【ショートショート】池の淵
カブ
第1話 池の淵
池の淵に少女が立っている。
あまりにも無気力に、だが新鮮な光を瞳に宿している。
少女は 池の淵に淀むドロやヘドロ、その間に潜む無数の光の粒をみている。
手にすくってみたいけれど、できない。
少女の周りの大人がそれを汚いから、触るなと暗黙のうちに訴えているからだ。
(どうして・・・・・・?)
少女は諦めて、街へ向かった。
田んぼのあぜ道を歩きながら、空の青さや空気の新鮮さに感動する力を少女は持っている。
街へは歩いて四十分もかかるのに疲労しないのはそのためだ。
街について少女は一息つくために、歩道のベンチに座った。ビル群がそびえ立っていて、空の青さを消していた。
「あなたはどうしてここにいるの?」
前を見ると、キツネの仮面を被った十そこらの少年が立っていた。
「隣に座ってもいいですか?」
彼の発言は弱々しかった。やっと聞こえるくらいの小さな声だった。
いいよ、というと彼はちょこんと隣に座った。
「あなたは、どうして、仮面を?」
少女が尋ねると、彼は仮面の鼻を抑えるようにして、
「これがないと見ることができないんです」
「仮面をつけないと?」
「そう、喋ることも、聞くこともできないんです」
(憐れなんだね)
と少女は思った。
少年はそれから何も喋らず、黙ったまま前を見据えていた。しっぽを失くした
少女はそれから隣りの少年のことを考えないようにして、ときどき膝を抱えながら座っていたが、寂しい気がして立ち上がってしまった。
「さようなら」
少女はそれから山へ向かった。
山道へついたころにはもう夜だった。山道の回りは森で囲まれていて、暗闇に暗闇を重ねたような不気味な黒さに包まれていた。たまに風がふいてざわざわとゆれた。
明かりはほとんどないのだが、急なカーブを曲がると、ひと際目立った照明が奥にみえた。
そこに木でできたトンネルがあった。
(ここにトンネルがあるんだ・・・・・・)
トンネルに気をとられていて気がつかなかったが、その前に人間が膝を抱えて座り込んでいる。その人は黒い革のコートを着て、黒いハットを被っていたから一瞬それが人だとは思わなくて黒い何かの塊だと思った。
少女はその人に近づいた。
横から覗いてぎょっとした。その人も仮面を被っていた。大きな大きな鼻をした、人を威嚇するような天狗の仮面だった。その人は膝と腹の間に何かを抱えていた。
「こんばんは、それは何ですか?」
「これはお酒です」
「お酒を抱えているの?」
「そうです、私はどぶろくです、汚いのです」
「あなたはここで何をしているの?」
どぶろくは少し俯いて体をゆするようにしたが、意を決したように、
「私はあのトンネルへ入りたい」
「あのトンネルへ?」
近くで見ると分かるが、そのトンネルは半ば腐っていた。中は照明がないのだろう、大きくて静かな怪物がぽっかりと口を開けているようにみえる。
どぶろくはぐすっとした。
「私はあの中へ入りたい」
「どうしてトンネルに入りたいの?」
「お嬢さん、こんな近くまで来たら分かるでしょう? あのトンネルから生温かい風が吹いてる。それから独特な臭いもある。あれはきっと私の母親の胎内です。私は覚えています。母親の胎内は温かくて、真っ暗で、一定のリズムがいつも聞こえていた。あのトンネルはそれにそっくりだ。私は私の母親の胎内に戻りたいんだ」
「どうして戻りたいの?」
「私はくたびれた、私はどぶろくになってしまった」
「なぜ早く入らないの?」
どぶろくはぶるるっと一つ震えた。
「恐ろしいことを言う人だ! 恐ろしい! 僕の母さんは、僕が十三の時に死んだんだ! そのとき親父はアル中で僕は中学生だった! 生まれた理由も、生きていく理由もわからないのに、死ぬ理由も見つけられないまま生きていくだけだなんて、なんて恐ろしいことだろう!」
そういうと仮面をずらして口だけを出し、抱えていた酒をラッパ飲みすると横になってしまった。しばらくして眠ってしまったんだと気がついた。
しばらくぼーっとどぶろくをみていたが、自分も横になりたくなって、その背中にぴったりと張り付くようにして横になった。
温かくて独特な臭いがした。
(この人は自分の中に、お母さんの胎内があることに気がついていないんだ。私の中にも、ある)
少女は池の淵を思い出すと、安らかな気持ちになった。
「眠ろう」
と呼びかけるように呟いて、少女も眠りについた。
了
【ショートショート】池の淵 カブ @kabu0210
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