第670話 徳島の道場

「次は楽しみにしていた御神籤おみくじだ」

 後藤が楽しそうに聖域に向かう。天音はその後を追うように移動した。聖域に入ると空気が変わったのを天音は感じた。


「後藤さんは、ここの御神籤を引いた事があるんですか?」

「初めてだよ。だから、楽しみなんだ」

 後藤は別のドラゴンを倒してB級になったらしい。たぶん待てなかったのだろう。ここのアイアンドラゴンは順番待ちが長いので、諦めて別のドラゴンを倒す者も居るのだ。


 グリムは順番待ちを経験していないが、それはB級冒険者になる人材が不作だった年に、B級の昇級試験を受ける許可が下りたからだと聞いている。


 まず後藤が御神籤を引く事になった。ここの御神籤は『大吉』『吉』『中吉』『小吉』『末吉』の五つしかない。後藤が御神籤を引くと『大吉』だった。


 そして、その御神籤が一冊の魔導書に変化した。

「大当たりじゃないですか」

 天音が言うと、後藤が嬉しそうに笑う。

「そのようだな。次は君だぞ」


 天音は深呼吸してから御神籤の前に立った。そして、数多くある中から、一枚の御神籤を選んだ。次の瞬間、くじの紙に『中吉』という文字が浮かび上がる。


「くっ、ドロップ品で今日の運を使い果たした?」

 くじの紙が朱鋼のインゴットに変わった。ちょっとガッカリした天音だったが、『自在鎚』と『付与学原論』を手に入れた事を思い出し、全体的には幸運だったと考えた。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 俺は三橋師範の誘いで四国の徳島県に来ていた。三橋師範が子供の頃に空手を習った先生が、引退して道場を弟子の一人に譲るらしい。三橋師範は継承の儀式の立会人のような事をするようだ。


 俺は徳島の立岩たていわダンジョンという中級ダンジョンで確認したい事があって、同行する事にした。

「その立岩ダンジョンに、何を確かめに行くのだ?」

 三橋師範が尋ねた。


「そのダンジョンには、絶岩ぜつがんという岩があって、その岩を真っ二つにすれば、知りたい情報が得られるという言い伝えがあるんです」


「そんなあやふやな言い伝えより、『知識の巻物』を手に入れた方が確実じゃないのか?」

「『知識の巻物』は万能じゃないんです。『知識の巻物』を使用した時に出てくる選択肢の中に、欲しい情報がなければ、情報を手に入れる事はできません」


 欲しいと思う情報について勉強すれば、該当する情報の選択肢が現れると分かっているが、神剣の修理方法など、何を勉強すれば良いのか分からない。


 単に鍛冶の事を勉強しても、普通の鍛冶についての情報が選択肢に挙がる気がするのだ。そこでいろいろ調べて、絶岩の言い伝えに辿り着いたのである。


「そんなものか。まあいい、まずは我幕がまく道場へ行こう」

 俺たちは徳島市の郊外にある道場へ向かった。

「師範が習った空手というのは、沖縄の空手だと聞いていたんですけど?」


「今から会う我幕道場の師範が、沖縄の出身だ。儂はその空手やボクシングを含むいくつかの武術を纏めて、ナンクル流空手という形にしたのだ」


 それらの武術などに加えて冒険者としての経験もあって、『疾風の舞い』が生まれたらしい。そんな話をしていると、目的の道場へ到着した。その道場は予想に反して大きな道場だった。


 俺と三橋師範が道場に入ると、道場生たちが稽古をしていた。若い者が多いが、年配の道場生も居る。大勢の道場生が一斉に同じ技を稽古している光景は、新鮮な気がする。道場生が少ないナンクル流空手の道場では、あり得ない光景だった。


 俺と三橋師範は、稽古が終わるのを待つ事にした。

「師範、ナンクル流とは違いますね」

「ナンクル流には、ボクシングの要素を多く取り入れたからな」


 俺たちが道場の隅に座って待っていると、白髮の老人が道場に入ってきた。その老人が三橋師範の姿を見付けて近寄ってくる。


「ご無沙汰してしまい、申し訳ありません」

「三橋か、久しぶりだね」

 この老人が三橋師範の空手の先生だったようだ。


「お元気そうですが、隠居するのは早いのではないですか?」

「そう言うが、もう七十歳だ。後継者に譲る時期が来たのだ。ところで、そちらの青年は?」

「弟子のさかきです。こちらは知念ちねん泰紀やすのり先生だ」


 俺が挨拶すると、知念はにこやかに挨拶を返した。三橋師範に空手を教えた先生だから、ワイルドな感じの人物かと思っていたが、老紳士という感じだ。


「どこかで見た顔だと思ったが、有名な冒険者じゃないのかね?」

 新聞に写真が載った事があるので、それを見たのだろう。

「ええ、グリムは日本で一番の冒険者なのです」

「ほう、そんな凄い弟子を持っているとは、意外だな」


 それを聞いた三橋師範が首を傾げた。

「どういう意味です?」

「お前は昔から、人にものを教えるというのが、下手だった。それが直ったという事だろ」


 三橋師範は微妙な顔をして、肯定も否定もしなかった。

「先生、稽古が終わりました」

 稽古の指導をしていた師範代の男が、知念に報告した。


「沢村にも紹介しよう。こちらはこの道場で育った空手家の中で、最強だと思う三橋と弟子の榊君だ」

 最強という言葉を聞いて、沢村が三橋師範を値踏みするように見る。知念が紹介している間も、その様子は変わらなかった。


「私は不勉強なので、三橋さんの名前を聞いた事がありません。どの大会で活躍されたのでしょう?」

 それを聞いた三橋師範が苦笑いする。

「知念先生のお世辞を誤解しないでくれ。儂は大会で活躍した事はないよ」


 それを聞いた沢村は、納得したように頷いた。本当にお世辞だと思ったようだ。

「沢村さんが、道場を継がれるのですか?」

 俺が質問すると、胸を張った沢村が頷いた。

「ええ、知念先生には御子息が居られないので、私が継ぐ事になりました」


 沢村という人物は悪い人ではないようだが、大会の成績を重要視しているようだ。本人も世界大会に出て優勝した事があるらしい。たぶん三橋師範が目指す空手と沢村が目指す空手は違うのだろう。


 その翌日、継承の儀式が無事に終わり、祝賀会が始まった。会場は道場なので、俺と三橋師範も道場に座って酒と料理を楽しむ。


 祝賀会が盛り上がった頃、あまり歓迎されそうにない訪問者が現れた。大きなバックパックを背負った髭面の不審者だ。道場破りにでも来たのか?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る