第三十話『二人っきりのクリスマス―1』
悪夢のようなドッキリが終わって数時間が経ち、仄音とロトはいつもより豪華な晩御飯を前に座っていた。
「そ、それじゃあ始めよっか? もう晩御飯だし……」
「え、ええ、そうね」
一か月近く一緒に暮らしていたが、二人だけでのパーティーは慣れない。どことなく初々しい空気が漂ってしまっている。
クリスマスの食事。炬燵の上に並べられているのは買ってきたチキンにピザとポテト。冷蔵庫には二人分にカットされたケーキ。飲み物は炭酸飲料か林檎ジュースで、とても女性二人で食べきれる量ではないだろう。
「大丈夫? 狭くない?」
「大丈夫よ。温かいわ」
普段、二人は対面で顔を見合わせるように座っているが、今日は隣同士だった。特に理由はなく、強いて言えば今日がクリスマスだからだ。
「メリークリスマス、仄音……」
「うん。メリークリスマス……これは私からのプレゼントだよ」
先手必勝。食べ始める前に仄音は買ってきた小袋をロトへ渡した。
「ありがとう……仄音が一人で買ってきた物は何かしら? これは……」
「その、ロトちゃんがくれた指輪のような、素敵な物が思いつかなくて……ただの雑貨屋さんの安物でごめんね?」
「これってリボンでしょ? 素敵な物じゃない。嬉しいわ」
プレゼントの中身は黒色のリボンが装飾されたヘアゴムで、確かにロトが誕生日として渡した指輪よりは見劣りするだろう。
しかし、それでもロトは嬉しかった。ポニーテールを解き、髪を掻き上げては貰ったリボンで髪を結び、優しく微笑んだ。
それを隣で見ていた仄音は惚気てしまう。鼓動がバクバクと煩く、何だか以前にも似たような事があったような、強烈なデジャブを覚えていた。
「それで私のプレゼントだけど、その前に大事な話があるの」
「話? それって……アリアさんが言っていた?」
「あら? 聞いちゃったかしら?」
「いや、有耶無耶に終わったから何も……」
「じゃあ一から話すわ。あれは昨日、仄音が出かけた直ぐ後の事よ――」
ロトは真剣な眼差しを仮面越しで、彼女へと向けた。
クリスマスイブ。仄音とプレゼント交換をする事になったロトはアリアを近所の公園へと呼び出していた。
「急に連絡を寄越して何の用! また私に説教するつもり!」
ジャングルジムの天辺で仁王立ちしている姿はとても三十路とは思えないが、その疑問は当然だろう。
アリアからしたら着信拒否されている同僚から突然電話が来たようなものだ。
「説教ではないのだけれど……取り敢えず、そこから降りてきたらどうかしら? 落ち着かないわ」
「えぇ……こうしていればロトを見下せて愉快なのに……」
「その発言で私は不愉快よ」
これにはロトもジト目になってしまう。
「おい、見ろよ。またコスプレ女がいるぜ。ジャングルジムの上に立つとか小学生の俺らでもしないよな」
「あはは! 両方厨二病ってやつなんだよ!」
「おい、声が大きいぞ。聞こえちまうって……」
近くで遊んでいた子供たちは幼稚な天使たちを観察し、言いたい放題である。ある意味子供ならでは特権だろう。
怒る気にもならないアリアは「ごほんっ!」と恥ずかしそうに息払いして、ジャングルジムから飛び降りた。
「で? 本当に何の用なの? 気持ち悪いわ」
「仄音と知恵のことよ。貴方も分かっているでしょう?」
悪の欠片を秘めた二人の名前を聞いたアリアは険しい面立ちに変わった。
ロトだけでなく、アリアも知恵というターゲットがいるに関わらず見逃している。それどころか同棲して、絆を育んでいる。天使にあるまじき行為だ。
二人とも深く理解していて、理解していたからこそお互いに口を出さなかった。互いに非難できる立場ではなかったからだ。
それはいつしか暗黙の了解になっていたのだが、今、ロトによって禁忌に触れられた。
「なに? 上に報告でもするの? もしそうするならロトも同じ運命を辿ることになるね」
「違う。私はただ正式に協力を仰ぎたかったの……」
「協力―?」
普段は仲違いしているにも関わらず、協力を仰ぐだろうか? 何か裏があるのでは? と、アリアは訝しそうに眉を顰めている。
「ええ、そうよ。貴方は知恵を殺したくないのでしょう?」
「…………」
「無言は肯定と受け取るわ。白状するけど私は仄音を殺したくない。そのためには仄音に宿る悪の欠片を取り除かないといけない」
「その方法を一緒に探せって? 無理だよ。あと一年もないのに……もし、そんな方法があるなら先代の天使たちが見つけている筈だよ……」
ヒントも何も無しに、その方法が見つかるとは思えない。可能性はゼロに近く、アリアの表情は自然と曇った。しかし、それは迷いがあるが故、だ。
「知恵が死んでもいいの? アリア?」
「……私だって知恵に死んで欲しくない。最初こそ関係は最悪だったけど、今では立派な家族だから……時々虐めてくるのは勘弁して欲しいけどさ」
「じゃあ……」
「うん、そうだね。流石のロトも一人だと限界だろうし、このアリアが協力してあげるよ」
「期待しないでおくわ」
真冬の公園という凍えるような気温の中、皮肉を混ぜつつ語り合った二人。仲は悪いがそれ以前に同じ天使であり、似たような境遇をしている。だから腹の内は決まった同然だった。
「はぁ……上にバレたらどうなるか……まあ悪の欠片を取り除く実験をしていました、みたいな言い訳で切り抜けられるかな……」
「どうでしょうね。一応、バレないように行動しましょう。これから改めてよろしくね」
「あーもう! 調子狂うなぁ……」
ロトに握手を求められ、アリアはむず痒さを感じながら応じた。
「因みに以前、ちょっとした実験でエンジェルパウダーを仄音に食べさせたけど、結果は気絶。どうやら悪の欠片を秘めた人間にエンジェルパウダーは毒のようね……」
「なんてこと……」
さらっと語られたのは残酷な出来事だった。
ロトの話を聞いていた仄音は何とも言えない表情をし、気を取り直すために注がれていた林檎ジュースを口に含んだ。
「なんだろう……最後のは聞きたくなかったよ……」
「重要なのはそこじゃないわ」
コップに注がれた林檎ジュースを揺らし、水面が揺らぐ。
「はっきり言うわ。私は仄音を殺せない……だから助ける事にしたの」
「……どうして? 一緒に暮らして情でも湧いちゃった?」
「それもあるけど……上手く言葉で表せないわ……」
情が湧いた。それ以上の理由があるように思えるのだが、上手く言葉に表せない。例えるなら血の繋がりであったり、本能が訴えていたり、又は気分だったり、そういった曖昧な絆の予感がしたが所詮は頼りないものだ。軽率な発言は控えるべきだろう。
「この気持ちは本物よ。私は仄音を大切に思ってる。だから救うの。これが私からのクリスマスプレゼントよ」
「そっか……ロトちゃんの気持ち、確かに受け取ったよ」
仄音は希望の橋を架けるかのように、そっとロトの手を取って目を合わせる。包み込まれるかのような優しい温もりを感じ、表情が綻んでしまう。
「でも私だけ物を貰ってなんだか悪いわ」
「え、そんなの気にしなくてもいいよ。大切に想ってくれているだけで嬉しいから……」
「……いえ、やっぱり気になるわ。ここは天使の間で高値取引されているエンジェルパウダーでも……」
「殺す気なの!? それって私にとっては毒なんだよね!?」
声を荒げてツッコミを入れる仄音に、ロトは「冗談よ……」と呟くが目を逸らしている。
「それじゃあ一つだけなんでも願い事を聞いてあげるのはどうかしら?」
「何でも?」
「ええ、流石に限度はあるけれど大抵の事ならしてあげる。嫌いな人物の殺害だったり、いやがらせだったり……勿論、現金でもいいわよ? 仄音が望むなら奴隷にでもなってあげるわ。あ、奴隷といっても痛いことは嫌だから単純な労働ね。性奴隷もおーけーよ」
「冗談なのか本当に言っているのか反応に困るよ……今は別にないから保留でもいい?」
「そう……分かったわ……」
願い事を受け止めようと構えていたロトはつまらないと言った風に俯いた。
「そんな残念そうにされても困るよ……と、兎に角、試験の合否、教えてくれるかな?」
「それはね……」
ロトは両腕をゆっくりと動かして交差させ、やがて×の形になる――直前に猛スピードで◯を作った。
「合格よ。文句はないわ……」
「あはは、お、お茶目だね。不合格かとドキッとしちゃったよ」
柄にもない行動だったが、それ故に騙されてしまった仄音はバクバクと煩い胸を落ち着かせる。
「でも良かった。これでロトちゃんの期待に応えられたかな」
「そうね。少しだけ心配だったのよ……何事もなかったのよね?」
「うん。最初、心が折れそうになったけど胡桃ちゃんと出会ったお陰で持ち直したのと、この指輪の存在が大きいかな」
胡桃から安心感を得て試験という目的を思い出した仄音だったが、好調は長く続かなかった。時間が経つ度に、プレゼントを悩む度に、段々と余裕がなくなって神経質になってしまう。肩が重たくなり、妙に汗をかき、結局人見知りという特性だ。
仄音は買い物中、何度も挫けそうになった。都合よく友人に会えるわけがなく、体力は回復しない。
そんな彼女を、絶望から何度も救い上げたのはロトが送った指輪のお陰だった。
「こうしてじっと指輪を見つめているとね、ロトちゃんを傍に感じられて勇気が貰えるんだ……」
「なんだか恥ずかしいわ……まあ役に立っているようで良かったかしら……これでステップⅡはクリアね」
「え? ステップⅡって……」
「仄音更生計画よ。忘れていたの? 試験には合格したからこれからはステップⅢの就職よ」
漸く思い出したのかあわあわと顔色を青くする仄音に、ロトは苦言を呈した。
「わ、忘れてたよ!? ああ……それなら失格になれば良かった……」
「まあ、ゆっくり進展させるつもりだからそう不安にならなくても大丈夫よ」
「でもなぁ……」
仄音は今までの人生で働いたことがない。学生時代、アルバイトせずにギターに励み、卒業しても就職はせずに引きこもっていた。だからこそ物凄い不安感に襲われて、見るからに落ち込んでいた。
「そんな顔していたら幸せが逃げるわよ? 今日のパーティーを目一杯楽しみましょう。折角のクリスマスなんだから」
「……うん。いつかは働かないといけないし、改めて覚悟しておく……だから今日はいっぱい楽しむよ!」
互いにグラスを持ち、肩辺りまで上げると軽く衝突した。カチンと軽い音が鳴り、林檎ジュースがゆらりと揺れる。
「乾杯。メリークリスマス……」
「メリークリスマスだよ、ロトちゃん。これからもよろしくね」
静かに乾杯するロトに、仄音は笑みを零した。
それを合図に愉快なパーティーが始まり、同時に仄音の更生はまだまだ始まったばかりだった。
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