第二十六話『エンジェルパウダーの謎―1』
佇立している一人の男性。その背後にはガッチリとコンクリートで固められた建物。掲げられた看板には『KOBAN』。そう、交番である。
つまり、立っている男性は警察官だ。精悍な面構えで、目の前の道路を見つめている。ギラギラとした目つきは犯罪者撲滅を訴えているようで、道行く人々はそんな警官を目にしては肝を冷やす。
しかし当人である
(あれはなんだったんだ? 俺の頭に星が落ちたよな? なんで生きてるんだ?)
脳裏に過る光景は輝いた星が頭上に落ち、目の前が真っ暗になる瞬間。直前に見えたのは光の残照と、目を丸くする女性が二人。
真司は死を確信していた。体温が失っていく感じに、忍び寄る闇の気配。嗚呼、これが死なんだ、と思っていた。
しかし、今、真司は確かに生きている。心臓が脈を打ち、意識が巡っている。
(いや、俺が生きている理由は分かっている。あの女性が持っていたエンジェルパウダー……死に際にそれを口にしたからだ)
あの時、朦朧とする意識の中、真司は苦しさから逃れたかった。救われたかった。だから、警察という職種にも関わらず、手元にあった麻薬と思しきエンジェルパウダーを口にした。が、効能が違った。
エンジェルパウダーは麻薬ではない。天使たちが好んで使う、いわば回復薬のようなものだ。
それを、ただの人間である真司が使うとどうなるのか? その答えは今の状況。つまり、真司は健康的な生活を送れるまでに回復してしまったのだ。
「ああ、知りたい……知りたいぞ……」
あの超回復の感覚。身体の奥底から力が溢れ、ゾクゾクと背筋がなぞられるような快感。麻薬のようなまやかしではなく、本当に身体が回復する粉。
「エンジェルパウダーの正体を知りたい……」
真司は恋焦がれるかのような表情で、欲求を虚空へと溶かした。
それは純粋な知識欲だ。麻薬のような依存ではなく、ただエンジェルパウダーの成分を、作り方を、本来の用途を知りたい。
(しかし、どうしたらいいのだろうか……手掛かりはエンジェルパウダーという名称に、それを持っていた仄音という人物だけだが……)
(真司さん……急に肩を組んで行ったり来たり……どうしたんだろう?)
肩を組んで考え込み、交番の下を行ったり来たりする真司。それを交番内で書類を処理している同僚は不思議そうに眺めている。
(仄音という女性を……探してみるか? それもいいが他の手も考えたいな……もっと効率の良い方法はないものか……)
以前、職務質問で仄音の詳細を知ったが、憶えているのは名前と容姿くらいである。流石に住所まで暗記はしておらず、これでは大した手掛かりにはならない。警察手帳にメモっていればよかった後悔しても遅いだろう。
悔みながらも真司はある事に気づいた。
「そういえばエンジェルパウダーは直訳すれば天使の粉……天使を探せばいいのか? いや、そんな非科学的なものが存在する筈――なっ!」
不意に顔を上げ、視線の先は車道を挟んで歩道なのだが、問題はそこに歩いている人物。あまりみない奇抜な格好に仮面。頭にはアミューズメント製の天使の輪が付けられている。が、遠目なので真司には本物の光輪のように見えてしまう。
「て、天使だ……」
その人物の正体は仕事中のロトであり、確かに天使だった。
雷が直撃したかのような衝撃が身体に走り、真司は唖然としてしまう。しかし数秒が経って、自分の使命を思い出した。
「いやいや、そんな訳ないだろう真司。そうだ。俺は警察だ。不審な人物を見かけたら身元を確認しなくては……あれは天使ではなく、ただの不審者だ」
一度、エンジェルパウダーのことを思考の片隅へ追いやり、仕事モードに切り替えた真司は胸を張って、その天使へと近づく。
そんな時、背後にあった交番の扉がガラッと勢いよく開けられた。
「真司君! 近くの銀行で強盗が入ったらしいわ!」
「えぇ!? な、なんだって!?」
同僚に声を掛けられ、真司は驚愕した。
「現場に急行しましょう!」
「あ、ああ……で、でも、な……」
「何をぶつぶつと言ってるんですか! 早く行きましょう!」
歯切れが悪く、顔色も悪い。額から嫌な汗を噴き出しながら、真司は看板に凭れ掛かった。その衝撃で装備が鈍い音を鳴らす。
「でも、あそ――」
再び天使に視線をやった真司は絶句した。
何故なら、ロトの背中には天使、いや神を彷彿とさせる神秘的な翼が生えていたのだ。紛い物ではなく、本物の魔力で出来た翼だ。
つまり天使は本物だった。そう確信するほどに神々しく、真司の頭の中はエンジェルパウダーでいっぱいになった。
「あ、ああああああああ……」
「真司さん?」
警察官としての使命は市民を守り、平和を維持する事だ。緊急事態が発生した場合は現場に駆けつけて凶悪犯罪に対処するのは勿論、最悪な状態にある人々に手を差し伸べることもある。
しかし、今の真司は天使に釘付けになって盲目気味だ。エンジェルパウダーを知りたいという探求心が警察官としての使命とぶつかり合い、鍔迫り合っている。
「い、いいか、よく聞けよ」
「な、なんですか?」
「銀行強盗は起きていない! 君の聞き間違いだ!」
据わった目で肩を掴まれ、衝撃の告白をされた同僚は唖然としてしまった。
「え……ってそんな訳ないでしょう!? 今も無線に連絡が着てるの!」
「そ、それは、ほら、お前の無線機が宇宙からの信号を拾ったのかも――痛い!」
「ほら! 早く行くわよ!」
「ま、待て! それよりもあそこに不審者がいるんだ! 未然に意見を防ぐのも! 警察官の仕事じゃないのか!」
真司は切羽詰まった様子で唾を撒き散らし、歩道を指した。
「不審者? 何処にもいないじゃないですか……」
「な!? そんな馬鹿な! さっきそこに天使が居て――あふんっ!」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと行きますよ!」
同僚は真司に軽いビンタをかまし、パトカーへと引っ張っていく。
天使であるロトは既に大空へと飛び立っており、残っているのはオーロラのような、仄かな残照だった。
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