第4話
その日、私はいつもの通り日課の素振りをしていた。
そして、近くの集落で食べ物を分けてもらうべく、庵を降りた時だった。
集落が騒がしい。
私は、下り坂を駆け降りて急ぐ。
「鬼だ、鬼が出たぞぉ!」
集落に入ると、そのような声が聞こえた。
今のは庄屋の弥治郎だ。
予め刀を抜いて駆け寄ると、2丈はあるかという巨体が、金棒を振り回して暴れていた。
なるほど、鬼と見紛うのも頷ける風体だ。
なれども、妖異鬼神の類いなぞいるはずもなし。
恐らくは、南蛮よりこの地にたどり着いた異国の人物であろう。
『何者か! 』
仕方無く、剣を向ける。
「私が足を止めている内に、早く逃げよ! 」
村人に呼び掛ける。
村人達はお礼を言いながら逃げていくが、私は逃げるわけには行かない。
相手に武芸の心得は無いらしく、隙だらけではある。
隙だらけではあるが、身の丈と金棒の長さが脅威で、容易に間合いには入れないだろう。
さて、どうするか?
金棒の横凪ぎが来る。
それを身を屈めてかわすが、背筋に冷や汗が走る。
この重さの金棒を、これだけの速度で振るわれれば、その威力足るやどれ程のものか?
周りを見れば、家々の土壁は破壊され、地面は大きくエグれている。
マトモに受ければ、私の刀とて破壊を免れ得まい。
かわすか、流すか、二つに一つだ。
ただし、金棒を相手にするならば、だが。
「オマエ、ツヨサカンジナイ
オデノホウガ、ツヨイ! 」
両手で持っての大上段の振り下ろし、小指を狙い受け止める。
小指の腱を切れば、金棒を振り回す事は叶わぬはず。
かわいそうではあるが、命を奪わず無力化するならこの手しか……!
想定以上の衝撃が、頭上から足元まで駆け巡る。
対手の小指は、切れていない。
熊を相手にすれば、皮と筋肉で容易に刃が立たぬと聞く。
信じがたいが、この男の身体は、その域に到達しているようだ。
第二撃が来る前に、転がり相手の足の間から抜ける。
背後に回り込めたが、受け止めたときに手が痺れた為、反撃には繋げられない。
次は手首を狙ったとしても、同じ受け方は叶わないだろう。
刃が欠けなんだのが、不幸中の幸いと言えるだろう。
「ガァァァーーッ!」
対手の咆哮に、身が竦みそうになるのを、同じく吼えて堪える。
走り込んでの振り上げを、背後に大きく跳躍してかわす。
「怯むな、怯めば忽ち袋叩きと思え。
怯みそうになったならば、吼えて足に力を込めよ」
以前受けた、天狗の教えが役に立った。
もし気合いに呑まれていれば、金棒により宙に打ち上げられていただろう。
「思考を止めるな。
動きそのものは、型を染み込ませた身体に任せつつ。
頭は強敵を分析し、策を練るのだ 」
刃が立たなかったとて、ここで諦めるわけには行かない。
ここで諦めたなら、私は誰も守れないまま死ぬことになる。
父の、あの嘲笑を肯定することになるのだ。
次に狙うべきはいずれか?
足首の腱だ、いかな剛力も移動の手段を失えば脅威ではない。
だが、下段への攻撃はリスクが高い。
常より近い間合いで無ければ届かぬし、大きく隙を晒す事になる。
そればかりか、手指の腱ですら刃が立たなかったのだ。
足首の腱とて同じ事、正確に弱点を打ち刃筋を通さねば、弾かれるのが道理。
けれども、それと同程度には難しいことを、あの父はやってのけたのだ。
この程度出来ねば、父を見返すことはままなるまい。
私は肝を据えて、構えを解いた。
なるべく、腕の痺れで保持が出来なくなったように、自然に。
「オデノチカラツヨイ!
オマエカネボウヲウケトメテ、ウデガコワレタカ!! 」
対手は、その隙に食い付き、勇んで駆け寄ってくる。
掛かった!
内心で喜び、しかし表に出さぬように心掛けて、フラついて見せる。
見たところ、攻撃の選択肢は振り下ろしか横凪ぎの二択。
けれども、振り下ろしは攻撃範囲が狭く、僅かだが外す可能性はある。
ならば、この敵が取るであろう選択肢は__
想定通り、横凪ぎの一閃。
私は、その瞬間に脱力し、同時にその力を前へ進む力と変える。
頭上を金棒が通りすぎ、髪が二・三本は持っていかれる。
だが、足元に潜り込んだ。
這うような低い姿勢を保ちながら駆け、勢いのまま足首の腱を斬る。
反転し、すぐさま残心。
見たところ、血は流れているが、想定より量が少ない。
表面は切れたが、腱を完全に断裂させるには至らなかったらしい。
「オデノアシキッタ?
ウソダロオイ! 」
こちらに振り返ろうとするのが、確認できる。
もう攻防を行う体力はない、今の一撃で殆ど使い果たしてしまった。
赤子の鳴き声がする、逃げる時に置いていかれたのだろう。
或いは、母親に何かあったのかもしれない。
赤子の鳴き声に、頭が真っ白になる。
かつて、一人きりだった自分の記憶。
親に放置された、自分と赤子が重なった。
「グワッ!
ナニヲスル!! 」
咄嗟に、砂を蹴りあげていた。
敵の目の中に入ったらしく、両手で抑えて呻いている。
私は、その隙に駆け寄り、首に斬撃を__
「双方、そこまでだ」
天狗が、私の剣を受け止めていた。
力が入らなくなるような体勢に誘導され、衝撃が無力化されるような形で。
「俺は今、何をした?」
「砂を掛け、首を斬ろうとしていたように見えたな」
天狗が淡々と答える。
「見ていたのか、天狗」
「怒っていい、荒療治のつもりで呼び寄せた。
お前の"気迫"を知るためには、生き死にの場に放り込むのが手っ取り早いと思ってな」
見ると、先程まで暴れていた大男も、天狗の制止を素直に聞いている。
察するに、既知の相手同士で、大男は頼まれて暴れまわっていたらしい。
「そんな事に、集落の民を巻き込んだのか!
師のあなたとて、許しがたい!! 」
「落ち着け、この光景は幻覚よ。
幻覚に人は傷つけられぬ故、コヤツは本物だがな 」
天狗が団扇を振ると、先程まであったはずの集落が、雲散霧消する。
そこは、私の庵の前にある広場だった。
「化かされていたというのか。
まるで、本物の天狗のような事をする」
「いかにも本物の天狗と言っておろうに、頑迷なやつだ。
まあ良い、それよりお前に関して、大事なことがよく分かったわ 」
天狗が、剣を突きつける。
「お前、私が剣を止めたとき、一番最初に何と言った? 」
「……見ていたのか、天狗と言いました」
天狗は、首を横に振る。
「違うだろう、その前に何と言ったか
忘れたとは言わせんぞ 」
「…………私は、何をした?
と、言いました」
長めの沈黙の末、絞り出すような声で言った。
「そうだ、お前は自身の行動に動揺していた。
お前は俺が見ていたことを問うよりも、集落の民を巻き込んだ事に憤るよりも先に、言葉が吐いて出るほどにだ」
私は、激しくえずく。
そして、天狗に背を向けて、腹の中の物を吐いた。
「認めがたいだろうが、認めよ。
お前は、自らの父親を嫌悪しておる。
その技と汚い手を忌み嫌い、封じておったほどにな」
天狗は、剣を地面に突き立てて続ける。
「しかし、痛みと共に学んだことは、嫌でも強く刻まれる。
ましてや、学んだ年月に隔たりが大きい。
咄嗟の時に、俺と学んだたかが半年の技より、10年は学んだ父親の技が出るのは当然の理よ 」
一通りえずき終えても、なお胸のムカつきが消えない。
次に掛けられる言葉を、否が応でも理解してしまっている故だろう。
「そして、お前はそれら父親への嫌悪を、他の何よりも優先する性質なのだ。
と言っても、民を愛する心、悪に憤るお前が嘘という訳ではない。
ただ、優先順位が違うというだけのことよ 」
認めたくなかった。
だが、状況がそれを許してくれなかった。
私は、私の中の醜い心を、まざまざと見せ付けられたのだ。
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