第5話

天狗との稽古、私は鍔競り合いから吹き飛ばされていた。

重心移動と拍子の妙、それによって体重差を覆し、至近距離の敵を飛ばす技だ。


「この前見せた気迫はどうした?

また圧力が消えているぞ」


天狗が、残念そうな口調で私に話しかけつつ、肩に刀を担いでいる。


「恐らく、私は自分が嫌になったんだ

良心より、自らの矜持を優先する我執の強さが」


「あの時も言っただろう、善行を尊ぶお前も、本当のお前だと。

父親への憎悪、反感、それらを優先する我執。

それらがお前の中で最も強い感情である以上、それを受け入れねば壁を越えることは出来ないぞ 」


天狗が、木刀を鞘に納める。


「父親の技を使ってしまう事を嫌がるなら、それ以上の時間を掛けて別の技を練り上げるか。

自身の矜持を曲げ、受け入れ難きを受け入れて、それを昇華してしまうか、二つに一つよ」


天狗が、力の入らぬ俺に手を差し伸べてくる。


「とはいえ、お前はいささか気を張りすぎだ。

常に全力故、身体も精神も休んでおらん 」


俺が立ち上がると、天狗は手を引っ張ってきた。


「だから、お前は遊べ、気を抜く事を覚えよ!

剣のことも、父親のことも、国のことも、ひたすらに忘れよ」


焦燥感に苛まれながらも、私は天狗の言うことに従う。


天狗に導かれて来たのは、近くの川であった。


「泳ぐぞ! 」


簡易かつ、分かりやすい言葉だった。


私と天狗は、褌一丁になって、川に入る。


「そうだ、大きく弧を描くよう、足を煽るのだ 」


全くの泳ぎの初心者であった私は、息継ぎの仕方や、足の使い方に至るまで、泳法の基礎を教わっていた。


「水の流れに逆らうな、返って流れに呑まれるぞ。

流れを自らの味方とせよ」


気付けば私は、僅か二刻で、素手で魚を捕らえるほど泳ぎが上達していた!


そして、手掴みで捕らえた魚を、昼餉の代わりとしつつ、談笑する。


「昼からは野原にて、草笛や草冠などを作ろう」


魚を喰らいながら、天狗はそう提案する。


「……私ももうよい歳だと言うのに、今更童の真似事をするとはな」


「なに、つまらないか?」


天狗の質問に、フルフルと首を横に振る。


「いや、違う。

楽しいのだ、だからこそ戸惑っている。

私が楽しんでもいいのか、と」


天狗は、首をかしげる。


「何故だ?

大人とて、楽しんではいけない道理がないはずだ 」


「いや、この時間に剣を振っておれば、多少なりとも進歩があったのではないかと。

そう思えてならんのだ」


天狗は、呆れたような顔をする。


「俺はちゃんと言ったぞ、お前は気を張りすぎる、たまには力を抜け、と。

俺がお前に遊ばせたのは、それが、剣の進歩にも必要だからよ」


天狗は、川を指差す。


「お前は、今日ここに来た当初は、どれほど泳げた?

顔をつけることも、浮くことも知らぬ様では無かったか? 」


言われて、漸くはたと気付く。


確かに今日の私は、泳ぎの上達が著しかった。

剣の進歩とは、比較にならぬほどに。


「才能とか努力とか、世の人間どもは言うが。

俺に言わせれば、そのような物は些事に過ぎぬよ。

楽しむ事に勝る、技術向上の薬は無い」


私は、自らの捕った魚を見つめる。


「素人であったはずの私が、素手で魚を捕らえるほどの泳ぎの妙を、いつの間にか得ていた。

まるで、昔からそれが、当たり前だったかのように」


「当然だ!

お前が今日泳ぐことには、しがらみも無ければ、雑念もなく、ただ楽しむ心だけがあったはず。

それこそ、お前の望む自由の剣とやらに、最も近い在り方では無いか? 」


頭のなかに、雷が落ちたような衝撃があった。


「お前の剣には、名誉であったり、父親への憎しみであったり。

あるいは上達しようなどの、色々な念が篭りすぎて、それが自身を縛りつけているのだ。

故に、自由の剣を求めつつ、それから最も遠いものに成り果てておったのよ」


脳裏に、幼き日の光景が思い出される。

棒切れを無我夢中で振り回し、剣術ごっこなどしていたわらしの頃を。


あの頃は、今のような剣の術理こそ皆無であったが、今のような余計なしがらみもなく、ただ楽しいと思って振っていた。

いつから、それが出来なくなっていたのだろう?


「思い当たることがある。

昔は私も、それが出来ていたんだ。

何で今は、出来ないのだろう? 」


「気負いや他者からの評価、自身を取り巻くそれらに呑まれると、我がなくなる。

我ではなく他を優先すれば、純粋に楽しめなくなるのは当然」


天狗は、魚の腹に食らい付いた。


「 だが、だからこそ思い出せ。

初心忘れるべからず、童のごとき純朴さを取り戻せば、破れぬ壁など無いとしれ。

さあ、遊びを再開しようか?」


その後、私と天狗は日が暮れるまで遊んだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る