第二十七話『ヒキニートのクリスマスイブ―1』

「さて、今日は何の日でしょうか?」


 ふと仄音はロトに訊いた。

 今日の朝食は洋風で、こんがりと焼かれたトーストにバターを塗り、目玉焼きとベーコン。健康に気を使って少量だがサラダも添えられている。

 それらを食べながらセイバーを視聴していたロトは興味が無さそうに答えた。


「何の日ってクリスマスイブでしょ?」


「そう、クリスマスイブ……と、いうことは! 明日は! クリスマスなんだよ!?」


「は、はぁ……」


 身を乗り出して迫真の表情で肯定され、訳が分からないロトは首を傾げた。


「リア充共が! クリスマスに染まった街中で! 甘い空気を漂わせる地獄の日なんだよ!?」


「いや、仄音の場合は滅多に外へ出ないし関係ないでしょう」


「大アリだよ!」


 仄音は悔しそうに炬燵を叩き、食器がガチャと音を立てる。


「どうせ「クリスマスプレゼントは俺自身だぜ」とか「嬉しいわ……好きよ……」みたいなあまあまさんなやり取りをしてるんだよ! むかつくよね!」


「ドラマの見過ぎよ。というか妬んでいるだけじゃない……」


 ロトの言う通り、仄音は妬んで僻んでいた。クリスマスなのにやることがない。周りの人は充実しているのに、自分は家に引き籠る。テレビに映る人たちは笑顔でクリスマスを楽しんでおり、それを恨めしく思い、情けない自分に嫌気が差した。

 数年間拗らせていた感情は癖になり、捻じれた針金のようだろう。矯正したとしても、ある程度真っ直ぐには直るが完全ではない。


「妬んで何が悪いの! こうなったらアリアさんみたいに全世界のリア充どもに呪詛を送って――」


 そんな歪な感情を、仄音はぶつぶつと曝け出す。もはや自暴自棄であり、後に冷静になった時、自分を殴りたくなるだろう。

 頭が痛くなったロトは深く溜息を吐くと箸を置いた。


「充実したクリスマスを送りたいなら知恵でも呼べばいいじゃない」


「知恵ちゃんはバンド仲間とクリスマスを過ごすようで、聖菜ちゃんは家族とだってさ。胡桃ちゃんも、何か予定があるそうで……」


 元より友達と楽しく過ごそうと計画していた仄音だったが、悉く断れてしまっていた。だからこそ不貞腐れており、朝食を自棄食いしている。


「なら気にしないことね。第一、そんなことを気にするのは仄音だけでしょう?」


「それは違うよ! ネットという海には私と同じ想いの人が沢山いるよ! その一人が私と、ほら……」


「あぁ……」


 仄音の視線を追ったロトは納得した。

 そこにはテレビがあり、天使の番組が映っている。それ自体はいつもの事だが、問題は司会者のミカエルにあった。

 ミカエルは頭にメリークリスマスと書いた赤い帽子を被り、狂ったような三日月型の笑みを浮かべては「リア充死ねリア充死ね――」と、壊れたレコードのように何度も靉靆な呪詛を吐いている。もはやニュースどころではなく、放送事故だろう。

 周りのスタッフたちは画面外から「あ、ミカエルさん。私、この後彼氏とデートなんですよ。早く仕事をしてください」とか「あ、俺も彼女とデートだったりするんですけど、ミカエルさんはこの後予定とかあるんですか?」と野次、否、煽りを飛ばしている。効果は抜群で、ミカエルは額に青筋を浮かべてはスタジオの端っこで蹲ってしまった。

 上司の情けない姿を見ていられなくなったロトはテレビを消した。


「はぁ……今年も一人ぼっちかぁ……」


「それは違うわ。だって私がいるでしょう?」


「あ、そっか……そうだったね」


 はにかんだ笑みを見せた仄音。

 ロトは見ていたセイバーを停止させると思いついたように顔を上げた。


「それじゃあ試験をしましょうか……」


「へ? 試験? 何の?」


「明日のクリスマスは私と過ごしましょう。それで今日はお互いにクリスマスプレゼントを用意すること」


「あ、プレゼント交換ってこと? 確かにいいかも……」


 仄音は和気あいあいとプレゼントを交換する光景を想像し、乗り気になった。


「それじゃあいってらっしゃい」


「へ?」


「プレゼントをあげる相手とプレゼントを買いに行くのは可笑しいでしょう?」


「え? べ、別に分からないようにしたらいいんじゃ……」


 てっきり一緒に買い物すると思っていた仄音は不安定なトーンで文句を言う。


「だからこれは試験なのよ。仄音が一人で買い物をしないと意味がないわ」


「で、でも――うぅ……わ、分かったよ。ロトちゃんの言う通りにするよ……」


 厳しめの口調で言われ、肩を落とした仄音は悲しそうに俯いた。

 外に出るのが怖いとか、億劫だとか、そんな理由ではなく、ただロトと遊びに行きたかった。そんな仄音の心情を知らないロトは再びセイバーを見始めて、冷めたトースターを頬張った。


(さて、今の仄音なら合格でしょうけど……少し心配ね)


 仄音はすっかりと忘れているようだがロトが立案した『仄音更生計画』というものがある。その内容によれば仄音はステップⅡまではクリアしているだろう。食生活は改善され、きちんと規則正しい生活を送っている。

 ステップⅢは一風変わり、働くのが目的である。正社員になってばりばり働け! ではなく、週一のバイトでもいいから社会に貢献し、自分に自信を持つ事。親の負担を減らす事。それらがステップⅢの目的である。

 ロトが課した試験とは、ステップⅢに移っても良いか否か。それを見極めるためのテストだった。


(それより、私も仄音へのプレゼントを買いに行かないと……何にしようかしら?)


 大好きなセイバーを見ながら、ロトはぼんやりと思考を巡らせた。





 時間は川のように流れ、午後一時という昼下がり。

 自宅でロトと一緒に昼食を摂った仄音はプレゼントを探しにショッピングモールへとやってきていた。


(なんだろう……この感じ……)


 モール内は人々で賑わい、クリスマスイブという事もあっていつも以上に盛んだ。

 その空気に当てられた仄音は挙動不審で、俯きがちで歩いてしまう。歩きスマホみたいに質が悪いだろう。誰かにぶつかってしまうかもしれない。


(あ、そっか……怖いんだ、私……一人だから……)


 仄音の中に渦巻いているのは恐怖だ。それが分かった瞬間、全てを理解した。

 ロトのお陰で仄音は成長し、外を出歩けるようになった。しかし、一人で人混みの中を歩いたことはない。今までは必ずロトや聖菜といった友達が傍にいてくれたのだ。

 もしものことがあっても頼れる人がいない。手を引いてくれる友達がいない。周りの視線が気になり、前を向けない。

 仄音の気持ちは沈み、どん底だ。遂に足を止めて、目的すら忘れてしまった。


「あれ? 仄音やん? どうしたんこんなところで……」


「く、胡桃ちゃん?」


 死にかけだった仄音に声を掛けたのは偶然通りかかった胡桃だった。

 それは仄音にとって、天から落ちてきた一本の糸。そう思うほどに希望に満ち溢れ、安心感から涙ぐんでしまう。


「え? だ、大丈夫か? ロトとはぐれたんか?」


「い、いや、大丈夫だから……胡桃ちゃんはどうして此処に?」


「へ? あ、ああ! こ、此処で用事があってんよ!」


「そうなんだ……心配してくれてありがとう。それじゃあ私は試験中だから! 胡桃ちゃんも良いクリスマスを過ごしてね!」


「は? 試験?」


 仄音は一方的に言い残し、駆け足でその場を後にした。

 よくわからない胡桃はぽかんと彼女の背中を見つめている。


(そうだ。私はロトちゃんに試験を課せられたんだ。胡桃ちゃんに甘えたら失格だよね……)


 目的を取り戻した仄音は奮起した。

 ロトの期待を裏切らないために、自分を信じて邁進する。なるべく人目は気にしないようにして、人混みを掻き分けていく。


「頑張らないと……」


 左薬指に嵌められた指輪は輝き、静かに揺らめいていた。

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