第671話 実戦の空手

 その訪問者を見た沢村が、顔色を変えた。

仙崎せんざき、生きていたのか?」

「ちょっと遠くで修業していただけです」


「誰なんです?」

 三橋師範が知念に尋ねた。その質問を聞いた知念が、不機嫌そうな顔になる。

「仙崎は、沢村の弟子だった男だ」


 俺は『弟子だった』という言葉が気になった。

「だったというと、もう弟子ではないのですか?」

 知念が俺に視線を向けた。


「沢村と仙崎では、空手に対する考え方が違ったのだ。ルールに縛られた大会で勝利しても、本当に強いと言えないと考えるようになったのだ」


 仙崎がバックパックを放り出し、沢村に近付いた。

「この道場は変わらないようですね。まだママゴトのような空手を続けているんですか?」

 それを聞いた沢村が顔を歪める。


「ルールがあるのが、気に入らんようだが、ルールは選手の命を守るためのものだ。本当に殺し合いがしたいのなら、冒険者になって魔物と殺し合うがいい」


「ふん、頭の悪い魔物と戦って勝ったとしても、むなしいだけです」

 それを聞いて、俺と三橋師範は顔を見合わせる。なぜか冒険者を馬鹿にしているように聞こえる。


 沢村が仙崎の様子を観察した。

「その格好は何だ?」

「山籠りをして、自分の求める空手を追究していたんです」

「それで求める空手を見付けられたのか?」


「それを確かめるために、師範代と戦いたい」

 沢村と仙崎が睨み合う。二人の間に火花が散っているように見える。その睨み合いから沢村が視線を外し、知念に許しを請うような視線を向けた。

「もう継承は済んでいる。道場の代表はお前だ。自分で決めるがいい」


「分かりました。戦います」

 沢村は少し酒を飲んでいるが、実戦において酒を飲んでいるから、次の機会にしようなどという事はできない。仙崎も重そうなバックパックを担いで、ここまで来ているのだ。万全な状態とは言えないだろう。


 道場生たちが料理や酒を片付けて、戦う場所を作った。道場の中央に沢村と仙崎が進み出た。俺たちは道場の壁際に下がって見守る。


 両者が構えて向き合う。似たような構えだが、沢村は手の位置が低く仙崎は高い。仙崎は顔へのパンチを警戒しているようだ。


「言っておきますが、この戦いにルールはなしです」

 仙崎が言い放った瞬間に戦いが始まった。ステップしながら両者が動き、沢村がローキックを放つ。仙崎が自分から足を前に出して打点をずらして耐える。仙崎が踏み込んで、沢村の顔面を狙うパンチを放った。


 沢村が慌てたように下がる。その動きがぎこちなく見えたので、俺は首を傾げた。それを見た三橋師範が説明してくれた。


「顔面へのパンチを避ける技術が下手だろ。ここのルールでは、顔面へのパンチは禁止になっているんだ」

「そうなんですか」


 両者は動き回りながら突きや蹴りを繰り出し、激しく戦った。技術の蓄積は沢村の方が上のようだが、スピードは仙崎が上だ。


 仙崎は顔面へのパンチを何度も繰り出し、沢村を追い詰める。両者が限界まで力を発揮して戦っているのが感じられた。だが、腑に落ちない点もある。


「なぜ金的蹴りや目潰しは、使わないんでしょう?」

「ルールなしと言っても、練習していない技は使えんという事だ」

 三橋師範に教えられて納得した。普段から金的蹴りや目潰しの稽古をしていないから使えない。単純な事だった。


 両者は相手をノックアウトする事ができないまま体力の限界に近付き、動きが悪くなった。そのせいで両者の攻撃が当たるようになったが、本来の威力がない攻撃となっている。それを見た知念が判断した。


「そこまで! 引き分けだ」

 知念の声で両者が膝を突いた。沢村の顔から血が流れ、仙崎も痛そうに胸を押さえている。引き分けは妥当な判断だろう。


 それから知念の説教が始まった。仙崎は不満そうに聞いている。

「知念先生、実際の戦いにおいて、ルールはありません。最強の空手を目指すなら、顔にパンチを入れるのは禁止というルールは、なくすべきです」


「そんな事を言い出せば、際限がない。三橋はどう思う?」

 急に振られた三橋師範が、苦笑いする。

「沢村君と仙崎君の空手は、あまり変わらないように見えました。ルールなしと言っても、金的も目潰しもなく、投げや関節技もない。ルールなしの戦いというには程遠いようだ」


 仙崎は不服そうな顔をする。それに気付いた知念が、顔を三橋師範に向ける。

「ナンクル流の試合は、どんなルールなのだ?」

「うちの流派では、試合をしません。組手稽古では、危険な部位への攻撃を寸止めにしています」


 確かに寸止めというルールだが、必ず寸止めできるとは限らない。仙崎が『寸止め』と聞いて、三橋師範に鋭い視線を向ける。


「偉そうに言っていましたが、寸止めでは実戦で役に立たないんじゃないですか?」

「うちは実戦で魔物と戦っているから、そこそこ戦えると思っている」

「証明してください」


 仙崎が三橋師範と戦いたいと言い出したので、俺が止めた。三橋師範が相手だと一瞬で倒されてしまいそうだからだ。なので、代わりに俺が相手をする事になった。


「榊君は一流の冒険者だが、空手を専門に修業している訳ではないのだろう。大丈夫なのか?」

 知念が心配して確認した。

「問題ないでしょう」


 俺と仙崎が道場の中央に進み出ると、知念の合図で戦いが始まった。仙崎は沢村との戦いで胸を傷めたようだが、回復したらしい。動きに違和感はない。


 仙崎がローキックを繰り出したので、その攻撃を足を引いて躱す。魔物と戦っている時は、素手で攻撃を受け止めたり、受け流すという事がないので、癖で躱してしまうのだ。


 仙崎が踏み込んで、パンチを腹に叩き込もうとする。それを横にステップして躱し、仙崎の太腿にローキックを叩き込む。ジャブ程度の威力しかないローキックだったが、角度が良かったらしく仙崎が痛がった。


 俺と仙崎は互いに技を繰り出しながら、チャンスを待った。そして、仙崎が俺の顔を狙ってパンチを振り出した時に、ウィービングで頭をUの字に動かして攻撃を躱しながら、仙崎の顎を右拳で打ち抜く。但し、軽くである。


 仙崎が倒れたので、俺は起き上がるのを待った。

「綺麗に決まったから、待っていても起き上がらないぞ。それにしても、仙崎の攻撃を掠らせもせずに倒したか。三橋、凄い弟子を持ったな」

 知念が言った。


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