六本目 見えない心


 「やっほ、ゆらぎ」


 次の水曜日、美誠はいつもの列車でやってきた。

 なにも変わりない様子で声をかけてくれる。


 わたしはそんな彼女の顔をまともに見られずにいた。


 「先週はごめんね。親に用事頼まれちゃってさ」

 「美誠、家族と仲いいんだ?」

 「え?あぁ……うん、そうなの。ほらあたし、面倒見がいいでしょ?だからみんなすぐ当てにするんだよね。あー困った困った」

 「ふぅん……」


 微妙な静寂が流れる。


 美誠は気まずさを隠すように笑うと、「それよりベンチはどうなったの?」とわたしの方に歩み寄ってきた。


 「おー!いいじゃん。前よりずっとカッコいい。これなら車窓からも目立つね……そうだ!せっかくだから写真撮ろうよ!」


 カメラを両手にわたしの顔を覗き込む美誠。


 「え、わたしも?やだよ恥ずかしいよ」

 「まあまあ、記念だから」


 美誠はそう言うと、わたしを被写体に夢中でシャッターを切った。



 ひとしきり撮影を終えると、美誠はわたしの隣に座り、画像データを確認していた。


 楽しそうに手元を眺める美誠を見てると、先週のことは夢だったのではと思う。あれは写真が紡ぎ出した夢で、わたしたちはついさっきまで肩を寄せ合いながら、このベンチで微睡まどろんでいたんじゃないか。


 でも胸のなかにわだかまる空虚がそれを否定する。ホームを黒く染め上げたあの雨の冷たさは本物だった。


 寒さが言葉を押しだす。


 「この前どうして来てくれなかったの?」

 「だから親の用事だって……なに?ゆらぎもうボケちゃったの?うわー、あたし嫌だよ、この歳で介護するとか」

 「――ふざけないで!」


 張り上げた声でのども胸も痛かった。

 そしてそれが引き金になる。


 「わたし、ずっと待ってたんだよ。美誠がいなくてすごく不安だった。なにかあったのかもって心配になった。だけど連絡先なんて知らないから待つことしかできなかった」


 わたしの感情は決壊して、抑えていたものがあふれ出てくる。


 「次こそ、その次こそって、美誠が乗ってないか寝過ごしてないか、電車のなか探したんだよ。でもどこにもいなくて見つからなくて……わたし寂しかった!ずっとずっと寂しかった!ひとりになるのがこんなに恐いなんて知らなかった!」


 美誠の手首を掴む。力加減なんて分からない。


 「美誠がいなきゃ駄目なの。恐くて、恐くて堪らないの。ひとりぼっちは嫌なの」


 もう涙は押し止められないでいた。


 わたし、わがままだよね。ごめんね。でもそれでもいいんだよね?


 「美誠がいればそれでいい。だからお願い、どこにも行かないで。そばにいて」


 親なんか心配しないで、わたしといてよ。


 「……無理だよ」


 ようやく口を開いた美誠の声は氷の刃みたいだった。


 「どうして……ねぇ、どうして!?」


 わたしの視界は涙で溺れてしまう。


 「美誠が会いに来たんだよ?ひとりだったわたしに声をかけたんだよ?わたしのことが気になったからなんでしょ。寂しそうにしてから……好きだったから――」

 「そんなんじゃない!」


 今度は美誠が言葉を遮る番だった。

 怒気を含んだ声に、わたしの身は固まる。


 「そうじゃない。あたしはただ……」

 「ただ?」

 「…………」

 「ねえ、美誠」

 「電車来たから。今日はもう帰るね」


 美誠はベンチから立ち上がると、ホームの際へと歩き出した。


 「待って、ねえ……ねえってば!」美誠の背中に声をぶつける。

 「来週必ず来るから。そのときに話そ?だから、またね」






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