第15話
「どうであった?
素波の頭領の技は 」
村長の家に戻って早々、天狗の第一声がこれであった。
宿のような施設はなく、暫く村長の家に泊めてもらえるとのことで、二人して温情に預かっていた。
「我ら武士の技とは異質な物であった
けれども、あれは確かに驚異だ 」
「それは当然だ、体系の目的を異とする物だからな。
素波の技とは、即ち間諜を遂行することを第一とする。
故に、武士と違い名誉をさほど重んぜず、より逃走を優先する傾向にある 」
天狗は、いつものように解説をしてくれた。
「とは言えだ、俺も素波の技にはさほど詳しくない
どのように逃げられたのか、話を聞かせてくれ」
その瞳には、興味の色が宿っていた。
私は、老婆の逃走の様を、脚色することなく説明していく。
「なるほど、遁術
取り分け、木遁の術によって翻弄されたわけだな 」
「遁術?」
私は、聞き慣れぬ言葉に首を傾げる。
「逃走の為の技術を、遁術と呼ぶのだ。
この中でも、五行に対応した分類があり、木や草を使う物をそう呼ぶそうだ。
直接人を害する技でこそ無いが、その恐ろしさは身を持って知っただろう? 」
私は、コクリと頷く。
「油断していた訳ではない。
けれども腰の曲がった老人が、これほど手強いとは思わなんだ 」
「強くなると、かえって勝てぬもの
時には、弱くなることで対手の隙をつき、勝ち易くなる事もある。
あの老婆は、それを熟知し、弱者としての強みを巧みに利用しておるのよ」
俺には何年かけても会得出来ぬやり方だがな、と占める。
いつもの長年生きてきたかのような冗談はさておき、確かに含蓄を感じる言葉であった。
「勝つために弱くなる、か。
私には存在しない考え方だったな」
「勉強になったのではないか?
自身と違う戦法も、考え方もあることに
……さて、お前は老婆に勝ちたいか?」
天狗に問われて、少し考え込むが。
私の答えは揺るがないようだった。
「勝ちたい」
「そうか。
必ずしも、目の前の戦いに勝つことが、成長や大局の勝利に繋がるとも限らぬが。
そう言うのであれば、勝つための手が幾つか無くもない 」
その日私は、幾つかの策を天狗に提示された。
「ほれ、ここじゃここじゃ!」
今回は、前回と違い川辺での鬼ごっこであった。
私は、何度かその姿を見失ったが。
老婆が、わざと姿を見せて挑発してくる。
「第一に、全力で挑み、負け続けよ。」
天狗の言葉に、私は思わず反論した。
「それでは勝てるものも勝てぬではないか! 」
「それもまた、勝つために必要な策よ。
お前のやる気を削がぬよう、わざと隠形(隠れる技術)の手を緩め、姿を晒す事も増えるはず。
熟練の隠形は見破れぬだろうが、わざと姿を晒したならば話は別。
こうなって漸く、次の策へと進めるのだ」
天狗の言った通りであった。
最初は警戒し、なるべく姿を見せていなかった老婆だが。
私の敗北数が重なるにつれ、姿を晒す回数も、時間も少しずつ伸びている。
もう少し油断を引き出したい所であったが、あまり長い時間をかけると、父の情報を素波が持ち帰ってくるかもしれない。
そうなれば、この鬼ごっこを続けることは難しくなる。
故に私は、次の策に移る。
「第二に、お前も隠形を身に付けるのだ。
稚拙な物で良い。
追われるものが隠れる必要はあれ、追うものが隠れる必要は薄い。
故に、そこに隙が生まれるのだ」
私は、天狗の言葉に従い、わざと転けた振りをして、川の中に隠れる。
老婆から見れば、私が溺れたように見えた事だろう。
私が隠れているとは読めず、川の中を覗き込む老婆。
流されたのか?と不振そうに下流を見やる。
それこそ、私が求めた一瞬の好機であった。
私は、老婆の見ているのとは反対、上流側から襲いかかる。
狙いは手首、素波の道具とは言え、多くは手指を使うもの。
故に、腕を封じてしまえば、脱出の手口を大幅に減らせる、と読んだのだ。
狙い過たず、私は老婆の手首を捕った。
けれどもその瞬間、私は宙を舞い河の水に叩き付けられていた。
「ごめんよ、大丈夫かえ? 」
老婆が、私を引っ張りあげる。
何をされたのかは分かっていた。
柔の技の一種だろう。
抜刀を封じるため、武士同士でも手首を制するのは定石と言える。
その為、手首捕りからの返し技も豊富にあるのだが……
(注・この作品の設定です
現実の柔術には必ずしも合致するとは限りません
剣術の描写もまた同じく、この作品内の設定であることにご留意ください)
「素波にも、柔の技の心得があるのは、当然であったか。
それを読めなんだは悔しい 」
「いやいや、儂も思わず体が動いてしまったわ
そもそも鬼ごっこやから、触られた時点で儂の負けじゃよ 」
老婆は、再び腰を深く曲げた姿勢になる。
「さて、ちょうどお主の待っていた情報が来たようじゃぞ。
今日勝てて良かったのう 」
カラカラと、老婆は笑っている。
この距離で、村に人が戻ったとか分かる訳が無い、故に何かの冗談だろう。
この時はそう思っていた。
それが誤りだと気付かされるのは、村に戻ってすぐだった。
報告の巻物を、震える手で受け取る。
自分で感じていたよりなお、自分の中で精神的な負荷になっていたらしい。
天狗と老婆に、背中を擦って貰いながら、決心して巻物を開いた……
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