第三十四話『就職活動―2』
厚い雲で蔽われた空の下、天使であるロトはスーツ姿で都会を歩く。
仄音が胡桃の店で面接を受ける事になり、急いで履歴書を書いたのは数日前。その時、ロトは心から応援していた。
が、気づいてしまったのだ。
きっかけは知恵と密会していた時の何気ない会話。
『へぇー仄音はメイド喫茶で働くのか……でもちょっと心配かな。仄音はお人好しというか、押しに弱いから悪いお客さんに何かされそうだよね』
その言葉が耳朶を打ち、不安という感情が胸に去来する。ロトは懐疑的になって、いつしかメイド喫茶は仄音に相応しくないと思い始めた。
しかし、残念ながら時すでに遅し。意を決した仄音は吹っ切れた様子で邁進し、とんとん拍子で事が進んだ。
そうして面接に受かってしまった。仄音は戦に勝ったのだ。
本来なら喜ぶべきなのだがロトは危機感を抱いた。仄音の安全が不安で居ても立っても居られない。広がっている曇り空はロトの気持ちを表しているようだろう。
(もし、このまま仄音がメイド喫茶なんかで働いたらどんな酷い男に引っ掛かるか……)
仄音のためを想ったロトの足取りは早い。
目指すは仄音がいる場所だ。“感覚的に分かる”ロトは日本橋というオタク文化が盛んな街を歩いていく。他人の視線なんて気にしない、堂々と胸を張っている。
(あれは……仄音と胡桃ね)
そうしているとキャッチに時間を費やしている仄音と胡桃がロトの視界に入った。
二人ともメイド、それも猫耳を付けており、猫耳メイドと呼ばれる格好だ。七色キャットという店舗名から来る制服で、普通に可愛らしいだろう。
「メイド喫茶七色キャッ……ってロトちゃん?」
「あんた……こんなところで何してんのや?」
遠目から観察していた筈なのに、見事に身バレしてしまったロトは二人に白い目を向けられる。
「……ロト? 誰の事かしら? 私はお客様よ?」
誤魔化すのは無理があっただろう。悪足搔きにしかならず、痛い視線がロトに降り注いだ。
いくら服を変えたとしても特徴的な仮面の所為で知り合いなら一目でバレるのだ。
「まあ客ならええか……ありがとうございます! お店へ案内しますね!」
「うわぁ……気持ち悪いわ」
「殺すぞ」
「く、胡桃さん! い、一応お客様ですから!」
お客と言われて丁寧な対応を心掛けたにも関わらず気持ち悪いと毒を吐かれて胡桃は顔を顰めて物騒なことを口走る。
それを宥めるのは後輩である仄音だ。仕事中という事もあり先輩である胡桃に対して敬語を使っている。
諍いが起こりそうなピリピリとした雰囲気を保ったままメイド二人は天使を案内した。
七色キャットというコンカフェに着いたロトは悠然と構えているかのように見えたが、内心は辟易としていた。
何故なら、入店して席に着き、そこから始まったのは料金説明と注意事項。そして、童話のような物語の説明だ。コンセプトカフェというのは名ばかりでなく、きちんとその店に沿った設定で店員は行動している。
例えば、七色キャットというお店はメイドと猫の掛け合わせ。そして、ファンタジー世界を意識しており、お客様が来店した時の掛け声は「おかえりなさいませ! 勇者様!」だったりする。
「勇者様一名のご帰還ですね。お名前をお伺いします」
「ロトです……」
「勇者ロト様ですね!」
勇者や魔法少女といったモノ扱いされるとロトは機嫌が悪くなる。
それを知っていたため仄音と胡桃はひやひやとしていたが、ロトだって知能を持った天使だ。少なくともこの場で怒鳴ってしまえば、他のお客どころか仄音と胡桃に迷惑を掛かるのは明白。弛緩した空間が喧騒に満ち溢れてしまう。
珍しく空気を読んだロトは眉を顰め、溜息を吐いて諦めた。郷に入っては郷に従え、だ。
「それじゃあ自己紹介します。私は魔界に潜む猫のむぎたんです! 魔物に襲われているところをとある勇者様に助けていただき、恩を返すためにこうして働いています!」
「うわぁ……」
気持ち悪いとは声に出さないが表情として顔に出てしまっている。
しかし、ロトの感情は仕方ない。普段、ばりばりの関西弁で話している知り合いの女の子が、急に敬語を、それも媚びを売るかのような態度をされ、何も思わないのが無理な話。実際、真横で見ていた仄音は上司の変わり身にぽかんと心ここに在らずだ。
「ごほんっ……ほら、あんたの番やで」
「は、はい! 私はその、お手伝いとして働くことになったぼ、ぼのたんです! ゆ、勇者様のために頑張ります!」
「ぼのたん、ね……」
今の仄音はお手伝いに来た一般的な猫耳メイドという設定だ。
裾にフリルつきの青いワンピースの丈は膝ぐらいまでしかない。中に着るブラウスの襟元にフリル。肩辺りにもフリルがちりばめられ、エプロンの裾にもフリル。フリル。慣れない格好に恥らう様子でスカートの裾を引っ張り、少しだけ身体を捩らせている。
「可愛いわ……」
「そ、そんなこと……」
「いえ、本当よ……猫耳メイド服も似合うのね。お持ち帰りし――「ああっ! お客様! ご注文はどうなさいますか!?」
ロトから本心が漏れ、仄音は燃えるように顔を真っ赤に染める。その雰囲気はまるで初々しいカップルだろう。
メイド喫茶としてお客と従業員の恋愛は禁制で、それは暗黙の了解になっている。だからこそ、この甘ったるい雰囲気に焦った胡桃はさっさと話を進めた。勿論、ロトの顰蹙は買っている。
「そうねぇ……」
メニュー表を見ながらロトは思慮深く、机に頬杖をついた。その思考の半分はメニューに注目していたが、もう半分は仄音へと意識がいってしまっている。
仄音は研修中、それも初の接客ということで先輩である胡桃が主体になって接客している。だからこそ思い詰めた表情のようで見守っている。
刹那、仄音とロトの視線があった。
ロトには仄音が素敵に見えた。いや、普段から可愛くて、まるで天使のように可憐なのだが、今日は一段と美しい。
ヒキニートだったお陰か肌は雪のように白く、濡鴉のような美しく艶のある髪。隈は健康的な生活を送っているお陰ですっかり消えて、恥じらいを含んだ上目遣いは凡夫なら悩殺だろう。
(これは駄目よ! 絶対事件に巻き込まれるわ! 私が連れて帰らないと!)
それもその筈、可愛いはある意味罪作りだ。この仄音の可愛さが原因で、変な男に付き纏われるかもしれない。否、絶対にストーカー被害に遭う!
全身に電流が駆け巡るかのような使命を受けたロトは熱いパトスで身体を震わせた。
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