寄さんの目が光った。


「おや、真宵くんも動いてたのかい?」

「え? 『も』ってことは、田寄さんも?」

「ああ。神野さんの懲戒退職も許されないことだからさ。アタシも色々と動いてたとこなのさ」


 まさか田寄さんも動いていたとは思わなかった。

 でも、考えれば当然のことだろう。

 田寄さんが味方に付けば、百人力どころの話じゃない。


 なのに、当事者であろう神野さんは一人でうろたえていた。


「え? え? タヨちゃん、そんなことをしてたの? 全然言ってくれなかったのに」


「だぁって神野さん、会社に未練タラタラなのに隠そうとするから。……それにまあ、せっかく自由を得たんだから戻したくないって気持ちもあって、相談できなかったんだけどさ」


「いやだから、会社には未練はないよ。作品とファンにだけ!」

「はいはい。……でも、ようやく本心を言ってくれたね。可愛い後輩たちと話したら、口が緩んじゃったのかねぇ? アタシもどうしようか悩んでたけど、これで吹っ切れたよ」


 笑う田寄さんと、ふくれっ面の神野さん。

 こうして見てるだけで、二人の絆が垣間見れるような気がした。


 彩ちゃんも満足そうにこぶしを振り上げる。


「じゃあ反撃の始まりですね! やっるぞ~~っ!!」



   ◇ ◇ ◇



「……ありがとう。今日は、みんなに元気をもらっちゃったな。僕も、その気持ちに応えないとな」


 僕らを見送りに玄関に立つ神野さん。

 彼女は田寄さんに紙を差し出した。


「これ、長さんに渡してみて」


 一枚の小さなコピー用紙には、何やらアルファベットがつづられている。

 どうやらパソコン内の特定のフォルダを示すパスのようだった。


「なんだい、これは?」

「ユニゾンにいた頃の僕のパソコン。その隠しファイルの場所とZIPファイルのパスワードだよ。パソコンは長さんが保管してくれてるはず」


 長さんとは、機材管理室の長屋さんのことだ。


「……まさか」

「うん。……部長だった頃の僕が集めた資料が入ってる。危険すぎて躊躇してたけど、タヨちゃんに託したい」


 その言葉を聞いて、僕は鳥肌が立った。

 きっとこれが切り札になる。

 ……そんな直感があった。



 だけど、現実はいつでも試練を抱えてやってくる。

 翌日。この僕、真宵 学は、鬼頭局長に呼び出されていた――。

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