四本目 わがままでも強引でも


 「絵を描きます!」


 それが駅に姿を現した美誠の第一声だった。


 ……え?


 「絵を描きます!」

 「いや、聞こえてるよ。聞こえてるんだけどね……どうして、絵?」

 「ゆらぎが言ったからでしょ、自分を知ってほしいって。言葉を使わずに感情を伝えたいなら、これ以上に打って付けのものはないよ」


 ああ、なるほど。言われてみれば確かに。


 「でも絵なんて美術の授業でしかやったことないよ。巧くもないし」

 「ウマいヘタはどうでもいいでしょ。重要なのはここなんだから」


 美誠はわたしの胸に指を押し当てる。


 「あんたが見てる世界を形にするの。嬉しいこと泣きたいことムカつくこと、何でもいいから絵にして吐きだせばいい。見てほしいじゃなくて、見せてやるってくらいの気持ちでね」

 「なんだかわがままな人みたい」

 「いいんだよ、それで」


 わたしの肩を軽く叩いて、美誠は微笑む。


 「わがままに!強引に!ほんとに伝えたいことなら、無理やりにでも伝えないと!良い子演じて殻に閉じこもってる奴なんか誰も相手にしないよ」


 意気揚々と語る美誠の言葉には不思議と説得力があった。実際に行動して模索を続ける彼女だからこそ、そんな彼女をうらやましく思う自分だからこそ、そう感じたのかもしれない。


 「そうだよね……うん、わたし描くよ。自分の気持ちを、世界を絵にしてみる。もやのなかの影をひとり虚しく見つめるより、明日を繋ぐ青空をたくさんの人たちと分かち合える方がずっといいよね」


 そして、立ち止まることなくそよぐ風に乗って、どこまでも前を向いて生きていきたい。


 「ゆらぎ……」


 美誠が柔らかな笑みでわたしを見つめて。


 「流石さすがにそのセリフはないわクサすぎる」

 「ええーっ!?」


 そこから、わたしはベンチに座ったまま、むくれて口をきかなかった。


 再び機嫌が直るには、列車が一本通過するだけの時間を要するのだった。



 「で、絵を描くのは分かったけど、背中のそれはなに?」


 美誠はなぜかこんもりと膨らんだバックパックを背負っていた。腰にもホルダーがいくつもぶら下がってガチャガチャさせている。「今から登山に行くんです」と言われたら、納得してしまいそうな格好だった。


 「これ?当然、画材道具だよ」

 「なんでそんな大荷物?」

 「何が必要なやつかいまいちピンとこなかったから一通り買い揃えてきちゃった」


 そう言って、美誠はバックパックを足許に降ろすと、その場で中身を出し始めた。


 絵に対する、わたしがイメージしてたものと違うということはすぐに気づいた。大小揃った筆とパレットのほか、ハケやローラー、ヤスリ、新聞紙、マスキングテープ、透明な雨具に手袋と次々に出てくる。よくもこれだけの量が収まったものだと、わたしは眼の前の光景に唖然とするばかりだった。


 そして決定的だったのが、わたしたちの間に蕪雑ぶざつに並べられた手のひらサイズのスチール缶。ペンキだ。


 「ゆらぎには、ここに絵を描いてもらう」

 「ベンチって……それはまずいよ」

 「なんで?アートはどんなものからも生まれるでしょ」


 大事なのはそこに注がれる感情モノだから。


 「公共物はいくらなんでも……」器物損壊とかになるよね、きっと。

 「ガード下の壁とか、普通にラクガキしてあるけど?」


 ラクガキって言ったよ!


 「ああいうのは、みんな無断でやってるんだよ」


 もちろん景観作りの一環で市から街を彩る許可を取ってる人もいるけど、あれは違うんじゃないかな。


 「なら話は簡単じゃん」


 美誠の顔が稚気ちきに満ちる。

 いやな予感しかしない。


 「要はバレなきゃいいんでしょ」



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