第17話

「どうした、顔色が悪いぞ? 」


天狗に声を投げられて、私は漸く現実に戻ってきた。

心臓が早鐘を鳴らし、息は浅くなっている。

五感でとらえるもの全てが、自分から遠い世界のものに感じた。


「天狗よ……我が父は、私が疎ましいらしい 」


私は、何度も唾を飲み干して、その一声を辛うじて絞り出す。

自分のその声にすら、まるで現実感を感じられない。


天狗と老婆は、書状を覗き込み、私の言ったことを理解したようで。

流石に、多少の驚きはあったらしい。


「古今東西、家族の形も色々とありますじゃ。

儂の父は少々行き過ぎた指導をする人でしたが、それでもその愛を疑ったことはありませんでな。

そう思えば、あなたと比べると余程恵まれてたのですなぁ」


「なに、俺の見てきた人の子の中には、親子や兄弟で殺し合いをしてきた者もいる。


素波の頭領よ、他者と自身の不幸の比較など、不毛なだけだぞ」


私は、地面に座り込んで、二人を見上げる。


「慰めたりは、しないのだな? 」


二人は、何を当たり前の事を、と言った顔をしている。


「儂らが何か言って、あなた様の負担が軽くなるなら、何でも言いますけどね。

それを望まれてはおらぬでしょう? 」


「それはお前が自分で答えを出すべき問いよ。


それを見て何を思った?これからどうしたい?」


二人から問われて、少しずつ頭の中が整理されてきた。


「疎ましい、嫌いだと思われているのは、受け入れ難く辛かった。

けれども、思ったよりなんというか、父は……」


言葉にするのが、恐ろしかった。

けれども、二人は私の答えを待っていた。


だから私は、勇気を持って答える。


「人間なのだな、と思ったよ。

それも、思ったよりも小さい存在だった


「今まで、あなた様の目には、人のようには映っていなかったので? 」


老婆の疑問には、首を横に振る。


「そうまでは言わぬが、人の情を持たぬ存在のように思えていた。

まるで、からくりのように、その内面が見えないと。


それもそのはずだ、自身の欲という糸の操り人形に過ぎなんだのだからな」


言葉にして、色々な物が腑に落ちたように感じる。


「では、認められたいという気持ちは、お前のなかで失せたのか? 」


「正直なところ、かなり薄れている。

とは言え、それでも父は父だ、関係を修復したいとは思うのだが……手紙も見てもらえていない現状では、まず無理な相談であろうな 」


老婆が白湯を勧めてくれたので、呑む。


「儂に武家の事は分かりませんけどね。

人間の関係って言うのは、時間を掛ければ解決することもあれば、一生掛けても解決しないこともありますじゃ。

でも、一番アカンのは、時期もまたず、焦って行動に出ることですじゃ」


老婆が語るその言葉には、人生経験の重みが詰まっていた。


「儂ら素波は、人間関係の破壊も、仕事に含まれてますがね。

よく効くのがね、"拗れかけた人間関係を、強引に修復しようと働きかける"ことですじゃ。

その場では解決したように見えますが、自壊しかけた砂上の楼閣に過ぎません 」


「……つまりは、時期を待てという事ですね? 」


老婆は頷いた。


「左様でございます、見るにお父上も出世で焦っておられるご様子。

今のままあなたという重荷が加われば、精神の天秤が崩れる事は想像に難くありませんので」


黙って聞いていた天狗が、口を開いた。


「それは良いが。

さて、一つだけお前に聞いておかねばならぬ事がある」


「なんだ、天狗? 」


「お前は、自由の剣とやらに至りたいと言っていたな。

それは、親父殿に認められる為の手段でもあったはずだ」


確かに、剣は自分と父との唯一の繋がりだった。

だからこそ、それに固執していた面もあるのかもしれない。


「それだけが理由ではない、が。

それが、私のなかで最も大きい比重を占めていたのは間違いない」


「……ならばだ、お前にこれからも剣を振り続ける意思はあるのか?


いや、そもそもだ。

自由の剣とやらを手に入れて、お前は何を成すつもりだ? 」


問われて、考える。


……何も浮かばなかった。


「分からぬ。

俺の心が、また見えなくなった」


「そうか、ならば暫く時間をやろう。

答えが出たら、俺にそれを言いに来るが良い」

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