どんな気持ちのときだって

 どんな気持ちのときだって、朝日を見ると、安心するのだなあ、なんて。

 耳がひりひりするくらい空気の冷たい、まだ人通りも疎らな早い時刻の、薄青い空を見上げて思う。

 背の高いマンションの脇から顔を出した太陽が、真っ直ぐにわたしへ注ぐ、頬がほんのり温む、それだけで心のどこかで凝っていたものが緩んでいくような、そんな気がする。思わずこぼれた溜息が、白くふわっと膨らんで、陽の光をキラキラと反射する。きれいだなあ、って、ただ見上げてしまう。

 わたしなど死んでしまえばよい、消えてなくなってしまえばよい、そんなふうに思って、布団の中で小さくなって眠った夜が、いつの間にか明けて、日常に押し流されて、抗うこともできずに仕事に向かう。なにを成すわけでもないのに、やりたいことなんかいっこもないのに、それでも惰性に背中を押されて足を運ぶ。首をくくることも、手首を切ることも、線路に飛び込むことも、全部想像だけで、それ以上は怖くて、ただの繰り返しの、息の詰まる今日に身を沈めていく。

 そんな気持ちで家を出たのだけれど、朝日はやっぱり、きれいだった。悔しいくらい、安心した。冬枯れの街路樹も、その上で囀る鳥も、俯き早足にすれ違うひとたちも、なんだかきれいなものに思えた。

 わたしの絶望も、悲哀も、なんとちっぽけなものだろう。感情に酔うこともままならないわたしの、なんと惨めなことだろう。こういうときに、わたしは空っぽなのだと自覚する。それで、周りのひとの、楽しそうにしているのを妬んで、悲しそうにしているのを羨んで、つらそうにしているのを憎んで、そういった感情をちゃんと表現できる彼らを軽蔑する。

 なんで、自分の感情が正しいのだと、信用できるの。なんで、自分の思いがひとに理解されることを、疑わないの。いつもいつも、湧き上がっては消えていく、ちっとも持続しないわたしの感情は、あってないようなものなのに。ほかのひとのそれは、もうちょっと確かな手触りのあるものなの?

 こんな不安でさえも、べつに、深刻なものではないけれど。透明で冷たい風が吹いてしまえば、どこかに飛んでいってしまうくらいのものだけれど。

 ほら、空を見上げるだけで、ぜんぶ、どうでもよくなってしまうじゃないか。ぜんぶ、ぜんぶ、どうでもいいことだ。つらいのも、悲しいのも、死にたいのも、怖いのも、楽しいのも、ぜんぶ。どうせわたしの今日は、なにもなく終わって、またなにもなく始まるのだ。ちょうど、今朝がそうだったように。

 ああ、カラスが飛んでいる。もうすぐ営巣の季節だ。

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