第三十一話『年越しそば―2』
大空の旅を嫌というほどに満喫したロトは夜十時に帰宅し、浮かない様子で買ってきた物が入っているであろうエコバックを炬燵の上へと置いた。
「随分と遅かったね。材料の厳選でもしていたの?」
「ま、まあそんな感じよ……」
「何だかエコバック中身が軽いけど何が入って……こ、これって」
中身を漁った仄音は絶句した。
エコバックから出てきたのは確かにうどんだ。それも手軽に食べられて、ヒキニート全盛期だった仄音も買い溜めをしていた、少し懐かしさを覚えるインスタント。
「ど、どうしてカップ麵なの? か、香川県まで行ったんだよね?」
「そ、それが香川県に行ったつもりが通り越してお隣の国まで行ってしまって……」
「いくらなんでも行き過ぎだよ!? 途中で気づくよね!?」
「何だか海が長いなぁとは思っていたけれど……まさか魔力の翼を広げた状態に、重力魔法で自分を軽くしたらここまでスピードが出るとは思わなかったの。約二時間で国外よ」
「えぇ……それってもうジェット機並みの速度だよ」
今回の失敗はやる気だ。それが原因で、調子に乗ったロトは今までに試したことがない手段をとってしまった。急がば回れとはよく言ったものだ。
嫌な予感が当たった仄音はロトの音速に吃驚しつつ、気が滅入ったことにより表情を沈ませた。
「それで、その後はどうしたの? ちゃんと香川県まで行ったんだよね?」
「いえ、いつもの速度だと四時間は掛かるから同じ速度で香川を目指したわ……それが裏目に出て、気づいたら東京に居たけど」
「ど、どうして!? もしかしてロトちゃんにも私の方向音痴がうつっちゃった!?」
「そういう訳ではないわ。というか方向音痴って自覚はあったの……ごほんっ、どうやら慣れない飛行法は安定しないようね。発展した街並みを見て疑問に思っていたのだけれど、スカイツリーを見て此処は東京だって確信したわ」
「それ、スカイツリーが無かったらアメリカ辺りまで行ってそうだね」
「ノーコメントで……」
ぐうの音も出ないロトは度重なる失敗を思い出して、悔しそうに俯いてしまった。このままでは美味しい年越しうどんが食べられず、暗澹たる雲行きだ。
「じゃあ香川県には行ってないの?」
「時間的にギリギリだったし、また通り越してしまいそうだったら東京でうどんを買うことにしたわ……そんな時、上空から包丁を持った男に追いかけられる女性を発見したの」
「えぇ? 急に流れが変わったよ。勿論、助けたんだよね?」
「いえ、面倒だから無視しようと思ったのだけれど凶器を持った男性の方が悪の欠片持ちだったから始末したわ。仕方なく」
「な、何だか物騒な話になってきた……」
悪の欠片持ちの人間が天使によって始末される。仄音にとってもあり得る未来で、他人事のように思えなかった。
「結果的に女性を助ける事になってしまって……その女性からお礼としてカップ麵を二つ貰ったのよ。それも運が良いことにうどんよ」
「でも香川県に辿り着いてないから不運なんじゃない?」
「ノーコメントよ」
仄音の指摘にロトは髪を掻き上げて格好をつけた。しかし、落ち込んだ表情は完全に隠せず、瞳はうるうると涙を帯びている。至高のうどんを欲している瞳だ。
「強がらなくてもいいのに……これはスーパーに行ってきて正解だったかな」
「え? それって……」
「嫌な予感がしていたから念のためにスーパーで買い物をしたんだよ。本当は明日か、明後日にもでも食べるつもりだったけど」
「も、もしかして!」
期待から駆け出したロトは冷蔵庫を開け、そこにはうどんと天ぷらなど、年越しうどんを作る材料が入っていた。
「これはおうどんよ! それに大きなえび天も! 仄音! 私は今、物凄く嬉しいわ!」
「う、うん。それはまあ見れば分かるけど喜び過ぎだよ」
嬉しさのあまり目を輝かせているロトははしゃぎ過ぎだろう。たかがうどんで喜ぶのは子供っぽいが、そこがまた可愛しいと思った仄音は子を見守る親のような温かい目をしていた。
「じゃあ早速作るね。もう年越しまで後二時間くらいだし……」
「お願いするわ」
「うわぁ……スライムのように溶けてるよ」
仄音と入れ替わりで炬燵に入ったロトはだらけ始めた。いつものようにパソコンを起動させ、頬を炬燵に密着させている。
普段なら注意するところだが、きっと大空の旅から帰ってきたばかりで疲れているのだろう。そう察した仄音はやれやれと言った風に微笑んでは大きく伸びをしてからキッチンへと向かう。
「今年は年越しそばじゃなくて年越しうどんかぁ……」
子供の頃、家族と啜った年越しそばの味は覚えていない。だけど記憶の中の自分は無邪気な笑顔を浮かべ、きっと幸せだった筈だ。
感慨深くなった仄音はうどんを手に取って、炬燵でチーズのように溶けているロトを一瞥した。
(ロトちゃんと迎える年越し……うん、幸せだ……)
身体が軽くて、胸の奥が熱く、満たされているような感覚。これが幸せなのだろう。
仄音は笑みを隠そうと唇をぎゅっと結んだ。
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