第三十四話『就職活動―3』

 ごほんっと咳払いをしたロトはメニュー表のある部分を指した。


「じゃあオムライスとアイスコーヒーを頂こうかしら?」


「かしこまりました勇者様。ぼのたん? オムライスを作れますか?」


「あ、はい! 任せてください! むぎたん先輩!」


 本当は先輩である胡桃が作るのが道理だろう。

 しかし、今のお客様はロトであり、そのロトは仄音のオムライスを求めている。そして、仄音自身オムライスくらいなら料理できると事前に伝えてあった。

 それを信用して胡桃は仄音を送り出す。本当はオムライスを作るにも、この店特有の工程があるのだが今は気にしない。


「……それで? あんたは何し来たんや?」


「あら? キャラはいいのかしら?」


「他のお客さんは離れてるから大声を出さんかったら大丈夫や」


 いつものように関西弁と隣人オーラを醸し出す胡桃に、ロトは溜飲を下げた。


「此処に来たのは仄音の様子見よ。変装してきたつもりだったのだけれど……」


「いや、その仮面の所為でバレバレやって……それにしても様子見って過保護すぎんか?気持ちは分かるけど……」


「貴女に仄音を頼んだのは私の責任よ。何かあってからじゃ遅いのよ」


「なんや? 変な客に引っ掛かると心配してんのか?」


 図星を指されたロトは気まずそうに視線を逸らした。


「仄音はもう大人や。あんたの出る幕やない。降りかかる火の粉は自分で振り払えるだろうし、もし不味そうならうちらが助けるだけや」


「……でも」


「今日限り、仄音はお手伝いということになってる。いわゆるお試し期間やな。仄音が嫌と言えばこの仕事は今日まで。続ける意思を見せるなら正式にうちのメイドになる。たったそれだけや。あんたの想いを伝えんのはいい。やけど最終的に判断を下すのは仄音やぞ」


「肝に銘じておくわ……」


 ロトは深く頷いた。その言葉通り、胸に留めているようだろう。真摯に、順々と諭されたお陰で冷静になれている。暴走気味の思考はどこかへいってしまった。

 思慮深そうな天使を放っておいて、胡桃はさっさとアイスコーヒーを用意する。


「お待たせしました。アイスコーヒーです」


「相変わらず気持ち悪いわ」


「あ?」


 ガンを飛ばす胡桃に、我関せずといったロトは出されたアイスコーヒーを喫する。

 そして数分後、重くなった空気に気づかず、オムライスを持った仄音が笑顔で帰ってくる。まるで尻尾を振ってご主人様を迎える犬のようだろう。


「勇者様! お待たせしました!」


「ああ、ありがとう……美味しそうね」


「それじゃあケチャップで描きますね! 何がいいですか?」


「そうね……じゃあ貴方の気持ちを」


「え? ……か、かしこまりました!」


「ぼのたん、いいですよ。好きに描いてください」


 ケチャップ文字という、メイド喫茶の定番はまだ教えていないにも関わらず、当然の言った風に始める仄音に胡桃は吃驚しつつ二人の様子を見守る。


「だいすき……と、はい召し上がれ!」


 迷いなく書かれた文字はだいすきという言葉とハートの形。

 ロトは思わず表情が綻びるのを感じながらオムライスを一口。味は普段仄音が作っているものと大差ない。小さな差は環境と素材の違いである。


「あの……どうですか?」


「…………」


 おどおどとしている仄音をおかずに、ロトはオムライスをさっさと平らげる。

 そして、ワンドリンクサービスのアイスコーヒーを飲み干すと立ち上がった。


「もう帰るわ」


「あ、お帰りになさいますか? 料金の方は……」


 会計を担当するのはベテランである胡桃だ。電卓を使って計算していた伝票を手にしている。


(私がいなくなったら仄音は私以外の男の相手をする……なんだか嫌ね)


 仄音の身の危険以上に、自分のモノを誰かに障られているような嫌悪感。嫉妬に近い、もやもやとした厭世とした気分。

 本当はもう少し休憩しても良かったが、長居してしまうと確実に仄音の邪魔をしてしまう。お節介だと胡桃に非難されるに違いない。


「お会計は――「ちょっと待ちなさい」


 胡桃の声を遮って、ロトはメニュー表を取り出した。今更ながら気づいてしまったのだ。


「これ、二十回分。勿論ぼのたんとお願い」


「え? チェキですか? か、かしこまりました」


 そこに書かれてあったのはチェキと言われる、所謂お好きなメイドと一緒に写真が撮れるサービスだ。


「それじゃあぼのたん。二十回分、お願いね?」


「は、はい……」


 それからロトと仄音は他の客や従業員が居る中で、ツーショット写真を二十枚も撮った。一枚一枚違うポーズ、角度で、拘っているのが分かる。

 記念写真として大切にしようと決めていたロトとは裏腹に、仄音は恥ずかしさから顔を真っ赤にしてのぼせたようにフラフラとしていた。







 薄暗い部屋の中、灯りも点けずにロトは惰眠を貪っていた。

 辺りに散らばるのは仄音とのチェキ。メイド喫茶から帰ってきたロトは釈然としない気持ちにモヤモヤ、いや、それどころか虚脱感からセイバーを楽しむことすら出来なかった。


「ああ……こんな気持ちは初めてかしら? 天使として立つ瀬がないわ」


 ロトは仄音と出会ってから自分が大きく変わっていると感じていた。

 悪の欠片を宿している人間を助けるなんて言語道断なのに、家族のように仄音に肩入れしてしまっている。しかし、それはもういいのだ。クリスマスの日に、ロトは感情に折り合いをつけ、仄音を助けると宣言していた。

 問題なのは嫉妬だ。この感情は嫉妬だと、ロトは気がついていた。

 以前、カラハシという配信者に嫉妬した、あの日から段々とロトは嫉妬深くなり、今日は七色キャットの客に嫉妬、いやそれ以上に禍々しい感情を抱いてしまった。

 嫉妬を通り越して、仄音を独り占めしたい。自分の物にして、一生安全な場所に閉じ込めておきたいという酷い感情。あまりの残酷な思考に、ロト自身も慄然としてしまった。


「こんな感情はダメね。早く元の自分に戻らないと……」


 雁字搦めになった重い感情に身を委ねるしかなく、ロトは静かに目を瞑った。

 そんな時、邪魔をするようにピンポーンとチャイムが鳴り、扉が開く音が響いた。


「ただいまー! ロトちゃん? いるー?」


「ほ、仄音? どうして帰ってきたの? まだ勤務時間じゃ……」


 現在の時刻は夜の七時。本来なら夜九時までの勤務の仄音が帰ってきたという事実にロトは訝しそうに首を傾げる。


「ロトちゃんが来てくれた後、体調が悪くなって……」


「え!? 大丈夫なの?」


「あはは、やっぱり私に接客は難しいみたい。ロトちゃん相手なら何とか出来たけど、知らない人相手だときつくて……」


 儚げにそう言った仄音の顔はどこか陰りがある。


「仕事は胡桃ちゃんに任せてきた。私がいないから捗っているんじゃないかな?」


「じゃあ仕事は……」


「うん、辞めたよ。怖かったけどちゃんと自分からオーナーに伝えた。元々今日はお試しみたいなところだったからあっさり了承は得られたし、怒られなかった。残念だとは言われたけどさ……」


「そうなの……」


 仄音がメイド喫茶の仕事を辞めたと聞いてロトは安心を抱いた。

 これで仄音が変な男に引っ掛かることはない、と。私以外の人に靡くようなことはない、と。誰にも触れられない、と。


(……って! だから何を思っているのよ! 私はッ! この煩悩は祓わないといけないわね!)


 病んでいるような思考を抱いてしまう自分に嫌気が差したロトは炬燵に頭を打ちつけた。

 古来から日本では人間には煩悩が百八個有ると伝えられている。年末になる除夜の鐘をその数だけ鳴らし、新年に煩悩を持ち込まないようにと年を越している。

 ロトが仄音に対して、邪悪な感情を持つのはきっと煩悩が抜けきっていないからだ。そうに違いない、とガンガンと炬燵に頭を打ちつける。


「ちょっ、何しているの!?」


「何って煩悩を祓っているのよ?」


「余計に分からないよ!? 頭を打ちつけるのは止めて!」


 仄音は言葉だけでなく、実際にロトの頭を優しく抱いて止めた。幸いにも血は噴き出ていない。


「やっぱり早く帰ってきて良かった……」


「え?」


「ロトちゃん、今日ずっと暗い顔していたから心配だったんだ。私が愚図な所為で、ストレスが溜まったんだよね? 折角決まった仕事を辞めて耐えられなくなっちゃった? ごめんね?」


「……違うのだけど?」


「へ? 違った?」


 仄音の中では、ロトは身をもって支援してくれた。仄音の我が儘に何度も付き合い、お年玉だってあげた。色んな事が積み重なって、比例してストレスは増えていく。

 今回、漸く決まったバイト先を一日足らずで辞めてきてしまった事実に、耐えられなかったロトは限界に達し、狂ってしまった。頭をぶつけたのは自暴自棄だ。

 そう、仄音は思っていたが甚だ見当違いだろう。現実はただの天使の下心である。


「うーん……じゃあ煩悩ってなに?」


「それは周りに散らばっているこれじゃないかしら?」


 一枚のチェキを手に取って微笑んだロト。


「ひゃっ! そ、そんな恥ずかしいものさっさと仕舞ってよ!」


「はいはい……」


 ロトは面倒くさそうに写真を全て拾い上げると魔法の保管庫へと繋げた。

 仄音がずっと心配してくれていたと知って、嬉しくて気が楽になったのは内緒である。

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