第14話

「何か不味かったか、天狗よ」


「交渉事で、相手の要望を聞く前に承諾してしまうのは不味い……のだが、今回ばかりは、相手に悪意がなくて幸いだった。

勝てはせぬだろうから、胸を借りるつもりでやれ」


天狗の言葉を聞いて、はたと思い至った。

相手がその気なら、もっと無理難題を押し付けられてもおかしくなかったのだ。


「失敗や敗北も、また成長の為に必要な経験よ。

こういう大事には至らぬ時に、失敗出来て逆によかったやもな 」


天狗が、私の背中を押す。

私は、先に走り去った老婆の背中を追っていった。


老婆の言う遊びとは、鬼ごっこであった。

即ち、敵地にて発見された場合の、逃亡術の練習相手と言ったところか。


老婆は、先程まで腰が深く曲がっていたと信じられぬ程、かなり速く走ってこそいたが。

腰に差した刀の重量など含めても、若い私の方に分があるように感じられた。


その想定通り、それなりに距離を開けられていたにも関わらず、比較的すぐに老婆を発見することが出来た。


木の枝の上に立っている。

老婆と思えぬ身軽さ!


枝はさほど太くはなく、二人分の荷重には耐えられぬかも?

それを見越して、予めそこに逃げていたとすれば、さすがの老練振りと見るべきか。


とは言え、私にも策がないでもない。


多少危険ではあるが、木を揺らしてバランスを崩し、下で受け止めるのが良いだろう。

役柄上、素波にも受身の心得はあるだろうし、土も柔らかめだ。


私は、走る勢いのまま木を蹴り揺らし、その反動を利用して、老婆の下まで駆け寄る。

策が的中したか、黒い影が見えたので優しく受け止める……が。


よく見るとそれは、老婆が背負っていた大きめの袋であった。


「カカッ!

儂はここじゃよ 」


声のした方を見る。

老婆は既に、別の木の枝に移動していた。


揺れる枝の上で俺の上に荷物を落とし、別の枝に跳躍したとすれば、かなりの平衡感覚と身軽みがるの持ち主だ。


「今のは、変わり身の術とか言う物ですか」


「いやいや、そんな大層な物じゃないよ

ただ逃げるのが巧いだけじゃよ」


老婆は、否定するように首を横に降るが、明らかに謙遜だろう。

そして、枝から枝に跳躍しつつ移動していく。


枝に跳び移る事自体は、俺にも可能だろう。

けれども、不安定な足場と障害物の多い場所は、背の低く体重の軽いものが有利だ。


私は、上を見つつ地を走り追い掛けることにする。

とはいえ、それでも周囲に注意せねば、木にぶつかり足を引っ掛けて転ぶこともある。


その為、あまり速い速度では走れない。

なるほど、これでは常の足の速さなどあまり意味がない。


逃げ上手、侍ならあまり名誉な称号ではないが、老婆を評するにはそれがふさわしく思えた。


足元に違和感がある。

私は、直感に従い停止し、足元を確認する。


僅かだが、周囲と土の色が違って見える。

落とし穴の類いか!


「よう気付いたねぇ!

ほんに(本当にの意)勘がええわ」


老婆が、枝の上から褒めてくれた。

私は、穴を迂回して鬼ごっこを続けた。



目を凝らすと、罠を仕掛けた痕跡と思わしきものが、幾つか確認できる。

上を見るのは危険だ、私は枝の音を頼りに老婆を追いつつ、潜む罠を見極めようとする。


確認すると、老婆を追うのに、絶妙に邪魔になるよう配置されているのが分かる。

迂回か、強行突破か?

一瞬いっしゅん逡巡しゅんじゅんするが、敢えて強行突破を選ぶ。


迂回していては見失う恐れがある、と判断したからだ。

枝ではなく、幹を足場に宙空を進む。

体力の消耗は大きいが、枝のように折れる心配がなく、枝葉のような障害物の影響も受けにくい為だ。


そうして追い掛けて気が付く。

枝が揺れる音が二方向。

まるで、老婆が二人になったかのようだ。


「分身の術、か…!」


お伽噺に出てくるような、派手な妖術ではない。

確かに、人間の扱う具体的な技術としてのそれに、身震いすら覚える。


果たして、如何なる仕掛けが、このような事を可能としているのか?

恐らくは、一定時間で枝を揺らすようなからくりを、予め仕込んでいるのだろう。


音のみを頼りに敵を追わねばならぬ環境では、音のみが増えれば敵が増えたと誤認してもおかしくはない。


即ち、一方の音は偽物。

けれども、足場を封じる罠で視覚に意識を向ける現状。

どちらが真か確かめるのは、非常に困難だ。


私は、一度立ち止まって、耳に意識を集中する。

僅かながら、揺れの周期に違いがある。


いくら熟練していても、人間である以上全く周期的な移動などあり得ない。

即ち、周期にズレがある方が真だろう。


そう当たりをつけて、再び老婆に向けて足を進めていく。


が、音はすれども枝上に姿がない。

これは、一体……?


「お若いのが追ってるのは、リスじゃよ

得た情報、どちらも偽ということもある」


頭上とは全く別の場所から、声が聞こえてくる。

音だけを頼りに追い掛けているうちに、通りすがりのリスと認識をズラされたという事らしい。


分身の術、そして変わり身の術、それらの複合技と言ったところか。


私は、声のした方角に向けて走る。

が、そこには険しい崖があるのみで、老婆の姿は見えない。

耳に意識を集中させていたので、移動していたならば、その音が聞こえていたはずだが……?


「お若いのが好きな呼び方で言うなら、山彦の術と言ったところかのう」


「ほれ、こっちじゃ」


前者は西から、後者は東から。

全く違う方角から、声が聞こえてくる。


いかなる方法か分からぬが、相手が音を認識する方角をズラす術があるらしい。


「あるいは、こっちかもしれんぞ? 」


また、全く別の方角から、声が聞こえる。

これでは、音を頼りに出来ない。


また茂った森の中では、視覚による発見も難しいだろう。

ましてや、一度見失った相手だ。

発見が叶ったとして、視覚に留めて置くのは至難だろう。


気配すら森の中に同化していて、感知できない。

完全に術中だ、打つ手を失ってしまった。


「参りました 」


両手を上げて、降参の意を示す。


「少々大人気無かったかの?

もう少し手を抜けば、もっと長く遊べたのにのう」


背中を、指でつつかれる。

振り向くと、腰を深く曲げた老婆が、そこに立っていた。


「……もしや、ずっとそこに?

何と豪胆な! 」


「灯台もと暗しと言いますでな、鬼の付近は返って安全地帯なのですじゃ

さて、深く入り込んでしまいましたし、儂が帰り道を案内しますじゃ」

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