二本目 心のなかの自分


 次に美誠が駅にやって来たのは、それから一週間後の同じ時刻の列車だった。


 「やっほ!遊びに来たよー――って、家じゃないんだからはおかしいか」


 列車から降りてきた美誠は、最初から上機嫌だった。ホームに響き渡る笑い声で場の空気ががらっと変わる。


 まさか本当に来るとは思わなかった。どうしてわたしに構うんだろう?

 唖然あぜんとするわたしを置き去りにして、彼女はそばの自販機に向かう。


 「ほとんど売り切れじゃん。ていうか、聞いたことないのばっかだし。ここ、ちゃんと補充してるのかな……」


 ぶつぶつ独り言を漏らしながら、飲み物を購入する美誠。

 やがてそれを持ってこっちに来ると。


 「はいこれ。比較的マシそうなのを選んでみた。味は保証できないけど」

 「あ、ありがとうございます。えっと、小音琴さん……」

 「お、名前覚えててくれたんだ?」


 美誠がにっと笑う。


 「でも、できれば“美誠”でお願いしたいな。あたしも“ゆらぎ”って呼ぶからさ」

 「分かりまし――ひゃぁっ!?」


 首筋に缶ジュースを押しつけられて、その冷たさについ声がでた。


 「それから敬語は禁止ね。あたしたち、もう“友達”なんだから」

 「とも、だち……」

 「でしょ?」

 「……うん。分かった」


 それからわたしたちはベンチに座って、お互いのことを話すことにした。友達と言っても、知ってるのは名前だけで、あとはまったく分からなかったから。


 初めはかなり緊張したけど、彼女の明るい性格とリードのおかげで意外と早く打ち解けることができた。


 「これって雁来がんらい女学院の制服だよね」と美誠。

 「うん」

 「すごいじゃん。あそこの偏差値ってかなり高いでしょ。ゆらぎ、頭良いんだ?」

 「別にすごいことなんて。わたしはただお母さんに言われてあそこに通ってるだけだもん」


 わたしは虚空を見つめて苦笑い。


 「言われた通りに勉強して、期待に応えられるように努力する。数字だけなの、お母さんが評価するのは。趣味も遊びも一切だめ。わたしの意思は必要ない。望まれてるのは、言うことを素直に聞く、空っぽのお人形だから」

 「ふぅん。それでクラスでも馴染めずにひとりぼっちになったと」


 わたしが黙ってうなずくと、美誠は小さくうなった。


 「それは違うんじゃないかな」

 「え?」

 「だって親の望みは素直で賢い娘でしょ。別に喋るなとは言ってないじゃん。むしろコミュニケーション取りづらいし面倒」

 「でもその方が楽だと思うし」

 「そこだよ、納得いかないのは」


 美誠が缶ジュースに口をつけた。渋面になる。

 静かに缶を足許に置いて話を続ける。


 「楽だと思うって――それはゆらぎの意思でしょ。楽ってのも、じゃなくてだよね?なら黙ってるのもひとりなのも、あんたが望んでしてることじゃん」


 言葉に詰まった。そんなこと、自分でも考えたことなかったから。そうか、わたし望んでひとりになってたんだ。


 「まあ、ゆらぎって自分のこと好きそうだし仕方ないのかもね」

 「えっ?そんなわけないよ」いきなりなに言うの?「わたし思っても口にしないし、言われなきゃやらないしで、駄目な人間だもん」

 「でも頭が良いのは否定してないよね?」


 また言葉に詰まってしまう。

 美誠はそんなわたしを見て大笑いする。頭をなで回してきて完全に子ども扱い。


 「そっちはどうなの?わたしばっかり質問されるのは不公平!」

 「あたし?あたしはほらっ、見ての通り!」


 そう言って、美誠は両腕をばっと横に広げてみせる。

 平日でも私服姿の活動的な同世代の女の子である。


 「……ニートさん?」

 「いやいや、学校行ってないってだけでなんでそうなるかな。あと言い方になんか微妙な距離感あるんだけど」


 じぃーっとわたしを睨んでから、美誠は咳払いする。


 「そうじゃなくて、フリーター。ちゃんと働いてるから。水曜日は仕事が休みなの。で、電車に乗っていろいろ見て廻ってるわけ」

 「見るってなにを?」

 「これだよ」


 わたしが訊くと、美誠は腰に巻いていたポーチに手を入れた。

 中から出てきたのは、両手に収まるほどの頑丈な箱だった。光を遮る黒塗りの外装。正面に取り付けたフタが外されて立派なレンズが露わになる。


 「デジカメ?」

 「そう。いろんな場所に行って、いろんなものを撮る。単純だけど、とても奥が深いんだよ」


 手元のカメラを見る彼女の瞳は、星くずが詰まったみたいにきれいだった。


 「あたし説明するのとか苦手だし、どう言えば伝わるかって分かんないけど……カメラはね、“もう一つの眼”なの。物質としてはもちろん、こっちの方もね」


 美誠は自分の胸、心臓のある場所をそっと手で触れた。


 ホームにアナウンスが鳴り渡る。


 「次来たときは写真見せてあげるよ」


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