第三十四話『就職活動―1』

 炬燵の上に広げられたのは求人誌。タワーのように積み上げられ、あまりの量に仄音は言葉を失った。


「これは?」


「貴女のために集めてきたのよ。ハロワよりこちらの方が手軽でしょう?」


「そ、そうだとしてもこの量は可笑しいよ!? どうしてこんなにあるの!?」


 就職に乗り気ではない仄音にとって目の前の山は地獄の針山同然だ。


「種類は豊富の方がいいと思ったのだけど……」


「他県の求人誌はいらないよ! 働くなら近場に決まってるでしょ!」


「いや、もしかしたら近場の仕事全部落ちるかもしれないじゃない? 念のためよ」


「私ってそんなに低く見られてるの!?」


 仄音は心外だと思った。

 いくらヒキニートといっても高校を卒業して、まだ二十一歳と若い。正社員なら未だしも唯のバイトで、全て面接に落ちるとは思えない。


「落ち着きなさい。取り敢えず見てみましょう?」


「話を逸らした……」


「広野市の求人は……この辺りね。はい」


「はぁ……」


 仄音はジト目でロトを睨みつけたが、数秒で諦めて肩を落とす。


 さて、仄音にとって人生初のアルバイト探し。そもそも求人誌自体、ここまで真剣に目を通したのは初めてで、どれが最善の仕事なのか、パッと見ただけでは分からない。


「うーん……楽な仕事が良いな。時給はまあ最低賃金でもいいや」


 最も重要なのは継続できるかどうか。

 正直、親の仕送りで生活できている仄音にとって時給は高かったらいいな程度のものなのだ。


「…………分からないや」


 仄音が思っている第一条件は楽な仕事。第二条件に近場である事くらいだ。

 今、開いているページは近隣の求人情報なので二の条件は満たしている。しかし、第一条件の楽な仕事は店舗名を見たところで簡単な想像を浮かべる事しかできない。


「やりたい仕事とかないの?」


「特にないかな。強いていうなら接客業は上手くできる自信がないや……」


「そうねぇ……あっ、これとかいいんじゃない?」


「えぇ? おもちゃ屋さん?」


「近所の商店街にある古き良き玩具店よ。知恵から教えてもらったのだけど、この店の品揃えは完璧だわ」


「ああ……道理で最近おもちゃを買って来るわけだ」


 仄音は部屋の隅に積まれたダンボールを睥睨する。

 ダンボールの中身はセイバーの玩具で敷き詰められており、全て例の玩具で購入したものだ。


「それにしてもセイバーは格好良いわ。こうして身に着けているだけで何だか強くなった気分よ」


「その変身アイテム、いつも身に着けてるの? 私よりロトちゃんの方が子供なんじゃ……」


「私はきちんと働いているわよ?」


「……おもちゃ屋さんは候補の一つで」


 腕にARと言われる玩具の変身リストを着けて喜んでいるロトを横目に、仄音は忘れないようにと玩具店の求人にペンで印をつけた。

 そして、再び求人誌との睨めっこが始まった時、不意にピンポーンという電子音が鳴り響いた。


「誰だろう? ロトちゃん開けてきてくれる?」


「嫌よ。炬燵が名残惜しいわ」


「私もだよ」


 そこで会話が打ち切られた。

 数十秒後、放置されたと察した訪問者は更にチャイムを鳴らした。それは徐々に激しさを増して、終いにはリズムよく聞き覚えのあるイントロだ。そこからはまるで借金の取り立てが来たかのように扉をどんどんと叩く。


「ロトちゃんお願いだよ。私を助けると思って、ね?」


「え~……」


「いい加減にしないと怒るよ」


「……分かったわよ」


 天使の矜持はどこへ消えたのか?

 ここの所、仄音との関係が逆転しているような気がしつつロトは億劫とした気持ちで玄関の扉を開けた。


「おっヤクザ天使やん。あけましておめ――ちょっ! 閉めんな! 開けろ! おいこらぁっ!」


 またドアを叩き始めた訪問者こと胡桃は荒々しい。その口調は関西弁で、ドア越しだと本物のヤクザかと錯覚してしまう。


「はぁ……ほら入りなさい」


「なんや。折角実家から帰って早々新年の挨拶に来たのに……」


「随分と遅い挨拶ね」


「そこはお土産を買ってきたから許して」


「……分かったからさっさと入りなさい。外は寒いのよ」


 このまま放置したとしてまたチャイムを連打されるのに違いない。数十分もすれば帰るだろうが、その間ただの人間である胡桃に優雅なひと時を邪魔されるのは癪だと思い、ロトは仕方なく胡桃を招き入れた。


「ん? なんなんこの雑誌は?」


「バイトを探すための求人誌よ。あ、働くのは仄音だから」


「えぇっ!? あの仄音がバイト!?」


 炬燵の上に散らばっている求人誌を見て、ロトから簡単な説明を受けた胡桃はあまりの驚きから卒倒しそうになった。まるで天変地異を目撃したかのように唖然としている。


「あの仄音ってなに? ヒキニートだから働くのはあり得ないと? ヒキニートは惨めにしてろと?」


「ちょっ! ごめんごめん! 気に障ったなら謝る」


 手を立てて軽い感じで謝った胡桃だが、仄音の機嫌は良くならない。そもそも最初から苛立っているからだ。

 仄音はロトにきちんと働くと約束をし、就職活動もそのための過程。強制されている訳ではなく納得しているが、積もった忌避感が完全に消える訳ではない。


「それで? 折角来たんだからヒキニートの先輩として何か助言でもしたらどう?」


「無茶ぶりやな……まあ当たって砕けろ、やろか……」


「もっと詳しく」


「あー……仕事するということは大抵どこかしらで人とコミュニケーションをとる場面がある。そして、うちらヒキニートは長期間人と関わっていなかった所為で意思疎通能力が退化してる」


「つまり?」


「まあどの仕事についても人並み以下やね。大体失敗する。私は親からきつく言われて仕方なくバイトを始めたんやけど辛かった……」


「ふーん……」


 ロトは興味なさそうに相槌を打った。

 しかし、当事者である仄音は慄然としていてページを捲る手を止めた。


「や、やっぱり就職はもうちょっと後で。具体的には十年くらい」


「そんな暴挙は許さないわよ? 私も貴女を助けるために頑張るから、仄音も頑張るの」


「そうやで。さっき言った通り当たって砕けるしかないんや。ヒキニートが長引くほど後が辛いで?」


 仮に十年もヒキニートが続いてしまったら、それこそより就職が困難になる。いや、その前に悪の欠片が覚醒してしまうかもしれない。


「うぅぅぅ……ヒキニートヒキニート……私はもうヒキニートじゃない! ニートだよ!」


「そんなの豚汁か味噌汁かの違いよ」


「いや、その例えは間違ってるんやないか……? うん、やっぱり可笑しいわ」


 天使のズレた感性に胡桃は唸り、何度反芻してみても微妙な表情は晴れない。


「そういえば隣人は何の仕事をしているの?」


「隣人ってまた他人行儀な呼び方に戻ったな……いや、他人でも隣人と呼び捨てするのはおかしいんじゃ……」


「なら胡桃ちゃんって呼びましょうか?」


「うわぁ、悪寒がやばいわー……」


 ロトなりの冗談だったが、それでも胡桃ちゃんと幼児を扱うように言われた胡桃は気持ち悪そうに両腕を擦る。服の下は鳥肌でざらざらだ。


「それで、どうなの?」


「そういや言ってなかったっけ? うちは日本橋のメイド喫茶で働いてるで」


「め、メイド喫茶!?」


 珍しいモノを見るかのように仄音は愕然としている。その反応は少し前までなら妥当だったが、今は違う。


「メイド喫茶っていうかコンカフェはここ最近増えてきてるし、昔と違って割とありきたりな仕事になってるで」


「あー……最近の若者はオタクかぶれが多いよね」


「そうや。ネットの敷居が下がった所為か美少女アニメでもエロゲでもなんでもかんでも簡単に触れれるようになったから、以前は一部のファンしか知らんかったのが、今では大多数の人に楽しまれるようになったなぁ」


「……何の話か分からないわ」


 二十一世紀に入ってからオタク文化は急成長を見せた。

 今まで彼らオタクは世間から淘汰されるのに怯え、小規模なコミュニティでひっそりと暮らしてきたが、今はどうだ。サブカルチャーの一種だったオタクは“ありきたりなモノ”になり、日本の経済を支える一つになっている。もはやサブカルチャーの範疇ではないだろう。

 かつて深夜アニメというものはオタクくらいしか視聴しない珍妙な娯楽だった。かつてネットというものはパソコンがないとその実態を掴めないものだった。

 しかし、今ではオタクの代名詞であるアニメやネットは世間に浸透し、老若男女問わずそれらに触れている。小学生が過激な深夜アニメを視聴し、ネットを使って素性不明な人たちと交流している。

 これが良いことなのかは誰にも分からない。ただ確実なのは今の若者たちはそういった文化の上で 育った人たちで、日本橋や秋葉原といったオタクの聖地は発展している。メイド喫茶やコンカフェが増えたのはその影響を受けたからだ。


「そうよ。胡桃、あなたの職場で仄音を働かされない?」


「うーん? 多分いけるんちゃう?」


「まあ無理――そんなあっさり!?」


 淡々として答えた胡桃に、仄音は目を丸くしてしまう。


「私、一度も働いたことないけど本当に? 胡桃ちゃんに迷惑かけるよ?」


「そうやねぇ……此間一人辞めちゃったし、オーナーに言ったらいけると思うんやけど取り敢えず面接やね」


「ならお願いするわ」


「ちょっ! ロトちゃん!」


 運が良いのか悪いのか。奇しくも仄音の面接先が決まってしまった。

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