第三十五話『天使の日常―1』

『ピック』

 仄音は日課であるギターの練習に励んでいた。

 ガラス細工を扱うように優しくギターを抱え、弦を一本一本丁寧に弾く。それによってボディが共振されてサウンドホールから木々の温かみを感じる音色が部屋に溶け込んでいった。


「んー……何かイメージが違うなぁ……って、あっピックが」


 ロトをイメージした曲を作っていると、抓む力が弱かった所為でピックは乱暴な放物線を描いてどこかへ飛んでいってしまった。

 自分のうっかりで無駄な体力を使わないといけないと、億劫に感じた仄音は渋々ギターをスタンドに掛けて、ピックを探そうと思い立った。


「待ちなさい」


 そんな時、優雅にセイバーを見ていたロトが待ったを掛ける。


「ほら、これを使いなさい」


「あ、もしかしてピックを拾ってくれたの? ありが……」


 仄音が受け取ったそれは確かにピックだった。

 しかし、身に覚えのないピック。ポーズを決めたセイバーと『ファントムスラッシュ!』という文字が印刷されている。

 ロトがセイバーを大好きとは知っていたがピックというマイナーなグッズまで集めているのかと、仄音は頭の中が呆れでいっぱいになった。


「はぁ……有難く使わせてもらうよ」


 ツッコむ気力もなく、今は兎に角作曲をしたかった仄音は疲れた息を吐いた。

 そして、再びギターを構えて、演奏に戻ろうとした時――


「あっピックに傷はつけないでね? 結構レア物なのよ」


「どう使えと!?」


 ピックとは弦を弾く道具であり、使えば傷はついてしまうのは必然だ。

 つまり、ロトは実質ピックを使うなと言っているもので、矛盾した発言に仄音は目を丸くした。






『ギター初心者』

 結局、落ちたピックを探すも見つからなかった仄音は予備のピックを使ってギターに熱中していた。


「仄音」


「なに? やっとインスピレーションが湧いてきたところなんだけど……」


「私にも弾かせてちょうだい」


「は?」


 藪から棒な発言とはこの事だろう。

 仄音からしたらギターは命よりも大切な物で、それを不器用なロトに貸すのは不吉ったらありゃしない。直ぐに壊される運命が仄音の脳裏には過るのだ。


「急にどうしたの? セイバーを見ていたんじゃないの?」


「今週の放送分まで見てしまったわ。だから暇なのよ」


「え! もう全話見たの!?」


「そうよ。あ、でも映画はまだ手をつけていないわ。ゆっくりと消化していくつもりよ」


「そ、そっか……違うアニメでも見たら?」


「今はアニメの気分じゃないの。だからね? ちょっとだけだから」


「はぁ、しょうがないなぁ……」


 他でもないロトにこうも必死でお願いされると、優しい仄音の決意はいとも簡単に折れてしまった。

 丁寧に扱ってきたギターは未だに新品のようだろう。定期的にボディやネックを掃除し、弦も張り替えた仄音の努力の賜物だ。そのため錆一つなく、三日月型のインレイは未だに輝いている。


「こうしてギターを持つのは何気に初めてね」


「そうだったっけ? まあ取り敢えずEm7から弾いてみようか」


 ギター初心者がよく弾くであろう、定番コードを仄音は手取り足取り教える。

 因みにEm7は二フレットの五弦を押さえるだけで、とても単純でよく使われるコードの一つだ。

 比較として初心者が脱落しがちなFコードというものがある。それは一フレットを人差し指でセーハして、二フレット三弦に中指、三フレット四弦に小指と五弦に薬指と中々に運指が激しい。Em7との情報量の違いからも、Fコードが如何に難しいか何となく分かるだろう。


「ここを押さえるのね?」


「そうそう、そこを押さえ――」


 ――バキッ!


「ロトちゃん?」


 木の板が折れる音。そう、ネックが折れてしまったのだ。

 仄音の表情から一気に生気が抜けた。まるでこの世の全てに絶望したかのように厭世的な、靉靆な雰囲気を漂わせている。

 一方で、事の重大さにロトはガクブルと心の底から慄然し、急いで頭を下げた。


「ご、ごめんなさい! ちょっと力み過ぎちゃって!」


「このっ……ゴリラ天使ッ! 弦を押さえてネックを折るなんて聞いたことないよ!」


「す、すぐに直すから! ほら! 直ったから許して! ね?」


「……もう! これからギターに触れるのは禁止だから」


「はい……」


 叱責を受けたロトは慌ててギターに修復魔法を施したことで、何とか仄音の怒りから逃れることができた。

 しかし、騒動の代償として一生ギターを触ることを禁じられてしまった……






『八つ当たり』

 平穏な日常を阻害するようにロトのスマホが鳴り響いた。上司のミカエルから仕事の催促である。

 画面を見ずとも巧まずして分かったロトは静かに立ち上がり、久しぶりにムラマサぶれーどなる武器を召喚した。


「ロトちゃん? 仕事の電話が――ちょちょっと! 何してるの!?」


「何って八つ当たりよ?」


 如何にもストレス解消しましたと言った風な、澄ました表情な天使だが、いくらなんでも八つ当たりで壁を破壊するのは筋違いだろう。

 ドゴーンッ! と爆弾が投下されたような轟音が鳴り響き、アパート全体が揺れて砂埃が宙に舞った。

 思わず仄音は顔を顰めて、あちゃーと額に手を当てた。


「な、なんやなんや!? 何が起こったんや!?」


「あっ胡桃ちゃん……」


 壁の向こうには着替えていた最中だった胡桃が戸惑っていた。それも下着しか着けておらず、非常に目のやり場に困る格好だ。

 間違いなく、今回で一番の被害を受けたのは胡桃だろう。人としての尊厳だけでなく、ムラマサぶれーどの衝撃で部屋中が荒れてしまっている。

 壁は修復魔法でどうにか出来るが、流石に棚から倒れた本などは人力で戻すしかないし、舞ってしまった塵は換気するしかない。


「あ、ふーん……やっぱりヤクザ天使の仕業か。もう許さへんで! 覚悟ッ!」


「なに? 人間如きが私に勝てるとでも?」


「あの、胡桃ちゃん? その前に服を着ようよ」


「アッ!? い、一時休戦や!」


 自分の格好に気づいた胡桃は羞恥心で顔を真っ赤にして、微かに残っていた壁の影へと隠れてしまった。

 この後、無事に着替えた胡桃とロトの酷い諍いが開戦されるのだが、最終的に仄音が仲裁に入って幕を閉じた。

 こういった事件が五日に一回は起こり、その度に胡桃は理不尽な被害を受けている。






『収納魔法』

 部屋の隅に置かれたロトの玩具が入ったダンボールを見て、仄音はふと思った。


「そういえばロトちゃんはいつも何処に私物を仕舞っているの?」


 そう、ロトの私物だ。

 セイバー関連のグッズはダンボールに入っているか、ロトが身につけているのが殆どだが、それ以外の物が見当たらない。例えば、この前に撮ったチェキやメイド服なんかがそうで、仄音は見かけていない。


「大体の物は収納魔法を使って……所謂、魔法空間に仕舞ってあるわ」


「へえーそんなことができるんだ。天使って凄いや」


「そうかしら? 収納魔法は天使としての必須魔法よ。個人差はあるけれど、天使だったら誰でも使えるわ」


「それならこのセイバーグッズも、その収納魔法やらで片づけたら?」


 どんどん増えていくグッズの量に仄音は危機感を抱いていたため、切羽詰まった表情で提案する。


「無理よ。収納魔法は収納する魔法が増えるほど維持費が高いの」


「維持費? ……ああ、魔力のこと?」


 反芻して意味を理解した仄音だが納得はしていない。いずれ邪魔になるであろうセイバーグッズをどうにかしたいので、ヒキニート生活で退化している小さな脳をフル回転させる。


「……じゃあその収納魔法を整理してセイバーのグッズ分のスペースを確保しよう。どうせ片づけてないんでしょ?」


 そう言って仄音がちらりとロトを窺うと、案の定図星だったので静かに冷や汗を垂らしていた。



 ロトは片っ端から私物を召喚して、どんどん机の上へ置いていく。その流れ作業な光景はライン工場のようだろう。

 それを目の当たりにした仄音は唖然として、口をぽかんと開けている。

 ロトは天使で、風見鶏な性格だ。行動の大体は予測不能で、天候のように赴くがまま暮らしている。

 それでも仄音はロトと仲良くなったと認知しており、だからこそ彼女を理解しているつもりだっ た。

 しかし、目の前に広げられたガラクタは仄音にとって予測不能だ。


「えーっと……前に撮ったチェキでしょ? いつぞやのメイド服に……ああ、これはあの時着ていたスーツ……これは出逢った当初に出していた五徳? このドクロマークの小瓶は何?」


「それはアリアにおしおきする時に使う劇薬よ」


「聞きたくなかったよ……」


 仄音が口にしたのはほんの一部であり、他にも色々とあった。

 エンジェルパウダーやムラマサぶれーどといった必需品から、道端で拾えそうな石、剝き出しキャベツ、何故か封筒にも入っていないお給料も出てきた。

 数分後、全てを出し終えたロトは懐を見られた恥ずかしさからもじもじとしていて、仄音は呆れを通り越して痛む頭を抑えた。

 ロトの私物を例えるなら子供のポケットだろう。取り敢えず、拾ったものを懐にぶち込む、馬鹿みたいな思考だ。整理整頓という言葉がこの収納魔法には無いように思える。


「取り敢えず、いらない物は捨てていこう。キャベツは……いつのか分からないし、食べるのは怖いから廃棄。五徳も廃棄。これもいらない。あれもいらないね。この石もいらない」


「あっその石は月の……」


「え? そうなの?」


「隕石かと思って拾ったけどやっぱりただの石だった奴ね」


「つまりゴミだね!」


 月から落ちてきた隕石という価値のある物に変わったと思えば、再び道端の石ころに戻された可哀そうな石は投げ捨てられた。


「あとは……これとかいらないよね?」


「待ちなさい! その写真は大切な物よ!」


「うん? そうなの? じゃあチェキは許してあげるとして、これはなに?」


「そ、それは……」


「私、こんな写真を撮られた憶えがないんだけど? 多分隠し撮りだよね?」


「さ、サア? ナンノコトカシラ?」


 仄音は写真を扇のように広げて見せ、その一枚一枚の被写体は仄音だ。寝顔だったり、ギターを弾いているところ、またはローアングルからのスカート(下着が丸見え)だったり、どれも仄音にとって憶えのないもの。

 つまり、全て隠し撮りということだ。

 それを裏付けるようにロトはあわあわと動揺して、口調がカタコトになっている。


「問答無用! 没収だよ!」


「そ、そんなぁ……」


 心を鬼にしてロトから写真を取り上げた仄音は後で捨てておこうと決心した。

 暫くして無事に整理は完了した。いらない物は非情になって手放し、服などは箪笥へと仕舞い、それ以外は元の収納魔法に戻した。

 これで大分とスッキリしただろう。問題のセイバーグッズも収納魔法で片づけられた。


「こうしてみると無駄な物が多かったわね。自分の物だったと思うとゾッとするわ」


「ほんと、ここまで酷いだなんて思わなかったよ……ゴミの日って明日だっけ?」


「ええ。あっ、後は私がやるわ」


「い、いや、いいよ。ロトちゃんは炬燵でゆっくりしておけばいいよ」


「いやいや、貴方は手伝ってくれたんだから、仄音こそ先に寛ぐべきよ」


 譲り合わない二人はゴミ袋の取り合いをし、苛烈さを増していく。

 やがて袋は破れてしまい――


「「あっ……」」


 二人の声が重なった。

 その視線の先には仄音が隠して捨てていた求人誌たちが顔出し、恨めしそうに汚れていた。

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天使なリズムとHG!旧 劣白 @Lrete777

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