第640話 神鏡

 白い霧のようなものが一箇所に集まり、一匹の魔物に変化した。部屋の中に現れたのは、頭はライオンで首から下は人間という獣人だった。身長は二メートルほどだが、その肉体は仁王像のように逞しい。そして、その手にはバスタードソードと呼ばれる剣がある。


 その姿を見た俺は、反射的に『アキレウスの指輪』に魔力を流し込み、素早さを十倍にした。そいつの正体に気付いたのだ。百獣人ナラシンハと呼ばれる獣人で、その素早さはシルバーオーガに匹敵すると言われていた。


 俺が素早さを上げて時間がゆっくりと流れ始めた瞬間、ナラシンハが動き出した。一瞬で俺の傍まで近付き、剣を横薙ぎに振る。俺は神剣グラムで受け止めようとしたが、そのパワーは半端なものではなく、身体ごと壁に向かって弾き飛ばされた。


 次の瞬間、俺に追撃を加えようとするナラシンハに向かって、エルモアが飛び掛かる。突き出されたゲイボルグを、ナラシンハが剣で弾きエルモアの腹に蹴りを叩き込む。


 そこに為五郎が雷鎚『ミョルニル』を投擲する。魔力を流し込む余裕がないので、雷撃も大きくなる事もなかった。だが、為五郎が全力で投擲したミョルニルは、人間なら叩き潰すほどの威力がある。


 ナラシンハは両腕を交差してミョルニルを受け止めた。恐ろしいほどのパワーとスピードだ。その時、俺は飛ばされた壁を蹴って地面に着地すると、滑るような足取りでナラシンハに迫った。


 ここまでが、戦いが始まって三秒ほどの出来事だった。神剣グラムを袈裟懸けに斬り下ろす。ナラシンハが剣で受け止め跳ね上げる。俺は神剣グラムの柄から手を放し、収納アームレットから神威結晶を取り出してナラシンハ目掛けて投擲する。


 音速の五倍の速さで飛翔する神威結晶に、ナラシンハは気付いて横に跳んだ。だが、間に合わずに脇腹を神威結晶が貫通する。


 戻ってきた神威結晶をキャッチして、もう一度ナラシンハの頭に向かって投擲する。ナラシンハは床を転がって躱すと、立ち上がって何かを投げた。


 俺に向かって飛んで来る物を五重起動の『オーガプッシュ』で迎撃する。撃ち出したオーガプレートと衝突した瞬間、ナラシンハの投擲武器が爆発した。


 俺は後ろに跳びながら七重起動の『プロテクシールド』を発動し、形成されたD粒子堅牢シールドの陰に隠れる。D粒子堅牢シールドの御蔭おかげで、俺は無事だ。


 しかし、エルモアと為五郎は爆風で吹き飛ばされた。ナラシンハに目を向けると、穴が開いた脇腹を片手で押さえて襲い掛かってくる姿が見えた。振り下ろされた剣をぎりぎりで躱し、神威結晶をナラシンハの額に向かって投げる。神威結晶は銃弾型に変化してスピードを上げた。


 ぎりぎりの間合いだったので、ナラシンハも反応できずに眉間に命中。神威結晶の弾丸は頭を貫通し、俺のところへ戻ってきた。


 倒れたナラシンハが消えるまで、俺は油断なく残心の構えをとる。ようやく消えたのを確かめた俺は、『アキレウスの指輪』に流し込んでいた魔力を止めた。すると、ゆっくりと流れていた時間が正常に戻り、ホッとした気分になる。


『グリム先生、大丈夫ですか?』

「ああ、多機能防護服があったから、顔に擦り傷が出来たくらいだ」

 エルモアは無事だったが、為五郎はダメージを負っていたので影に戻した。俺は神剣グラムを拾ってから、ドロップ品を探し始める。


 まず白魔石<大>を見付けた。次にエルモアが槍を発見する。マルチ鑑定ゴーグルで鑑定してみると『神槍グングニル』と表示された。


 グングニルと言えば、北欧神話の主神オーディンが持つ神槍である。その機能は投げると必ず標的を貫通して戻ってくるというものと、魔力を流し込むと威力が上がるというものだ。


 但し、その他にも何かあるらしいのだが、『……』となっていて分からない。グングニルは神話級の中でも最高級であるメジャーに分類される魔導武器らしい。


 神鏡を探して部屋の隅々をチェックする。そして、部屋の隅に扉のようなものがあるのを見付けた。その扉は銀河が渦巻いているような絵が描かれている。


「この扉は、どうやって開けるんだ?」

 ノブや取っ手もないし、押しても開かない。エルモアが扉を調べ、銀河のような模様の中心にあるエメラルドのような宝石が怪しいと言う。


「何が怪しいんだ?」

『このエメラルドに見える宝石の下に、小さな文字が書かれているんです』

 その文字は神殿文字で書かれており、『力を示せ』と読めた。悪徳商法の契約書並みに怪しい。


「力? 何の事だろう?」

『エメラルド……緑……神威エナジーでしょうか?』

 魔力は赤、励起魔力は青、神威は緑に輝く。その事を意味しているのなら、神威エナジーを流し込めという事だろうか?


 俺は試しに神威エナジーを宝石に流し込んでみた。すると、扉全体が反応して淡い緑に輝くと、扉が上に吸い込まれる。


「シャッターのような扉だったんだな」

 俺とエルモアは隣の部屋に入った。六畳ほどの部屋の中央にはテーブルがある。その上には錆びついたトレイみたいなものが置いてあり、その周りにティーポットとカップがある。


 そのテーブルの向こうの壁に大中小の三つの綺麗な鏡が飾られている。その鏡の下に書かれているのは『選択』という意味の神殿文字だ。


『この三つから選べという事でしょうか?』

「そうみたいだな。本物以外の二つは、偽物なんだろう」

 それぞれの鏡に顔を近付け、念入りに観察する。全然分からない。大きさ以外は同じように見えるのだ。


『マルチ鑑定ゴーグルで鑑定してみては?』

 俺はマルチ鑑定ゴーグルを取り出して鑑定してみた。三つの鏡からは、何の情報も引き出せなかった。


「ダメだ。分からない。こうなったら、心眼を使ってみよう」

 心眼を使用して壁の鏡を見る。大量の情報が俺の頭の中に流れ込んできた。そして、鏡の正体が判明する。この鏡は『呪いの鏡』だった。


 この鏡を見ながら魔力を流し込むと、鼻が低くなるというえげつない呪いだ。これは日本人にとって恐ろしい呪いとなるだろう。例外はあるだろうが、元々が鼻の低い種族の一員である日本人が呪いを受けたら、鼻が陥没してしまいそうだ。


『グリム先生、何で顔が強張っているのですか? 神鏡でなければ、選ばなければいいんです』

「そうだな」

 次は一番小さな鏡を心眼で調べてみた。そして、これも呪いの鏡だと分かった。

『どんな呪いなのです?』

「尻尾が生える呪いだ」


 ダンジョンがふざけているとしか思えない。碌でもない鏡ばかりだ。まあいい。俺は残りの鏡を調べて愕然とした。これも呪いの鏡だったのだ。しかも寿命を縮めるという凶悪なものだった。


「三つとも呪いの鏡だ。どうなっているんだ?」

『その三つ以外で鏡みたいなものというと……』

 エルモアがテーブルの上にあるトレイに目を向けた。まさかと思いながら心眼で調べると、『万里鏡』という名前らしい。神威エナジーを流し込むと使用者が見たい場所を映し出すようだ。


 俺が万里鏡を手に掴むと、表面にこびり付いていた錆みたいなものが剥がれ、シンプルで綺麗な鏡が現れた。但し、鏡の部分は真っ黒になっている。神威エナジーを注がないと機能しないのだろう。


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